「貴様は死んだはず」
そうだ。死んだはずだった。
桐山の、川田の、そして美恵の前に立っているのは死んだはずの人間。
桐山との戦いに敗れ、炎の海へと消えていったはずの人間。
高尾晃司だった。もちろん、幽霊ではない。驚きはあった。信じたくないという気持ちも。
しかし、桐山には、その前にすべき事があった。
高尾の腕が上がったのだ。同時に高尾が持っていたライフル銃の銃口も。
「伏せろ川田!」
桐山は、そう叫ぶと同時に自分は美恵を抱きかかえ飛んだ。
中庭の大木の陰に飛び込むと同時にライフルの銃口だけを突き出して発砲。
高尾は、走っていた。桐山は連続して発砲した。
高尾は校舎に向かって走った。校舎はほとんど崩れている。
残っているのは壁の一部くらいだ。
「桐山……!」
桐山の警告に従って伏せた川田も起き上がった。
そして、肩から流血しているのも構わずに引き金を引いた。
「全弾、ぶち込んでやれ!奴はおまえとの戦闘でダメージを負っているはずだ!!
今、殺すんだ!確実に頭部を撃ち抜いてやれ!!」
二人の射撃は正確だ。二人がB組の中で特に傑出した理由の一つ。
そして、もっとも大きい理由でもあった。
二人の他にも優秀な生徒は何人かいた(特に三村はずば抜けていた)
しかし、その三村を含め、銃の扱い方だけは中学生らしく、誰もが素人だった。
だが、桐山と川田は違う。素人などではない。
それどころか、明日にでも激戦地に送られていいほどの腕前。
その二人が、同時に高尾に向かって発砲した。しかも連射だ。止まらない発砲。
「奴を殺せ!!奴の息の根を止めるまで、トリガーから指を外すなよ桐山!!」
キツネ狩り―186―
「我々には、まだ高尾晃司という切り札がいる」
本部長は机に接触している拳を震わせながら低い口調で言った。
「奴に勝てる中学生などいない。軍の兵士の中にさえいないのだ。
奴には誰も勝てなかった。同世代の少年兵士はもちろんのこと。
上世代の特撰兵士も、ブラックリスト記載のプロのテロリストも。
奴は化け物だ。周藤や佐伯も、奴に比べたら人間の域だった」
周藤が比較対象に上げられた事は鬼龍院にとっては愉快なことではなかったが事実でもある。
周藤は高尾を超える為に血の滲むような努力をしてきた。
だが、その努力をもってしても超えられなかった壁が高尾だった。
歴代の特撰兵士の中でも、特に優秀だと評判の第五期生の特撰兵士。
その中で高尾と互角に戦えるのは、同じⅩシリーズの堀川秀明くらいだろう。
高尾はとにかく他の人間とは違っていた。
どんな冷酷非情な人間でも、人間的な部分は残っている。
しかし高尾はそれがない。まるで、人間の姿をした機械のように。
科学省が、そうなるように徹底した人間兵器教育をしたからだ。
人間らしい感情を押さえ込み、潰し、削除した。
人間として生まれた以上、それは不幸なことかもしれない。
だが、軍人としては、それは大きな武器となる。
敵どころか己に対しても一切の哀れみをかけない非情さ。
ただ敵を殲滅するだけに行動するだけの人間兵器に、普通の人間が勝てるわけがない。
「桐山には大きな被害をこうむったが、それも終わりだ。
高尾には百戦錬磨のテロリストでさえ、ことごとく敗北を味あわされてきたんだ。
どんな天才だろうと、所詮は民間の中学生。
どうあがこうが、高尾に勝てるものか。時間の問題だ」
「撃て!!奴を殺すんだ!!」
桐山と川田が撃った弾は真っ直ぐ高尾目掛けて飛んだ。
高尾の前方には、かろうじて残っていた校舎の壁の一部。
高尾は、その垂直の壁に向かって走った。
そして、その90度の壁を駆け上がったと思いきや、壁が壊れ途切れていた箇所でクルッと回転。
壁の向こう側に姿を消した。もちろん弾は高尾ではなく、壁に命中。
「手を止めるな桐山!攻撃をやめたら、奴が反撃してくる!」
川田は発砲の手を休めなかった。けたたましい音が連続して空気を振動させる。
崩れかけ、やっと立っていたに過ぎなかった壁は一気に崩れた。
その崩れた壁の向こう側に高尾が見えた。
「今だ、奴を撃て!撃つんだ桐山!!」
川田が言うまでもなく桐山は銃口をしっかりと高尾に合わせ発砲していた。
それも腹部や心臓ではなく、もっとも確実な急所、頭部に。
高尾は、スッとその場に片膝をつくと、何かを掴んだ。
それを力任せに引く。一瞬、マントのように見えた。
もちろん、そんなしゃれたものでは無い。
崩れた校舎の玄関のシャッターだ。校舎の残骸の一部と化して横たわっていたのだ。
それが高尾の姿を一瞬で覆い隠し同時に銃弾を受けた。鈍い音をだし再び地面に沈む。
その向こう側に高尾はいるはず。だが実際にはいなかった。あの一瞬で移動したのだ。
「どこだ、どこにいる!」
川田は肩を押さえ、必死になって首を動かした。
高尾の姿を見失うことは致命傷に繋がる。
高尾の姿だけは常時捕捉しておかなければならない。
「くそ!あのガキ、どこに隠れた!?」
「川田くん、後ろ!!」
美恵が指差していた。ハッとして振り向く川田。
校舎とは正反対である自分の真後ろ、一体いつの間に?!
そう考えるより先に川田のライフルの銃口が上がっていた。
川田のプログラム経験者としての本能は、本人が考えていた以上に研ぎ澄まされていたのだ。
反射神経が全力で告げていた。
『奴を撃て。殺せ』――と。
川田の視界の中、まるでスローモーションのように舞い降りてくる高尾がいた。
その目は、ぞっとするくらい冷たい輝きを放っていた。
川田のライフルの銃口が上がりきる前に、高尾が持っている銃が川田にピタッと照準を合わせていた。
川田は一瞬、呼吸を忘れた。銃口は真っ直ぐに川田の額を見詰めていた。
カチ……かすかな音がしたが、川田には聞えなかった。
だが、その音を高尾は敏感に聞き取った。高尾の冷たい瞳が川田からそれる。
その視線の先を川田は反射的に振り向いた。桐山だ。
桐山は冷静にライフルを構えていた。準備はOK、後はトリガーを引くだけ。
高尾が空中でクルッと回転し、体勢を変え弾の軌道から自分を逸らした。
間髪入れず、桐山は再びトリガーを引いた。
空中で、何度も体勢を変えるのは不可能。
ならば、攻撃の手を休めなければいい。
だが、高尾も百戦錬磨。そのくらいわからないはずがない。
「……ぐっ」
川田の表情が激しく歪んだ。激痛が川田を襲ったのだ。
「川田くん!」
美恵は見た。高尾が、川田の肩(こともあろうに負傷したほうの)を踏み台にして、再び飛び上がったのを。
そして、素早く二回転すると同時にダッシュ。
スッと川田の背後から腕を伸ばし、それを川田の首に絡めた。
途端に川田の顔の色が変わる。呼吸が出来ないというだけではない。
川田の体が盾となり、桐山は攻撃できない。今、撃てば死ぬのは川田だ。
高尾は痛くもかゆくもない。そして高尾は川田を人質にとるつもりもなかった。
ただ一時的に盾にしただけ。その証拠に川田は背中の左部分に違和感を感じた。
ちょうど心臓の真後ろに当たる部分だ。何かを突きつけられ金属的な冷たさと硬さを感じた。
(銃……!!)
高尾は容赦ない。このまま、川田を射殺。それが高尾のシナリオ。
だが、高尾のシナリオは一瞬で変更になった。
川田から銃口が離される。同時に川田も突き飛ばされた。
地面にダイブしながら、川田は信じられない面持ちで頭だけ振り返った。
何故だ、何故、この冷酷な殺戮者は自分を殺すチャンスを自ら離した?
その答えはすぐにわかった。
美恵だ。美恵が、銃を持っていた。それも拳銃ではない、大型の奴だ。
桐山からでは川田が障害となり高尾を撃てない。だが美恵からは角度的に可能だった。
もちろん、彼女が射撃の心得があればの話だ。
素人にはまず無理。しかし万が一という可能性もある。
その可能性を常に考え行動するのが高尾晃司。
高尾のシナリオは一瞬で書き換えられたのだ。
川田章吾でななく、天瀬美恵を抹殺――と。
「伝令です。高尾大尉と桐山和雄及び他二名との戦闘が始まったそうです!」
下士官が駆け寄るなり、直立して言った。
ポートでたたずんでいた氷室は振り向かずに応えた。
「わかった、すぐに行く。全員、会議室に集めておけ」
「はい!」
下士官が去った後、氷室は再度海面を見詰めた。
「晶、晃司が桐山と戦っているそうだ。文字通りラストバトルだな」
氷室はポケットから勲章を取り出した。
第四期第一等特別選抜兵士と刻み込まれている。
「……晃司」
氷室は視線を海面から空に移した。
「普通なら、おまえが負けるわけがない。普通なら……」
高尾が持っていた薬瓶が、氷室の脳裏に浮んでいた。
「科学省が焦っているのは、多分アレが原因だろうな。晃司……おまえの制限時間は、まだ大丈夫なのか?」
空は雲一つなく澄んでいた――。
「美恵、やめろ!逃げろ!!」
高尾晃司は純粋な人間兵器。武器を持ち殺気を向ける相手を優先的に殺しにかかる。
高尾のターゲットが川田から美恵に移行した。後は、そのターゲットを殺すだけ。
高尾にとっては赤子の手をひねるようなものだ。
高尾と同じ種類の人間である桐山にはそれがわかった。
だから武器を取らずに逃げろと言った。
高尾に対して攻撃を仕掛けなければ、少なくても桐山と川田が殺されるまでは美恵は無事でいられる。
「嫌よっ!!」
美恵は桐山の命令を拒否してトリガーを引いた。血塗られた選択をした。
虫も殺したことがない少女が、人間を殺す武器を手にした。
いや、正確にいえば殺傷能力のある銃ではなかった。
美恵がとっさに手にした銃から飛び出したのは催涙弾。
一瞬にして、白いガスが辺りを覆った。たった数メートル先が見えない。
高尾、高尾は?もちろん、その姿も見えない。
気配も感じない。当然といえば当然だろう、高尾は歩く殺戮兵器なのだから。
「……うっ」
目が見えない。美恵は目に激しい痛みを覚えた。
とても、瞼を開けていられない。
「美恵っ!!」
桐山が飛び掛ってきた。
「え?」
ふいに濃霧のようなガスの中から桐山が姿を現した。
そして、美恵を抱きかかえ、そのまま地面に滑り込んだ。
その直後だった。美恵の背後の大木の幹に銃痕がついたのは。
際どかった。桐山の判断が一瞬遅れていたら美恵は死んでいた。
この視界がゼロに近い状況の中、正確に敵の位置を把握してきた高尾。
気配だけで美恵の位置を把握する事など高尾には簡単だった。
もちろん、次の攻撃もすぐにくるだろう。
「木の陰に隠れてろ」
「桐山くん!」
「奴が殺そうとするのは、まずオレのはずだ。おまえは隠れていろ」
「隠れても無駄よ。あのひと、私の位置を簡単に気づいたもの」
「……美恵」
「無駄なら逃げ隠れするより戦うわ」
それが美恵が下した決断だった。
たとえそれが美恵の意思だろうと桐山はその意思を尊重してやるわけにはいかなかった。
美恵を守る為に、ただそれだけの為に、この戦いに参加した。
その美恵を死なせるわけにはいかない。
その時、エンジン音がした。近付いてくる。
「桐山、天瀬!!」
川田だった。軍仕様の装甲トラックに乗っている。
急停車すると、その勢いで後ろの荷台のドアが開いた。
「さっさと乗れ!!」
「行くぞ!」
桐山は美恵を抱きかかえ、トラックの荷台に乗り込んだ。
「川田、出せ!」
「言われなくてもわかってる!!」
川田はアクセルを踏んだ。トラックが急発進。
濃霧のようなガスの中を走りぬけた。途中、校門にぶつかりながらも校外に飛び出した。
ガスから抜け出したのだ。
「大丈夫か美恵、目は?」
「大丈夫よ」
まだしみるが、我慢できないことはない。
いや、たとえ我慢できなくても、痛いなんて言ってられない。
「クソ!桐山、あいつを倒したんじゃなかったのか!?」
「確かに、オレはあいつが炎の中に落ちていくのを確認した。
その後、校舎は崩れ落ちた。おまえたちも見たはずだ」
「確かにな。だが実際に奴は生きている。死体を確認しなかったのは失敗だったな。
生きてたんだ。そして、おまえと同じように校舎が崩れる寸前に脱出した。
奴は何食わぬ顔して、オレたちを見ていたんだ!
オレ達が脱走するために奔走する様子も、周藤晶との戦いも!」
「オレとの戦いで負ったダメージも回復しながら……と、いうことかな?」
「そうだ!こっちが勝っているのは数だけだ。
いいか、距離をいったん取って、それから作戦を……」
川田がハッとした。バックミラーを見た瞬間、表情が凍りついたのだ。
「クソったれが。もう、おいでなすったぜ」
桐山と美恵も振り向いた。軍用ヘリコプターが上昇したのが、はるか彼方に見えた。
「奴だ」
「しっかりつかまってろ、スピードを上げるぞ!!」
川田はギアをハイトップにいれ、アクセルをさらに踏み込んだ。
トラックは軍仕様だけあって、グングンとスピードを増した。
80キロ、90キロ、100キロ……メーターは、それでも止まらない。
限界ギリギリ、いやそれ以上に上がろうとしている。
だが、どれだけスピードを上げようとヘリに勝てるわけがない。
ヘリが追いかけてきたのが見えた。こうなったら時間の問題だ。ぐんぐんと近付いてくる。
桐山は荷台の壁に掛けられていたマシンガンを手にした。防弾チョッキを美恵に渡す。
「これを被っていろ。絶対に顔をだすな」
「ええ」
それから、もう一着の防弾チョッキを荷台の窓に取り付けた。
マシンガンに弾をセット。ヘリが一気に下降してきた。
「来たぞ!」
桐山は、それだけ告げると、荷台の扉の陰からマシンガンを撃った。
ヘリの操縦席に高尾がいた。二人の冷たい視線がぶつかる。
激しい銃声が連続する。プロペラだ、あれを破壊すれば高尾はヘリと共にジ・エンドだ。
が、ヘリは桐山が銃を向けると同時に急上昇。一気に、トラックを飛び越え、その前方に。
「ちくしょぉー!!」
川田は急ブレーキを踏んだ。同時にハンドルを激しく切った。
高尾の冷たい瞳が射抜くように川田を見ていた。
「――勝つのはオレだ」
「オレは高尾晃司だからな」
【B組:残り3人】
【敵:残り1人】
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