「……き、桐山」
川田の声が震えていた。
「……隙を見つけて逃げるんだ。まともに戦おうなんて思うな」
嵐の前の静けさとはこういうものだろうか?
静寂そのもの。あらゆるものが静止している。
断崖の上の方から何か音がした。しかし二人の耳には届かない。
神経が麻痺しているのだろうか?聴覚に届かないのだ。
まるでビデオを一時停止したように景色まで凍りついていた。
それを破ったのは崖の上から落ちてきた大岩だった。
静止していた景色が一気に動き出した瞬間だった。

「今だ、ダンプまで走れ桐山!!!」




キツネ狩り―193―




「どうした秀明?」
じっと窓から水平線を見詰めている堀川に氷室が声を掛けた。
堀川が無口なのはいつものことだが、いつもと何かが違っていたのだ。
「……二年前、東北で晃司が一掃した大規模なテロリスト事件があっただろ」
「ああ、都丸好晃率いる超過激派テロ集団を晃司が一人で片付けたあれだろ?」


都丸好晃は北海道から東北にかけて活動している超危険人物だった。
その勢いは止まることを知らず、ついに関東にまで害が及ぶまでになっていた。
このままでは首都圏までテロリストに踏みにじられるのは時間の問題というところまで来ていたのだ。
当時、高尾はまだ科学省から外に出たばかりだった。
ごくまれに訓練の一貫として極秘のうちに外界に出ることはあった。
だが、まだ社会も世間も知らない子供だった。
科学省のⅩシリーズ二世代目に対する軍の興味や期待は高かった。
同時に噂だけが先行していた為、実際は大したことないだろうという嘲りに近い陰口もあった。


そんな時だった。都丸好晃が関東の警戒線を越えたのは。
Ⅹシリーズのお披露目を兼ねた初任務が都丸率いるテロ集団の壊滅だった。
都丸好晃は百戦錬磨の大物テロリスト。
当初、その抹殺には四世代目の特撰兵士が行うはずだったのだ。


実戦経験の乏しい坊やに何が出来る?
相手はチンピラじゃない。政府に真っ向から戦い仕掛ける最強のテロ集団なんだ。
どんな遺伝子持っていようが、お子様なんかが勝てる相手じゃない。


それが軍デビューする前の高尾晃司に対する評価だった。
先代のⅩシリーズ達の評価が高ければ高いほど、辛辣な評価になることは仕方のないことだった。
「高尾晃司はまだ若すぎる。もっとレベルの低い相手からはじめてはどうかね?
いくらなんでも都丸相手じゃ荷が重過ぎるだろう。可哀想では無いか」
そう警告する親切な人間もいた。
だが科学省長官をはじめ幹部は笑いながら言った。


「ご心配なく」
「しかし相手はブラックリストのトップに名を連ねる……」
「そのくらいでなければ晃司の相手は務まりませんよ。
可哀想なのは晃司ではなく都丸好晃ですよ」
そう言って笑い続けていた。そして、それは正しかったのだ。




「晃司は、あの時、最初有利に事を進めていた」
堀川は相変わらず水平線を見詰め続けていた。
「だが奴等も百戦錬磨、数にものをいわせて晃司を取り囲んだ。
晃司は実戦経験がほとんどない。そこをついたんだろう。
晃司を廃ビルに追い込み、ビルごと破壊しようとした。
奴等は晃司の遺体さえ残すつもりはなかったんだ」
「それでどうなった?」
「晃司が本気を出した」
「そうか」
その先の答えは容易に推測できた。

「遺体も残らなかったのは都丸好晃達のほうだった」














「奴を倒そう何て考えるな逃げるんだ桐山!」

岩が高尾目掛けて落下している。高尾はチラッと目線を上に向けた。
そしてメリケンサックをはめた右手をスッと上げた。

「走れ桐山、ダンプまで全速力で……!!」
「もう遅い」
「何!?」
「伏せろ川田」

背後からガン!と何かが木っ端微塵になる音がした。
振り向きかけた川田だったが、桐山が川田の腕を掴み地面に突っ伏した。
その真上を、ボーリング大の大きさの岩が飛んでゆく。
それも一個や二個じゃない。数十個の岩が弾丸のシャワーのように。


「な、なんて奴だ。落下する岩を砕きやがった!」
隕石落下のように、辺り一面に数十個の岩がのめり込んだ。
最後に川田のすぐ前に一回り大きい岩がドンと落ちた。
「川田」
桐山が立ち上がった。
「さっさと行け」
掴んでいた川田の腕を強引に引き寄せ投げた。
「桐山、何を……!」
数メートル先に落ちた。すぐに顔を上げた川田はギョッとした。
桐山のすぐ前に高尾がいた。あの一瞬で、あそこから移動している!


「に、逃げろ桐山!!
桐山が銃を上げた。が、腕を上げきったとき、銃はパっと消えた。
虚を付かれた桐山だったが、銃の所在はすぐに判明した。
高尾の左手だ。一瞬で奪っていたのだ。
まるで手品のような高尾の早業だったが、驚くのがその後だった。
高尾は奪った銃をパッと離した。当然、落下する銃。
意味不明な高尾の行動に、桐山は一瞬途惑ったがすぐに手を伸ばした。
銃は必要だ。どうしても手中に押さえておかなければならない。
その銃が空中で二つに分裂した。桐山の両目が大きく見開かれる。
そして銃が桐山の掌に到達したときには、分裂どころかバラバラになっていた。




「…………」
「これでもう使えないな」
「…………」
「それともまだ使うか?」




その様子は川田にも、はっきり見えた。
「あ、あの野郎……あの一瞬で銃を分解しやがった……」
感心している場合じゃない!川田は銃を握り締めた。
「川田、3時の方向五メートル先だ!」
川田には何のことかわからなかった。桐山は何を考えている?
だが、桐山の意図を推測している暇などない。
川田は桐山の指示通り、咄嗟に銃口を3時の方向に向けた。
そして発射、直後に爆発が起きた。菊地直人が仕掛けた爆弾はまだ尽きていなかったのだ。
煙幕が辺りを一瞬包み込む。高尾は動かなかった。
静かにその場に立っていた。そっと左胸に触れた。心臓の真上だ。


(……予感がする。あまり時間はないようだな)


煙幕が晴れた。桐山と川田はいなかった。
代わりに背後から凄まじいエンジン音が聞えてきた。


「そろそろ終わりにしてもらうぞ、このクソガキ!!」

大型ダンプカーだ。運転席にはハンドルを握り締めている川田の姿があった。
助手席には桐山がいる。
高尾がスッと銃口を上げた。銃声が轟く。
ダンプカーのフロントガラスが派手に割れる。だがダンプカーは止まらない。

「これで息の根止めてやる覚悟しろ!!」

ダンプカーはさらにスピードをあげた。














「……何が起きてるの?」
美恵の不安は募るばかりだった。
爆発、銃声、美恵を不安にさせる材料が揃いすぎている。
駆けつけたかった。桐山と川田の元に。
たとえ、桐山が、ここを動くなと命令していたとしても。
やっぱり行くべきか?だが桐山の警告が美恵を止めていた。


『ここから先はトラップだらけの危険地帯だ。
素人が一歩でも足を踏み入れたら、歩くだけで爆死する。
だから絶対に来るな。ここにいるんだ』


桐山はそう言っていた。
桐山の言葉が正しければ、桐山の元にたどり着く前に美恵は無駄死にすることだろう。
「……桐山くん、死なないで」
悔しいが美恵にできることは、祈ることだけだった。














「……うっ」
「大丈夫か川田?」
「あ、ああ……」
川田の額からは血が流れていた。高尾にやられたものではない。
ダンプカーから外に飛び出した際、地面と接触して生じた怪我だった。
「な、なんだったんだ?あ、あいつはどうした桐山?」
「…………」
「あいつは、やっぱり人間じゃない……!」

心の底から凍りつくとはこういうことを言うのだろうか?

化け物だとわかっていた。だが、その化け物としてのレベルがぐんと上がったのだ。
川田は、ほんの十数秒前の出来事を思い出してぞっとした。




「死ねえええ!!」
川田はアクセルを限界以上に踏み込んだ。
ダンプカーは高尾目掛けて猛突進。その勢いはブレーキを踏んでも止まらないように見えた。
高尾が動いた。こちらに向かって走った。
「何だと!?」
てっきり逃げだすだろうと思っていた川田は驚愕した。
(このガキ死ぬつもりかっ!?)
川田の視界から高尾が消えた。


「何だと!?」
「下だ!もぐりこんだぞ!」


川田は見えなかったが、桐山の動体視力は高尾の動きをみていた。
高尾が体を大きく沈めた。いや、まるで盗塁するかのように滑り込んできたのだ。
猛スピードで走っているダンプカーの真下にむかって。
「ドアを開けろ川田!」
川田は見た。バックミラーに滑り出てきた高尾の姿が映ったのを。
桐山が川田に飛び掛ってきた。その勢いのまま車外に飛んだ。
二人の体が地面に大きくバウンドする。ほぼ同時にダンプカーが爆発した。
危なかった。桐山の判断が後コンマ一秒でも遅かったら、お陀仏だった。
高尾はダンプカーの真下を滑りながら、燃料タンクを破壊したのだろう。




「おまえは美恵はの元に急げ」
桐山が走った。川田のベルトにさした銃を奪って。
「桐山、おまえは!?」
「奴を倒す」
桐山はバイクに向かって走っていた。
すぐに発車。高尾目掛けて最高速度だ。


「何する気だ桐山!ダンプカーでも殺せないのにバイクなんて!!」


桐山が走行中にもかかわらず、バイクの座席の上にたった。
さらに空中回転。桐山の無茶な行動により、バイクは大きくバランスを崩した。
前輪が大きく地面から浮んだ。
最高速度だったせいか、バイクはバランスを崩した後も勢いが止まらない。
バイクは踊り猛っているかのように、高尾に飛び掛っていった。
だが、バイクは高尾に衝突する前に空中で停止。高尾がハンドルを握り締めていた。
直立不動で、片手だけでバイクを持ち上げている。
バイクのタイヤはまだ激しく回転している。桐山はバイクの燃料タンクに向かって撃った。
バイクは派手に爆発炎上。その爆炎の中から高尾が飛び出すのが見えた。
桐山は舌打ちした。やはり、こんな小細工では無理か。




「乗れ、桐山!!」
トラックにのった川田が桐山の前に走りこんできた。
「川田」
「早くしろ!逃げるんだ!!」
桐山が乗り込むと、川田は即座に急発進した。
「撃て!奴が追いかけてくるぞ、奴の動きを止めろ!」
桐山は撃った。だが高尾は特殊作業用大型車の影に飛び込んだ。
しかし桐山もただ逃げるだけではない。直接撃てないなら、別の方法で仕留めるまでだ。
桐山は大型車を撃った。それも工事現場仮設事務所のそばにあったやつを。
菊地直人が、この地を選んだ理由の一つ。
それは、工事にしようしていたダイナマイトがあったからだ。
大型車の爆発は仮設事務所を破壊し、ダイナマイトに引火した。


今までにない派手な爆発。高尾は……まだ死んでない!
爆発に逆らわず、それどころか爆風を利用して飛んでいる。
「いいぞ桐山!奴を足止めするんだ、奴を倒す方法は後で考えよう!
今は奴と距離を置くことを優先するんだ!!」
トラックが走り去るのを見た高尾は静かに呟いていた。
「逃げるつもりか。そうはさせない」
着地と同時にダッシュ、身軽になった高尾は速かった。




「来たぞ桐山!」
「大丈夫だ。あそこは地雷原も同然だ、地中に爆弾が埋め込まれている」
遠回りしなければ、追いかけてこれない。
そして距離をロスすれば、当然時間もロスする。
それだけ時間を稼げば十分だ。その間に逃げ切れる。
「桐山、あいつ危険地帯に突入するぞ!」
バカめ、爆弾をいちいち避けていれば時間がかかる。
爆弾に注意を払わず全力疾走しようものなら、足元からドカーンだ。
どちらに転んでも、こちらに有利。
高尾が爆弾地帯に足を踏み込む直前、飛んだ。


「……な!」
バックミラーを見ていた川田は思わず振り向いた。
爆弾が埋め込まれている地帯を飛び越えようというのか?
「馬鹿め!15メートルはあるんだぞ!!
オリンピックの金メダリストだって飛び越えられるものか!!」
川田の言うとおりだった。高尾は失速している。
10メートル地点で落ちるだろう。
高尾はナイフを出している。そして渾身の力を込めて投げていた。
カチ……っ、嫌な音が地中からして、直後に大爆発が起きていた。


「クソガキめ、自滅したぞ!自分で爆弾を爆発させた!」
「爆風を利用して、爆弾をすべて飛び越えるつもりなんだ」
「……な!」

一瞬だが、高尾の自滅を予感して安堵しかけた川田は真っ青になった。


「何だとおっ!!」




「川田スピードをあげろ」
「もうとっくに最高速度だ!」
川田は再度バックミラーを見た。高尾が銃を構えているではないか。
「やばいぞ、あいつ撃ってくる!」
「おまえは運転にだけ集中しろ」
桐山は助手席のドアの窓から身を乗り出した。


「地中に埋め込まれている爆弾はまだある」
二発発砲した。立て続けに地面が悲鳴を上げるかのように土を噴出した。
高尾は爆煙に包まれた。一メートル先も見えない。
見えるのは煙が届いてない空くらいだ。
「いいぞ桐山、もっとやってやれ!!」
「言われなくても、そうする」
桐山は立て続けに撃った。全てのトラップを発動させる!
爆音と、爆炎、そして煙。聴覚と視覚が麻痺したように役に立たない。


「この爆発の嵐だ。奴もくたばってるだろうな」
「いや……」

桐山は気づいていた。高尾の気配が消えたのを。
死んだからではない。あれは自ら気配を消したのだ。

「奴は生きている」
「今、どこいるんだ!?」
「わからない気配を完全に絶っている。奴が姿を現す前に」
「わかっているとんずらするぞ」
桐山はハッとした。銃声が聞えた、自分達とは全く違う方向に飛んでいる。
嫌な予感が全身を貫いた。
「川田、ハンドルを切れ!」
桐山はハンドルを掴み強引にまわした。
「桐山何を……!」
ゴゴ……っと妙な音。川田にも見えた、クレーン車の鉄球が自分達を襲うのを。




「ブレーキを踏め川田!」
川田は渾身の力をこめてブレーキを踏んだ。

なぜだ!なぜクレーン車が作動している?!
まさか奴が操縦しているのか?そんなはずはない、やつは逆の位置にいるんだぞ!
クレーン車は、自分達のはるか手前にあるではないか!


トラックのタイヤが激しく地面と摩擦している。
バランスを崩し傾きながら、それでもトラックは止まる気配がない。
桐山はハンドルをさらにまわした。
鉄球がスピードに乗って落下してきた。
グシャッと派手な音がしてトラックが両端から折りたたむように曲がった。
高尾がゆっくりと煙の中から徐々に姿を現した。
高尾はクレーン車の操縦席に撃ち込んでいた。
弾は操縦バーに命中、銃を使ってクレーン車を遠隔操作したのだ。
トラックの位置はエンジン音で把握できた。
たとえ、どれほど爆音が響こうと高尾には関係なかったのだ。


「逃がすつもりはさらさらない」

桐山と川田はギリギリで無事だった。鉄球は荷台に落下していたのだ。
だが、トラックがスクラップ状態になってしまったのも事実。
運転席まで妙な形に曲がりドアは変形して開かない。


「川田、動けるか?」
「ああ、何とかな……」
「奴が来るぞ」
桐山はフロントガラスを拳でぶち破った。
「急げ」
「桐山……脚が」
歪んだ運転席は川田の下半身をがっちり押さえ込んでいた。
「オレにかまわずさっさと逃げ……」
桐山が川田の肩を掴んだ。そして強引に引いた。
「うぐ……ぅ!」
激痛が川田の左脚に走った。ズボンがズタズタに引き裂かれ流血している。
「あ、脚が……折れた。クソ!オレはここまでだ、おまえ一人で逃げろ桐山」

だが、もう遅かった。
破壊されたトラックの上に高尾が立っていた――。














美恵は地図を広げていた。
「この道は通れないなら、他のルートは……ここね」
しかし、その道の先は断崖。
桐山たちの安否を確認することくらいしか出来ないかもしれない。
でも、だからといって、ただ黙って待っていることも限界だった。
こんな遠くにいても鼓膜を突き破らんばかりに聞える派手な爆音。
激しい戦闘が繰り広げられていることは容易に想像できる。
この断崖の上からなら状況が確認できる。
何より、このルートは近道で、半分の時間で現場にかけつけられるのだ。
もっとも、このルートは道などとはとてもいえない。
岩だらけで傾斜ばかり、それでも美恵は決意した。
そして走った。足元が擦り傷だらけになったが、それでも走った。


「もうすぐだわ。あ、あの崖ね――」

その時だった――。


「あの音……!」


銃声が空を切り裂いていた――。




【B組:残り3人】
【敵:残り1人】




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