ホテルの影が一瞬で高尾を呑み込んだ。
「まだだ、どんどん行くぞ!」
川田は間髪いれずに爆破ボタンを立て続けに押した。
高尾の前に並んでいた店舗がいっせいに爆破。
看板が高尾目掛けて飛んでくる。高尾の逃げ場を塞ぐ。
高尾の真上には崩れたホテル。もう避ける暇はない。
「そのまま、そのままだ!!動くなよ、クソガキ!!」
桐山たちの目の前で、ホテルが完全に崩れ落ちた。




キツネ狩り―196―




「おい晃司のやつ大丈夫かよ。完全にホテルの下敷きになったぜ」
蛯名はソファの背もたれに腰掛けながらだるそうに言った。
隠しカメラの映像は画像が悪く、さらにノイズが走りまくっていた。
これだけ派手な戦闘が続いてきたのだ、壊れずに残っているカメラがあっただけでも良かったというべきだろう。
「で、まさか、このまま終わりってわけじゃないだろ?」
「当然だ」
堀川はさらりと答えた。彼には見えていたのだ、ホテルが崩れ落ちる瞬間のシーンを。

「桐山和雄達はすぐに逃げなければ退路を絶たれるぞ。晃司はすぐにでも反撃を開始する」














「よし、奴は原型も残ってないだろう!
川田は拳を握り締めたが、桐山は全く逆だった。
「川田、すぐにこの場を離れろ」
「桐山?」
「奴は生きてるぞ。奴はホテルが崩れる瞬間、右に二メートルだけ移動して飛んでいた」
川田はハッとした。桐山が言ってる意味がわかったようだ。
ホテルはアスファルトの地面と激突した衝撃で完全に瓦礫と化した。
その衝撃の前に、ホテルの窓ガラスが中かが突き破られ、高尾が飛び出してくるのが見えた。


「ク、クソガキ!!」
川田は立ち上がろうとしたが、すぐに腹部の痛みでバランスを崩した。
美恵が咄嗟に支えなければ、その場に崩れ落ちていただろう。
高尾は、ホテルの壁が自分を下敷きにしようとした瞬間、移動していた。
右に二メートル。その地点は壁ではなく、窓ガラスが見えた。
高尾はホテルが自分を押しつぶす前に自ら飛んだ。窓ガラスを突き破って、ホテルの中に。
間髪いれずに、その反対側――向こう側の窓ガラスを突き破って外に出た。
ホテルがアスファルトと激突し、瓦礫と化す直前にホテルの真上に出たのだ。


「川田、続けろ」
「し、しかし桐山!」
「オレが何とかする。美恵を頼む」
それだけ言うと桐山はダッシュした。
「桐山くん!!」


高尾目掛けて、次々と建物が雪崩のように崩れ落ちてくる。
高尾は、その瓦礫の嵐の中、全く臆することはない。
安ホテルに次いで、爆風が瓦礫を含んだ散弾銃となって襲い掛かってきた。
避けきることは不可能。高尾は自ら瓦礫の嵐に飛び込んだ。
拳大のコンクリートの塊が、まるでマシンガンのシャワーのようだ。
並の人間なら一瞬で蜂の巣状態。だが高尾の動体視力は、その瓦礫の弾丸一つ一つをはっきりと捉えていた。
そして、それらに素早く反応できる研ぎ澄まされた身体能力もある。
高尾は襲い掛かってくる瓦礫を一つ残らず、叩き落した。
爆破は止まらない。歩道橋が落ちてきた。
高尾はメリケンサックをつけただけの拳を高く突き上げ飛んだ。
空中で歩道橋が真っ二つに破壊。高尾は、その真上に躍り出た。
水道管が破裂。水のカーテンが高尾の視界を阻む。


「――来たか」

爆音、そして水のカーテン。そんなもので高尾は気をとられることは無い。
気配を読む力が高尾を守ってくれる。
まるで肌で敵の体温を感じるかのように、敵の接近を的確に教えてくれるのだ。
川田が必死になって仕掛けた爆薬は二次被害も引き起こしていた。
ガソリンスタンドだ。爆破は、ついにガソリンに引火した。黒い炎が一気に高尾の周囲を包み込んだ。
「今だ」
桐山はまっすぐ銃口を、ただ一点に絞った。




この位置だ、この位置なら高尾の頭部、あるいはボディに当たる。
かならず致命傷、あるいはそれに近い重傷を与えられる。
だが、桐山は撃たなかった。
水のカーテンの向こうから拳大の鉄くずが飛んで来たのだ。
「!」
桐山は、咄嗟に伏せた。背後にあったコンクリート塀に、鉄くずがのめり込んでいる。


(危なかった。伏せるのが遅かったら、オレの顔にのめり込んでいた)


また飛んで来た。大丈夫だ、伏せていれば当たることは無い。
だが桐山は、その鉄くずの軌道が直角に変化するのを見た。

(当たる!)

桐山は飛んだ。危なかった、間一髪だ。また飛んで来た。寸分たがわず正確に飛んでくる。
コンクリート塀を背にしていた桐山は銃口を上げた。
今度は拳大のコンクリートの塊だった。
桐山は迷わず発砲、拳大のコンクリートは角砂糖サイズになって散らばった。
その直後、桐山の真上からまた飛んで来た。
桐山は右に飛んだ。瓦礫弾は桐山ではなくアスファルトの地面に激突した。


「何?」
アスファルトと激突したそれは、あまりにも不自然な撥ね方をして桐山に飛び掛ってきた。
(イレギュラーバウンド?)
高尾は避けられた後のことまで計算している。
この爆破と噴煙、そして極炎の中、高尾は自分の身を守ることで精一杯のはずだ。
爆薬がつきるまで、なんとか足止めをするんだ。
このドス黒い煙が高尾をあの世へいざなってくれるまで。
爆風による瓦礫のシャワーは避け切れても絶対に避けれないものがある。
それは、この黒い煙だ。どんな化け物だろうと、この煙の毒を吸い込めば動けなくなる。
これだけ高濃度の煙によって発生した一酸化炭素中毒なら自覚症状も無しに昏睡状態だ。
そして、爆破が続いている以上、煙を避けるために地面に伏せることも当然不可能。




水が勢いを止め、黒煙が徐々にはっきりと見え出した。
その煙の中に人影も見える。
こちらに歩いてくるのが見える。その足取りははっきりしていた。
(なぜだ?)
昏睡状態どころか平然としている。はっきりと見えていたのは足元だけだが完全に五体満足だ。
桐山は咄嗟に高尾が防煙マスクの代用品でも手に入れたのかと思った。
だが突風が煙を吹き払い、桐山に見せ付けた高尾は素顔のまま。
防煙マスクどころかハンカチすら使用していない。
なぜかはわからないが、この化け物は一酸化炭素中毒すら無縁の男のようだ。
桐山はさっとコンクリート塀を飛び越える。当然、高尾は追いかけてくる。


(それでいい。来い)
美恵が引き離せればいい、そしてまだ爆破ショーの舞台は残っている。
(オレは囮だ。オレを追って来ればいい)
桐山は倒れていたバイクを起すとすぐに走った。
(川田のメモが正確なら、このエリアはまだ爆薬が残っている。
このエリア最後の爆薬は、この道路の両サイドに仕掛けられている)
爆発、桐山の目の前で、道路の両脇の建物がいっせいに道路に倒れてきた。
まるでモーゼの十戒の逆パターン。桐山は崩れ落ちてくる建物の下に一気にバイクで突っ込んだ。















「おいおい、あいつ、晃司相手に中毒仕掛けて殺そうとしたぜ。
そんな方法で殺せるならとっくに誰かに殺されてるぜ。なあ秀明」
「当然だな。晃司に、その手は通用しない。晃司は、J・マイヨール並に呼吸を止めることができる。
息をしなければ、煙を吸い込むこともない」















崩れ落ちる建物のアーチの中、桐山は猛スピードで走っていた。
その、ほんの十数メートル背後を高尾が猛追している。
そして高尾が駆け抜けた直後、崩れた建物の大ウェーブが道路に激突。
この直線道路の出口が見えてきた。今、ここで倒しておきたい。
桐山はバイクに急停止をかけた。バイクのタイヤが弧を描く。
そして桐山は、バイクの座席を蹴って大きくジャンプし、アーチから脱出。
バランスを崩されたバイクは横滑りになって高尾に襲い掛かった。
足止めだ。ほんの一秒、それだけでいい。それだけで高尾はこの崩れ落ちる建物の瓦礫の一部と化す。


やった、桐山の思惑通りだ。高尾は破壊された建物の雪崩に飲み込まれた。
だが――その雪崩を突き破って飛び出してきた。
特攻したバイクを蹴り上げ、そのバイクによって生じた微かな瓦礫の穴を脱出口にしたのだ。
桐山は銃を構えた。今、ここで殺す!
空中で、しかもこの爆破の最中、体勢を変えるのは至難の業。
が、高尾はほんの十センチほどの破片を足場にして方向転換した。
そして、次々に破片を足場にジャンプ。
こともあろうにムーンサルトを決めて、桐山の背後に降り立った。
高尾が着地すると同時に、アーチが完全に崩れ落ち、砂埃がいっせいに辺りを包んだ。




桐山は銃を構えながら、即座に振り向いた。
途端に高尾の蹴りが桐山の手を直撃、銃が空中高く舞い上がる。
桐山は、高尾に体当たりした。高尾は桐山の襟を掴んで投げた。
肉弾戦ではダメだ。桐山は連戦を重ね受けたダメージは大きい。
今の体の状態では到底高尾に勝てない。次の舞台に急ぐ必要があった。
高尾を第二の爆破ショーに誘い出す。それしか手はない。
桐山は全身が軋むような痛みを感じていたが、そんなものにかまってはいられなかった。
桐山が猛ダッシュ。当然、高尾も走る。走りながら高尾は小石を投げた。


桐山の足元に弾丸が!桐山はハッと動きを止めた。
なぜ?真上からの射撃なんて、そんなはずない。
高尾は背後だ。そんな不自然な射撃、いくら化け物でもできるわけがない。
桐山は反射的に真上を見た。高尾に蹴り上げられた銃が見えた。

(こいつ!)

桐山はなんともいえない気持ちになった。これが忌々しいという感情なのか?
高尾は、桐山の手から離れた銃に向かって小石を投げた。
小石が当たったのは、銃の引き金。
あんな狭い範囲に正確に小石を命中させ、そして銃を発砲させた。
しかも正確に桐山を狙い撃ちというおまけ付で。




「もう逃げるのは終わりか?」
高尾がとどめをさすとばかりに向かってきた。
桐山は掌を足元に叩きつけた。マンホールの蓋が畳替えしのように舞い上がった。
そして桐山の姿がパッと消えた。
「地下に逃げたか。逃げ切れると思っているのか?」
高尾もすぐにマンホールに身を投じる。
カンカンッ……と、足音が反響して、どこが音の出所か判別がつかない。
だが高尾は音ではなく気配を追った。


(右方向、五十メートルほど先)

高尾は即座に動き出した。桐山は半死半生だ。後は追いつき、とどめを刺すだけの相手に過ぎない。
高尾の足音が速くなった。桐山の耳に敏感にこだまする。
(もっとスピードを上げないと……)
追いつかれるのは時間の問題だ。だが、これ以上は体が言うことをきかない。
追い詰められた桐山の耳に、高尾の足音とは別の音が聞えた。


(水の音……?)
水の音なんか珍しくもないが、何か違和感を感じた。
その違和感は形となって桐山の肩に下りてきた。

水滴……いや、そんなささやかなものじゃない。

水が流れ落ち、瞬く間に桐山の左半身を濡らした。
桐山が見上げると、太いパイプが何本もあった。
老朽化してるのか、それとも手抜き工事なのか、つなぎ目が脆くなって水が漏れている。




(水道管……か)
気配が恐るべきスピードで近付いてくる。このままでは追いつかれるのは時間の問題。
密閉された空間で、こんなことをしたくはないが選択の余地はなかった。
桐山は飛んだ。そして壊れかけているパイプのつなぎ目に強烈な蹴りを炸裂させた。
水圧が一気に解放された。その狭い地下のトンネルに、大量の水が溢れ出す。
桐山を追っている高尾も、その水音に気づいた。
だが、気づいた時にはすでに水魔は高尾に襲い掛かっていた。
高尾は立ち止まった。水圧が体を締め付ける。


(流されたか?いや……まだだ)

この程度の水圧では、高尾は動じない。だが、時間稼ぎにはなったはずだ。

(今だ。奴が動けないうちに)

桐山は、地上へと続く梯子階段を素早く駆け上がった。
水量は相変わらず増し続けている。桐山は蓋を持ち上げ地上に這い出た。
水がマンホールから溢れ、地面に円を描いて広がっていった。
(どうせ、奴は溺れ死んではいないだろう……な)
桐山はマンホールに蓋をすると、念のため重石まで置いた。
(今のうちだ、急がなければ)
桐山は足元がおぼつかなかったが、休んでいる暇もない。















「あ、あのバカ……一人であの化け物なんとかするつもりか……」
川田は立ち上がろうとするも、足元がふらついて上手く立てない。
「川田くん、無理しないで」
美恵は川田に肩を貸した。
「すまんな、お嬢さん」
火の粉がここまで飛んでくる。すぐに離れたほうがいい。
「川田くん、ここは危険だわ。歩ける?」
「ああ、担架を頼むなんて贅沢はいえない状況だからな」
二人は、何とか、その場を離れた。川田を木陰まで連れてくると、美恵は切り出した。


「川田くん、私」
「桐山のところに行くんだろ、お嬢さん?」
美恵はハッとして川田を見詰めた。
「どうして……」
「おいおい、顔に書いてあるぞ。『すぐにでも桐山のところに行きたい』ってな。
オレは野暮な男かもしれんが、そこまで鈍くもないんでな」
「本当なら川田くんの手当てを優先すべきだろうけど……。
それに私が行っても何の役にもたたないかもしれないけど。だけど、だけど私……」
川田はスッと掌を美恵に向けて上げ、美恵の言葉に制止をかけた。
「それ以上は言わなくてもいい。分かってる」
川田はニヤッと笑みを浮かべて、そう言った。




「オレのことは心配するな、応急手当はしてある。こう見えても医者の息子なんでな。
お嬢さんの手を煩わすことは無い……ま、そういうことだ」
「川田くん……」
「オレはもう看護してもらう必要は全くないんだ。だから安心して桐山の元に行って来い。
ここまできたら、もう戦闘能力云々なんてものは関係ない。
勝利の女神がどっちに微笑むかだ。桐山の勝利の女神になってやってくれ、お嬢さん」
川田は血に濡れた右手を懐に伸ばした。ずっしりとした重みが川田の手の感触を刺激する。
その感触は川田から美恵へとバトンタッチされた。


「……持っていけ。女にプレゼントするようなものじゃないが」
それは、美恵が持つにしては少々大きすぎるリボルバー銃だった。
「気をつけろ。そいつの反動は凄まじいぞ。
両手で撃っても、おそらくおまえさんの腕力では扱えない。
当然、命中率も保証できない。だが当たりさえすれば威力は抜群だ」
美恵は固唾を飲んだ。ずっしりとした重みに両手が震える。
「桐山が向かったのは、おそらく、このエリアだ」
川田は地図に印をつけ、美恵に渡した。




「オレはもう手助けしてやれない。今、桐山を支えてやれるのは、おまえさんだけだ。
忘れるな天瀬、他の誰でもない、おまえだけなんだ。桐山がやつに勝てる見込みははっきり言って低い。
だが、どんな結果が待っていようと、あいつを最後まで頼む。それがオレの願いだ――」
美恵は、しっかりと頷いた。
「本当にありがとう川田くん」
「……お礼を言うのは、こっちのほうだ」
「え?」
「いや、何でもない。それより急げ」
「ええ、必ず迎えに来るから。その時は桐山くんと一緒よ」
「ああ、待ってるぞ。早く戻って来てくれ。
こう見えても、オレは案外寂しがりやなんでね」
美恵は思わずニッコリと笑みを浮かべた。そして、もう一度、「本当にありがとう」と言うと走り出した。
その後姿を川田はジッと見詰めていた。


(……慶子……)

オレとおまえはダメだったが、あの二人は何とかなって欲しいものだな。
なあ慶子……おまえも、あいつらを見守ってやってくれ。
おまえを守ってやれなかった恨み言は、あの世でしっかり聞いてやるから。
だから、オレ達の分まで、あの二人には幸せになるように祈ってやってくれ……。


「おまえの恨み言を聞けるのも、そう遠くない。だから……」




「……本当に遠くないんだ。もうオレには、どんな治療も必要ないからな」




【B組:残り3人】
【敵:残り1人】




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