(視界が……!)
煙が視界を遮った。当然、桐山の姿も見えない。
周藤は、一瞬僅かに躊躇した。いや、しそうになった。
だが、すぐに神経を高め、指に力を入れた。
視覚を遮られようと、この銃口の先に桐山がいることは間違いない。
まして、桐山は薬で体の自由を奪われ、おそらくたっているのがやっとの状態。
(オレは、ただトリガーをひけばいいだけの話だ)
周藤がトリガーを引いた。その時、周藤は川田が桐山めがけて走ったのを見た。
そして桐山に飛びつくと、そのまま川に落ちていった。
銃弾は川田のこめかみをかすめている。血しぶきがとんでいる。
無傷ではなかったが、桐山への致命傷でもない。
周藤は、「しまった」と思わず小さく叫び、すぐに後を追うべくレールを飛び越えた――。
キツネ狩り―179―
「これで完了……後は一箇所だけね」
美恵は地図を片手に大きく息を吐いた。
「……桐山くんと川田くんは大丈夫かしら?」
いくら逃げる手段が見付かったとはいえ、二人は一緒でないと意味は無い。
美恵は今だ火がくすぶっている建物を見た。
距離にして50メートルほど先にある。
「……転校生との戦いで燃えたのね……あんな大きな建物まで」
それは杉村と貴子が最後を遂げた、例のスーパーだった。
美恵は七原から二人の死亡場所まで聞いてはいなかったので、あの中に二人の遺体があるとは思ってもなかった。
でも、クラスメイトの誰かが、あそこを死に場所とした可能性には勿論気づいていた。
みんな、みんな、死んでしまった。
今、生き残っているのは、自分と桐山と川田だけ。
もしも桐山と川田が死んだら……その考えを美恵はすぐに打ち消した。
(何て馬鹿なこと考えるの?あの二人が負けるわけないわ。あの転校生を倒せば、もう敵はいない。
死んでいったみんなのためにも私達は生き残らないと)
その時だった――背後でカサッと音がしたのは。
美恵は全身が凍りついた。咄嗟に頭に浮んだのは転校生・周藤晶。
(周藤しか生き残っていないから、奴しかいないはず)
周藤が今背後にいるということは、桐山と川田が敗北したということ。
そして、敗北=死亡ということ。美恵は衝撃で叫びそうになるのを押さえながら振り向いた。
丸められた紙屑が風によってカサカサ音をたてながら転がっていた。
「……違った」
ホッとした瞬間、その場にうずくまるように座り込んだ。
(……なんて事)
あんなゴミを転校生だと錯覚するなんて、それは精神的な問題だ。
疲労が原因では無い。恐怖が限界まで来ている。
それが、些細なことまで転校生を連想させるのだろう。
(しっかりしないと……こんなことでどうするの?
桐山くん達は命懸けで戦っているのよ。それなのに、この様は何?)
美恵は心の中で自分をしかりつけた。叱りつけたが、手足の震えが止まらない。
(貴子や光子なら、こんなことはない。なんて弱い女だったの、私は)
自分を愛しているといってくれた桐山。
でも、自分は桐山に愛される価値なんて無い。
こんな弱い女なのだ。今、生きているべき女は貴子や光子のほうだ。自分ではない。
貴子や光子、いや死んでいった全てのクラスメイトに申し訳なかった。
よりにもよって、こんな自分が桐山に守られ、今も生きていることに。
「ごめんなさい貴子……光子……月岡くん」
私より、ずっと、生き残るにふさわしい人間はいたのに。
それなのに、桐山くんに、ただ守られているだけの私が息をしている。
「私にはそんな資格ないのに」
――バカね、そんなこと考えてるのは、あんたくらいよ。
「……!」
俯いていた美恵はぱっと顔を上げた。幻聴かもしれないほどのかすかな声。
いや、幻聴ではない。確かに聞いたのだ。
あれは、慣れ親しんだ大好きな声だった。
辺りを見渡した。でも、もちろん人っ子一人いない。美恵はぐっと涙を堪えると立ち上がった。
(……今は泣いているときじゃないわ。泣くのは、全てが終わったときにやればいい)
あの声が勇気をくれた。美恵は力強く歩き出した。
(ごめんなさい。心配かけて。もう泣き言は言わないわ)
美恵はもう一度だけ振り向いた。
「ありがとう」
そっと呟きながら。
――本当に世話やけるわね。でも、そんなあんただからこそほかっておけないのよ。
――きっと、あいつだって同じだと思うわ。気づきなさいよバカ
「川田……っ!」
「息を止めろ!」
川田は桐山を抱きかかえながら川に真っ逆さま。
ドボンと大きな音がして、二人の身体は水中に没した。
しかし、元来浮くようにできているのが人間の体だ。
すぐに二人は水面に顔を出した。ぐずぐずしている暇は無い!
「急げ!」
川田は、桐山の腕を自分の肩に回す。
一秒もおしい。川田は川に注がれている下水を目にした。
下水道の出口が二人を見詰めている。
「こっちだ、行くぞ!」
川田は、その狭い地下通路に桐山ごと飛び込んだ。
ヘリの操縦士が敬礼していた。
「戦艦までは自分が操縦を勤めさせていただきます!」
その挨拶が終わらないうちに6人はヘリに乗り込んだ。
同時にプロペラがゆっくりと回転をはじめ、徐々にそのスピードを上げていく。
周囲の木の葉が物凄い勢いで舞い上がった。そして、最後にヘリがフワッと空高くあがる。
ヘリは重心をやや前におき、猛スピードで移動を始めた。
「現在生き残っている生徒は三人……か。
天瀬美恵さんか。勿体無いな、僕は美しい女性は殺さない主義なんだ」
立花薫は、美恵の写真を見詰めながら、「ふふん」と半ば陶酔している。
だが、そのキザっぷりは強がりでもあった。心中、穏やかではない。
(他に生き残っているのは桐山和雄と川田章吾だけ!?
ふざけるんじゃないよ。なぜ、もっと人数が揃っているうちに晶に総攻撃かけなかった!?
これだから戦いの、た、の字も知らない素人は嫌いなんだ。
クソ!どうすればいい?どうやって、あいつを地獄に送ってやればいい?
桐山と川田はSクラス(訓練無しで即戦場にて活躍できるレベルと判断された)だ。
だが所詮は素人。プロの晶に勝てるとは思えない)
立花は真剣に資料を睨みつけていた。
その様子に、他の連中は、「珍しく薫が真面目にお仕事しようとしてる」と妙な勘違いをしている。
「とにかく、晶が三人を倒せば問題は無い。問題は生徒側が勝利した場合だ」
氷室が低い口調で言葉をつむいだ。
「もしもの時は、川田省吾と天瀬美恵はすぐに片付けなくてはいけない。
女を、それも何の罪もない民間人をやるのは、いい気分はしないな」
それは氷室の正直な気持ちだったし、女を殺すのは他の連中にとっては嫌なものだった。
「くだらねえ情だしてるんじぇねえよ。女やるくらいなんだってんだ。
てめえらにやれないならオレがやってやるよ」
和田勇二だけは、女だろうと関係ないと主張した。
「データが欲しいな」
堀川は、操縦士に指示を出した。
「委員会に連絡を入れろ。桐山の戦いをおさめた映像をすぐに見られるようにしておけと」
「下水道にはいったか」
足音が遠くなっていく。桐山を抱きかかえながら必死に走ってるのがわかる。
「オレから逃げられると思っているのか?」
勿論、周藤は追う。100メートル13秒の川田が桐山を抱えて逃げているのだ。
周藤が追いつくのは時間の問題。
地下であるため暗いのと、足音の反響で逃げた方向が特定しにくいことを考慮しても利は周藤にあった。
注意しなければならないのは発砲されることだけだが、それも大した問題ではない。
カツカツ……足音がこだまする。
「……あっちか」
足音ではなく、周藤は別のものに神経を集中させていた。
それは気配だ。気配は下水道の壁に反響することなどない。
周藤の足音が近付いてくる。川田は焦った。
鉄梯子が見える。地上にでるんだ。
川田は桐山を抱きかかえたまま梯子を上った。
マンホールの蓋を押し上げようとするが、なかなか上がらない。
「……く!」
無理やり押し上げた。川田はパワーだけなら桐山と同等、いやそれ以上かもしれない。
そのヘビー級チャンピオンを連想させる筋肉質な肉体は決して見せかけだけではないと証明したのだ。
そして地上にでると、すぐに蓋をした。さらに近くにあった車に目をつける。
ドアを開けようとしたが鍵がかかっていた。川田は右拳にタオルを巻きつけると、ガラスを粉砕。
サイドブレーキを解除した。そして車をマンホールの上に来るように押す。
タイヤがちょうど蓋の真上に来たところで、今度はサイドブレーキを上げた。
「よし、これで時間稼ぎができる」
今のうちとばかりに川田は桐山の腕を取ると急いで歩き出した。
遠くだ、なるべく遠く。桐山が再び身体の自由を手にする事ができる時間。
その時間を確保できるだけの距離が必要だ。
「大丈夫か桐山?」
桐山は何も言わなかった。かといって肉体的苦痛も訴えない。
「いいか、身を隠すぞ。どこでもいい、なるべく見付かりにくい場所だ。
そこで、おまえの痺れがなくなるのを待つ。反撃はその後だ」
「…………」
「それから武器もいるな。こんな銃一丁では心もとない。
おい、聞いているのか桐山?」
「…………」
「全く、無口な若さまだ。少しは懐いてくれ」
二人が角を曲がると行き止まりだった。
「……仕方ないな。よし公園を横切ろう。その方が、ここから早く抜け出せる。
奴が別ルートの出口を見つける前に早くずらかるんだ。
あのマンホールを塞いでいる以上、簡単にオレ達には追いつけはしない。
だが、念には念を入れて……」
川田がそこまで言ったときだった。
「川田」
今まで黙っていた桐山が突然口を開いた。
「何だ、おまえ、やっとオレとまともに会話する気になったのか?」
「すぐに隠れろ。今すぐだ」
「何だと?」
「さっさとしろ。後、三秒だぞ、1、2、……」
――爆発が起きた。
「うわぁ!!」
物凄い爆音だった。ぶわっと熱風が二人を直撃する。
川田は桐山ごと地面に突っ伏した。そして同時にばっと振り向いた。
車が大きく飛び上がっている。マンホールの蓋も一緒にだ。
そして、ジャンプした車は落下。車体を粉々にしながらバウンドした。
川田は見た。地下から火柱が瞬間的に上がったのを。
一体、何をしたんだ?!と、川田は一瞬、頭の中が真っ白になった。
なったが、すぐに冷静になった。相手はほんの若造に見えて、その実、戦争のプロだ。
年齢なんかで判断できない。してはいけないのだ。
「くそっ!来るんだ桐山!!」
川田は桐山を連れて全力で走った。あの転校生はすぐに地上にでてくる。
それこそ、地底の悪魔が這いずり出てくるように。
その前に逃げなければ。が、遅かった。
火柱が消えた、その直後に影が飛び出してきたのだ。
川田は心臓が高鳴るのを抑えながら、桐山の肩を掴み公園の茂みの中に飛び込んだ。
息が荒い。ダメだ、呼吸の音すらたててはいけない。
川田は手で己の口を塞いだ。茂みの中からジッと周藤を見た。
呼吸すらじっと抑えているのに、ドクンドクンと心臓の音がやけにうるさい。
周藤に聞えてしまうのではないかと思えるくらいだ。
(……銃)
川田は銃を持っている手を周藤に向けようとした。
だが、かさっと、それこそほんのかすかな音がしたのだ。
それは茂みの中にいる桐山と川田がやっと聞き取れるほどの音だった。
それでも川田にはやけに大きくみえた。
(……ち、しまった)
川田の額から油汗が流れ出した。まずいことになっていたのだ。
慌てて茂みの中に飛び込んだことがマイナスになってしまった。
銃を持っている手、その袖口に茂みの枝がひっかかっている。
これ以上動かしたら、間違いなく周藤に聞こえる音を発生させてしまうだろう。
周藤に気づかれること覚悟で腕を動かしても、枝が邪魔して、やっと銃口向けたときは、こっちが撃たれた後だ。
(どうする?どうしたらいい?)
幸か不幸か、今、自分達と周藤の間にはかなりの距離がある。
だから多少の物音をたてても気づかれないし、茂みが二人の姿を隠してくれてもいる。
(このまま隠れて奴が消えるのを待つか?いや、そんな甘い奴じゃない。
きっとオレたちを探す。賭けてもいい)
川田はチラッと銃を見た。
(せめて……せめて、奴が背中をみせてくれれば)
そうすれば、一気に銃口を上げてやる。
枝で手首が傷つくだろうが、そんなことおかまいなしに。
周藤が振り向く時間を考慮すれば、こっちのほうが早く発砲できる。
(だが、これはあくまでもオレの想像、いや希望だ。
奴はプロだ。たとえ背中を見せているというハンデ除いても、奴の方が早かったらどうする?
こっちが腕上げた時には、奴はもう発砲してるかもしれないんだぞ)
川田は心の中で何度もシミュレーションした。
だが、それのどれもが悲惨な結果だった。
どうしても周藤が心臓撃ち抜かれて死ぬビジョンが浮ばないのだ。
そうしているうちに、周藤がこちらを向いた。
川田はハッとして地面にしがみつくように、さらに体勢をひくくした。
しかも、桐山の頭の上に手をおいて押さえつけた。
(あ、あの野郎……こっちを見てやがる……!)
川田は手の中が汗だくになるのを感じた。
(まさか気づかれた?いや、落ち着け、落ち着くんだ!)
川田はぐっと拳を握り締めた。
この茂みは葉が生い茂っている。近付かない限り、外側からは自分達の姿は見えない。
物音だって、あれから全く立ててない。だから、気づかれているわけがない。
川田は必死になってそう信じようとした。
ところが、川田の切なる願いを踏みにじるかのように、周藤がこちらに向けて歩き出してきた。
(あ、あの若造……!)
周藤は何の迷いもなく、まっすぐこちらに向かってきた。
少しずつだが、距離が縮まってゆく。
距離が縮まるたびに、川田の心臓の音も早く大きくなってゆく。
周藤がぴたっと止まった。
そして、茂みに向かって手を伸ばした。
周藤の腕が茂みの中に突っ込み、そして何かを掴んだ。
周藤は間髪いれず、掴んだものを引きずり出した――。
「ここで最後ね。さっさと終わらせないと」
美恵はすぐに爆弾の設置にとりかかった。
二人はきっと勝つ。だから、その時の為にベストを尽くさないと。
「早く済ませて学校に戻らないと」
正直、あんな死体だらけの場所には戻りたくない。
でも、あそこにしか脱出用の乗り物がないのだからしょうがない。
「……!」
美恵は何かの気配を感じて硬直した。
(何かいる……!)
ゆっくりと振り向いた。
「……何もない」
あるのは店のショーウインドーに飾られているマネキンだけだった。
「……気のせいか」
こんなマネキンに……本当に馬鹿みたい。
「……早く済ませて学校に行かないと」
美恵は再び、爆弾の設置にとりかかった。
「ニャア!!」
周藤は首根っこつかまれ宙で手足をばたつかせている猫を睨むように見ていた。
「……違ったか」
放り投げると猫は綺麗に着地して、そのまま逃げて行った。
そんな周藤を遠くから見ていた川田は気がきでは無い。
危険を回避したわけではない。周藤は着実にこちらとの距離を縮めているのだ。
このままでは時間の問題。
「川田」
ここにきて、桐山が口をひらいた。
「おい、声は出すな。聞えたらどうする?」
勿論、桐山も、そして川田も、お互いにしか聞こえないような音量で話している。
それでも川田は不安なのだ。当然だろう。
「気配を消せ」
「何だと?」
川田はきょとんとした目で桐山を見た。
「奴はあてずっぽうにオレたちを探してない。気配を感じ取っているんだ。
だから猫の気配も察知した。だが、このままでは今度はこっちの気配に気づく。
気配を消さなければ、物音を消そうと、姿を完全に隠そうと無駄だ。
だから、さっさと気配を消せ。奴が気配を読み取れる距離に到達するまえに」
「……おい」
「どうした?早くしろ」
「そんな器用なことできるわけないだろう?」
「なぜだ。オレはもうとっくに消してるぞ」
「……おまえさんと一緒にしてくれるな。オレはできないんだよ」
「そうかならば……」
桐山は腕を上げた。
「桐山何を……っ」
川田の後ろ首筋に桐山の手刀が炸裂した。と、同時に川田は意識を手離した。
「消せないのなら、消させてもらった。しばらく寝てろ」
【B組:残り3人】
【敵:残り2人】
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