「ほ、堀川……わかっていると思うが、高尾が負けるまでは……」
本部長はあふれ出る汗を抑えることができなかった。
「ああ、承知している。晃司が負けることはない。
オレ達の出番はないだろう。だが、おまえもただでは済まないだろう」
「な、なぜだ?」
「特撰兵士を5人も投入して、桐山一人にここまでやられたんだ。
その責任を回避する術は無い。左遷や懲戒免職で済むと思ってはいないだろう?」
本部長は、その場にペタンと座り込んだ。
「オレは特等席で晃司の闘いを見る事にしよう」
堀川は、それだけ言うと退室した。

(晃司が負けるはずは無い。だが……)

桐山の資料にもう一度目を通した。


(こいつには何かあるような気がする……それが何かはわからない)




キツネ狩り―195―




桐山は高尾に攻撃を仕掛けた。先手必勝だ。
(消えた……!?)
が、桐山が攻撃を仕掛けたと同時に高尾の姿が視界から消えた。
そして、桐山の死角から衝撃が襲ってきた。
桐山の身体が大きく宙を舞っていた。波しぶきがあがる。
「桐山くん!」
桐山が海中に没した。モーターボートは走り続けている。
ボート上には美恵と高尾、二人のみになった。
高尾の冷たい視線が美恵に向けられ、美恵は全身が凍りつく感触に一瞬、動けなくなった。


美恵!」


桐山の声。美恵はハッとしてモーターボートの後部に目をやった。
モーターボートに後部にくくりつけられていたロープをしっかり握っていた。
そのため、何とかギリギリでボートにしがみついている状態。
だが、このスピード、水との接触面から生じる摩擦。
いつまでしがみついていられるか、それは時間の問題だ。


「桐山くん!」


桐山の危機は、恐怖で固まっていた美恵の意識を回復させた。
慌てて、ボートを停止させた。エンジン音が急激に沈静化してゆく。
美恵は桐山が護身用に持たせてくれた銃を高尾に向けた。
この距離、どんな化け物でも避けれるわけがない。後は撃てばいい。


撃て!躊躇している暇なんてない、撃つんだ!


そんな声が頭の中に響いた。
それは美恵の生存本能が叫んだのか、それとも死んでいった仲間達の声だったのかわからない。
だが、それが今唯一正しい選択肢でもあった。
美恵は撃った。高尾の頭部目掛けて――。




「――どうして」

美恵は目を疑った。弾が当たってない。


(そんな、どうして!?確かに頭部を狙ったのに!)


この距離、反動で多少手元が狂ったとしても当たらないはずがない。
相手が誰だろうと人殺しをするという行為に嫌悪を感じるのは確かだが、だからといって躊躇もしなかった。
ただ高尾は、ほんの数センチ、頭を傾けただけだった。
銃口や相手の腕の動きで、弾がどの方向に飛ぶのかくらいわかる。
紙一重で避けることなど高尾には容易いことだった。
完全に失速したモーターボートの上に、桐山が飛び乗った。


美恵が襲われる、そう判断した桐山は咄嗟に美恵と高尾の間に入った。
高尾の腕が一気に伸びてきた。桐山は酸素ボンベを持ち上げた。
高尾の拳が酸素ボンベにのめり込んだ。
鉄製のボンベだ。高尾の拳が砕けるはず……しかし結果は逆だった。
ボンベがくの形に曲がった。曲がるだけでは衝撃は終わらない。
桐山がボンベごとふっ飛ばされた。


「き、桐山くん!!」

美恵は桐山を助けようと、両手を広げて受け止めようとした。
もちろん、平均的女生徒である美恵が男を受け止めるなんて無理がある。
まして、高尾の鉄拳によりふっ飛ばされた状態なのだから。
桐山は美恵ごと、港に飛んでいた。そして、海岸に隣接してあった建物に激突。
壁を二度も突き破って、建物の裏側までとばされ、やっと地面に落ちた。




「……美恵」
最初に身体を起したのは桐山だった。頭が朦朧としている。
霞んでいる視界に美恵が映った瞬間、ハッとして美恵を抱き起こした。

美恵、大丈夫か美恵!?」

美恵はぐったりとして動かない。
目は固く閉じられ、額からは鮮血が頬を伝わっている。


美恵、起きろ美恵!!目を覚ましてくれ!!」


生気が感じられない美恵に、桐山はこれ以上ないほど感情が乱れた。

美恵、美恵、死ぬな!!おまえが死んだら……!!」


高尾が波止場から、こちらに向かっていた。しかし桐山は全く気づいてない。
高尾との距離は数十メートルしかない。今逃げないとやばい。
しかし、今、桐山の胸に占められているのは高尾の脅威ではない。

美恵のことしか頭になかった。美恵しかいなかった。
美恵がいたから、この戦いに身を投じた。
その美恵が死んだら、全てが無意味だ。

ここにいる意味すらない――。














「……はぁ……はぁ……」
川田は地面に突っ伏していた。
「……クソ、血がとまらない。畜生……」
立ち止まっている暇なんかない。それは川田が一番よくわかっていた。
まだ死ぬわけには行かない……もう少しだけ時間が欲しい。


(……親父……慶子……まだダメなんだ。
オレはまだ死ねないんだ。悪いが、まだおまえ達の所には行けない)


川田は立ち上がった。
「まだ行けない……行けないんだよ」
川田は意識が霞む中、必死に車を走らせた。
意識は朦朧としていたが、記憶力は鈍ってない。
この山を降りたところに、小さいが診療所があったはずだ。


「……あった、あそこだ」
無人の診療所は、やけに荒れていた。あまり流行ってなかったらしい。
川田はドアを蹴破って中に足を踏み入れた。
「医療……器具は?」
診療室に入室した。薬瓶が詰まった棚はあった。
「とりあえずは止血だ。針……針と糸は?」
ない……デスクの上に封を切った酒瓶はあるというのに。
「ヤブ医者め……くそ」
川田はガクッと倒れかけ、咄嗟に椅子に手をつくことで堪えた。


(いや……治療したいわけじゃない。……とりあえず止血できればいい。
血さえ止めれば、このガタがきている体も、しばらくは持つだろう)


止血さえできればいい。他はどうでもいい。
川田はデスクの引き出しを乱暴に開けた。
引き出しが床に落ち、中身の文房具があたり一面に散らばった。
その中に、お目当てのものがあった。ホッチキスだ。
川田はそれを手にすると傷口を強引に止めた。
そして、包帯を何十にも巻きつけると痛み止めの薬だけを打ち診療所を後にした。

(……もってくれ。もう少し、もう少しでいいんだ)














「……き……やま……くん?」
美恵の目がうっすらを開いた。
美恵、大丈夫なのか?」
「……大丈夫よ……立てるわ。早く……早く逃げないと」
半狂乱になっていた桐山は美恵の一言で冷静さを取り戻した。
高尾がこちらに向かってきている。奴を倒さなければならない。
「こっちだ美恵!」
車だ!あの化け物相手に自力で逃げ切るなんて無理、足となるものが必要だった。
車はなかった。だがバイクがある、この際、贅沢は言ってられない。
「あれに乗るんだ」
美恵は桐山の指示通りバイクの後部座席に座った。
「しっかりつかまってろ」
エンジンが――かからない。


「桐山くん、あいつが!」
高尾が破壊された家の穴(二人がぶつかって貫通したものだ)から姿を現した。
桐山は、必死にエンジンをかけた。エンジン音が響く。
高尾がダッシュした。バイクが走った。
(速い!)
バイクに追いつくつもりか?桐山は限界までスピードを上げ続けた。
バイクがどんどんスピードに乗っていく。
距離が少しずつ広がっていくかに見えた。




「桐山くん、あいつが!」
桐山はバックミラーを見た。高尾がいない!
(どこに行った?!)
ミラーに気をとられ、その瞬間を狙ったかのように、前方の横道から高尾が飛び出してきた。
(しまった)
桐山はすぐにバイクを横倒しスレスレの体勢にした。
タイヤがアスファルトの道路と火花を伴いながら激しく摩擦した。
その状態で数メートル道路を滑り、スピードを落とす。
そして、建物と建物との僅かな間に突っ込んだ。
光を反射させながら、ガラスの破片が前方で飛び散るのが見えた。
その中心から高尾が飛び出してきた。
建物の窓ガラスからの出現、この道は狭い、逃げる場所がない。
美恵を伴っていては、バランスが上手く取れないかもしれない。しかし、これしかない。


美恵、絶対に手を離すなよ」
桐山は、建物の壁を走った。まるでサーカスでの曲芸走行のように。

(このまま一気に付き抜け――)

ダメだ!高尾が建物の壁を左右を交互に蹴って、あっと言う間にバイクの真上に出た。

(もう突っ込むしかない)

どんな化け物だろうと生身の人間、パワー勝負なら、こっちに分がある。
バイクは高尾に激しく衝突した。そして完全に停止した。














「おい見たか、あいつ二人乗りで垂直の壁を走行しやがったぜ。
あのテクニック、晶に勝るとも劣らないな」
戦艦の、隠しカメラ視聴室には7人の特撰兵士がいた。
「へっ、晃司の野郎、バイクに轢かれてざまあないぜ」
「勇二、おまえの目は節穴か?」
「なんだと隼人!てめえ、もう一度言って見ろ!!」
「よく見てみろ」
和田は、立腹しながらも、もう一度映像に目をやった。
「……はね飛ばされてない」
一時停止ボタンを押したように、映像が静止していた。














バイクが止まっていた。高尾が左手で前輪を掴んでいたのだ。
そして間髪いれずに蹴り飛ばした。
桐山と美恵を乗せたまま、バイクが向かいの家に激突しようとしている。
桐山は美恵を抱きかかえバイクを蹴った。
そして衝突寸前のバイクからからくも脱出、直後、バイクは壁と激突。
バイクは派手に爆発した。もちろん、これで終わりではない。
美恵を逃がす為に、桐山は自己犠牲の選択をした。


「オレが奴を引き止める。その間に逃げろ」
「桐山くん、何を言うのよ!」
「オレの言うとおりにしろ」


桐山は高尾に向かっていった。勝つことはもう考えていなかった。
時間を稼げればいい。美恵を逃がせればそれでいい。
文字通り自分の命をすてる覚悟だった。その時――。


「桐山ぁぁー!!」


聞き慣れた声が上の方から聞えてきた。おまけにエンジン音も。
そのエンジン音は、瞬く間に音量がでかくなっていった。
「来る」
高尾は、その気配を敏感に感じたのか、数歩背後に下がった。
同時に歩道橋の欄干を突き破って、タンクローリーが現れた。


「川田?」

タンクローリーが高尾目掛けて落下する。
だが、高尾はすでにタンクローリーの落下地点から身を引いていた。
タンクローリーが垂直に道路に突き刺さり、直後円筒型タンクが派手な音をたてながらアスファルトに落下。
タンクが破壊され、中身が一気に流れ出した。
半液体状のセメントだ。それが高尾に襲い掛かった。
高尾は飛び上がろうとしたが、左足にセメントが絡みつき、その動きを止めた。

桐山はハッとして見上げた。川田は?

破壊された欄干の陰に川田の姿が見えた。


(無事だったか)

桐山は生まれて初めて美恵以外の人間が無事だったことにホッとした。


「まだ終わりじゃないぞ、この……クソガキがぁ!!」

川田の手の中には、遠隔爆破装置が握られている。
桐山はハッとして、美恵を抱きかかえると、その場に伏せた。




大爆発だった。辺り一面に火柱が上がった。
本当なら、転校生相手に使う予定じゃなかった。
最後に、この島から脱出する際、使うはずだったが、背に腹は変えられない。
(あいつは死んだのか)
この爆発だ。まして、高尾は足をセメントに取られ動きが取れなかったはず。
隠れることも爆破の直撃を避けることも不可能だったはずだ。
爆風が頭上を通り過ぎても、煙幕は辺りを包み込んだまま。


「桐山くん、川田くんを」
「ああ、立てるか?」
二人は歩道橋の階段を駆け上がった。
「川田くん、大丈夫?」
川田は立ち上がろうとしたが、足元がもつれてふらふらしていた。
その川田の腕を、桐山が自分の肩に回した。川田は驚いている。
こんなこと声を大にして言えないが、ネッシーの調教に成功するより奇妙な気分だった。


「大丈夫なのか?」
「……休暇が欲しいな」
冗談でも何でもなく、それは心からのあふれ出た心情だった。
「あいつは死んだと思うか?」
「そうでなければ困る。だが……」
煙幕が晴れた。セメントが道路を封鎖している。
そのセメントの中に片方だけの靴が見えた。セメントに沈んでゆく靴が。


「……桐山、行くぞ。奴は生きている」
爆発の余波は終わってない。炎は燃え広がり二次災害を起し続けていた。
急がなくては、どこから襲ってくるわからない。
三人は先を急いだ。とにかく、このエリアから出なければ。
「川田、爆弾は後何箇所に仕掛けた?」
「桐山?」
「詳しく知りたい。今、残っている爆弾の位置、破壊力のレベル、全てだ」




(動いている。だが速くは無い)

高尾は歩道の欄干に腰掛けていた。

(気配の移動のスピードがアップした。車に乗ったようだな)

高尾は右足の靴を脱ぎ捨てた。靴なんて必要ない。

(50……70……気配が遠ざかっていく。さて、追いかけるか)




「これが全てだ。あのクソガキのせいで、すでにいくつか使う羽目になった。
だが、脱出に必要な爆弾はまだ十分ある。ほら、これを見ろ」
川田が差し出したメモには爆弾の位置が克明に記されていた。
「奴をおびき寄せる。肉弾戦や銃撃戦では、奴に勝てる見込みはない」
車が止まった。フロントガラスの向こう、ボンネットの上に高尾が!
どこからか飛び降りて、その勢いを利した強烈な肘打ちでエンジンをボンネットごと破壊。
衝撃はそれだけでは終わらない。
車は大きく蛇行。高尾はボンネットから飛び降り様、車の側部に強烈な蹴りを加えた。
車が大きく横転。ガードレールを飛び越え、傾斜を激しく回転していった。


「飛び降りろ!」
三人はからくもドアを蹴破って車外に飛び出した。
直後、車は炎上。そして高尾の猛攻は終わらない。
さっとガードレールを飛び越えた。こちらに来る。
「川田、爆破させろ。近くにあるだろ!」
川田は桐山の指示に反射的に従った。
高尾の背後にあった古ぼけたホテルが、まるでアクション映画の爆破シーンのように沈みだした。
さらに大きく傾き、高尾目掛けて倒れてきた。




【B組:残り3人】
【敵:残り1人】




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