桐山は全神経を集中させた。しかし、何も感じない。
(……仕方ないな)
桐山は柱の陰に隠れていたが、その陰から姿をさらし、ゆっくりと歩き出した。
高尾晃司は完全に気配を無にしている。おまけに物音一つ立てていない。
このままでは、いくら待っても、高尾の居場所はわからないだろう。
お互い膠着状態が続けば、経験値で勝っている高尾の有利。
神経をすり減らしてしまっては、桐山に勝ち目は無い。
その前に、高尾の居場所を付きとめなければならない。
高尾の気配の消し方は完璧。しかし、どんな超人でも消しきれないものがある。
それは攻撃に出るときに生じる微かな物音だ。
銃口を照準に合わせる時、トリガーを引く時、何かしら音は出る。
その瞬間が唯一の――チャンス。
キツネ狩り―189―
「……静かだな。静か過ぎる」
「川田くん……それって」
「嫌な予感がする……オレは桐山を信じている。
しかし、それ以上に、あの化け物の恐ろしさを知っているんだ」
川田は思い出していた、初めて高尾と出会った日のことを。
あの時の子供が、あのまま大きくなったら末恐ろしいと思った。
だが、実際の高尾は、川田の予測を大きく超えていたのだ。
恐ろしいどころじゃない。人間であることを完全に捨てている。
桐山も似た部分はある。しかし今の桐山には美恵がいる。
美恵は桐山にとって唯一の人間性。
それは愛情も感情も持たなかった桐山には素晴らしい存在かもしれない。
だが戦闘……いや、殺し合いという非人間的な行為においては、それは邪魔になるかもしれない。
桐山は、美恵を守る為に勝ち続けてきた。
しかし、それがいつまでも続くわけがない。まして相手が化け物なら。
「心配だ……お嬢さん、おまえさんはここで待ってろ。いいな?」
「でも私も……」
『一緒に』と言いかけて美恵は口を閉ざした。
ついていっても邪魔になるだけだ。川田のお荷物になることは避けたい。
いや避けなければならない。美恵はそう思った。
「怖がることはない。敵はもう、あいつ一人だ、その一人は桐山と対峙している。
おまえさんを襲うような奴は他にはいないよ。ここが一番安全だ」
「私のことはいいわ。それより川田くん、気をつけて」
「ああそうするよ。あの化け物相手に油断なんてしてられないからな」
「それから……桐山くんをお願い」
桐山はゆっくりと足を進める。一歩一歩、静かに。
(まだ動かないのか?)
何も動かない。本当に高尾がいるのかどうか疑わしいくらいだ。
(いないのか?……いや、そんなはずはない)
静かだ。高尾がどこからか様子を見ているはずなのに。
しかし、本当に何も感じない。桐山は焦りだした。
(……まさか)
まさか、本当にいないのか?そんな疑問が桐山の脳裏をかすめた。
ここにいないのなら、高尾の行き先は一つしかない。
(美恵!!)
美恵を、美恵と川田を先に始末しに行ったかもしれない。
「美恵!!」
桐山は180度回転した。そして、走り出した。
屋内に張り詰めていた緊張の糸が一気に切れた瞬間だった。
その時、時間が止まっていたような静寂感が一瞬で崩れた。
桐山の背後数メートルの位置から、音がした。金属音だ。
それも激鉄を上げる音。そう奴だ!!
しまった、その単語が桐山の脳裏に鮮やかに浮んだと同時に銃声が背後から聞えた。
反射的に身をひねろうとして大きくバランスが崩れた。
足元から右半身が大きく傾いた。右手を床につき何とか体勢を保つ。
ほぼ同じ瞬間、肩に激痛が走った。鉛の弾が肩をえぐったのだ。血が噴出した。
桐山は肩越しにそれを見た。はるか背後の柱の陰から微かに長髪も見える。
一度取り戻しかけた体勢は、それで完全にダメになった。
桐山は床にダイブ、いや寸前で回転して柱の陰に飛び込んだ。
肩に激痛。さすがの桐山もたまらず肩を押さえた。
もしバランスを崩さなかったら……間違いなく左胸を貫かれていただろう。
(オレの方が先に動くなんて完全なミスだ。あってはならないミスだ)
肩の怪我は大きなマイナスだが、その分得たものもある。
(あの位置、距離、建物の構造上、オレの方が有利)
高尾は自らの位置を桐山にさらけ出した。
柱や壁の位置、そして角度上、桐山に発砲しても当たる事は無い。
攻撃をするには、あの位置から飛び出してくるしかない。
反対に桐山には高尾を攻撃する術があった。
銃声がまた一つ。今度は高尾ではない。
高尾の真上、天井に桐山の放った銃弾が激突、そして跳ね返った。
天井の鉄骨部分を桐山は狙ったのだ。
(そのまま被弾するか、さもなければ柱から飛び出すか)
最初の一発でそのまま死んでくれたら、それがベスト。
たとえ、その銃弾を避けたとしても、避ける為には柱の陰から飛び出さなければならない。
その時こそ、高尾の最後。頭部を撃ちぬくまでだ。
高尾は飛び出してこなかったが――。
(……手ごたえが無い)
被弾してない。聞えたのは床にめり込んだ音だけだった。
(何故だ?)
桐山からは柱が邪魔して見えなかったが、高尾は弾を避けていた。
横に避けては柱から出なければならない。
高尾は横ではなく垂直の方向で避けていた。
弾が天井を跳ね返った瞬間、高尾は飛んでいた。柱を蹴り回転しながらだ。
銃弾は高尾が体をひねることによって生じた僅かな隙間を通って床に衝突。
高尾はそのまま天井の電灯に捉った。その高見からは桐山の姿が丸見えだった。
絶好の射撃ポイントだ。
「あれは奴のヘリコプター」
川田は壁の陰から辺りをキョロキョロと見回した。高尾の姿はない。
(あのガキどこにいる?それに桐山は……桐山はどこだ?)
高尾の姿も無いが桐山の姿も見当たらない。
(建物の中……か。ここからでは見えない。正面まで行かないと)
危険だが、もともとこのゲーム自体が地雷のようなものだ。
危険を承知で虎穴に飛び込むことも必要。
(建物に入るしかないな。だが、その前に……)
川田は意味ありげにヘリコプターを睨みつけた。
(奴の足を止めておく必要があるな。二度と、あんな鬼ごっこはごめんだ)
川田はもう一度辺りを見回すと、ヘリに向かって走り出した。
(横に避けたのではないとすれば……)
桐山は目線を上に向けた。高尾は上だ、それも自分を狙える位置にいる!
そこだ!桐山は目標を確認せずに発砲した。
鈍い音がした。弾が激突したのは無機質な天井だった。
生身の人間に当たった音は全くない。
(……いない)
高尾はそこにいなかった。すでに移動している。
(……どこにいった?)
静寂……先ほどの、あの物音一つしない静寂が再び、辺りを包み込んでいる。
(一体、どこに隠れた?)
桐山が全神経を聴覚に集中させた、その瞬間。
爆音が響き玄関正面のガラス張りの向こうに炎が拡大するのが見えた。
(何だ?)
桐山は、その爆発の原因を知らない。だが高尾は知っていた。
(ヘリに近付き、破壊しようとした奴がいる。川田章吾か)
高尾はそれをとっくに予測していた。
軍用ヘリは厄介なしろものだ。車では逃げ切れない。
高尾の居ぬ間に、高尾の足を止めようと考えるのは当然。
高尾がそれに対して何の備えもしあにわけがなかった。
高尾はヘリに近付く人間に対してトラップを仕掛けていたのだ。
「あ、あの音……!」
美恵の目にもはっきり映った。爆発、そして炎上が。
敵の攻撃か、はたまた桐山か川田が引き起こしたものか。
それはわからないが、どちらにしても切迫した状況だということは間違いないだろう。
「どうしよう……」
川田の言いつけを守って、ジッとしていた美恵だったが、ここにきて迷いが出てきた。
(私は貴子みたいに天才的な身体能力の持ち主でもないし、光子みたいに強くも無い。
私が下手に動いたら桐山くんや川田くんの足手まといになるだけ。
川田くんの言うとおり、ここで大人しく待っていることだけが私の役割だろうけど……。
でも……でも、本当にここで隠れているだけでいいの?)
弱者の余計な思い上がりではない、美恵はもっと別の次元でそう思った。
つまり高尾は川田の想像の域を超えた化け物だと。
だったら、ここで大人しく待っていても無駄だ。
いや待っていてはいけない。
何か行動を起さなくては。
美恵はチラッと車に目をやった。そして飛び出した。
運転席に飛び込み、ハンドルからアクセル、そしてブレーキを見詰めた。
軍仕様の装甲トラックだけあって、ぶつかった程度では機能に何の問題も無い。
「キーはついてるし、ガソリンも十分あるわ。動く……」
動くはずだ。後は運転手さえいれば。
オートマチックならともかく、ミッションでは無免許の美恵には正直さっぱりだった。
しかし、しょうがないわね、とあきらめている場合ではない。
「確か……」
美恵は川田の運転を思い出していた。
「川田くんは発進するときはクラッチをアクセルを……」
見よう見まねで何とかなるものではないが、何とか前進だけでもさせないと。
車が動き美恵はホッとする。しかし束の間、一メートルも進まないうちにストップ。
「エンスト?やり方が悪かったのかしら……」
もう一度……だが動かない。
「どうして?」
ハンドルから左手を外した。何かに当たった感触。
「……サイドブレーキ?」
そうだった。サイドブレーキがかかったままだった。
こんな簡単なことに気づかなかったなんて。
すぐにブレーキを解除して、注意深くアクセルを踏んだ。
(動いた!)
ゆっくりだが、とにかく動く。美恵はクラッチを踏んでギアをセカンドに入れた。
「……あ、あのクソガキ、よくも」
アスファルトの道路に突っ伏した川田は悔しそうに拳を握り締めた。
危なかった。気づくのが遅かったら、完全に黒焦げになっていた。
気づいたのは偶然だ。本当に万に一つの奇跡というやつだろう。
川田はヘリコプターに近付いていた。勿論、周囲に注意は払っていた。
高尾の姿はどこにもなかった。それでも警戒は怠らなかった。
それが逆にまずかった。川田は高尾本人にのみに神経を集中させていた。
ヘリや、その周囲には気が向いてなかったのだ。
風で新聞紙が飛んでこなかったら、高尾が仕掛けたトラップに気づかなかっただろう。
川田の数メートル手前の位置で、その新聞紙が何かに引っ掛かって空中で停止したのだ。
そう停止だ。何も無いはずの空中で。瞬間、川田は全てを悟りクルッと向きを変え走った。
直後に背後からカッと閃光。川田はアスファルトにダイブしていた。
高尾はヘリコプターを守る為にトラップを仕掛けていた。ワイヤートラップだ。
川田が引っ掛かったら今頃どうなっていたか。考えただけでゾッとする。
「あの小僧……やっぱり生かしてはおけない」
川田は立ち上がると走り出した。
(爆発……!)
桐山は一瞬ハッとしたが、すぐにヘリから注意をそらした。
ヘリなどどうでもいい。今は高尾だ。
高尾の姿はどこにも見当たらない。どこにいる?
桐山は意を決して柱の陰から出ることにした。
柱の影から、桐山の影がでる様子が床に映し出されている。
もちろん人影は桐山のものだけのはず。
「!!」
桐山の心臓がドクンと大きく音をたてた。バカな、そんな思いが頭をかすめた。
気配もない物音もない。だが影が告げていた。
桐山の背後に長髪をたなびかせながら、殺人マシンが降り立ったことを。
考えるより先に桐山は体を回転させていた。
相手は自分の背後をとった。すぐに、それこそコンマ一秒より早く動かなければ!
そうでなければ全てが手遅れだ。奴は自分の背後をとったのだ!
ダメだ、間に合わない。高尾が引き金を引くほうが早い。
終わりだ。全てが終わりだ、心臓が血を噴くだろう。
ほら……銃声だ。もちろん、それは桐山の銃が発したものではない。
「オレは……生きてる?」
桐山は左胸を押さえて、信じられないように呟いた。
心臓を撃ちぬかれたと思ったのに、撃ち抜かれているはずなのに。
嬉しいというよりも、疑問しか残らなかった。
こんな距離で人間兵器・高尾が外すわけは無い。
何故だ、何故?
桐山の疑問に答えるかのように、誰かが叫んだ。
「桐山ぁぁー!!」
声の方向に振り向くと、川田が走ってくるのが見える。
答えは簡単だった。銃声は高尾ではなく、川田が撃ったものだったのだ。
桐山は高尾が背後に降り立った事に気づかなかった。
だが、川田からはバッチリ見えたのだ。桐山の後ろに降り立った高尾の姿が。
桐山はまだ気づいてない、そう悟った川田の行動は素早かった。
銃口を上げ、照準を正確に定める余裕もなく発砲。
高尾の急所に当たっていれば言う事なしだったが、そう簡単にはいかせてくれない。
高尾は飛んでいた。そして柱を蹴った。
蹴った勢いで、その柱の反対方向にある柱に飛んでゆく。
さらに、その柱も蹴り、また元の柱に。
それを数回繰り返し、斜めに飛びながら、あっとうまに天井へ。
まるでムササビの空中飛翔の垂直版だ。
「桐山、大丈夫か桐山!」
「ああ、助かった」
それは桐山の偽らざるべき本心だった。
「いやに素直だな。だが礼なら後だ、今はそんなこと聞いてる暇は無い!
立てるか?悪いが、手当てしてやる暇なんかない。走るぞ」
「ああ、わかっている」
川田は桐山を立たせると背後に発砲しながら走り出した。
「トラックまで走るんだ!」
正面入り口を出た二人の前に、トラックが走ってきた。
「あれは……!」
「桐山くん、川田くん!」
「お嬢さん、ジッとしていろと言ったのに」
「ごめんなさい。でも……」
「いや、今度ばかりは、おまえさんの判断が正しい。助かったよ!」
川田は桐山を助手席に詰め込むように乗せた。
「そっちに詰めてくれ、少々乱暴な運転になるぞ」
美恵を助手席に無理やり移動させると、川田は運転席に乗り込んだ。
そして、アクセルを踏む。トラックは急発進した。
「桐山くん、肩から出血が!」
「問題ない」
「そんなわけないでしょう?!」
止血しないと。しかし救急箱どころか、タオル一枚見当たらない。
美恵はスカートを手に取ると、ビリッと引き裂いた。
「ごめんなさい、こんな汚いもので。後でちゃんとした包帯に変えるから」
美恵は傷口にハンカチを当てると、引き裂いたスカートを包帯代わりにして巻きつけた。
「川田、北の方角だ」
川田は敢えて、何故だ?と聞かなかった。
桐山のことだ、何か考えがあるのだろうと思ったのだ。
「ほうら、来たぞ」
黒いヘリコプターが一気に上昇するのが見えた。
「とばすぞ!!」
川田はギアをハイトップにいれ、アクセルを踏み続けた。
桐山の指示通り北の方角に向かった。
「おい桐山……」
「そのままだ。そのまま真っ直ぐ北に行け」
「行けだと?……この先は道なんてないだろう!」
前方に見えたのは山、このままでは森の中に突入だ。
「おい、わかってるのか?」
「山道を行けばいい。とにかく、このまま真っ直ぐだ」
「奴に追いつかれるぞ!」
桐山は窓ガラスから身を乗り出した。
「危ない、何をするの桐山くん!」
「オレが奴との距離を保つ。だから、真っ直ぐだ川田」
桐山はヘリに向かって発砲。射撃は連続、決してトリガーを緩めない。
「わかったよ。おまえさんが、そこまでいうなら言うとおりにする。
後で、後悔するなよ!どうなってもオレは知らんからな!」
川田は意を決して木々の中に突入した。森を突き進むと、やがて開けた場所にでた。
「奴が降下してきたぞ!」
確実に止めを刺すつもりだな。背後からタイヤを狙うのか?
それとも、ガソリンタンクを撃ちぬいて車ごと一気に始末か?
桐山は注意深く前方を見ていた。
何度も山中で戦った経験から、この辺りの地理はすでに頭に叩き込んである。
今だ!桐山は美恵を抱きしめると、サイドブレーキを上げた。
「な、何をするんだ桐山!」
慌てる川田を桐山は「外に飛び出せ」と突き飛ばした。
そして、自分も美恵を抱きかかえ助手席のドアから飛び出した。
トラックが急停車。ヘリコプターがトラックに激突!
ブレーキをかけたとはいえ、その衝撃でスピードが上がっている。
そのスピードが頂点に達した時、トラックはヘリごと宙に浮いていた。
崖だ。木々に遮られて見えなかったが、森を抜けると崖があったのだ。
トラックはヘリコプターごと落下していった。
「……やった」
空中で落下しながら爆発するヘリを見て川田は万感の思いで叫んだ。
「勝った……桐山、おまえの勝ちだ!!」
【B組:残り3人】
【敵:残り1人】
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