5/22 PM3:32

キクチナオト キリヤマカズオ

セントウカイシ




キツネ狩り―24―




「……桐山くん!」

ふいに美恵の胸に不吉な予感が込み上げてきた。
まるでドス黒い闇のようにドロドロしたものだった。
窓からA地区の方角に目をやった。もちろん山が見えるだけだ。
佐伯徹は今1階にいる。窓から逃げられるだろうか?
とりあえず音を立てないように窓を開けようと、サッシに手を伸ばした時、タイミングよくドアが開いた。
「……!」
『無駄だよ』と言わんばかりに佐伯が立っていた。
必要以上に自分に対し警戒心を抱く美恵を見て、佐伯は言った。


「まさかとは思うけど、オレから逃げようなんて愚行を考えてるわけじゃないよね天瀬さん」
「………」


美恵は返答しなかった。ただ、キッと睨みつけると佐伯から視線をそらした。
決して逃げられはしないが、自分は絶対に屈しない。
それだけは意思表示しておきたかったのだ。
それに今は、この男に対する怒り以上に気になることがある。
胸が痛いくらいに鼓動が早い。


(何?この感じ……桐山くん……!)














菊地の利き腕が宙を舞う桐山に対し一直線に伸びていた。
空中で1回転して着地。と、同時に、まるでスタートダッシュのように加速。
同時に菊地の銃口から火が噴いていた。
踵スレスレの地点に弾丸が食い込み、土が火薬のように瞬間的に散乱する。
桐山は、助走をつけ飛んだ。
かつて体力測定の時、三村や七原の記録を抜いた走り幅跳びよりも数段洗練されたジャンプだ。
その前方には岩。岩の真上に片手をつくと、体操の鞍馬のようにクルッと一気に岩の向こう側に飛んだ。
すかさず、岩陰から二発撃った。もちろん、菊地も先程隠れていた岩陰に戻っている。
銃弾は、岩の形を、ほんの少し削るに留まった。
間髪いれずに、菊地が再度撃って来た。
桐山はスッと身を引く。そして弾を詰める。


(……あいつ銃の扱いが素人離れしているな)


学生がシャーペンを持つ程度の感覚で、常に銃と接していた菊地。
当然、、B組生徒たちの大きな違いは銃火器の扱い方だろう。
しかし桐山は、そんな菊地に引けを取らない。
ワルサーを片手で使いこなしているのだ。
菊地は銃に弾を詰めると岩陰から飛び出した。
瞬時に桐山が手にした銃が火を吐く。
菊地は走りながら、その背後に、桐山に向かって発射した。
桐山がスッと身を隠した隙に、山道に姿を消した。
桐山は当然のように素早く岩を越えると、菊地の後を追って山道に入った。


――さあ、追って来い!!


菊地はさらに走っている。その森の中、菊地の気配が消えた――。














美恵 さんが!?」

それは七原にとっても衝撃的な話だった。
しかし、さらに衝撃だったのは光子が持っていた鎌をスッと向けてきたことだ。


「ねえ七原くん、あたし何度も言ったわよね?
喋る時は小さな声でねって。でないとあたし、あんたを殺すわよ?」


ゴクリ……七原は唾を飲み込んだ。蛇に睨まれたカエル状態だ。
「とにかく、そういうことだから、桐山くんは誘いに乗ったかもしれないわ」
「大変だ……オレたちも文化会館に行こう。
桐山が殺されるかもしれない。それに美恵さんのことが心配だ」
「冗談言わないでよ。あんた、あいつに殺されかけたこと、もう忘れたの?」
「でも」
「第一、あいつの言ったことが本当かどうか確証もないのよ」
「それは……そうかもしれないけど」
「……あたしだって、美恵のことが気になるわ。
今すぐ、あいつの胸ぐら掴んで、美恵に何したか白状させてやりたいわよ。
でも、あたしたちが勝てると思う?はっきり言って可能性はゼロも同然よ」
「……それは」
「だったら、そんな信憑性のない、あいつの言葉よりも、あたしは自分の勘を信じるわ。
あの子は、きっと無事よ。でも危険にさらされてるかもしれない」
ご名答だ。もっとも、さすがの光子も、まさかあの陰険美少年・佐伯に監禁されているとは思ってない。


「だから一分でも早くE地区に行って美恵を探す。
それが、あたしが今一番やらなきゃいけないことよ」
「……そうだな」

七原は納得したが、本当は危険を冒してでも、菊地に言ってやりたかった。


『彼女に何をした!?』と。


しかし光子の言うとおりだろう。
正直言って、あんな相手に勝つ自信など全く無い。

「それにしても、これ……何が入ってるんだよ?」
「その辺りの民家から適当に手に入れた日常品よ。それに武器になりそうな刃物とか」

なぜか七原は(怪我人にもかかわらず)光子のディパッグまで持たされていた。














(――奴の気配が消えた?)

桐山は立ち止まった。
雨音が少しずつ早くなり、暗雲が太陽を完全に遮った今、森の中は夜に近い状態だ。
両膝を地面につけた。瞼を閉じ、両手で握った状態の銃を額にもってくる。

ただ神経を集中させた。


そして――カサッ……と微かな物音を捉えた。


瞬間、桐山が目を見開いた。
同時に右腕を伸ばす、右斜め前20メートルだ。


ズキューンッ!!ズキューンッ!!


「……なっ!!」

二発の銃弾に幹をえぐられた木の後ろ、菊地がまさに驚愕と言った表情で立っていた。
右手には発射寸前だった銃。
気配は完全に消したはずだ。
たとえ引き金を引く瞬間、無意識に殺気を出そうとも、その時では遅い。
間違いなく銃弾の餌食だ。
しかし、桐山は普通の人間では到底気付かない、かすかな音で菊地の居場所を察したのだ。
そして、これは桐山を天才と断言した周藤晶も気付いていないことだが、桐山は絶対音感の持ち主だったのだ。
それが桐山の天性の音楽の才能の原因でもあった。
どんなに微かな物音も逃しはしない。




「クソっ!」
菊地はダッシュした。その足音を追うように、さらに銃弾が鳴り響く。
「……くたばれ!!」
菊地も引き金を弾いた。精確に木々の間をすり抜け、桐山目掛けて飛んでくる。
しかし、一瞬早く、その場を退いた桐山は菊地を追いながら、木々の間を走った。
だが菊地も黙って殺されるつもりは毛頭ない。
森に誘い込んだのは勝算があったからだ。
右手で銃を扱いながら、菊地は胸ポケットからナイフを2本取り出した。
ナイフは、まるで洋弓のように真直ぐに、並行して空を貫いた。


到達地点は――桐山ではない。数メートル後ろだ。


「はずしたな」と並の人間なら、そう思っただろう。
しかし、桐山は全く違うことを考えた。
そして、反射的にスタートダッシュをきっていた。


(危険だ、遠くへ。とにかく、この地点から離れるのが最優先だ――。
なぜなら、この森は――)

この森の中には――。


ピンッ……!


数メートル背後に、何か張り詰めたものが切れるような音がした。


(この森の中には、奴が仕掛けた――)


チュドォーンッ!!


桐山の背後から高らかに爆発音が鳴り響いた――。




【B組:残り25人】
【敵:残り5人】




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