「た、大変です!」
兵士がノックもせずにドアを開けた。
「無礼だろう!」
だが、これだけ礼を失したことをするからには理由があるはずだ。
「何があった?」
「じ、実は……先ほど周藤大尉が……」
「晶?あの馬鹿、ようやく片をつけたのか。民間人相手に手こずって、だがこれで全て終わりだ。
本部長、これで科学省の介入も無しですよ。良かったですね」

鬼龍院は周藤の勝利を何の疑いもなく信じていた。
しかし、それにしては兵士がやけに顔面蒼白である。


「なんだ、まだ何かあるのか?」
「……あの……その……」
はっきりしない。よほど言いにくいのだろうか。
「はっきり言え!」

「……周藤大尉が戦死しました」




キツネ狩り―185―




美恵と川田は正門の近くのベンチに腰をかけて地図を見ながら最後のチェックに余念がなかった。
「桐山があの転校生を倒せば自動的に連中がなだれ込んでくると考えたほうがいい。
今度は少数精鋭じゃないが、数は一人や二人じゃない」
美恵は無言のまま頷いた。
「時間との勝負だ。桐山は連戦で傷つき体力も消耗している。
だから、オレ達がフォローしてやらないといけない。わかるな?」
「うん、桐山くんには、これ以上迷惑かけられないもの」
普通の人間なら、とっくに倒れている。
桐山が天才とか常人離れしているからといって、これ以上は甘えられない。
もう十分すぎるほど、桐山一人に苦労をかけてしまったのだから。


「もう桐山くんには無理はさせられない……」
「オレも同じ気持ちだよ、お嬢さん」
川田は煙草を取り出しかけたが、ふと思い止まって煙草を箱ごと握りつぶした。
そして、それをポイッと惜しげもなく足元に捨てた。
「桐山がどんな超人だろうと年齢だけは中学生なんだ。
オレが一番しっかりしてやらなければいけないってのはわかってる。
わかっているのに何もしてやれなかった。これからは、その分、甘やかしてやろうと思っている。
あいつが今度ここに現れたときは、転校生との戦いは終わった後だ。
その後はあいつにはもう苦労はさせない」
川田の、その言葉はとても力強いものだった。
「ありがとう川田くん」
「礼なんていい。これでも最年長なんだ、年齢にあったことしてやらんとな」


その時だった――カツ……っと、物音がしたのは。
2人は、同時に振り返った。














ガタン!と大きな音がして椅子が倒れた。

「な、なんだと……?」

鬼龍院は信じられないという目で兵士を見た。それは本部長も同じだった。


「貴様、今なんて言った?」
「す、周藤大尉が殉職いたしました。先ほど……大尉の心拍停止が確認されたようです」


「ば、バカな……晶がやられただとぉ!!」


鬼龍院はカッとなって兵士の首根っこを掴んだ。

「あの馬鹿は殺されるようなたまじゃねえぞ、わかってるのか、この野郎!」
「わ、わかって……ますが……で、ですが……!」

本部長は頭を抱え俯いた。


「周藤までやられた……!たった一人に特撰兵士が立て続けに……。
こんなこと許されるわけがない……私のクビだけでは済まない……。
坂持は一体何をしていたんだ!こんな自体になるまで報告もしないとは!!」
「……坂持はすでに死んでいますよ」
鬼龍院の突然の報告に本部長は二重のショックを受けた。


「な、何だと……?」
「詳しい話は後でします。しかし、これは困った事になりましたな」
「困ったで済むか!君は言ったではないか、周藤晶は必ず勝つと!!
どういうことだ、君は私に嘘を言ったのか、それとも周藤晶の実力はそんなものか!」
「……言葉を慎んでください。あれは間違いなく私の最高傑作です。
陸軍始まって以来の天才だと今でも確信してます」
「ならばどうして民間の中学生に負けるんだ!」
「その件に関しては言い訳もできません。桐山和雄を軽視しすぎていました」














「大変です!!」
軍船の中でも一際豪華な船室に兵士が慌てて駆け込んできた。
「うるせえ!こっちは慣れない乗船にイラついてるんだ!!」
入室した途端に灰皿が飛んで来た。
和田は正直船が嫌いだった。小学生のころは船酔いに弱かったのだ。
克服したとはいえ、正直今もいい気分とは言えない。
「ひ!すみません……」
灰皿を投げつけられた兵士は、土砂降りの中の猫のように小さくなった。


「用件はなんだ?」
氷室隼人の静かな声が響き渡った。
「早く言え、用があるから来たんだろう。その様子では、ただ事じゃないはずだ」
「は……はい!」
兵士は自分の役目を思い出し、さっと直立不動して敬礼した。
「本部から緊急連絡が入りました。
「緊急連絡?」
やっと決着がついたのか?だが転校生側の勝利なら『緊急』連絡なはずがない。
氷室は、その連絡の内容を察して立ち上がった。


「誰がやれらた!?」


氷室の態度から、それは軍にとって喜ばしいものではないということを全員理解したらしい。
不穏な空気が漂い始めた。

「……は、はい」
「言え!」

兵士はゆっくりと口を開いた。


「……周藤大尉です」
「……晶が?」


氷室はさすがに驚いたようだった。しかし他の連中はもっと驚いていた。
(もっとも堀川だけは眉一つ動かしてなかった)




「あ、晶が……あの晶がやられた?」

嘘だろ?と蛯名は確認するように兵士に質問した。
「詳しい情報は入ってません。しかし、どうやら相手は例の生徒のようです」
「また桐山かよ!なんなんだ、あいつは!!」
ドンと机から大きな音がした。
「騒ぐな攻介。おい、貴様、もういいぞ、さがれ」
「……は、はい」
兵士が退室してからも不穏な空気は変わらなかった。
周藤晶は第五期の特別兵士の中でも特に傑出した存在だった。
その周藤までやられたのだ。面目丸つぶれどころではない。
特に氷室は周藤とは幼い頃から何かとライバル扱いされてきた。
それだけに複雑な気持ちだろう。氷室は、「少し外の空気を吸ってくる」とだけ言って出て行ってしまった。


「おい隼人」
止めようとした瀬名だったが、誰かが肩を掴んだ。
「やめておきなよ。晶と隼人の関係考えたら一人にしてやるのが一番だ。
特に彼は誰かと気持ちを分かち合いたいなんてタイプじゃないしね」
「……薫、おまえ、たまにはまともなこと言うんだな」
「心外だね。僕には隼人の気持ちが少しわかるんだよ。晶とは色々あったけどルームメイトだったしね。
正直、なんていったらいいのかわからないんだ。だから僕も少し席をはずさせてもらうよ」
そう言うと立花も退室してしまった。
「ちっ、何なんだよ、あいつら。まさか一人になって泣き喚きたいのか?」
和田はふんぞり返って、「正直、晶にはがっかりしたぜ」と悪態つきだした。
「おい、よせよ」
「オレなら負けなかったぜ。たく、情けねえ」














氷室は誰もないポートに立っていた。
軍船は民間の船と違ってスピードがある。
波しぶきがすごかった。しかし、その人工的な波はすぐに形を崩す。
まるで周藤の人生のようだな、と氷室は思った。


(……晶)


初めて出会ったのは、まだ二人が8歳か、そこらの時だったか。
その時から、すでに二人は普通とは違うという扱いを受けていた。
他の子供とは才能も器量も違った。だから自分と同じレベルの人間を同年代で発見する事もなかった。
そんな二人だから、お互いが初めて競い合うことができる相手との出会いでもあった。


(……晶、オレ達は、ずっと敵同士だったな。もっとも思い返してみれば、騒いでいたのは周囲だったが)


苦笑していた。憎み合っていたのは本人達ではない。


(オレ自身はおまえのことは嫌いじゃなかった。むしろ、好敵手として、おまえはオレには必要な存在だったよ)

その周藤が死んだ。決して仲良しなんて間柄ではなかったが、嬉しいという気持ちにはならなかった。
なぜなら氷室の青春は、間違いなく周藤との青春でもあったから。氷室の青春の一部は消えたのだ。


(おまえは、オレにはなかった自信があった。きっと最後まで、それは変わらなかっただろう)

氷室はもう一度だけ海を見詰めた。


「さよならだ晶……寂しくなるな」














「誰だ!?」
川田は振り向くと同時にライフル銃を構えたが、すぐにそれをおろした。
血まみれで服はボロボロ、疲れ果てているのが一見してわかる。
そして敵ではない待ち人だった。美恵が立ち上がり、走り出していた。


「桐山くん!!」


桐山だった。腕を押さえ正門に背を預け立っているのがやっとの状態。
それでも生きている。そう生きている。
勝ったのだ、桐山は最後の転校生に勝った。そして約束通り二人の元に帰って来たのだ。
「桐山くん!」
駆け寄ってきた美恵を桐山は抱きしめた。


「き、桐山くん?」
「……待たせたかな?」


桐山は、まるでもう二度と離さないといわんばかりに美恵を抱きしめた。
最初は驚いた美恵だったが、そっと両腕を桐山の背中にまわした。


「……うん、待った」
「……そうか、すまなかった」


川田は二人を見詰めていた。本当なら、もう少しこのままにさせてやりたい。
しかし、そうも言ってられなかった。


「おい、お二人さん」
川田の声に、美恵はハッとして我に返った。
同時に真っ赤に成り桐山から離れようとした。
もっとも、桐山がしっかり抱きしめていたせいで出来ない。
「ラブシーンは後にしてくれ。今は急がなくちゃいけないんだ」
「……そうか。残念だ」
桐山は、やっと美恵を離した。


「桐山、連中はすぐに上陸を開始するだろう。その時を狙って島中に仕掛けた爆弾を順次爆発させる。
奴等がそれに気をとられた隙にオレ達は水陸両用飛行機でおさらばだ」
「ああ、わかっている」
「ほら、これを使え。弾は全部撃ちつくしたんだろ?」
川田は桐山にライフルを投げた。桐山はすぐにライフルのトリガーに指をかける。
「おい、時間は無いが、今すぐってわけじゃない。その時がくるまで、おまえは休め。
トリガーなんかいじるな。今の疲れた体じゃ、ミスって引きかね――」


川田の警告が終わらないうちに、それは起きた。

銃声が鳴り響いたのだ。

川田も、美恵も、そして桐山も驚いたような表情。


だが、半ば呆然として、お互いの顔を見詰め合った――。














「……晶が死んだ」
立花薫は、士官用の個室にいた。周囲には誰もいない。
立花は、その場に崩れるように両手と膝をついた。
「……ぅ」
俯いている。何か言いたげだが声がでないようだ
「……ふ……くっ……」
ただ言葉にならないうめき声のようなものだけが静寂な空間に流れていた。
立花はただただ床に額がつくほど頭を下げ、その言葉にならない声を発していた。
精神が集中してないのか、近付いてきた人間がいることにも気づいてない。
その者が、ドアの隙間から立花の様子をちらっと一瞥して、去っていったことも。




「どうだった?」
戻ってきた瀬名に蛯名が尋ねた。
立花の様子が変だったので、ちょっと様子をさぐったらしい。
「信じられない光景みたぞ。あいつ、泣いてるみたいだ」
「……嘘だろ?」
「オレだって、おまえの立場なら嘘だと思うぜ。もしかして、オレ達はあいつの事誤解してたかもしれない。
オレ達が思っているほどあくどい奴じゃないかもな。晶とはルームメイトだったし案外悪い仲じゃなかったかもな」
「……信じられねえよ」
「でも泣いてたんだぜ」
「……見間違いじゃねえのか?」




「……ふ……うっ……く……」
立花はまだその状態のままだった。瀬名でなくても嗚咽してるように見えただろう。
「……ふ……ふふっ」
やがて、その嗚咽はやけにリズム感のあるものへと変わっていった。
「ふふふっ……ははっ……」
それは、すでに嗚咽ではなかった。


「ふふふふ、あーははははっ!!」

立花はガバッと顔を上げた。




「死んだー!晶が逝ったー!!」




それは狂気を宿した笑みだった。

「あーはははははっ!ざまーみろ、晶ぁぁー!!もう、これで僕に怖いものは無い!!」

総統の息子殺しという共犯者であり、自分の命を狙っていた周藤が死んだ。
それは立花にとって、佐伯徹の死以上に嬉しく、価値のあるものだった。


「どうした晶ぁぁー!悔しかったら、なんとかいってみろぉー!!
もう、おまえは死んだ、これで僕に逆らおう何て馬鹿なマネは二度とできないんだぁぁ!!
あーはははははっ!!本当に、本当にっ!!こんな最高なことは無いよっ!!
今日の僕の運勢は最高さ、天が僕に味方してくれたんだっ!!
桐山和雄に謝礼込みで感謝状を送りたいくらいだよ、ふふふ、あーはははっ!!」


立花はのた打ち回るように床の上で大笑いし続けた。
そして仰向けの体勢になると、おかしくてたまらないかのように腹を抱えなおも笑った。


「くくくっ、最後の最後に最高のプレゼントをありがとう晶!生まれて初めて君を褒めてあげるよ!!
戦死、ご苦労さん!香典は大盤振る舞いしてやるから安心して成仏しなよ!!
あーはははははっっ!!最高だよ、快感だよ、くーくくくっ!!」


立花の笑い声は、その後、三十分ほど続いた――。














「……周藤晶まで奴にやられた。特撰兵士が到着するのも時間の問題だ。
前代未聞だが、ついに科学省などが軍事に介入するのか……。これでは軍の対面が……」
うなだれる本部長に鬼龍院は静かに言った。
「まだあきらめるのは早いですよ本部長」
「……しかし、こうなっては科学省の言いなりになるしか」
「それはあくまでも『特撰兵士全員が任務に失敗した場合』であることです。
たとえ、奴が科学省所属だろうと、この作戦の間は我々の指揮下にあります」
「……そうだったな。我々にはまだ切り札がいる」














「……き、きり……やま……」

美恵と桐山の目の前で川田の体勢がぐらっと傾いた。

「そんな……!」

美恵は信じられないといった目で、その光景を見ていた。
スローモーションのように川田の肩から血が噴出していた。
川田はゆっくりと頭だけ後ろに振り返った。その間にも川田は倒れていった。


「か、川田く……ん!」

走りかけた美恵の腕を桐山が掴んだ。そして自分の背後に美恵を隠すように下がらせた。
ガチャっと、冷たい金属音だけがやけに大きく聞えた。


「――貴様」


身構えた桐山の視線の先に立っていたのはライフルを構えた少年だった。
桐山と同じ年齢の、そしてこの場に、いやこの世のいるはずのない人間だった。


「――なぜ、貴様が」


ほぼ同時刻、海上に浮ぶ戦艦の特別室の中で、プログラム本部長は呟くようにこう言った。




「我々にはまだ高尾晃司という切り札がいる」




【B組:残り3人】
【敵:残り1人】




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