「どんな化け物でも、これで死なないわけが無い。
やったな桐山、後は脱出のことだけ考えれば……」

そこで川田の台詞は止まった。代わりに川田はギョッとした。
見えたのだ。黒焦げになって落下するヘリの向こう側にパラシュートが。

「あ、あの野郎……脱出していやがる」

見たのは川田だけではない。桐山も美恵もだ。
桐山の行動は早かった。

「ここにいろ。必ず迎えに来る」

美恵を離すと、即座に銃を持って立ち上がった。


「待て桐山!オレも行くぞ、これ以上、おまえ一人に苦労させるわけにはいかない」

その時、川田は違和感を感じた。
自分を見詰める桐山と美恵の表情が一瞬で驚愕したものに変わったからだ。
いや、正確には自分を見詰めてではない。その背後――。




キツネ狩り―190―




「高尾の様子はどうだ?まさか怪我でもしてないだろうな?」
プログラム本部長は、心配そうに軍医に問うた。
高尾まで敗北してしまっては、自分の首がとぶくらいでは済まない。
もはやご立派な司令官室で、のんびり報告を待っていることなど出来なくなっていた。
特撰兵士の状態がリアルタイムでわかる医務室にやって来たのだ。
「ご安心下さい。脈拍も脳波も安定してます。
全て正常、普段と全く同じです。問題ありません」
「……そうか」
本部長はホッと胸を撫で下ろした。


「高尾までやられたら軍の面目は丸つぶれどころではなくなる」
「高尾大尉がやられる?冗談ですか本部長?
大尉は、プロのテロリスト相手に戦ってきた百戦錬磨の兵士ですよ。
はっきりいって中学生の相手にするほうがどうかしてるというものです」
「その通りだ。だが、その中学生相手に4人の特撰兵士がやられたんだぞ。
全国数万の少年兵士の頂点にたつ特撰兵士が4人もだ」
「油断でもしてたんでしょう」
「……油断、か」


油断してただけで勝てるほど特撰兵士は甘くない。
連中は選び抜かれた天才。さらに数年に及び過酷な訓練や実戦を課し鍛え上げられた軍の申し子。
そのエリート中のエリートが負けた理由はたった一つ。
才能と努力だけでは超えられない壁があったということに他ならない。
天才にもピンからキリまである。
二十年に一度の天才がどれだけ努力しても、百年に一度の天才には勝てない。


(桐山和雄は百年に一度の天才だった。ただそれだけだ。
だが、それが全てを決定付けた。恐ろしい人間だ。
しかし、高尾も百年に一度の天才。今までの相手とは違うぞ。
まして経験度では、明らかに高尾のほうが一枚も二枚も上。
負けるはずが無い。負けるはずが……)














「川田省吾!」

珍しいな、おまえがオレの名前を呼ぶなんて。それも大声で。

普通なら、呑気にそう思っただろうが、川田は反射的に振り向いていた。
桐山と美恵の視線が自分の背後に集中していたから。
それも驚愕に満ちた表情で。
川田は素早く振り向いたつもりだったが、その視界はスローモーションだった。
視界の隅に映ったのは風にたなびく長髪。川田の心臓が大きく跳ねた。
さらに川田の目が大きく拡大した。その瞳の中にいたのは一人の男。
川田は振り向ききる前に、ライフルを持った腕を上げた。
確固たる戦闘意識ではなく、自己防衛本能がそうさせた。
同時に川田はバカなと、心の中で叫んでいた。

(なぜ、こいつが……!)

はっきり見たのだ。パラシュートが降りるのを。
こいつは、パラシュートで脱出したはずだ。

それなのに……なぜ、こいつがここにいる!?




なぜ、この化け物が、今、オレの目の前にいるんだ!?




ライフルの銃口が完全にあがった。高尾との距離は二メートルも無い。
撃て、撃つんだ!この距離なら化け物でも避けきれない!
そして、どんな化け物でもこの距離で被弾すれば即死は免れない。
川田はトリガーにかけている指にグッと引いた。
乾いた音が鳴り響く。同時に川田の手に激痛が走っていた。
「……痛ぅ!」
川田の手からライフルが離れ、宙に舞っている。
川田がトリガーを引いたと同時に、高尾の蹴りが川田の手を直撃したのだ。


手の痛みなんてどうでもいい。それより弾は!?

弾は……高尾の顔のすぐ真横を走っていった。
蹴りを入れられたため、弾道がそれたのだ。


「ちッ!」
川田は手を伸ばした。ライフルを!ライフルを手にしなければ!
「グボ……っ」
川田の腹部に強烈な痛みが喰いこんだ。
高尾の足が杭のように川田の腹に打ち込まれ、川田はその場に両膝をついた。
痛みを堪え顔を上げた川田、高尾が手を伸ばしたのが見えた。


その手につかまれたのは今しがた自分が手にしていたライフル。
しまった!川田がそう思ったのは、ほんの一瞬だった。
川田はライフルを奪われ、自分はそのライフルのターゲット第一号になると連想した。
ところが、川田が目にした光景は、まったく逆だったのだ。
高尾はライフルを手にすると同時に左脚を上げた。
その脚にライフルを叩きつけたのだ。
鈍い音がして、川田の目の前でライフルの銃身が折れ曲がった。
高尾のパワーに呆気に取られた川田。
その川田に高尾は折れたライフルを振り下ろしたのだ。


「避けろ川田!」
川田の背中に衝撃が走った。そして、川田は真横に倒れこんだ。
ガン!と鈍い音がした。川田の左のこめかみから流血。
「下がってろ」
再び桐山の蹴りがきた。川田は数メートル先に飛ばされる。
本当なら文句の一つも言いたいが、この場合は礼が先だろう。
桐山の蹴りがなければ、ライフルに頭をかち割られていた。
桐山は銃を構えた。狙うは急所のみ!
トリガーを引いた。同時に高尾は折れ曲がったライフルを振り下ろした。
カン!と独特の金属音が響いて、高尾のそばにあった樹の幹に銃痕がついた。




「あ、あの野郎……オレのライフルで弾跳ね返しやがった」
桐山は再びトリガーを引こうとする。
高尾の体が一気に沈んだ。そして、桐山の足に蹴りが入る。
桐山のバランスが大きく崩れた。高尾は桐山の利き腕を掴んだ。
まずい!川田は高尾が何をするつもりなのか、瞬時に悟った。

(あのガキ、桐山の腕をへし折るつもりだ!!)

ライフルですらへし折ったんだ、人間の腕なんて朝飯前。
桐山もそれは察した。もちろん、黙って折られるつもりはない。
拳を握り締めると、高尾の拳に向かってはなった。
桐山と高尾の拳が激突。表情を歪ませたのは桐山だった。
パワーは鍛え上げられた者の方が上だ。


「桐山!」
川田が向かってきた。一人では無理だが、二人の力をあわせれば。
高尾が桐山の手を離した。そして、まるでマジックショーのように姿を消した。
「何だと……!?」
川田は立ち止まった。どういうことだ、奴はどこだ? 「後ろだ川田!」
「何だと!?」

あの一瞬で。本当に、こいつ魔術師なのか?

「危ない川田くん!」
美恵は銃口の照準を高尾にあわせた。
高尾は今背中を向けている。今なら倒せる。
ところが美恵がトリガーを引こうとした瞬間、川田が飛んで来た。
(正確にいえば、高尾に後ろ襟首をつかまれ投げ飛ばされたのだ)


「……っ」
美恵は見事なまでに地面に崩れこんだ。
平均的な中学生女子の体型の美恵がボクシングのヘビー級並の川田の下敷きにされたのだ。
「大丈夫か、お嬢さん」
川田は慌てて立ち上がったが、正直美恵を気遣う余裕はないというのが本音だ。
非情なようだが、今は高尾を倒す事が最優先で他の事にはかまってられない。
そして、そうしなければ倒せない相手なのだ、この化け物は。




「川田、美恵を連れて逃げろ!」
だが桐山にとっては優先されるのは美恵の安全だった。
桐山は木の幹に絡み付いていた蔓を引きちぎると高尾目掛けて投げた。
蔓は高尾の腕に巻きついた。

「桐山!」
「さっさとしてくれないか」
「わ、わかった。さあ、行くぞ、お嬢さん」
「でも桐山くんが……!」
「来るんだ!」

川田は半ば引っ張るように美恵の腕を掴むと走り出した。
高尾がゆっくりと振り向いた。
『逃げられると思っているのか?』そんな冷たい目で見詰めながら――。


「おまえの相手はオレだ」
桐山は蔓の先をしっかりと自分の手首に何重にも巻きつけた。
「二人を追いかけたいのなら、オレを殺してからにしてくれないか?」
「そうか」
高尾が今度はゆっくりと桐山に視線を向けた。
「では、そうさせてもらおう」
高尾が蔓が絡み付いている腕を引き寄せた。
そのパワーに桐山も一気に引き寄せられる。


(パワーでは勝てない、それなら)
桐山は高尾に力勝負で挑むことはしなかった。
反対に、引かれた勢いを利して飛んだ。桐山の体が高尾の真上に到達。
桐山は銃口を下に向けた。高尾の頭を狙った。
しかし桐山がトリガーを引く前に、高尾が再び蔓をグイッと引いた。
桐山の体が一気に急降下する。さらに高尾は蔓を掴んだまま腕を大きく振り回した。
まるでカウボーイの投げ縄のように。
違うのは先端にあるのはリング状にした縄ではなく、桐山だということ。
高尾は、そのまま桐山を大木に投げつけた。
桐山の全身に激痛が走る。
桐山は蔓を離すと痛みを堪え立ち上がり大木の影にさっと身を隠した。




(奴が今手にしている銃の口径は小さい。弾がこの木を貫通することは無い)
一時的にしろ弾除けになると桐山は考えた。
だが桐山を襲ったのは弾丸ではなかった。
高尾自身が走ってきた。回り込んで攻撃する気か?
桐山は銃を構えた。高尾が回りこんできたら間髪いれずに発砲する。
ばきばきと、嫌な音が生じ、桐山が弾除けにした大木の幹に亀裂が走った。
桐山は慌てて木の陰から飛び出した。
ドーンと、凄まじい音がして大木が地面にのめり込む
メリケンサックを装着しているとはいえ、木を倒すなんて桁違いのパワーだなどと感心している場合ではない。
防御壁を失った以上、防御から攻撃にでるしかない。
桐山は木々の間をすり抜けながら発砲した。


(……消えた!)

高尾が消えた。上か!?桐山は銃口を真上に上げた。

(いない?)

背後か!?桐山は腕を後ろに回した。


「真横だ」


冷たい声が左耳の聴覚を刺激し、恐るべきスピードで桐山の脳に伝達された。
桐山は素早く銃口を左に向ける。照準を定める暇なんてない!
即発砲だ。とにかく撃つ。

「遅い」

また冷たい声。そして高尾が脚を上昇させるのが見えた。
その直後、桐山の手が痺れ、銃がクルクルと空に吸い込まれるのが見えた。
しまった、そんな思いが桐山の思考回路を独占。


「桐山和雄、おまえを殺す」

高尾は静かな声で静かに言った。

「そして――」

高尾はスッとメリケンサックをつけて手を上げると、そばにあった木を倒した。
その木の枝を掴み、を片手で軽々と持ち上げると投げた。


「――あの二人も逃がす気は無い」














「失礼します!」
下士官が敬礼すると、「第四期特撰兵士が軍港を出発したと連絡がありました」と報告した。
「……そうか下がってろ」
本部長は忌々しそうに唇を噛んだ。彼らが到着するのは約三十分後。
「それまでに決着がつけばいいのだが……」
本部長は窓から沖木島を睨みつけた。
「……忌々しいクソガキ、桐山和雄め!」
おかげで沖木島まで憎たらしく見えてきた。
「あいつ一人のおかげで私の立場や信用が……」
凄まじい爆音が辺りを包み込んだ。


「……なっ!」
衝撃派が空気を震わせ、窓ガラスに大きな振動を加えた。
「……あ……ああ」
爆発は何度もあったが、こんなに近く、そして大きな爆音は初めてだった。
直接被害は無いが、その破壊力が凄まじい事は、この震動が全てを物語っている。

「な、何なんだ……い、一体……?」
「ほ、本部長、大丈夫ですか?!」

思わず尻もちをついた本部長に慌てて駆け寄る副官。
「だ、大丈夫だ。なーに、たかが爆風が少々強いだけの話では無いか。
あの島で、何が起きようと、この戦艦に被害は……」

何の残骸かはわからないが、鉄の破片が窓ガラスを突き破ってきた。
それが本部長の両脚の間の床に突き刺さったのだ。


「うげえっ!」
「ほ、本部長、しっかりしてください」
「な、何なんだ……こ、こんな……は、破片が飛んでくるほどの……威力」
「本部長、立てますか?」
「と、当然だ……」
と、言葉では強がっているものの、腰が抜けたのか上手く立てない。
「連中に渡した支給武器の手榴弾なんかじゃない。
かといって……あいつらお手製の爆弾など、たかがしれている」

あれほどの破壊力となると……。

「あ、あいつらまさか……軍の爆弾を?」














「もっと早く走るんだ、お嬢さん!」
「で、でも……でも桐山くんが!」
「今は逃げる事だけ考えろ。おまえさんが戻ったところで桐山は喜ばんぞ!」
川田はスピードアップした。ひとまず美恵を安全な場所に隠す。
それから桐山を助けに行く。桐山一人戦わせるわけにはいかない。
これといった策があるわけじゃないが、それでも逃げるわけにはいかない。


「お嬢さん、あんたを目立たない場所に隠す。
桐山はオレにまかせろ。頼りにはならんかもしれんが」
「川田くん、前!」
「何だ?!」
美恵が指差した方向、前方斜め上に川田は視線を移した。
「な、なんだ、あれは!」
木が飛んでくる。まるでツイスターで飛ばされたかのように。
「危ない!」
川田は慌ててストップをかけた。だが猛スピードで走っていたため止まりきれない。


「川田くん!」
美恵は川田を真横に突き飛ばした。その勢いで川田ごと倒れこむ。
その直後に、木が猛スピードで落下。地面に衝突した。
川田はゆっくりと顔を上げた。汗が額から一筋流れる。
ほんの数十センチ前にほぼ直立状態で木が地面に突き刺さっている。
「助かった……礼をいうよ、お嬢さん」
「私は何も……それより、この木は一体なんなの?」
「どうやら、オレ達を逃がす気はないようだな」
川田は拳を握り締めた。
「高尾晃司……あのクソガキめ!」


まずい、まずいぞ。逃亡をはかったオレ達にまで気を回す余裕があるんだ、あいつは。
と、いうことは桐山はかなり危機的状況にあるということだ。


(今すぐオレが戻ったところで、あのクソガキの優位は変わらないだろう。
こっちも一か八か命かけないと逃げる事もできないだろう)
川田はポケットから紙切れを取り出した。そして、その紙切れを真剣に見詰めている。
「川田くん、なにを見てるの?」
「お嬢さん……爆弾の遠隔操作機は持ってるな?」
「え、ええ、ここに」
美恵はポケットから遠隔操作機を取り出した。
「それをどうするの?」
「……本当なら、こんなことしたくなかったんだがな。
だが、おそらく、桐山は今絶体絶命だ。
このまま奴に殺されるのを待つくらいなら、一か八かチャンスを作ってやるしかない」
たとえ、チャンスどころか、あの世への特急列車乗車券になろうとも。


「桐山の運命を信じてやるしかないんだ!」
「か、川田くん、何するの!?」


川田がスイッチを押した。
この島を舞台にした惨劇が開始されてから幾度となく轟いた爆音。
それが再び島に衝撃を与えた。今までと違うのは、その破壊力。
軍が正式採用しているだけあって、今までの爆弾とは比較にならない。
政府支給の手榴弾は勿論の事、ありあわせの材料で製作した即席爆弾よりはるかに。
脱出の際に、政府から目をそらす為に仕掛けた、その最後の切り札。
その一つを川田は今使ったのだ。


「やめて川田くん、何をするの!?」


美恵は顔面蒼白になって川田に飛びつき、遠隔操作機を奪おうとした。

「桐山くん……桐山くんまで殺すつもりなの!?」
「奴を殺すのが最優先だ!」
「……そんな!」
「こんなこと言いたくないが、生き残ることを考えられる余裕はもうないんだ。
桐山の、そしてオレも、いやオレ達全員の命と引換えにしてでも、奴を殺す!
そのくらいのことをしなければ、奴は殺せない!」


「奴は人間の形をした兵器だ。そんな化け物を殺すには、甘さを一切すてるしかない!」




【B組:残り3人】
【敵:残り1人】




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