オレたちは、そいつを憎むべきなのか?
運命の神なんてものがいるのなら、せいぜい感謝するんだな。
昨日まで、当たり前のように与えられた幸せに。
キツネ狩り―19―
沼井充、14歳。桐山ファミリー所属。
成績はお世辞にもいいとは言えない。
唯一の取り得はケンカに強いこと。
世間からは不良とレッテルを貼られているが、ケンカと、たまに窃盗をする以外には悪さはしない。
一般人には、特にか弱い女の子には決して手を出さない凶悪犯罪とは無縁の少年。
菊地直人、同じく14歳。
大東亜情報部中国四国局局長の養子。
表向きは名門学校の特待生。
その出自、経歴等、全て不明。
――正確には『ある人物』により抹消される。
沼井の脳裏は過去に遡っていた。
くだらない家庭に育ち、くだらない人間に育ち、たいして面白くないはずの日常。
ただ一つの取り柄というべき暴力に明け暮れていた日々。
そして、中学に入学した日。美術室での桐山との衝撃的な出会い。
2年になって同じクラスになった天瀬美恵。
その笑顔に、あたたかな人柄に憧れの想いを抱いた事。
笹川、月岡、黒長……個性的な中間達。
その全てが走馬灯のように鮮やかに脳裏を駆け巡った。
ひとは自分の死を直感した時、自分の過去を思い出すという。
菊地が一歩前に出た。
その瞬間、沼井の全身に絶対零度に近い恐怖の戦慄が一気に駆け巡った。
「ちくしょぉー!!」
持っていた鉄パイプを振り上げ、菊地の頭めがけて一気に振り落とした。
渾身の力を込めたはずなのに、菊地がスッと右手を上げただけでパイプは簡単に動きを止めた。
「クソ…!!」
菊地に先端を握られたパイプはビクともしない。
それでも、もがくようにパイプを握り締めた両手を乱暴に動かした。
ふいに菊地が右手を離した。僅かに体勢が崩れる沼井。
間髪いれずに菊地が、沼井の後脹脛をはらうように蹴りを入れると、沼井は簡単に床に倒れ込んだ。
すぐに起き上がろうとする沼井。しかし
「……うっ…!!」
みぞおちを押さえるように踏みつけられた。起き上がれない。
……こいつ、強い……!!
ケンカ慣れしている沼井だからこそわかった。
まだ決定的なダメージすら与えられてないが、この10秒足らずの菊地の動きで自分とは次元が違うことが。
「おまえ一人か?」
真上から見下すように菊地が問うた。
沼井を踏みつけている菊地、踏み押さえられ床に仰向けになっている沼井。
それは、そのまま、沼井と菊地の立場を象徴していた。
ふいに、金井泉のことを思い出した。
「答えろ。他に誰かいるのか?」
金井泉がいる。それだけは言えない。言えば死体が増えるだけだ。
「……オレ一人だ」
菊地が足をどかした。沼井はすかさず上半身を僅かに起した。
菊地が襟首を掴んだかと思うと、一気に引き上げ立たされた。
「知っているか?人間は、特におまえみたいな単純な奴は、嘘をつくとき無意識にサインを出しているんだ」
沼井には何のことかわからなかった。
当然だろう、沼井は心理学者でも何でもない、ケンカに強いだけの、ただの中学生なのだ。
「おまえの場合は、嘘をつく瞬間、相手から視線をそらすことらしいな」
そこで、沼井はハッとした。
「他に仲間がいるんだな」
再び金井泉の事が脳裏をよぎった。恐怖で固まっていた沼井の血が逆流した。
「ふざけるな!!オレ一人だ!!」
今度は壁に叩きつけられた。うっとうめく沼井。
「もう一つ、教えてやる。嘘がばれた奴は、必要以上に逆上する」
こいつ!!本気だ、マジだ。オレたちを殺すことなんて何とも思ってない!!
金井も、何も出来ない女でも平気で殺るつもりだ!!
「ふざけるな!!簡単にやられてたまるか!!」
拳を振り上げて向かっていった。
いつも敵対していた不良グループを叩きのめしてきた沼井の自慢のパンチだ。
しかし相手は不良どころじゃない。戦闘のプロ、到底勝ち目のない相手なのだ。
沼井の右ストレートを左の掌で受け止めると、菊地は瞬間的に沼井の手首をひねった。
すかさず、沼井の右腕を上げると同時に右手で沼井の肩を掴み、そのまま床に叩きつけた。
「……うっ!!」
そして沼井が立ち上がる暇もなかった。
沼井の右肩を脚で押さえつけると、沼井の右腕を持ち上げた。
ま、まさか……!!
沼井の脳裏に二年前の恐怖が蘇った。
上級生にリンチにあい指を折られた、あの悪夢が。
「仲間はどこにいる?」
不自然な向きに持ち上げられた右腕に激しい痛みがはしる。
「うるせぇ!!オレ一人だって言ってるだろ!!」
「……それが返事か」
沼井の右腕が関節とは逆の方向に一気に曲げられた。
ゴキッと鈍い音が聞こえた。
「うわぁー!!」
沼井は右腕を抑え床を転がり回った。
消えない痛み、そして、それをはるかに上回る圧倒的な恐怖。
「……ちくしょう……ボスが、ボスがいれば……てめえなんか……」
「……なんだと?」
「ボスがいれば、てめぇなんか簡単にぶっ殺して……!!」
沼井は言葉を失った。
桐山の名前を出した途端、それまで冷酷なほどの冷静さを見せていた菊地が一変したのだ。
沼井の襟を掴み乱暴に持ち上げた。
その瞳は先ほどまでの冷たいだけのものとは、まるで違う。
沼井は自身が荒れた生活をしていることから、色々なワルを見てきた。
どいつも、こいつも、ひねくれたすさんだ目をしていたが、そんなものとは、まるで違う。
「……桐山和雄?……連れて来い!!」
この目……こいつ……なんて目をしてるんだ……!
「オレに勝てるだと?……オレの勝った負けたは、殺るか殺られるかだ!」
こいつの目は――。
「オレの最初の任務は中学に上がってすぐだった。
公衆の面前で代議士の頭を撃ち抜いてやった。
シークレットサービスに反撃されオレ自身も死にかけた。
チンピラしか相手にしたことのない奴の物差しで測られてたまるか……!!」
赤い色つきの目だ――。
「………上等だ」
―――憎しみしか映ってない―――
「殺れるものなら、殺ってみやがれ!!」
「……沼井くん、遅いな……どうしたんだろう?」
泉は、そろそろとボイラー室の扉を開けた。辺りに人の気配はない。
沼井を探そう、勇気を振り絞って、そう決心した泉が一歩踏み出した時だった。
『聞こえているか、桐山和雄!!』
「ひっ!!」
瞬間、その場に座り込む泉。だが、その声の主は、その場にいない。
そう、スピーカーを通して聞こえているものだ。
文化会館の放送室にいるのだろう。
泉は驚愕した。すぐ近くにいるという事実に。
そして、思った。沼井はどうなったのか?
様子を見てくると出て行った沼井、いつまでたっても帰らない沼井
そして、すぐ傍にいた転校生。
考えれば、考えるほど、それは恐ろしい答へとつながっていく
そして、その声は、泉のみならず、A地区全土に聞こえたのだ。
「あ、あの声……怖い……誰か……助けて……」
茂みの中で震える小川さくら。
今だに転校生の恐怖と、七原を犠牲にしてしまったショックから立ち直れずにいた。
「……どうやら、こことは離れてるみたいね」
カマを握り締め、文化会館のある方向を睨みつける相馬光子。
その目には強い覚悟の光が宿っていた。
そして、菊地直人、いや5人の転校生たちにとって最大のターゲットにも、その声は聞こえていた。
ほんの数分前にC地区に入っていたのだ、桐山和雄が。
彼は菊地が発した言葉を聞きつけると迷うことなく、方向を変えるとA地区に戻り始めた。
菊地は、こう言ったのだ。
『おまえが学校を離れた後、天瀬美恵が、どうなったか知りたくないか?
地図に載ってるだろう。文化会館だ……今すぐ来い!! 』
菊地はマイクを置くと、放送室をあとにした。
そして、しばらく廊下をあるくと、先ほどの舞台会場前に来た。
そこで、チラッと視線を送ったが、特に何も思わずに、その場を後にした。
視線を送った先には、沼井充が全く動かず、脚を投げ出した姿勢で壁にもたれかかっていた――。
【B組:残り26人】
【敵:残り5人】
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