「さっさと殺せ。この、くそったれ」
川田の目が命惜しさに屈したりはしないと語っていた。
「そうか、よくわかった。自分で探すさ」
痺れ薬の効果は個人差こそあれ10分前後。
全身麻酔のように完全に自由を奪う事は出来ないが、かといって満足に出来ることも勿論出来ない。
つまり、ナマケモノのようにゆっくりとだが、逃げる事なら出来る。
それは困る。距離を取られ、その間に回復されては。

「桐山に時間をくれてやるわけにはいかない。だから――」

周藤の目が一気に冷たくなった。


「――とりあえず死ねよ」




キツネ狩り―178―




「本部長!!」
「なんだ、騒々しい」
一等兵が書類を手に部屋に駆け込むと、敬礼するなり本題にはいった。
「先ほど通信が入り、第五期第一種特別選抜兵士をこちらに向かわせたとのことです」
「な、なんだと!?そんな話は聞いてないぞ!!」
本部長も驚いていたが、鬼龍院はもっと驚いていた。


(どういうことだ?確かに三人もの特撰兵士を桐山一人に殺され軍は面目を失った。
しかし、まだ最終決着がついたわけでもないのに、残りの特撰兵士を出すなんて。
まさか坂持殉職がばれたのか?いや、そんなはずはない。ばれるとしたら次の状況報告時の時だけだ)


本部長は青ざめていた。ガタガタ震えている。
特撰兵士が来るという事は、上は表沙汰に出来ない事をしようとしている。
そうならざるえない状況を作ったということで、自分の責任問題になる、と思ったのだろう。
無理もない。特撰兵士圧勝との大方の予想を覆した、この状況。
政府が金と手間暇かけて育て上げた優秀な士官が戦死。
上としては、これ以上の醜態は避けたいはず。
ルールも糞もなく第五期生全員投入してでも、残りの生徒を抹殺して全てを闇に葬ろうとしてもおかしくない。


「……な、なんて事だ」
頭をかかえる本部長に、一等兵はさらに続けた。
「とにかく、この書類にすぐに目を通して、次の指示を待てとの事です」
「……わかった」
書類を受け取ると、本部長はあからさまに嫌そうな表情でそれを見た。
「……最後の一人がやられた場合に新任務発動か」
このプログラムを実行している軍部にも体面と言うものがある。
管轄の違う軍部に対して、他の部が横やりをいれるのは角が立つ。
どこの世界でも、そういうくだらない争いはあるものだ。




「……プログラムが失敗した場合、指揮権は……何だと?」
「どうしました本部長」
「……指揮権を科学省に移行するだと!?」
「はあ?」
鬼龍院は素っ頓狂な声を上げた。無理もない。
軍の作戦に直接軍事とは無関係な科学省が口出しするのだから。
確かに、科学省が純粋に科学の分野のみに係わっていたのは昔のことだ。
屈強な兵士を養成するために、あらゆる面で軍部と密接な関係を持ってはいる。
しかし、それでも軍のことは、あくまでも軍務省管轄。
このプログラムが民間の学生対象だということで、より深く係わっている文部省でも、そんなマネはできない。


それなのに、無関係の科学省が指揮を取る?
確かに高尾晃司という秘蔵っ子を出している以上、全く接点がないわけではない。
しかし、作戦の指揮をとる権利など全くないはず。
「科学省は科学分野だけ大人しくやってればいいものを……。
学者風情が軍人のマネゴトだとぉ!?」
本部長は、先ほどの顔面蒼白が嘘のようにゆでだこのように赤くなっていった。
そして、立ち上がるとツカツカと通信機に近付き、マイクを取った。
どうやら、上官に連絡をとっているようだ。


「どういうことですか閣下!?よりにもよって、非軍人に指揮権をゆだねるなんて!
こんな侮辱耐えられません。他の軍部ならまだしも、なぜ学者なんかに!?」
『私も全く同意見だ』
通信マイクの向こうから、やはり憮然としている上官の声が聞えた。
『だが科学省長官の宇佐美が直接、総統陛下にかけあったらしい』
「宇佐美長官が?」


『陛下も最初は科学省の僭越行為だとはねつけたらしい。
だが優秀な兵士を作り出すために、どうしても必要だと奴は引き下がらなかった。
敵国やテロ相手ならともかく、民間の学生相手のプログラムだ。
そこまで言うのならと陛下も承諾なさった。陛下が認めた以上、私達に異を唱える権利は無い。
だが私も主張してやった。最後の一兵が戦死するまで指揮権はこちらにあると。
陛下も、それは当然だとおっしゃられてな。宇佐美は納得できないツラをして黙りこくってしまった。
よっぽど指揮権が欲しくてたまらないらしいな』


「何故でしょうか?」
『ふん、マッドサイエンティストの考えなどわからんよ。
ともかく、我等の面子の為にも、残りの兵士には頑張ってもらわんとな』
「はい、それはもう」
総統が承知した以上、撤回は無理。本部長は残念そうにマイクを置いた。
「――と、いうわけだ鬼龍院」
本部長は拳を握り締めた。
「周藤晶は大丈夫なんだろうな!?これは軍全体の面子がかかってるんだぞ!!」
「大丈夫です。あいつは敗北するくらいなら死ぬような男ですから」














「……く」
桐山はゆっくりと立ち上がった。足腰が震えている。
歩けない事は無い。しかし、とてもじゃないが戦うことは出来ないだろう。
(何分だ?この薬の効果は何分持続する?)
解毒剤もない以上、薬の効果が切れるのを待つしかない。
だが、こんな時だ。そんな悠長なこと言ってられない。
今とるべき行動は、少しでも転校生と距離をとることだろう。
距離を取って身を隠す。今は戦えない以上、それが最善の策だ。


(川田、川田はどうしただろうか?)
だが、ふいに川田のことが気になった。
美恵以外の人間のことを考えたのは、このプログラムが開始して初めてだった。
(川田は転校生と戦っているのだろうか?)
それは不思議な感情だった。
桐山は美恵を守る為にプログラムに参加した。美恵の為だけに戦い続けていた。今もそうだ。
だから他のクラスメイトが何人死のうと、正直気にならなかった。
その自分が今初めて美恵以外の生徒の生死を気にしている。


しかし今は正体不明の感情を解析している余裕は無い。
桐山はゆっくりと痺れる腕を背中に回した。
ナイフが作り出した切り傷。傷自体は深くない。
(消毒と止血だけはしておかないとな)
もちろん医療道具なんて持ってない。
かといって、民家に侵入して薬箱を探す暇もない。
桐山はゆっくりと歩き出した。逃げる為ではない。
ある場所についた。そこには壊れた自動小銃が落ちている。
川田が周藤を狙い撃ちし反撃された塀の陰だった。


桐山はそっと手を伸ばした。目的は銃ではない。
壊れた銃など何の役にも立たない。桐山の目的は銃の中身だった。
銃弾は無事だった。桐山は、その中の一つを無理やりこじ開けた。
弾の中から火薬がでてきた。緊急時だ。少々の荒療治は仕方ない。
桐山は器用に火薬を背中の切り傷にサラサラと落した。
そして火をつけた。ぼっと火薬が瞬間的に爆発する。


少量なので、傷口の表面を焼いただけ。
戦場で医療道具を持たない兵士が非常時に使うサバイバル治療だ。
もちろん正規の治療では無いし、痛みも瞬間的とはいえ相当なものだった。
だが、傷口を焼いたため止血は出来たし、これで破傷風の心配もない。
「……後は川田だな」
桐山は地面にハンカチを広げると、弾丸を全てこじあけ、中の火薬を全て取り出した。
そして、火薬をハンカチでしっかりと包んだ。
「……どこにいる?」
気配を探った。いる……少し離れているが、かといって距離がありすぎるということもない。














「とりあえず死ねよ」
周藤がトリガーを引こうとした瞬間、それは飛んで来た。
火の玉?それが視界に映った川田は一瞬そう思った。
一方、川田と向かい合っている周藤には、当然ながらそれは直接見えてない。
見えてないが、川田の瞳に映った、その得たいの知れないものを周藤は見逃さなかった。
「ち!」
軽く舌打ちし、クルッと振り向き、銃口を合わせた。
飛んで来たのは何かを包んでかぶのような形態になっていたハンカチだった。
そのハンカチに火が付いている。それが何なのか、周藤は瞬時に理解した。


包まれている何かは可燃物、いや爆発物だ!
火が引火したら、たちまちドカーンとくるだろう。その前に周藤は発砲していた。
大人しく爆発するのを拝んで、その被害をこうむるのはごめんこうむる。
だから、ターゲット(つまり自分自身)に到達する前に、爆発させてやる。
周藤は射撃もプロ。当然、咄嗟とはいえ外さない。
即席の爆弾は、周藤を攻撃する前に、空中ではじけた。
周藤は、すでに、そのおそまつな即席爆弾に対する興味は失せていた。
興味があるのは、それを投げた奴――つまり、桐山だけだ。


この位置、角度……それを計算して、すぐに、ある方向に視線を向けた。
すぐにその方向に銃口を向ける。
が、背後から殺気。周藤はすぐにスッと身体を左に移動させた。
紙一重で、銃弾が横切るのが見えた。ほぼ同時に銃声が空を切り裂くのも。
周藤は忌々しそうに眉を寄せた。タイミングが遅かったら今頃腹部に穴が空いている。
川田が千載一遇のチャンスとばかりに、銃口を振り上げ発砲したのだ。




「……つぅっ」
川田の顔が痛みで歪んだ。
攻撃をかわされた上に、周藤は振り向かずに即座に後ろ蹴りを仕掛けてきたのだ。
それが見事に川田の腹部に入った。
並みの中学生なら、その衝撃で数メートル飛んだ挙句ゲロを吐いていただろう。
最悪の場合、肋骨を折られていたかもしれない。
だが川田はヘビー級のボクサーのように鍛えられた肉体の持ち主。
分厚い筋肉は、周藤の蹴りに何とか耐えていた。


痛みまでは消せなかったが、内臓も骨も何とか無事だ。
川田はバランスを大きく崩し倒れかけたが、なんとか片手を地面につくだけで堪えた。
そして、再び銃口を上げる。ところが、上がる前に周藤が飛んでいた。
一度、標的に銃口を合わせただけに、川田は焦った。
すぐに銃口の角度を変えようとするも、周藤のとび蹴りが銃を弾くほうが早かった。
やばい、丸腰だ!銃はクルクルとアスファルトの上を回転しながら、川田との距離を広げている。
川田はダッシュした。周藤に背中を向けることになるが、銃だけは確保しなければならない。
だが、クルリと背中を向けたと同時に、衝撃が川田の背中を襲った。


銃弾ではない。銃声はしなかった。周藤が飛び膝蹴りを炸裂させてくれたのだ。
川田の身体は前のめりになって、アスファルトの地面に滑りながら倒れこんだ。
もちろん、川田は即座に起き上がろうとするも出来ない。
背中に重みを感じる。周藤が無礼にも片足乗せて押さえつけているのだ。




「馬鹿め、オレから逃げられると思ったのか?
本気でそう思っていたとしたら、随分と舐めてくれるな川田章吾」
「……くっ、おまえ、いつまで人を踏み台に!」
川田は強引に起き上がろうとした。
体勢では周藤が有利。だが、周藤は身長こそあるが、どう見ても自分のほうがガタイがいい。
パワーならこっちの方がある、と考えたのだろう。
しかし、マッチョなはずの川田が渾身の力を込めて起き上がろうとしているのに周藤はびくともしない。


「お、おまえみたいにな青二才のガキに!」
川田は悔しそうに、頭部だけ回して周藤を見上げた。
「ひとを年齢や見かけで判断しないことだな」
周藤はナイフを取り出した。この状況なら銃弾を無駄遣いすることは無いと考えたのだろう。
川田はそばにあった小石を握った。
が、こんなものが何になる?苦し紛れに投げつけても、周藤はかわしてしまうだろう。
銃弾でさえかわされたのだ。小石なんて風船を避けるような感覚かもしれない。
川田は思った。今度こそジ・エンドなのか?
黙々と相変わらず黒い煙は辺りに立ち込めている。


(くそっ、目にしみるぜ。こんな無様な死に方をさらすことになるとはな)

川田は半ば覚悟を決めた。決めたが反撃そのものをあきらめたわけではない。
おそらく、奴は首の頚動脈をかききるだろう。
そうなったら完全におしまいだ。おしまいだが、即死というわけではない。
致命傷を与えた後、きっと周藤はわずかにしろ油断する。
いや、して欲しい。その僅かな隙に残っている全ての力で反撃する。
倒す事は出来ないが、何かダメージを与えられるかもしれない。
そのダメージが、残された桐山や美恵に有利になると信じて。
川田は小石をギュッと握った。
その時、風が吹いた。そして、二人の前方の煙が完全にかき消された。




川田の目が見開かれる。
「き、桐山!!」
桐山が立っていた。距離こそあるが、間違いなく桐山が自分達の直線上に立っている。
やばい!川田は自分の命が風前の灯だということも忘れた。
「おまえのほうからお出ましか!」
周藤が立ち上がった。相変わらず、無礼にも川田の背中に片足は乗せているが。
「逃げろ桐山!」
川田の想いが通じたのか、桐山が一歩後ずさった。
ところが、その途端にガクンと大きくバランスを崩し、その場に倒れかけた。
片膝を地面についた体勢で、何とか持ちこたえたが、やばい、やばすぎる!


「桐山っ!!」


川田は小石を投げた。周藤に向かってではない。
まるで、アイスホッケーのようにアスファルトの上を滑らせるように投げたのだ。
目的はただ一つ。その、ただ一つに小石が命中。
銃だ。周藤に弾かれた銃。
それに小石が当たった。その勢いで銃はアスファルトの上を滑り出した。
そして川田から新しい主人のもとに。
桐山の手元に納まるかのように、舞い込んできた。


そのチャンスを逃す桐山ではない。
たとえ体の自由を奪われても、銃を上げて発砲することくらいは出来る。
当然、周藤もそれはわかっていた。桐山が銃口を上げたと同時に大きく垂直飛びをしていたのだ。
銃弾が、川田の真上を通過していく。
周藤は空中でクルリと一回転すると、塀の上に飛び降りた。
まずい、桐山の奴、外した!
それがどんなにヤバイことなのか、川田はわかっている。
外す=次は桐山に向かって弾が飛んでいく。




起き上がった川田は走った。全力疾走だ。
川田はその体格上、決して超凡な速さで走ることは出来ない。
かといってのろまでもない。むしろ同世代の男と比較したら、ずっと速い。
それでも、周藤の反撃には間に合わないだろう。
頭ではわかっていたが、川田は走った。
決して信じることなどなかった神様って奴に初めて心の中でお願いしていた。
(頼む、頼むから奇跡って奴を見せてくれ。助けてくれ)
そんな陳腐な台詞を唱えながら。


必死の川田に対して、肝心の周藤は余裕だった。
余裕はあったが、かといって決して手をぬくつもりはない。
確実に消してやる!そんな気合で銃口を桐山に合わせた。
狙うはたった一箇所。頭部だ!どんな天才でも、頭部を撃たれたら確実に即死する。
周藤の中で、優勝へのストーリーが出来上がった。
桐山を銃殺する。当然、直後に川田も殺す。
後は、天瀬美恵、ただ一人。探し出すのに少々時間がかかる程度で問題ない。


決まりだ。優勝だ。桐山と川田合わせて1700ポイント!
いや、桐山は銃を手にしているから、さらに武器ポイント加算だ!
これで晃司のポイントを超えられる。

(晃司、勝つのはオレだ。オレは貴様に勝った!!)


周藤がトリガーを引きかけた、その時。
再び、突風が吹いた――。














「……ど、どういうことだ?」
和田が命令書を手にワナワナと立ち上がっていた。

「どうもこうもない。正式な任務だぞ」
「ふざけるんじぇねえ!どういうことだって聞いてるんだ!」

怒鳴り散らしているのは和田一人だったが、納得できないのは、その場にいる全員同じだ。
和田に続いて、今度は瀬名が立ち上がった。


「科学省は何を考えているんだ!?こんな事は前代未聞だぞ!!」
その問いに、指令を出した士官は静かに言った。
「私だって驚いているんだ。だが、上が決めて以上仕方ないだろう。
だが、これはあくまでも生徒側が勝利した場合であってだな……」
「生徒側?そんなことが起きると上は思っているのか?」
誰かが憮然と言った。


「だから、あくまでも万が一の場合だ」
「その万が一の場合が起きた場合は、本来なら逆のことをするはずだろう?」
氷室の静かな声が静かに部屋に響いた。
「おまえ達が納得できないのはわかる。だが、これは上が決めた事だ。
理由は聞くな。私だって知らされてないんだ。
だが、こんな任務だからこそ、おまえ達全員が呼び出されたんだろう。
ただ、殺すだけで、五期生をそろえる必要は無いからな」
とにかく――と、士官は続けた。

「これは任務だ。否と言うな。もしもの時は桐山以外の生徒はその場で抹殺」


「桐山の処遇については、その命令書通りだ。必ず実行しろよ」




【B組:残り3人】
【敵:残り2人】




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