「早く!さあ、こっちだ!!」
七原は必死になって走っていた。激しい落雷のせいで視界はよくない。
しかし、固く繋いだ手の温もりだけは確かに感じていた。
この手だけは離さない。守ってみせる。
他の誰でもない、自分自身の手で。
国信や幸枝は守ってやれなかった。その分も、彼女だけは守る。命に代えて。
どのくらい走っただろうか、七原は立ち止まった。
敵の気配は感じない。ただ、背後から荒い呼吸の音が聞える。
繋いだ手には汗が滲みでており、体温は上昇していた。
それ以上に上がっていた心拍数を抑え、七原は繋いだ手にさらに力を込める。
「……大丈夫だよ。オレが、必ず守るから」
「…………」
「だから安心してくれていい。約束するよ、オレはどんなことになっても」
七原はくるっと振り向いた。後は『守り通して見せるよ』と吐くだけ……だったのだが。
「いつまで、ひとの手握ってるのよ」
七原の瞳に映った少女は美恵ではなかった。途端に硬直する七原。
「いきなり手を握ったかと思えば勝手に走り出してどういうつもり?」
「そ、そそそそそ……相馬ぁぁー!?」
キツネ狩り―167―
桐山は建設用の大型車に乗り込んで猛スピードで走っていた。
もちろん高尾もすぐに追いかけてくるだろう。ほら来た。
バックミラーの中でバイクに乗った高尾の姿が、瞬く間に拡大してゆく。
さらに高尾はマシンガンを持ち出しているではないか。桐山は急ブレーキを掛けた。
猛スピードで追走していた高尾は当然車のバックに衝突だろう、普通なら。
しかし、そこはプロ以上の腕を見せた。
バイクは、すっと右に移動。その左隣をスピードを急激に落した車が後ずさりしている。
一瞬で大型車がバイクの背後の位置に来た。今度は、桐山が攻撃を仕掛ける番だ。
桐山は邪魔なフロントガラスを鉄拳でぶち割ると銃を持った手を伸ばした。
バイクのバックミラーは、その一連の動作を克明に映している。
弾丸が二発飛んでいた。だが高尾は間一髪で避けている。
桐山はそれを見越していたのか、アクセルを思いっきり踏んだ。
スピードを上げた大型車が、高尾のバイクに接触した。
バランスを崩しながらも、高尾もバイクのスピードを上げる。
二つの車両の距離が僅かに広がった。桐山はさらにアクセルを踏んだ。
すると高尾はさっと左に位置を取りブレーキをかけた。
先ほど桐山がしたように、今度は高尾が一気に大型車の後ろまで下がる。
マシンガンの火が吹いた。パンと大きな音がして大型車がガクンと沈んだ。
左後ろのタイヤを撃たれたのだ。ガタガタと嫌な音がする。
桐山はハンドルを思いっきり左に切った。バイクに体当たりするつもりだ。
程なくガシャンと音がした。バイクが激突され地面に叩き付けれる。
しかし、高尾の姿はない。高尾は、その直前に大型車に飛び移っていたのだ。
高尾はマシンガンを手に、走行中の車の荷台から飛んでいた。
バン!そんな音が天井から聞える。
桐山は真上を見上げた。何かが真上にいる、その何かは考えるまでもない。
そして、その次に起こるべき事も考える間でもなかった。
桐山は、ハンドルを離し、助手席に素早く移動した。
ぱららら!!運転席に天井から弾のシャワー。
桐山は、助手席から外に飛び出した。そして一回転して立ち上がると銃を構える。
狙うはガソリンタンクだ。すぐに引き金を引いた。
だが高尾の反応も素早かった。桐山が発砲する前に、さっと飛び降りていたのだ。
車が爆発した。二人の間に立ち込める黒い煙。
カッと雷鳴が轟く。まるで戦の神が狂喜乱舞しているようだ。
学校まで、後僅かだ。桐山は走った。すぐに、ぱらららと壊れたタイプライターのような音が聞えてきた。
桐山は、高尾との間に一定の距離を持ちながらも全速力で走った。
もちろん銃弾を浴びないように細心の注意を払いながら。
校門が見えてきた。桐山はさっと門を飛び越えた。
続いて高尾も飛び越える。しかし門の向こう側に着地した時、形勢は逆転していた。
桐山は銃を手にしていた。校庭に突っ伏して死んでいた兵士の形見だ。
問題は、その銃が、拳銃の類などではなかったこと。
自動小銃だったのだ――。
「……な、なんで……どういうことだよ!美恵さんは?川田は!?」
七原は混乱していた。
「こっちが言いたい台詞よ!勝手にひとのこと引っ張りだしておいて!!」
「……もしかしてオレ達」
「そういうことみたい。はぐれちゃったみたいね、川田くんや美恵と」
あの落雷、そして転校生の存在で慌てていたとはいえとんだミスだ。
七原と光子は無我夢中で走っていた。こともあろうに川田達と逆の方向にだ。
「そんな馬鹿な……」
ガクっと崩れそうになっている七原に光子が止めの一言を放った。
「そうよ、全部、七原くんのせいだからね!」
「……おい」
反論したくても、光子の迫力がそれを許さない。
仮にしたら、さらに数倍凄い文句が光子の口からマシンガンのように放たれるだろう。
それを容易に想像したらしく、七原は黙って俯くしかなかった。
「とにかく、こんな時に転校生に襲われたらひとたまりもないわ。
あるのは、この銃一丁だけだし……七原くん、武器持ってる?」
「あ、ああ……川田が銃とナイフを持ってろって」
「とにかく、行くわよ」
「行くってどこに?」
「どこって、二人を探すのよ」
そうだ。落ち込んでいる場合ではない。
「わかった。すぐに探そう」
「そうよ。ほら、七原くんが先導しなさいよ。もちろん転校生が出たら、囮になって、あたしを逃がしてね」
「……え?」
七原は嫌なことを聞いてしまった。
「何よ、その目は?」
「囮って……」
七原は、答がほぼわかっている質問を投げた。
「決まってるでしょ。転校生が現れたら、七原くんが戦うのよ。その間にあたしは全速力で逃げるわ」
それは、あまりにも理不尽な回答だった。
「ま、待てよ!こういう時こそ、協力して……」
「あたしに逆らうの!?川田くんとはぐれたのは七原くんのせいじゃない!!」
「……う」
弱いところを付かれ、七原は口を閉じた。
「責任とるのは当然でしょう!?それとも何?あたしに囮やれっていうの?」
「そ、そんなこと!」
「あるわけないわよね。七原くんはフェミニストだもんね」
しょうがない……多少、疑問は残るも、七原は光子の案を受け入れることにした。
別に自分の責任がどうとかではない。
女の子は男が守ってやるものだ、それが七原にとって当たり前の思想だったのだ。
まして、こんな時だ。強がっていても光子だって内心怖がっているだろうと七原は決意した。
「相馬!オレが必ず守ってやるから安心しろよ」
もしも七原に思いを寄せる女生徒ならば感激して涙の一つでも見せてくれただろう。
が、光子は「当たり前でしょ」と可愛げのない態度を見せる。
女の子は、どんな子でも可愛いものだと一種の信念に近い思いを持っていた七原。
しかし、光子はその信念を簡単に覆そうとしていた。
「……相馬、女の子は可愛げが肝心なんだぞ」
「何よ、それ。女は色気と度胸だけで十分よ」
「オレは、そんな考え間違ってると思う。女の子の素直な愛らしさとか……」
「ああ、うるさいわね!いい加減にしないとぶつわよ!」
「だいたい、あんたは――」
光子が言葉をストップした。言葉だけではない表情も何もかも。
「相馬?」
光子が完全に硬直している。いや、かすかに震えている。
そして、その視線は目の前の七原ではなく、その背後に注がれていた。
「……あ、あ」
「おい、相馬……どうしたんだよ?」
七原は、光子の視線の先にくるっと体を半回転させた。その瞬間、七原自身も硬直した。
自分達を見下ろせる高い位置に立っていたのだ。
「やってくれたな、おまえ達――」
周藤晶が、立っていたのだ。冷たい目をして。
「オレもとんだミスをしたものだ」
周藤は自嘲気味に笑いを浮かべた。しかし、目は笑ってない。
それどころか、全身から怒りのオーラのようなものが漂っている。
光子も、そして七原も、それを肌で感じていた。
「落雷に視界を遮られたとはいえ、川田ではなく、おまえ達を追ってしまうとはな」
落雷が4人の足音と姿を一瞬だが完全に消した。
その直後、周藤の耳に届いた足音。見失うわけにはいかなかった。
だから、周藤は、その足音をすぐに追いかけた。
追いかけているうちに気づいた。四人分の足音ではない、二人分だと。
だが、それは川田のものか?それとも他の人間のものか?
そこまで区別はつかない。まして、この雷鳴の凄まじい音響の中では。
わかるのは男女の違いくらいだ。男と女の足音だということだけはわかった。
そして、二人の姿を確認したとき、周藤は――頭にきた。
「川田は桐山に次ぐ高得点の生徒だった。当然だろうな、前回優勝者なんだから」
周藤は淡々と語るように話していたが、その口調は今にも切れそうな雰囲気だった。
まるで膨らんだ風船が、破裂する直前のような嫌な感じ。
「晃司は杉村と三村を倒して、さらに高得点を追加されている。
だから、オレはどうしても川田と桐山だけは落せない。
それなのに、桐山はオレとの戦いより、晃司との戦いを選んだ。
こんなに腹の立つことは無い。だったら、オレは川田を倒し、桐山を追うしかなかった。
その川田を見失って得たものがおまえたちとは……」
光子も七原も、言葉がでなかった。
まるで朗読会に集まった客のように、周藤の言葉を聞くしか出来ない。
「おまえ達自身も災難だったが、オレはもっとだろうな」
「…………」
「……頭にくるぜ。誰よりも、自分自身に頭にくる」
「…………」
「……自分のミスは自分で修正しなければな。覚悟しろ!貴様等二人は今すぐ死んでもらう!!
すぐに川田を探し出し片付け、桐山を追わなければいけないからな!
遺言を聞いてやる暇もないから、そう思え!!」
殺気。周藤から激しい殺気を感じた途端に、二人の金縛りは解けた。
「勝手なこというな!殺されてたまるか!!自分の思い通りに事が運ぶと思ったら大間違いだぞ!!
おまえは軍のエリートらしいが、民間人だって努力すればエリートを越えることだってあるんだ!!
そうだよな相馬!?二人で力を合わせ……」
光子はすでに全速力で走り去っていた――。
自動小銃がけたたましい音をあげた。その音が校門に瞬く間に穴を開けている。
高尾は――猛スピードで走っていた。
高尾が走り抜けてゆく、その直後に穴が増えてゆく。
高尾は、真っ黒こげになった輸送車の陰に飛び込んだ。
桐山が、この学校を強行突破した時に破壊されたものだ。
高尾が持っているマシンガンはイングラム。はっきりいって反動が大きい上に命中率も悪い。
しかし桐山が手にしている自動小銃は、大東亜共和国の兵士御用達のもの。
実用的には優れている。形勢は完全に逆転した。少なくても銃の優劣では。
後は、高尾の全身に鉛玉をぶち込むだけだ。
高尾も不死身ではない。その証拠に、輸送車の陰から出ようとしない。
だったら、こちらから近寄るまでだ。
桐山が走ると、輸送車の陰から腕がのび、マシンガンが火を噴いた。
立ち止まり、右に回転する桐山。地面が一瞬で穴だらけになった。
うかつには近寄れない。だが、長期戦にするつもりもない。
相手はテロリスト相手に戦ってきたプロだ。経験値は間違いなく桐山より上。
桐山は義父によって、テロによる誘拐を想定した本格的な訓練を受けてきた。
(桐山家は軍事産業の最大手ゆえにテロの標的になる可能性は当然あったからだ。
事実、昔のことだが、桐山の母はテロリストの標的にされたことがある。
桐山家がテロリストの要求を拒めば娘を誘拐すると脅迫状が届いたことがあったのだ。
その時は、当時、軍の最強のエリート兵士をボディガードにつけて事なきを得たが)
しかし訓練と実戦とは違うのだ。
輸送車の陰から何かが飛んで来た。手榴弾か?
それはハズレだったが、厄介なものに違いはなかった。
それが地面に落ちた途端に、カッと物凄い光が発射された。
発光弾だ。どんな人間も、この強すぎる光には一瞬視界をつぶされ動けなくなる。
それに乗じて反撃される。高尾が輸送車の陰から飛び出してきた。
物音で、それを察した桐山は、自動小銃の引き金にかけてある指に力をこめた。
また、あの激しい音が聞える。だが手ごたえがない。高尾には当たってない。
これはまずい。マシンガンで反撃されたら、今の自分など、簡単に弾の的になる。
桐山は反射的に校庭の庭石の陰に飛び込んでいた。
思った通りだ、ぱらららと、例の音がして、庭石が削られ飛び散っていった。
音が止むと同時に桐山は庭石の陰から反撃した。
自動小銃が火を噴く。だが高尾も、すぐに身を隠し被弾してない。
桐山は引き金にかかっている指の力を緩めた。マガジンは一つ。弾の無駄遣いは出来ない。
威力にまかせて撃ちまくるものならば、あっと言う間に弾切れだ。
銃声が止み、今度は完全なる静寂が辺りを包んだ。
何か、きっかけでもない限り、お互い動けない。二人の戦いは長期戦の構えを見せだした。
「そ、相馬!!」
「後はまかせたわよ、頑張って!!」
光子の素早い行動に七原は一瞬呆気に取られた。しかし、それはほんの一瞬。
「逃げられると思っているのか?」
周藤は、光子の行動を予測していたのか、ちょっと助走をつけただけで大ジャンプしていた。
一瞬で、光子の前に降り立つ。突然、背後にいたはずの転校生が目の前に。
光子は驚きながらも急停止。しかし、勢いで止まりきれず周藤の胸にぶつかった。
慌てて体勢を後ろにそらそうとするも、周藤の腕が腰に回り動けない。
「熱烈な抱擁じゃないか。だが、さっきも言ったとおり時間が無い。
悪いが、さっさと逝ってもらうぞ」
周藤が左手を上げた。ナイフがギラッと鈍い光を放っている。
「や、やめろ!!」
これ以上、目の前でクラスメイトを殺されてたまるか!!
たとえ、それが光子でもだ。
七原は周藤目掛けて突進した。ナイフは振り下ろされず、横一線に引かれた。
「……ぅ!」
周藤がナイフの洗礼を受ける相手を、光子から七原に変更したのだ。
七原は反射神経を利して咄嗟に急停止。ぬかるみに足を取られ大きくバランスを崩した。
だが、それが幸いした。バランスを崩したおかげでナイフとの位置が大きくずれたのだ。
周藤は七原の喉を切り裂くつもりだった。だが七原の左目の下をかすっただけ。
血は出ているが大丈夫。失明の心配も全くない。
もっとも、命の危機にさらされているのに、失明どころではないが。
七原は持って生まれた身体能力で何とか地面に手をつき完全に崩れ倒れることは何とか阻止した。
しかし光子は相変わらず周藤に束縛されている。
いくら光子が勝気な女でも、ナイフで急所をやられたらひとたまりも無い。
だが、周藤は、そうせずに光子を突き飛ばした。
光子は地面に放り出された形となり、七原は慌てて光子に駆け寄る。
「大丈夫か相馬!?」
光子を抱き起こす。光子の手にはナイフが握られていた。
「油断のならない女だな。本当にたいしたものだぜ。普通の女なら硬直して何もできない」
光子は周藤の意識が七原に向いた瞬間を見逃さず、素早く懐からナイフを取り出しつき上げたのだ。
勿論、周藤はそれを察し、光子を突き飛ばした為、かすりもしなかったが。
「あたしを、その辺りの柔な女子中学生と同じに考えないことね。でないと大怪我するだけじゃ済まないわよ」
「そうらしいな」
周藤が一歩前に出た。途端に七原が光子を庇うように光子の前に出る。
「おまえ、女の子まで殺そうってのか!?最低の男のやることだぞ!!」
「殺し合いに女も糞もあるか。第一、その女がそんなタマか」
周藤の言うとおりだった。光子は銃を構えていたのだ。七原の陰になって周藤に銃は見えないはず。
「どきなさいよ七原くん!!」
光子は七原を突き飛ばした。そして――発砲した。
「……なっ」
しかし、弾は周藤の顔面の、すぐ真横を通り過ぎただけ。
周藤は、首をクイッと左に傾けただけだ。
「甘いな。おまえが七原を目隠し代わりに使って撃ってくる以上、その範囲は絞られる。
顔面を狙うと思ったぜ。予想さえ出来れば発砲する前に対処できる」
「……く」
光子は悔しそうに唇を噛んだ。
「相馬、逃げろ!!」
七原はタックルさながらに周藤の脚に飛びついた。
「早く逃げろ!逃げるんだ!!」
「でかしたわ七原くん!!」
光子は、立ち上がると全速力で逃げ出した。
「あなた少し素敵だったわ。七原くん、あたし、あなたのこと忘れない!!」
そうだ、早く逃げてくれ。七原は必死に願った。
オレは死ぬだろうな。でも、光子は逃がしてやれた。
それで十分だ。七原は満足げに、笑みを浮かべた。
だが――突然、七原の体が一気に上昇した。
上昇したかと思うと、次に飛んでいた。いや――投げ飛ばされていた。
「うわぁぁー!!」
「……え?」
何事?光子は思わず振り返った。光子の角膜に映った七原が、一瞬で大きくなる。
大きくなったかと思ったら、それが光子の上に落ちてきた。
「きゃあ!」
これでは光子でなくてもたまらない。光子は、その場に崩れ落ちた。
「は、早くどきなさいよ七原くん!!」
「あ、ああっ」
「この、あたしを下敷きにするなんてどういうつもり……きゃぁぁ!」
光子の悲鳴に、七原は光子の視線の先に反射的に振り返る。
ほんの一メートルほどの位置で周藤晶が腕を組み立っていたのだ。
相変わらず冷たい瞳で二人を見下ろしながら。
「言っただろう、さっさと死んでもらうと。だから逃がすつもりはない」
【B組:残り5人】
【敵:残り2人】
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