車ごと、崖に突き落とすつもりか。
「馬鹿が、こんなもの!」
周藤はナイフをだした。自分と車を繋いでいるワイヤーを切る、それだけだ。
だが、桐山もそれを黙ってみているほどお人よしでは無い。
周藤の胸部にとび蹴りだ。周藤の体が大きく傾いた。
周藤は一瞬だが桐山の蹴りで動きを封じられた。
その一瞬の後、車が崖を転がり落ちた。
当然、ワイヤーで車とつながれている周藤も共に。
まだ炎が消えてない車と共に崖を転がり落ちるのだ。
形勢逆転だ、桐山がそう思ったのは、あまりにも短時間だった。
崖から落ち、桐山の視界から周藤が消えた、それと同時にしゅっと何かがのびてきた。
それが桐山の腕に絡みついた。チェーンだった。
「……っ!」
桐山の体が凄いパワーで引っ張られ、そして崖に向かって落下した。
キツネ狩り―184―
「……桐山くん?」
「どうした?」
「……今、桐山くんの声がしたような気がしたの」
「心配しすぎだ、大丈夫だよ、お嬢さん」
「……そうね」
美恵は、川田が運転する車の助手席から心配そうに外を眺めた。
桐山が車で走り去ったという方向を見ていた。
あの山の端の向こう側は確か灯台がある岬だ。
「今、オレ達に出来ることは桐山を信じてやることだけだ」
「……そうね」
「さあ、まだオレ達の戦いは終わってないぞ。
桐山が奴を倒してから、やっと逃げるための戦いが始まるんだ」
「うん、わかってる」
二人を乗せた車は、学校の正門を通り抜けた。
桐山は空中に体を投げ出されながら前方を見た。
周藤の手に握られた銃が自分を見詰めている。
桐山の体が崖に露出している岩の一部に当たってバウンドした。
いや、バウンドしたのではない。岩を蹴ったのだ。
銃口をよける為の方向転換、そして掴んだ小石を投げていた。
周藤の手を狙った。車は凄い勢いで転がり落ちている。
その車につながれた状態の周藤はバランスを保っているのが精一杯の状態だ。
体勢的にはこちらが有利。だから発砲される前に、周藤から銃を切り離す!
小石は真っ直ぐに周藤の手に向かって飛んでいる。
狙いは確実。当たれば銃は放り出される。
が、周藤の反応も素早かった。周藤は銃を振り上げた。
そして、小石を銃で叩き落した。桐山の眉が歪んだ。
周藤がチェーンをグイッと引っ張った。桐山の体が車体に衝突する。
周藤は、同時にナイフを取り出し、自分の動きを封じているワイヤーを切った。
しかし、車は相変わらず崖を転がり落ち、その崖はさらに角度を増していた。
炎に包まれ、尚且つ猛スピードで崖を転がり落ちる車。
それが二人の戦いの最後の舞台。炎が二人の服に燃え移ってきた。
「チッ!」
周藤は舌打ちすると、炎にまかれた袖の部分を力任せに引きちぎり叩きつけた。
桐山も同じだ。だが、こんなことは応急処置にもならない。
またすぐに炎にまかれる。
かといって、車から飛び降りても崖に生身の体で衝突までだ。
動いたのは桐山だった。車が大きく360度回転した、その時を狙って動いた。
周藤の手首を掴んだ。銃だ、銃を奪うつもりだった。
だが周藤は桐山の足元を払った。桐山のバランスが崩れ、同時に車がまた回転した。
バン!と大きな音が二人の耳に聞えた。
ドアが開き、そのドアが崖に叩きつけられた衝撃に耐え切れず車から切り離された。
そして凶器となって二人に向かって飛んで来た。
周藤は、桐山の襟を掴むと、飛んで来たドアに向かって投げつけた。
桐山がドアと衝突しようとする。その瞬間、車が大きく露出していた岩にぶつかり激しくバウンドした。
当然、二人の体を大きく空中に投げ出された。
ドアが桐山の真下を通過してゆく。際どかった。このスピードで鉄と衝突するところだった。
もちろん、終わったわけではない。周藤が再びチェーンをぐいっと引っ張った。
当然、桐山の身体は引っ張られる。
周藤は、桐山を繋いだチェーンを大きく振り回し、そして投げた。
もちろん、チェーンは離した。桐山が、周藤や車から離れてゆく。
周藤と桐山との距離が離れ、同時に桐山と崖の岩肌との距離が縮まる。
このままでは、岩に激突は避けられない。
桐山はクルッと回転した。回転したことで僅かだが、落下地点が変わる。
その変わった落下地点、それは先ほど自分の真下を通過して飛んでいった車の一部。
窓ガラスは粉砕し、もはやスクラップと化した車のドアだった。
それは桐山よりコンマ数秒早く、岩肌と激突。跳ね返ったそれの上に桐山は着地した。
そして、間髪いれずに、それを踏み台にして飛んだ。
桐山が再び周藤の元に落ちてきている。今度は落下ではなく、自らの意思でだ。
どうあっても、今、決着をつける気でいるらしい。
全ての封印を解いた周藤にはパワーでは勝てない。まして周藤は銃を二つ手にしている。
ならば、身体能力で勝つしかないと思ったのだろう。
崖から転がり落ちている、この状態では銃に頼るわけにもいかない。
崖下に落ちるまでの十数秒、その短時間でケリをつける!
だが、それは周藤も同じ思いだった。銃口を桐山に向けた。
しかし、360度に近い回転を続ける車体の上では狙いは定まらない。
それでも周藤は撃った。弾は桐山をかすめて飛んでゆく。
バンバン!当たったのは岩肌だ。しかし、ただ当てただけではない。
周藤は桐山を狙った。桐山に当たればベストだった。
しかし、桐山は空中で回転しながら落ちてきた。
落下物というものは最も当てにくい、まして回転まで加わっては。
だから周藤は保険をかけた。桐山の真後ろの岩肌。
そこには、ところどころ土砂がたまっていた。
ここ数日、続いた雨で崩れやすくなっていた、それが一気に流れ出した。
周藤は飛んだ。あっと言う間に車を飲み込む。
車は先端部分だけを残して後は土砂に埋没した。
周藤は、その先端部分に着地。桐山は……例のドアの上に着地していた。
「しつこい奴だ!」
周藤が両手に銃を持って構えた。土砂は流れ続けているが今度は外さない。
周藤が狙いを定めた瞬間、流れていた土砂のスピードが一気に増した。
崖の角度がさらに急になっていたのだ。今度は90度近いものに。
当然、土砂に生まれながら流れていた車も真っ逆さまに落下。
桐山はそれを見逃さなかった。ドアを蹴って飛んでいた。
周藤の手に桐山の蹴りが入り、銃が放り投げだされる。
二人の身体は空中で放り投げだされた。落下しながらも、周藤はもう一丁の銃を桐山に向けた。
二人の間に、同じように落下していた車が割り込む。
だが、ドアの割れた窓ガラスが周藤の視界にくっきり映った。
このポイントならいける。桐山の急所に当たる!
周藤は発砲した。ガタン!と大きな音がして、弾が被弾する音がした。
しかし周藤の顔に笑みは浮ばなかった。
長年の経験でわかる。あれは生身の人間に被弾した音では無い。
金属に被弾した音だ。空中で車のドアがガタンと開いた。
それが弾に当たり、周藤から桐山を守った。桐山は手を伸ばした。
周藤はハッとした。はじかれた銃が落ちている。桐山の手の中に向かって。
「させるか!」
周藤が再度発砲した。しかし桐山の姿が消えていた。
いや、違う。桐山は岩肌から生えていた木につかまっていた。
そのため、桐山の落下が止まり、周藤の視界から一瞬消えたように見えたのだ。
落下してゆく周藤は見た。桐山が木につかまり、そして銃口を自分に向けるのを。
周藤は自分の眼前を落下している車を蹴った。
周藤のほんの十センチほど前の距離を弾が雷のように地面に向かって落ちたのが見えた。
際どかった。ほんとうにコンマ1秒以下の間一髪。
周藤と車は、ほぼ同時に地面に落ちた。
車は激突によって、部品をばらまきながら完全なるスプラッターとかした。
周藤は着地すると同時に銃口を上に向けた。
自分より、一足遅く飛び降りた桐山に対して。
二人の視線がぶつかった。桐山は落下しながら、周藤は着地したまま。
スプラッターと化した車の窓ガラスの破片がスローモーションのように周藤の視界に飛び散るのが見えた。
二人はお互い銃口を向け合い、そして同時に――トリガーにかけた指に力を込めた。
その時、黒雲の合間から、さっと光が差し込んだ。
「――!」
飛び散った窓ガラスの破片が煌いた。
周藤は僅かに瞼を歪ませたが、だがトリガーにかけた指の力は抜かなかった。
二人は、同時に――発砲した。
森の中に、二発の銃声が完全に重なった形でこだました――。
「川田くん!」
「……聞えたか、あの音、確かに銃声だ」
今まで何も聞えなかった。それなのに聞えたのだ。
本当に、微かだが、間違いなく銃声だった。
「どうして……今まで銃声なんて聞えなかったのに」
「音量が倍になったんだ」
「どういうこと?」
「コンマ一秒の狂いもなく全く同時に発砲したんだ」
桐山が着地した。着地した途端にガクッとバランスが崩れた。
そして、苦しそうに「ぐ……っ」と腹部を押さえた。
わき腹を弾がかすめたのだ。桐山がガクッと崩れ落ち、地面に膝が接触する。
周藤は、そんな桐山を上の目線から見下ろしていた。
ただ、静かにジッと桐山を見ていた。血が地面に落ちている。
桐山はわき腹を押さえながら周藤を見上げた。また血が落ちた。
しかし、それは桐山の血ではなかった。
「……ぐっ」
周藤の脚がガクッと折れるように崩れた。血が噴出した。周藤の胸の中央からだ。
周藤は、よろめきながら後ろに下がった。そして森の中に入っていった。
(……これまでか)
ケホッと血の混ざった咳が出た。肺をやられたようだ。
被弾した部分からは鮮血が流れ続けた。止血する必要もない。
今まで生と死の狭間で生きてきた。人間の死はよくわかる。
まして自分の体だ、どういう状態なのかは考えなくてもわかる。
もう時間の問題だった。医師の手当てなど必要もないほどに。
(もって数十分……いや十数分か)
周藤は自分でも不思議なくらい冷静だった。
いや、自分はずっと前から冷静ではなく冷淡だった。
覚悟していた。いつか、こういう日がきてもおかしくないと。
全てを捨てて、この血塗られた道を選択したのだ。
命が終わる事に恐怖は無い、悔いもなかった。
ただ、自分が今まで賭けてきたことの全てが終わることだけが悔しかった。
(……いや)
周藤は上着の内ポケットに手を伸ばした。
(大事なのはオレの命でも人生でもない。オレがやろうとしたことだ……)
終わらせてたまるか。周藤は携帯のボタンを押した。
耳に当てると数回の呼び出し音の後で、慣れ親しんだ声が聞えた。
『兄貴?本当に兄貴なのか?』
輪也だった。驚いているようだ無理もない。
周藤が任務も終了しないうちに戦地から電話をかけてくるなど初めてだったから。
「……輪也」
『兄貴、そっちはどうなっている?兄貴のことだから楽勝だろうと思うけどさ』
「よく聞け輪也……」
声を出すだけで苦しい。刺すような痛みを感じた。
その痛みすら先ほどよりは薄れだしている。『死』が確実に近付いている証拠だった。
痛みを感じるのは生きている証し。もう肉体はすでに死にだしている。
「おまえは感情的になりやすい……これからは必ず三年後を考えて行動しろ」
『兄貴?』
電話の向こうの輪也はあきらかに途惑っているようだった。
「おまえは真っ直ぐな人間だが、世の中にはそうじゃない奴の方が多い……。
どんなに親切で好意的な態度をとる人間でも……必ず疑ってかか……れ。
だが……猜疑心だけでも失敗する。要は……人を見る目を養うことだ、いいな?」
『兄貴、どうしたんだよ?』
「周囲の人間には厳しくしろ……だが必要以上に締め付けると恨みも買う。
せいぜい飴と鞭の使い方に上手くなれ……諫言には腹を立てず、素直に受け入れろ……。
上官になる人間には特に注意しろ……他の部署に配属になるかもしれない。
その時は、陸軍のしがらみだけに囚われるな……常に自分の立場を賢明に考えろ……。
上官に媚びを売ることも時として必要だが、油断すると使われるだけで終わる……。
その場の状況に応じて、その上の上官に……気に入られろ……。
いいか、どんな事になっても……立花薫にだけは近づく……な。
もしもおまえが、オレと敵対している人間の下に……つかなければならなくな……ったら」
『兄貴、おい、変だぞ』
「……その時は……隼人の下に、つけ」
それは衝撃的な言葉だった。ライバルである氷室隼人につけとは。
『兄貴、さっきから何を言ってるんだ!?』
「遺言……だ」
輪也から返事はなかった。呆気に取られた姿が容易に目に浮ぶ。
「……いいな。オレが言ったことを肝に銘じろ。そして行動しろ。
おまえは……オレの代わりに……。いや、オレ以上の男になれ……そして……」
『あ、兄貴……』
輪也の声が弱弱しくなっていた。そして次の瞬間、それは怒鳴り声に変わった。
『何を言ってるんだ!何、言ってるんだよ!』
「……軍法の単位は……かならず取れ。習得科目以外のものも……。
どんな知識でも……多いほうがいい。必ず……役に立つときがくる……」
『何言ってるんだ!なあ、どうしたっていうんだよ兄貴!』
「オレの葬式は必要ない。涙も絶対に見せるな、その代わりに……」
『兄貴、兄貴!そんなことは聞きたくない、なあ、どうしたっていうんだよ!』
「おまえが総統になれ」
『……!』
それだけの為に全てを犠牲にして生きてきた。
自分の命が終わるからと言って、人生の目標を終わらせたくはなかった。
命さえも終わろうとしている周藤に最後に残されたのは意地、そしてプライドだった。
皮肉な事に、この道を選択した時に、捨てたはずのその二つが、最後に残された周藤の全てだった。
「…………おまえに言う事はそれだけだ」
『待ってくれ兄貴!』
周藤が携帯を切ろうとしているのを輪也は直感で悟った。
「……何だ?」
『最後に……最後に……一つだけ……』
「……何だ?早く言え」
あまり聞えない……思ったより時間がないな。
周藤は目を瞑った。ただ、聴覚に神経を集中させる為に。
『兄貴は……後悔はしてないのか?』
「何の後悔……だ?」
『兄貴の生き方だ……軍人になったことも……親父を殺したことも……』
「……そんなことか」
周藤は笑みを浮かべた。よく浮かべていた独特の不敵な笑みだ。
「……言うまでもないだろう」
『……そうだな』
輪也が電話の向こうで目をこすっているのがわかる。
全く……泣くなと言ったばかりなのに、な。
「話はそれだけだ」
『待ってくれ兄貴、もう少し!』
「まだ終わってない」
それだけ言うと、周藤は携帯を切って背後に投げた。
「そこにいるんだろう、桐山和雄?」
木の陰から桐山が姿を現した。例え虫の息の相手だろうと、最後の最後まで油断はしない。
それは、桐山の右手に握られている銃が如実に示していた。
銃口が真っ直ぐに周藤を見詰めている。その目的も聞くまでもない。
「……オレに止めを刺すんだな」
周藤はゆっくりと立ち上がった。
木の幹に背中を預けながらだ。情け無いが、立つのもやっとの状態だった。
それでも虚勢をはった。敵の前で見苦しい自分をさらけだすのだけはごめんだ。
相手がだれだろうと、たとえ味方だろうと、肉親だろうと、それは同じだった。
周藤はゆっくりと木から離れた。ふらっと、数歩歩いた。崖の上に――。
崖の下の灯台に掲げられた大東亜共和国の国旗が風に揺れている。
「……おまえの勝ちだ桐山和雄」
その言葉が終わらないうちに、周藤はまた血を吐いた。
周藤の胸元はおろか、脚まで鮮血で染まっていた。限界はもうそこまで来ていた。
「おまえの勝ちだ。だが……」
周藤はキッと桐山を睨みつけた。
「オレの命はオレだけのものだ。オレはオレの目的のためだけに、この命を使ってきた。
最後まで、それは変わらない。オレ以外の人間にこの命をくれてやるわけには行かない」
周藤の血まみれの腕が上がった。血に染まった銃が鈍く光っている。
それを見た桐山の眉がかすかに歪んだ。
トリガーにかかった指を桐山が動かそうとしたときだった。
周藤が手にした銃、その銃口が突きつけられたのは――。
桐山和雄、そのひとではなかった――。
銃口が狙いを定めた位置、それは――。
周藤晶の左胸――心臓だった。
「オレの最後にケリをつけるのは――オレ自身だ」
桐山の目の前で銃が炎を噴いた。
硝煙の中に、血しぶきが飛び散るのが見えた。
そして、周藤の体が、そのまま崖から落ちてゆくのも――。
――辛いぞ、オレたちみたいな使い捨ての道具が上を目指すのは。
その上を目指した結果がこれだ――周藤は落下しながらニッと笑った。
――兄貴は後悔はしてないのか?
ガタン……と、落下中に何かに当たった。
それは、灯台に掲げられていた国旗のポールだったが、周藤にはもうわからなかった。
そして、周藤の身体が当たった衝撃でポールが折れ、国旗が周藤に巻きつくように共に落下した――。
周藤は静かに瞼を閉じながら、心の中で思った。
『オレはこういう生き方しか出来ない男だ』――。
――後悔はしてないのか?
瞼を閉じた周藤の目に、今まで倒してきた数多くの人間が見えた。
その中には、鮮血の中に倒れている父の姿も合った――。
オレは、ただの一度も……。
周藤の肉体が地面と衝突した。
この国の最高位を目指した、その男の死に装束。
それは大東亜共和国の国旗だった。
オレは、ただの一度も後悔したことはない――。
【B組:残り3人】
【敵:残り1人】
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