(……本当に見事な気配の消し方だな)
周藤は冷静に状況を見詰めていた。脳裏には桐山と鳴海の戦いが何度も再生させている。
桐山の戦い方は実に無駄が無かった。
敵の裏の裏までかくほどの計算しつくされた華麗さ。
もはや芸術といってもいいくらいに。
――だったら、裏の裏の、そのまた裏を考えればいい。
周藤は形勢が逆転したというのに口の端をあげていた。
悪い癖だった。戦いに感情は挟んではならないと常々思っている。
それにもかかわらず、内心、周藤は楽しくてしょうがないのだ。
手ごたえのある敵を相手にするのは本当に久々だったから。
(さあ、どうくる?まさか、真正面からは来ないだろう)
動きは全く無い。せいぜい羽虫が飛んでくる程度だ。
その時だった。木の葉が一枚だけ、はらはらと真上から落ちてきたのは――。
キツネ狩り―172―
「……軍艦はこっち側だけってのはありがたいな。不幸中の幸いだ」
川田は双眼鏡を片手に海を見詰めていた。
「川田くん、こっちは終わったわよ」
「そうか、よし、次は……」
川田は島の地図を見て、数箇所に指を指した。
「ここと、ここ……それにここだな」
「じゃあ急ぎましょう」
「そうだな」
美恵と川田は車に乗り込んだ。
「ねえ川田くん、一つ聞いてもいい?」
「何だ?」
「さっき不幸中の幸いだって言っていたけど」
「ああ、オレ達が逃亡するとしたら反対側の海だ。そっちには軍艦がないからな」
「あっち側は……崖ばかりだものね」
美恵は地図を見た。
「まさか断崖絶壁を飛び降りて逃げるとは思ってなかったんでしょ。
桐山くんみたいに、軍の飛行機を操縦できる人間がいるなんてもっとでしょうし」
「そうだな。加えて、あちら側は太平洋側だから」
川田はもう一枚の地図を広げた。
「この島は瀬戸内海に点在する島の一つだと思っていた。だが正反対だった。
四国の太平洋側にある島の一つらしい。泳ぐか、それとも小船を使うか、どっちでもいい。
太平洋側に逃亡したところで、死ぬのは確実だから見張る必要はないと思ったんだろう」
「そうね、普通なら。でも私達には桐山くんがいる」
「ああ、そうだ。本当にあの若様がいてくれて助かったよ」
「脱出した後のことも考えて食料とかも確保しないと」
「もちろんだ。忙しくなるぞ」
木の葉が落ちたのを合図に周藤が動いた。
真上――だと、オレが騙されると思ったのか、お坊ちゃん?
周藤は、クルッと回転しながら左足を斜め下から急上昇させた。
桐山は真上じゃない!背後……いや、斜め後ろから飛び降りている!
周藤は正しかった。桐山は周藤の死角に飛び降りたつもりだった。
だが、その行動を察知されてしまったのだ。
ナイフを手にした桐山の腕と周藤の脚が衝突。
桐山は僅かに眉をゆがめたが、咄嗟に左脚を大きく上げながら飛んだ。
かかと落し、狙うは周藤の頭部。強烈なやつを一発お見舞いしてやれば、かならず大きなダメージを食らう。
だが、周藤はまるで読んでいたかのように(実際読んでいた)両腕をクロスさせて、それを受け止めた。
桐山の動きは早かった。動きを読まなかったら、確実に入っていただろう。
(雅信、貴様は本当にオレの役に立ってくれたよ)
周藤は腹の底から大笑いしたかった。反対に桐山の表情は険しい。
クロスさせて腕で、桐山の脚を押し返すと、周藤は華麗に飛んでいた。
桐山の頭上で回転。そして桐山の背後に着地。
周藤がやろうとしていることはわかる。背後から、この距離で発砲するつもりだ。
桐山は反射的に体勢を沈めようとした。ところが周藤はそれも読んでいた。
周藤の手が食い込むように桐山の肩に伸び、そして掴んだ。
体を固定された。そして背中の左部分に――心臓の真後ろ――に銃口が押し付けられた感触が走る。
前にも後ろにも逃げれない。後は周藤が引き金を引くだけ。
乾いた音がして血しぶきが地面を染めた。
「……桐山くん?」
「どうした、お嬢さん?」
虫の知らせか、それとも杞憂か。嫌な予感がした。
「考えるな。今は、おまえさんにできることだけをしろ」
美恵の考えを瞬時に読んだ川田は、簡潔にそういった。
川田の言うとおりだ。今は自分に出来ることをしないと。
光子のスカーフ……光子は生きることすら出来なかったんだから。
光子だけではない。貴子も月岡も、いや、他のクラスメイトたちも。
43人もいた生徒は、今やたった三人なのだ。
今度こそ、一人も欠けることなく、この戦いに勝って脱出しなければ。
「着いたぞ」
川田は車を止めた。
「まだまだ作業は続くんだ。さっさと終わらせるぞ」
「ええ」
二人は、すぐに爆弾設置にとりかかった。
「そう簡単にはやられないってことか」
周藤は苦々しそうに目つきを鋭くした。
桐山は左腕を掴み、片膝を地面についた体勢で周藤を睨んでいる。
左腕(の掴まれている部分)からは血が流れ、地面にポトポトと赤い点をいくつもつけていた。
あの瞬間、桐山は絶体絶命となった。周藤に肩を掴まれ銃口を押し付けられた状態だ。
ちょっとやそっともがいたところで、銃口からは逃れられない。
前に逃げても後ろに引いても銃弾の弾道からは外れる事は出来ない。
桐山は、本当に戦闘本能だけで咄嗟に行動した。
周藤が引き金を引いたのとほぼ同時に、地面に手をつかない体勢で左側転したのだ。
当然、桐山に接触していた銃口は僅かに回転に巻き込まれ銃口がそれた。
心臓だけは何とかそれた。だが、それほど急激な回転を仕掛けても完全に弾から逃げられなかった。
左腕をやられたのだ。桐山は、周藤のふところに飛び込んだ。
もう二度と引き金は引かせない。接近戦で片をつける!
銃に向かって脚を蹴り上げた。だが、銃にかすりもしない。周藤がスッと身を引いたからだ。
動きを止めたら、また弾の洗礼を喰らう。桐山は、連続して回し蹴りをはなった。
周藤は、地面に手をつけずにバク転して避けた。
着地したときには、もう銃口が桐山の頭部にセットされている。
桐山は飛び上がった。頭上の枝に右手でつかまり、そのまま器械体操の大回転。
一気に体を大きく上げ銃弾を避けた。しかし周藤はすぐに銃口を再度桐山にセット。
やばい、この体勢では避けれない。周藤が指をちょっと動かせば、もう終わりだ。
が――周藤は引き金を引かなかった。
(弾切れか……!)
桐山は瞬時に悟った。今がチャンスだ。
桐山は枝を離した。大回転の遠心力のおかげで、凄い勢いで周藤に向かって飛んでいた。
周藤は腕を上げた。桐山の膝蹴りが止められた。
しかし、遠心力がかかっている分、桐山のほうがはるかにパワーが勝っていた。
周藤の腕からきしむような音が聞える。周藤は眉をゆがめながら、すぐに身を引いた。
その周藤は空いていた手に、すでにもう一丁の銃を握らせていた。
ベルトの後ろに仕込んでいた奴だ。
(やばかったな。もう少し、身を引くタイミングが遅かったら腕の骨が折れていた)
その僅かなタイミングで周藤は腕を守った。
だが、桐山も、その短時間で、さらに周藤に攻撃を加えていた。
周藤が銃口を向けた、その瞬間、銃に向けて横一直線に手刀。
パン!と乾いた音がして、桐山の顔面のすぐ真横を弾がかすめた。
桐山の髪が空中に数本散っている。もちろん、髪の毛をセットしなおしている時間なんてない。
桐山は、周藤の手首を掴んだ。二度と引き金を引かせない。
あわよくば、銃を強引に奪う。そしたら今度こそ形勢逆転だ。
だが周藤は口の端に笑みを浮かべていた。桐山が欲しくてたまらない銃。それを離したのだ。
銃が地面に向かって落ちる。桐山の注意が、ほんの一瞬、周藤から銃に移った。
激痛が走る左腕を銃に向けて伸ばした。
その時、周藤が腕を引いた。当然、その腕の先――手首――を掴んでいる桐山の体も引っ張られる。
銃は掴んだ。だが、周藤は自分の手首を掴んでいる桐山の右手、その手首を握り返してきた。
そして、そのままの体勢で周藤は桐山の頭上で回転した。
当然、桐山の腕が今度は真上に引っ張られる。
いや、引っ張られるなんてものじゃない。回転をかけられる。
「……くっ」
桐山の背後に着地した瞬間、周藤は桐山の右腕の付け根を押さえ、掴んでいた右腕を一気に左に折り曲げた。
激痛が走った。しかし桐山は流血する左腕を背後に向け、肩越しで引き金を引いた。
銃声は――起こらなかった。
桐山の両目が大きく見開かれた。
桐山からは見えないが、周藤がにんまり笑っていた。
桐山の右腕は、肩からブランと垂れ下がっている。関節を外された。これでは、とてもまともには戦えない。
使えるのは、流血している左腕と両脚のみ。
傷口が広がるとか、激痛が走るとか、そんなことにかまってられない。
桐山は、役に立たない銃を周藤に投げつけた。
周藤が、それをキャッチする。と、同時に桐山は周藤の腹部目掛けて蹴りを――。
ダメだ、簡単に受け止められた。反対に、周藤の手刀が桐山の左腕に入る。
傷口にさらなる激痛が走り、桐山は僅かに体勢を崩した。
掌で桐山の胸部に強いダメージを食らわす。
体勢を崩しかけていた桐山の体は、その一撃で呆気なくふっ飛んだ。
数メートル飛ばされ、木の幹に激突。全身に痛みが走る。
しかし周藤は攻撃の手を休めなかった。銃を高く放り投げると、桐山にむかって走りこんでくる。
そして、木の蔓を手にすると桐山に投げつけた。
まるで、カウボーイの投げ縄のごとく、蔓が桐山の体に絡みつく。
さらに周藤は地を蹴って高く飛び上がっていた。
大木の枝を飛び越え、先ほど放り投げた銃をキャッチ。
そのまま、今度は急降下。枝を支点に、蔓も周藤の落下に伴い引っ張られる。
当然のごとく、その蔓の先端に絡まれていた桐山の体は持ち上げられた。
周藤は空中で銃に弾を詰めると着地。
振り向かずに、スッと腕だけを背後に伸ばした。
その銃口の先には、体の自由を奪われ、足が地に着いてない桐山がいる。
周藤は引き金を引いた。血しぶきが舞う。
だが周藤は笑っていなかった。確実な手ごたえがなかったからだ。
振り向くと蔓にがんじがらめで流血はしているものの桐山は生きていた。
「そんな状態で回転して弾道から体を逸らしたのか」
もっとも、無理をしたせいで、また左腕の傷口が開いている。
「二度も通用しないぞ」
周藤は銃口を桐山の頭部にセットした。桐山の手がキラリと光った。
周藤が「何だ?」と一瞬気をとられると、その光る何か弾かれ周藤の目に向かって飛んで来た。
周藤は、銃でそれを叩き落した。ただの500円玉だ。
桐山も、そんなもので周藤を倒せるとは思ってない。
これは時間稼ぎだ。ほんの一瞬だけしか稼げない時間稼ぎ。
周藤の注意を一瞬だけ逸らしたに過ぎない。周藤が視線を桐山に再び向けると何かが爆発した。
周藤は両腕をクロスさせ、咄嗟に両目を庇った。
戦闘中に視覚と急所を死守することは周藤にとって鉄則だからだ。
(あいつ、まだお手製爆弾とやらを隠し持っていたのか!)
煙で桐山の姿がみえない。見えないが、煙の向こう側に大きな炎の揺らめきが見えた。
「……まさか」
あいつ、あの不自由な状況で爆弾なんか持ち出したせいで、自分自身が炎にまかれたのか?
「できたかお嬢さん?!」
「ええ!」
「よし、離れるぞ!!次の場所に急ぐんだ!!」
グズグズなんてしてられない。
「後、四箇所ね」
「ああ、でっかい花火を打ち上げてやろうじゃないか」
「川田くん、桐山くんは……」
美恵のいいたいことはすぐにわかった。
「桐山くん……勝つわよね?」
「ああ、あいつには苦労させられたが、あいつの戦闘能力だけは折り紙つきだ。
高尾晃司を倒したんだ。今さら、格下の相手にやられるわけがないだろう。
安心しろよ。おまえさんは、あいつの勝利を笑顔で出迎えてやることだけを考えればいい」
そうは言ったものの川田は不安だった。
桐山は高尾に勝った。しかし無傷の勝利ではない。体力の消耗だけでも激しいのだ。
もしもということも十分考えられる(そんなこと考えたくも無いが)
「大丈夫だ。あいつは必ず勝つ。オレ達は脱出準備を整えて学校で待っていればいい」
「……学校で」
正直、あの学校にはもう行きたくなかった。
鳴海雅信の手によって猟奇的な殺され方をした兵士の死体がいくつも転がっているのだ。
遠巻きに見ないようにしているが、死臭だけでも眩暈がしそうになる。
死体だけではなかった。何か、もっと嫌な感じがするのだ。
そんな美恵の気持ちを察して川田は言った。
「安心しろお嬢さん、死体は襲っては来ない。怖いのは生きている人間のほうだ」
「……川田くん」
「あそこには、もう敵はいない。敵どころか、生存者は一人だっていないんだ」
「…………」
「襲ってくる奴は一人もいない。完全な安全地帯なんだ」
確かに川田の言うとおりだ。あそこは、今は誰もいない安全地帯……のはず。
「そうね。川田くんの言うとおりだわ……」
それなのに……なんなの、この不安は――。
燃えているのは蔓に絡みつかれている学ランのみ。
桐山はいない。学ランを脱ぎ、強引に、この蜘蛛の巣から脱出したらしい。
「――あっちか」
逃げ去る足音。それほど速くはない。当然だろう、両腕をやられているのだから。
簡単に追いつけると、周藤はすぐに後を追った。
特殊部隊のメンバーとして毎日のように山の中を走り回っていた。
怪我人に追いつくなんて朝飯前だ。あっと言う間に、桐山の足音が大きくなっていく。
後、数秒後には、桐山の後姿を視界に捉えることになるだろう。
周藤が、そう確信した瞬間、ドボンと大きな水音が聞えた。
「何だと?」
まさか、あの怪我で川に飛び込んだのか?
周藤が茂みを潜り抜けると、切り立った地面から激流が見えた。
激しい流れだが、桐山の身体能力なら、流れにのって簡単に泳ぎきれるだろう。
しかし、今の桐山は右腕の自由がきかず、左腕は大怪我を負っている。
「随分と無茶をするやつだ」
流れが激しい……いや、体の自由が利かないから、そう感じるだけか?
桐山は水中の渦に飲み込まれ、木の葉のように翻弄されていた。
水中に沈んでからすでに五分あまり。
身体能力抜群の桐山だ、当然のように水泳も並外れて凄かった。
しかし、今は普通の体では無い。体力の消耗も激しい。
ただ流れに逆らわずにいることしかできない。普通の中学生なら、とっくに溺死していただろう。
息が続くのは桐山和雄だからに他ならない。
(もう……限界だ)
桐山は水面にむかって泳ぎだした。もちろん、水の流れがそれを阻止する。
それでも何とか水面に顔を出した。新鮮な空気が、これほど美味だとは!
木が流れている。桐山は、すぐにそれに捕まった。これで少しは体に負担をかけなくて済む。
ホッと一息ついた。しかし、背後から大木が凄い勢いで流れてくるのが見えた。
あんなものが衝突してきたら、ひとたまりも無い。何とか進路を変えないと。
桐山は、もう一度大木に視線を向けた。そして目を大きく開いた。
大木の上に人影!周藤だ、周藤晶が大木の上に立っていた!
しかも、こちらに銃口を向けている。桐山は、すぐに木の下に潜った。
弾が水中を走るのが見える。木の下に潜ったから助かった。
だが、これはやばい。これでは、水面に顔を出せない。
「さあ、どうする桐山和雄?」
周藤は不敵な笑みを浮かべ、激流を見詰めた。
「このまま水中で窒息死するか?それとも水面に出て銃弾のえじきとなるか?」
「さあ、どっちだ、桐山和雄」
【B組:残り3人】
【敵:残り2人】
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