「やめろっ!!」

周藤は携帯を上に放り投げた。

(感情的になるとはらしくないな桐山。左胸ががら空きだぞ)


周藤は思わず口の端を上げた。左胸――つまり、心臓がノーガード。
周藤は、桐山の左胸にナイフを突き立てようとした。
だが、ほぼ同時に桐山の左腕が上がるのが見えた。

(手刀?……早い!)

周藤はとんぼを切りながら、後ろに下がった。
しかし、着地した瞬間、周藤の表情は強張っていた。
距離を広げたはずなのに、自分と桐山との距離が広がってない。
むしろ縮まっている。さらに、桐山の脚が急上昇していた。
周藤は咄嗟に下がったが、頬をかすめ、血が滲んだ。
パシッと落ちてきた携帯を手にすると、周藤は桐山を睨みつけた。


(どういうことだ?)

動きは予測できた。桐山の動きのパターンは完全に把握したはずだ。
それなのに、その予測結果より先に桐山は早く次の行動に移っていた。
さらに、そんなことを考えている間にも、桐山は再び距離を瞬間的に縮めてきた。

(――まさか)

周藤は反射的に両腕をクロスさせた。
桐山がどんなに強烈な蹴りを繰り出そうと、それを止めてしまえばいい。
いいはず。だが、周藤がクロスさせる前に、桐山の脚が周藤の顎に直撃した。
周藤がふっとばされ、地面に激突する。
「あ、当たった!」
川田がはじけたように、そう言い放った。周藤は、まさかと思いながら確信した。

(……こ、こいつ)

周藤は顎を手の甲で拭いながら立ち上がった。


(――スピードが上がっている)




キツネ狩り―176―




「――あの爆発さえなければ」
宇佐美は忌々しそうに一枚の写真を机の引き出しから取り出した。
色あせて、破れかけて、一瞥して十年以上もの月日がたっているだろうことがわかる写真。
中央には腰まである長髪の男が立っている。
「……いや、爆発など問題ではない。


晃司……貴様が、裏切らなければ、こんなことにはならなかった」


晃司と呼ばれた男は端整な顔つきではあったが、その顔に表情は一切なかった。
晃司の周りには、6人の、やはり晃司同様に無表情な男が写っている。


「瞬……俊治……要……斗真……響介……啓志……。
どいつも、こいつも、手塩にかけて作り上げた作品だったのに……。
ことごとく、おまえの裏切りのせいで……」
宇佐美は、「くそ!」と両手で机を叩き付けた。
「……これ以上の失敗は許されない。名誉を挽回しなければ……。
そうでなければ、来年の予算どころか、私の首が飛ぶ……」


その為には、あいつが必要なんだ。
晃司には――セカンドの――もう時間がない。

もう晃司では例の計画を実行することは出来ない。
秀明で直接実験するわけにはいかない。もう他に予備は無い。
かつて、科学省は何世代にもわたって優秀な遺伝子を掛け合わせ7人の優秀な人間兵器を生み出した。
それが初代の高尾晃司をはじめとする、Ⅹシリーズの前世代。
いずれ、この7人を基本に、さらに優秀な子供を作るつもりでいた。
それなのに、高尾晃司は国家を科学省を裏切って逃亡した。
その結果、7人の人間兵器は全員死亡。
彼等が死亡する前に冷凍保存していた遺伝子を使って二世代目を作る事はできた。
しかし、まさか、これほど早く死亡するとは考えてなかったので、保存していた遺伝子も少なかった。
さらに、その少ない遺伝子から生み出された子供達のうち、無事に成長したのは、たったの三人。




「こんなはずではなかった。……せめて、あの事件さえなければ……。
あの時、予定通りにことが運んでいれば……」

14年前……あの、おぞましい事件……。

本来なら、裏切り者である、先代の高尾晃司一人が死ぬはずだった。
それで全てが終わるはずだった。
最高傑作の高尾を殺すのは忍びなかったが、背に腹は変えられない。
遺体となっても、芸術とまでいわれたDNAには十分利用価値は残っていた。
どれだけ強いといっても所詮は一人。
他の肉親全員敵にまわして勝てるわけがないと思っていた。
ところが奴は命と引換えに6人を殺してしまった。
あの日の出来事を宇佐美は今でも覚えている。
科学省の病院に彼等が運び込まれた時、5人はすでに完全に冷たくなっていた。
一人だけ、かろうじて生きていた。最年少の速水啓志だった。


「どうした、何があった!?」
その問いかけに、彼は呟くように何度も言った。
「……あの女……あの女……」
「女?」
「……あの女……に……攻撃を加え……としたら……晃司が変わった……」
「変わった?」
「……動きが……スピードも……パワーも……何もかも……」
「何があった?おい、しっかりしろ!」
「……あんな晃司……見たことが、ない……オレが知ってる晃司じゃ……」
「おい!」
「……オレが……知ってる……晃司じゃ……ない……」

啓志が何を見たのか、それは永遠にわからなくなった。
その言葉を最後に、完全に息絶えてしまったからだ――。














「……き、桐山?」
川田は驚いていた。桐山と周藤の戦いを見るのはこれが初めてではない。
あの時は、あきらかに桐山が押されていた。
押されていたというよりは、完全に動きを読まれ、攻撃を封じられていた。
だが、今は違う。桐山のほうが勝っている。
周藤は確かに桐山の動きを予測していた。
桐山が攻撃を繰り出す前に防御にでていたのが、その証拠。
しかし桐山のその防御より早く攻撃に出ていた。


川田も驚いていたが、一番驚いていたのは周藤本人だ。
(違う!こんなはずではなかった!)
桐山が瞬間的に間合いを詰めてきた。
周藤は、咄嗟に三回連続してバク転を繰り返し、さらに大きく飛んでいた。
数メートル先の垣根の上に着地する予定だった。
だったが、それより早く桐山が周藤を大きく飛び越えて着地していた。


「……な!」
自分の動きを超えていた桐山に驚いた周藤だったが、驚いている暇もなかった。
桐山の強烈な蹴りが、周藤の胸部に放たれた。
周藤は咄嗟に掌を突き出し、それを防ごうとしたが、その威力は凄まじく、そのままふっ飛んだ。
「……く!」
電線を掴み、威力を半減させ、そのまま地面に落ちた。
だが、落下地点にすでに桐山がいた。


(馬鹿な、早すぎる!)


周藤は電柱を蹴った。その威力を利して、川の向こう側に飛んだ。
だが、桐山の反応も素早かった。桐山は飛んでいた。
「き、桐山!!川に落ちるぞ!!」
思わず川田が身を乗り出す。
桐山の身体が川の中央に落下。正確には、川の中央を流れていた板切れの上に。
当然、板切れは桐山の重みで沈む。だが桐山は沈む前に、すでに飛んでいた。
そして、周藤が着地すると同時に、その真後ろに着地。


「……っ!」
周藤は舌打ちするも、振り向かずに後ろ蹴りを炸裂させた。
いちいち振り向いている余裕もなかったのだ。
しかし、手ごたえはない。桐山め、かわしたな!
周藤は、間髪いれずに肩越しに銃口を向けた。
バン!と音がした。今度も手ごたえは無い。
周藤が発砲する前に、周藤の手首を桐山が掴み、銃口の向きを変えていたからだ。


「くそ!」
なんて奴だ、だがオレに密着するということは、貴様自身動きが取れないことでもある。
そう考えた周藤は、すぐに肘うちにでた。
後ろから、「うっ……」とかすかなうめきが聞えた。
今度は命中だ。周藤は間髪いれずに回し蹴りを繰り出した。

わき腹にきついのをお見舞いしてやる!

ドカ!鈍い音がした。身体を回転させてために桐山の顔も見れた。
その無表情な顔に、僅かに苦痛の色が映っている。
だが、桐山は自分のわき腹に食い込んでいる周藤の脚を掴んだ。
桐山は周藤の脚に強烈な肘うちをくわえた。
今度は周藤の顔に苦痛の色が浮んだ。
周藤は桐山の顔面に拳を繰り出した。桐山が背後に引き、それを避ける。




「……き、さま」
周藤の左足が悲鳴を上げていた。
(……骨にひびがはいったな。普段から鍛えているオレだからこれで済んだ。
もしも、普通の人間だったら、間違いなく複雑骨折している威力だ)
骨にひびが入ったくらいで、泣き言なんか言わないし、戦闘を中断させるつもりはない。
だが、これでは、以前のように俊敏な動きなど出来ない。


(まずいことになったな)
周藤は自分に対して絶対的な信頼ともいえる自信を持っていた。
だが、その自信がここにきて揺らぎ始めた。
桐山の動きは完全に把握したはずだった。
鳴海との戦いで、完璧なデータをとったはずだったのだ。
たとえ、桐山が状況の違いからパワーアップすることがあっても、それも計算の内だった。
これほど急激なアップなどするわけがなかった。
いや、出来るはずがない。それなのに、桐山は自分の動きを完全に上回った。


「どうやら、計算だけでは計れなくなったようだな」
川田が周藤が決して認めたくない一言を放った。
「……何だと?」
「おまえも軍では天才だったようだが、その若様はさらに天才だった。
それだけのことだったのさ。そうでなければ、四人もの天才を葬る事はできないだろう?」
「……オレをはるかに上回る天才だと?」
「そういうことだな」
「……オレよりも」
周藤が俯いた。


(……そんなバカなことがあってたまるか。確かに才能は重要だ。
だが、オレは天才と呼ばれ続ける為に誰よりも努力してきた。
天才としての資質を開花させることができるのは、それだけの器量を持った人間だけだ。
民間人として普通の生活を営んできた人間に、天才の資質を使いこなせるわけがない!)














「あ、あれ……は?」
背後から爆音が聞こえ、美恵は反射的にブレーキを踏んだ。
急ブレーキに車はやや前のめりになって停車する。
振り返ると、はるか後方で煙が出ていた。呆然と見詰めていると第二弾だ。
今度もさらに近い位置で、爆風が届いた。
「まさか、あいつが近くにいるの?」
実際は周藤は遠く離れた場所にいたが。
「桐山くんは……川田くんは……どうしたの?」
まさか、あいつに……いえ、そんなはずは無いわ!
美恵はアクセルを踏み込んだ。
あの二人が負けるはずない。信じて、自分に出来ることをしないと。
なれない運転に、やや蛇行しながらも美恵は必死にスピードを上げ走った。














「桐山、確かに貴様は天才だ。だがな――」

周藤が動いた。左足がズキッと痛んだが、そんなことにかまってられない。
周藤は左足をかばって戦うだろうと睨んでいた桐山。
だが、周藤は、その左足で攻撃を仕掛けてきた。
勝利の為には、己の肉体を省みない兵士としての本能だった。


桐山は腕を突き出し、その脚を受け止めた。
周藤の身体がガクッと大きく沈んだ。無茶な攻撃を仕掛けてバランスを崩したのか?
違った。桐山の足、くるぶしの部分に強烈なローキック。
桐山の身体がバランスを崩した。崩したが、耐えた。
だが、周藤はそれを予測していたのか、桐山の足首を掴み一気に引き寄せた。
今度は、桐山は完全にバランスを崩した。
地面に背中から激突。仰向け状態の桐山の視界に周藤が映っていた。
周藤が肘に角度をつけて飛んでいた。喉に強烈な肘討ちを食らわすつもりだ。
察した桐山は回転して避けた。周藤の肘は地面に激突。
桐山は回転しながら立ち上がろうとしたが、シュルッと何かが腕に巻きつく感触。
それはベルトだった。桐山の身体は引っ張られる。


「戦場での経験値はオレの方がはるかに上だったな」

周藤は素早く桐山の首に細い糸状のものを巻きつけた。
桐山の顔が苦痛で歪む。

(――呼吸が)
「このまま、あの世に送ってやるぜ」

周藤は渾身の力をこめた。だが――。




「おまえこそ、重要なことを忘れてるんじゃないのか、おにいちゃん!」

銃声が空を切り裂いた。
危なかった、咄嗟に桐山を突き飛ばしてなければ頭部に命中していた。
ギロッと睨みつけると、川の向こう側。塀の陰から川田がこちらに銃口を突き出しているのが見えた。

「敵は桐山一人じゃないんだ。忘れてもらっちゃ困るぜ」

川田は照準を周藤に合わせ、さらに引き金を引いた。
周藤は頭をさっと下げた。髪の毛を数本かすめながら、弾が頭上スレスレに飛んでいった。
もちろん、それで終わりじゃない。


「どんどんいかせてもらうぞ!」
川田はさらに引き金を引いた。二発!三発!!
だが、周藤は紙一重で、それを避けている。
弾は木の幹、そして塀に命中。肝心の周藤は無傷だ。
川田は焦りながらも、さらに四発目を撃った。
「いい加減にくたばるんだな!!」
周藤が飛んでいた。飛びながら発砲している。

「川田、レミントンを捨てろ!!」

桐山の言葉に、川田はハッとして思わず両手を離した。直後に、レミントンが爆発した。
「ぐ……ぁ!」
両手にしびれ、そして痛みが走った。レミントンが暴発したのか?
いや、違う。周藤がレミントンの銃口に向かって発砲したのだ。
周藤がはなった銃弾はレミントンの銃口にホールイン。
当然のことながらレミントンは爆発した。そして後に残ったのは残骸のみ。




「くそ、やってくれるじゃないか若造が」
川田は悔しそうに血まみれの両手を見た。
桐山が咄嗟に警告してくれなければ、間違いなく両手が無くなっていた。
血まみれだが何とか動かせないことはない。しかしレミントンはもうダメだ。
川田は自らの服を切り裂くと、包帯代わりに両手に巻きつけた。

「川田、無事なのか?」
「ああ、なんとかな!おまえこそ、気を抜くなよ!」

周藤の視線は、レミントンを失った川田から桐山に移行した。
桐山は身構えた。周藤は地面を蹴り上げた。
砂が舞い上がり桐山の目に入った。
桐山は反射的に目を瞑った。途端に、頭部に強烈な衝撃がくわえられる。


「容赦なくいくぜ」
周藤は、さらに休む間もなく、連続三弾蹴りだ。
一瞬とはいえ、視覚を失った桐山に避けられる道理は無い。
ところが、桐山は避けた。三度目の蹴りだけはさすがに避けきれずかすりはしたが。
(こいつ!空気の流れを読んだのか?)
周藤はまたも驚愕していた。桐山の身体能力は完全に予測を超えていた。


「ならば――」

周藤はスッと銃口を向けた。

どんな天才でも、この至近距離での銃弾は避けきれないはず。

「桐山!!」
背後から川田の殺気。そして引き金をひく音。
(あいつ、まだ両手動かせたのか!)
周藤はクルリと振り向いて発砲した。川田は塀の陰に隠れた。
その一瞬の隙をついて桐山は周藤の手を蹴り上げた。銃がクルクルと空中で回転している。




「ち!」
周藤は舌打ちして走った。桐山も走っている。
僅かに桐山が周藤の前に出た。
「甘いぜ!」
ザシュっと、大きな音がして、桐山の背中に痛みが走った。
「桐山!!」
川田は見た。桐山の背中に斜め下から一直線に傷がついたのを。
川田は慌てて拳銃をかまえた。構えたが撃てない。
この位置から撃てば、周藤ではなく桐山に当たる。


「ならば――」
川田は銃口の角度を変えて、発砲した。
放たれた銃弾は、勢いよく飛んだ。そして周藤の近くに停車していた車に命中。
「伏せろ桐山!!」
その言葉が終わらないうちに車が爆発炎上した。
二人の姿は川田からは見えない。炎と煙が視界を遮ったからだ。
桐山は無事だろうか?咄嗟のこととはいえ、桐山にもリスクは大きかった。
煙が充満している。川田は口を押さえると、煙の中に飛び込んだ。


「桐山!どこだ桐山、返事をしろ!!」
桐山は無事だった。川田の言葉に咄嗟に反応して伏せていたのだ。
よって爆発の被害には合わなかった。かといって、身動きも取れない。
視界が悪すぎる。まして敵は間違いなく、銃を手にしたことだろう。
気配を探ろうとしても、全く何も感じない。
この煙に乗じて気配を消したようだ。おそらく徐々に近付き確実に止めを刺しにくるだろう。




(……どこだ?どこからくる?)

気配は消している。では、物音は?
桐山は神経を耳に集中させた。しかし、絶対音感を持つ耳でも周藤の足音は捕らえられない。
(動いてないのか、それとも完全に足音を消しているのか?)
仕方がない。視覚に頼るしかない。
煙の切れ目に、周藤の姿を捉えようと桐山は目に神経を集中させた。
だが、時々現れる煙の切れ目の中に周藤の姿はなかった。

(奴は動いてないのか?だったら、こちらから動くか――)

桐山は一歩前に出た。背中にズキッと痛みが走る。
走ったが、構っていられない。
もう一歩前に出た。その時だ、風がふいて煙が切れた。
その切れ目の中に周藤がいた。銃口を真っ直ぐこちらに向けて。
まずい、桐山はすぐに横に飛ぼうと重心を動かそうとした。
だが――途端にガクッと足元がふらついた。

(……なんだ?)

周藤が笑っていた。桐山は視界がグニャっと歪むのを見た。
「教えてやろうか、オレの支給武器を」
桐山は、まさかという表情で周藤を見ていた。
「連戦での体力消耗に負傷……その身体で、いままで倒れなかったのが不思議なくらいだ。
だから、倒れなければ無理やり倒してやろうと思ったんだよ」
桐山は背中に手を伸ばした。血が滴り落ちているのがわかる。


「さっき、貴様の背中に傷をつけたナイフに塗っておいた。
オレの支給武器は――毒薬なんだよ」

桐山の意識はさらに朦朧とした。
「残念ながら、死に至らしめる毒薬は使い切っていて、それは単なるしびれ薬だ。
だが、披露しきったおまえには十分すぎるだろう。

おまえは、本当によく戦ったよ。そろそろ楽にしてやる」

周藤は引き金を引いた――。




【B組:残り3人】
【敵:残り2人】




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