三村は走った。それが今の三村に出来る精一杯の戦い。
だが、もちろん、それで終わるつもりはない。
高尾晃司の息の根を止める。たとえ、自らの命と引換えにしてでも。
その覚悟で今自分はこの場にいるのだから。
三村は一度だけ振り返った。高尾と自分との間には距離があった。
今も全速力で走っている。脚には自信があるにもかかわらず、距離が瞬く間に縮もうとしている。
「くそ!」
戦闘能力で差が出るのは仕方ない。
どれほど天才肌であっても三村は戦闘訓練など受けたことがない中学生なのだから。
だが、身体能力においても劣っているとは考えたくなかった。
神様ってやつは、どうしてこう不公平なんだか。
ただでさえ、自分と高尾の間には埋めきれない差がある。
それなのに、もって生まれたものでさえモノが違うって言うのかよ!
それでも三村は走った。道が途切れている、コンクリートの階段が見えた。
かなりの急勾配であったが、一段一段ご丁寧に足をかけている暇はない。
三村は、急いで駆け下りると、程よい高さで一気にジャンプした。
アスファルトの道にドンと軽い衝撃が響く。しかし、衝撃は一つではなかった。二つ。
三村の目前に高尾がいた。
三村が駆け下りた階段。高尾は、それを全て一気に飛び降りていたのだ。
――しまった。
そんな焦りとショックが三村の胸を多い尽くした。
キツネ狩り―162―
「三村くんと七原くん遅いわね……」
美恵は心配そうに、そっと窓の外を覗いた。
(こんな時だ。カーテンの陰からそっと見た程度だったが)
「大丈夫よ。あの二人なら」
「……光子」
「あの二人が死んでも桐山くんと川田くんがいれば、あたしたちの護衛はバッチリだから」
「……え?」
大丈夫の意味がかなり違ったが、あまりにも威風堂々とする光子に美恵は何も言えなかった。
三村や七原とはクラスメイトという以外にあまり接点はない。
ないが、クラスの男子生徒の中ではよく会話をするほうだったと思う。
もちろん、一番親密なのは桐山、そして今は亡き月岡だったが。
(失礼ね、アタシは女生徒よ。月岡なら、そういっただろう)
「……光子」
「何?」
「絶対に死なないでね」
「何言ってるのよ……」
「貴子や月岡くんも死んだ……他の皆も……」
42人いた。42人もいたのに、今はたったの6人。
ほんの数日前までは、修学旅行のバスの中でわいわい騒いでいたのに……。
「ちょっと気が早いかもしれないけど……」
窓に添えられた美恵の右手は震えていた。
「私達が大人になってクラス会したとき、きっと笑って昔の話を出来ると思ってた。
本当にいいクラスだったから……皆、本当に……」
思えば、一年以上同じクラスにいるといっても、よく知った間柄ではない。
美恵にとって仲が良かったのは貴子、月岡、そして光子。
桐山は特別だったが、他にも何人か気心のしれたクラスメイトがいた。
例えば委員長の内海幸枝とか、優しくてしっかり者の日下友美子とか……。
でも、今はいない。最後をみとってやる事もできなかった。
きっと中学を卒業したら、別れ別れになってクラス会まで会う事もない連中が大半だっただろう。
それでも美恵は、このクラスが好きだった。皆の事が大好きだった。
「……だから、もう誰かが欠けるのは嫌なの」
「そうね」
昔のあたしだったら、自分さえ生きていればいい。光子は、そう思ってた。
「大丈夫よ。桐山くんの強さ知ってるでしょ?
民間人の中学生だって、軍のエリートに勝てるってこと証明してるじゃない。
桐山くんがいれば大丈夫よ。それに、あたしだっているしね」
「……そうね。桐山くんは強いわ」
「でも、怖い」と美恵は、呟くように、そう言った。
「あの転校生が怖いのはわかるわ。あたしもあんたも監禁までされたしね」
「その転校生じゃなくて……あのひとが怖いの」
「あの人?」
光子は少し考えて周藤晶のことかと思った。自分達を監禁し卑劣な手段の駒に使った、あの男。
高尾晃司とは美恵は接触していない。だから高尾のことを言っているのではないと思った。
だが、美恵が出した答えは全く逆だった。
「高尾晃司……あの人は怖いわ」
「……どうして。確かに、坂持があいつは要注意だって言ったけど」
「……あの人、同じなの」
「同じって何が?」
「……目が同じなの。以前の……桐山くんと――」
「畜生!」
三村は、左腕を突き上げた。その先には、キラリとサバイバルナイフが光っている。
「!」
だが、三村は、同時に顔色を失っていた。高尾が、スッと横一直線に手刀を引いた。
鈍い音がして、サバイバルナイフの刃が折れた。
「……ば」
馬鹿なと叫びたかった。いくらなんでも、素手でこんなことできるわけがない。
三村の目には見えなかったが、サバイバルナイフの刃には僅かに亀裂が入っていた。
もちろん、それはよほど目を凝らそうとも中々見えないほど、ほんの微かなものだった。
そして、だからといってナイフがすぐに、その性能を失うことなどない程度のものだった。
だが、高尾は、その小さな亀裂に向かって、一点集中した力を加えた。
高尾の力が、ナイフの寿命を一瞬で縮めてしまったのだ。
三村は焦った。焦ったが、クルッとナイフを持っていた手首を回転させると、ナイフの柄で攻撃した。
刃と違って致命傷とはならないが、ボディに一撃加えられたら、かなりのダメージとなるはずだ。
なるはずだったが……まるで特殊効果でも見ているかのように、高尾の姿がスッと視界から消えた。
そして、次の瞬間、三村の突き上げた左腕に、ちょんとつま先をつけてきた。
驚愕する三村、途端に左腕が重くなり、ガクッと下がった。
三村の体のバランスが大きく崩れる。高尾は、すぐにまた飛んでいた。
三村の頭上でクルッと一回転すると背後に着地。三村は、まだ体勢を崩したままだ。
何とか持ち直そうと、三村は地面に右手をつき、すぐに立ち上がった。
立ち上がったときだった。シュルッと首に何かがまかれた。
そして、間髪入れずに首に圧力がかかり呼吸ができなくなった。
「……ぐ」
何かが、糸ほどの細さしかない何かが首に巻かれている。
三村はもがいた。もがいたが、かえって苦しみが増すばかりだ。
(――郁美)
――お兄ちゃん、お兄ちゃん、大丈夫?
そんな心配そうな顔をして自分を見詰める妹の姿が見えた。
――信史、しっかりしろ。こんなところで死にたいのか?
(……叔父さん……っ)
薄れだしてきた意識の中で、死んだはずの叔父の声がやけにはっきり聞えた。
――シンジ、頑張ってよシンジ。オレ達の仇うってくれるんだろ?
(豊……悪い、そのつもりだったが……)
三村の意識がさらに遠のいていった。
痛みや苦しみさえ薄らいでゆく。これが死ぬってことなのか?
絶望に包まれだした三村の鼓膜にとんでもないことが聞えた。
「――残り5人」
(……5人?)
七原……そして、相馬、川田、桐山……そして……。
閉じられかけていた三村の目がカッと開いた。
(……天瀬!!)
三村は左足をあげると、そのままの体勢で背後に向かって回し蹴りをした。
あまりにも無茶なことだ。首に、さらなる痛みが走った。自分で、自分の首をしめる行為。
それでも、三村は構わず仕掛けた。自分の体が傷つくことなど考えなかった。
考えたのは、脳裏に浮んだのは美恵だけ。
「させてたまるかっ!!」
殺させない。彼女だけは!!
叔父がかつていった。愛する人を見つけ全力で守ってやれと。
それは今なのだ。こんなところで永遠の眠りについている暇ないんだよ!!
「……げほっ」
渾身の蹴りは呆気なくかわされた。だが収穫もあった。首にかかった圧迫感が消えていた。
痛みはあるが、痛みを感じることができるなんて、あの世の入り口を覗いた三村にとっては嬉しいくらいだ。
三村は、今だに首に食い込んでいるピアノ線を取り外した。
「……まだ死ねないんだよ」
「…………」
高尾は、無言でじっと三村を見ている。その表情には何もない。
「犬死なんて、サードマンの辞書にはないんだ!それを、貴様自身が身をもって味わってもらうぜ!!」
三村が銃を取り出した。高尾の眉が僅かに歪む。
乾いた音がしたが高尾は絶命などしてない。三村が銃を取り出した瞬間、さっと右に移動したのだ。
弾は高尾の横を通り過ぎ、高尾のずっと背後にある垣根に命中。
だが外したにもかかわらず三村はニヤッと、あの独特の笑みを浮かべた。
それを見た高尾が怪訝な表情を浮かべたと同時だった。
垣根の向こう側から、ドン!!と大きな音がした。
(――爆薬か!)
垣根の向こうに仕掛けてあったのだろう。三村の狙いは最初から、それだった。
高尾が、そう察したと同時に、爆風が一気に赤い光と共に膨れ上がった。
三村は地面に伏せている。三村と違って爆薬の存在を知らなかった高尾にそんな暇なない。
ないはずだ、だから高尾はもろに爆弾の衝撃をくらうはず。
三村の思惑通りだった。高尾の体が木の葉のように宙を舞った。
(やった!)
三村は自身も爆弾のダメージを少なからず受けているにもかかわらずガッツポーズをした。
高尾の体は、道路にまで飛ばされている。しかし――。
「……なっ」
三村は我が目を疑った。道路の真上に飛ばされた高尾が、信号機に片手を伸ばした。
そして、これ以上飛ばされないように、片手だけで、爆風に耐えている。
(なんて奴だ、やはり確実にとどめささないと!)
三村は銃口を高尾に向けた。
今なら、高尾は爆風に耐えているのが精一杯、三村のことまで気を回す余裕は無いだろう。
今だ!今のうちだ!いや、今しかないんだ!!
三村はトリガーを引いた。
引いた瞬間、高尾が、まるで体操の大車輪のように片腕だけで、自身の体を信号機の真上に持ってきた。
佐伯との戦いが三村の中でフラッシュバックした。
あの時も、佐伯は木の枝につかまり、片腕だけで大車輪をしてみせた。
佐伯が出来るということ、その上をいく兵士である高尾も当然できる。
だが、まだ爆風が威力を放っている、この状況でなんて反則だろうが!
三村は再度、銃口を高尾に向けた。
今度こそ、外さない。その体に全弾撃ちこんでやる!!
信号機の真上に立っていた高尾が飛んだ。
大ジャンプだった。数メートル先まで助走もなしに。
(電信柱に移動かよ。だったら、その前に!!)
三村は電信柱の真上に銃口の照準を合わせた。
高尾が電信柱に降り立ったと同時にトリガーを引いてやる。
今度は逃げ場は無いぞ!!
だが、高尾は電信柱の上に降り立たなかった。
「……おい、嘘だろ?」
高尾が降り立ったのは、電信柱ではなく、電線だった。
足場が不安定なことなど全く意に介さず、まるでサーカスの綱渡りのように。
「クソっ!!」
三村は、それでも撃った。だが、電線が奇妙に揺れているせいか、弾が命中しない。
不幸中の幸いなのは、高尾が銃を使おうとしてないことだ。
オレを舐めているのか?それとも、きたるべき桐山との決勝戦に備えて温存かよ。
どっちにしても……今使わないことを後悔させてやる!
三村は走った。アスファルトの道路を駆け上がる。
高尾はと言うと、下に下りるつもりもないのか、電線の上を走って三村を追いかける。
三村は再び銃口を上に向けた。しかし、今度は狙うのは高尾ではない。
電線の先端だ。三村は、トリガーを引いた。
バチバチっと火花を散らしながら、電線が切断される。
高尾の足場となっていた電線が、その役目を果たせなくなって高尾は投げ出された。
二回転して高尾は着地。三村が道路の脇に置かれていたドラム缶を蹴り倒した。
坂道ということもあって、ドラム缶は勢いよく転がってくる。
あの中身も爆薬か、違っても何か可燃物だろう。高尾は、そう考えた。そして、その考えは当たった。
三村がトリガーを引くと、そのドラム缶が派手に爆発したからだ。
しかし、高尾がさっと身を引くほうが早かった。
七原と二人で、せっかく用意したドラム缶も、大した役には立たなかった。
だが、ドラム缶は一つではない。三村は続けて二缶倒した。
最初のドラム缶同様に、勢いよく転がってくる。
また避けるだろうという三村の予測に反して、高尾は自ら向かってきた。
格好の標的に自分からなるってのかよ?だったら、望み通り、爆発と共に散ってもらうぜ!
三村が銃口をドラム缶にセットした。だが、そのドラム缶と数メートルの距離の位置にいた高尾が地を蹴った。
そして、転がっているドラム缶の上に着地。かと思うと、また飛んだ。
高尾の身体能力の高さに一瞬呆気に取られる三村だったが慌ててトリガーを引く。
激しい音。だが高尾は、すでに飛んだ後、もう一つのドラム缶の真上だ。
そして、ドラム缶の上に、と思ったら、また飛んでいた。
まるでテレビゲームの中のキャラクターみたいなことしやがる。
一歩間違えば、もろに爆発のえじきになるのに、あっと言う間に、ドラム缶をクリアしやがった。
思惑が外れて、さぞかし三村は落胆しただろうか?
だが三村は、落胆どころか、その目は強い光を放ち、あの独特の笑みを浮かべていた。
しかし、それは覚悟と悲壮感が同居している笑みだった。
高尾に避けられ、その役目をはたせなかったドラム缶が、まだ転がり続けている。
そして、ピタッと止まった。高尾の目が僅かに大きくなった。
止まったのだ。何かにぶつかったわけでもなく、まだ坂道だというのに。
そして、その瞬間、今までとは比べ物にならない大爆発が起きた。
(――トラップか!)
ピアノ線を張り巡らせ、その糸に引っ掛かると爆弾が爆発する仕掛けになっていたのだ。
しかし、距離がある。いくら今までのものより威力があっても、これではオレを殺せないぞ。
そう思った高尾の耳に、再度、爆発音が響いた。
(――背後から?)
仕掛けられた爆弾は一つではない。あの爆弾がそれらを誘発したのか?
さらに、まただ。今度は距離が近かった。高尾は伏せた。三村もブロック塀の陰に隠れている。
集落が燃え出した。高尾は三村の真意に気づいた。
「……オレを閉じ込めたつもりか」
「今頃、気づいたのかよ。だが、遅いぜ。トラップは作動した……」
この集落を選んだ理由。それは、この狭い地区に家が密集していたこと。
そして、それがドーナツ状だったことだ!
「ここに誘い込めば、どんな獰猛な鳥でも籠に入れられたらおしまいだ……」
爆弾は家々を燃やし、そして、この集落のいたるところに設置された爆薬に引火する。
「最初から、オレ自身が囮になって、おまえをここに誘い込む予定だったんだ。
少々、狂ったが、何とか予定通りになったな……後は……」
後は、この集落が燃え尽きる前に、おまえが逃げるのを、体を張って阻止するだけだ!
「……っ……み、三村……」
オレは……オレは、どうしたんだ?確か……三村に……。
爆発音に、途切れ途切れの意識が一気に覚醒。七原は、ばっと起き上がる。
「三村!!」
三村はいない。どこに行った?それに、今の音はなんだ?
七原は自己問答した、答が出る前に、また、あの音が聞えた。
七原は、外に飛び出した。視線の先に煙がみえる。
「……あ、あの場所は」
忘れるわけがない。三村と二人で、可燃物やら爆薬やらをせっせと仕掛けた、あの集落だ。
ガソリンスタンドからガソリンまで失敬したのだ。
「……じゃ……じゃあ三村は……」
嫌な予感がした。あそこに転校生がいるのは、間違いないだろう。
と、いうことは三村もあそこにいるはずだ。
火柱が七原の視界に映った。一本だけではない。二本、三本、どんどん増えてゆく。
まるで何かを取り囲むかのように、火柱がリング状に広がってゆく。
七原は三村から、詳細は何も聞いてなかった。
ただ、あそこに転校生をおびき寄せるとしか聞いてない。
転校生がトラップの糸に引っ掛かって、爆死するだろうということくらいしか七原は考えてなかった。
なかったが、ここにきて、初めて三村が命を賭けるといった意味がわかった。
「……三村……三村は……」
あいつを、あそこに足止めするために、自分を犠牲にするつもりなんだ!!
「そんなことさせるか!!」
七原は走った。三村、おまえを死なせはしない!!
オレが行く。今すぐに駆けつける。
それまで持ちこたえてくれ!!オレが行くまで!!
「……三村」
だが、七原は何を思ったのか、立ち止まった。
自分は何だ?先ほどの戦いでも三村の役に立ったのか?
いや、それどころか、三村の足手まといになったのではないか?
そんな自分が駆けつけたところで三村の役に立てるだろうか?
三村は、もしかしたら無意味に死体が増えることを避けるために自分に当身をくらわしたのではないのか?
本当に、自分が頼りになる男だったら、最後まで一緒に戦ってくれたのではないか?
そんな疑問が次々に七原の心にふってきた。
そして一つだけ答がでた。今、自分が駆けつけたところで、三村の役には立てない。
かといって、三村をみすみす死なせるわけにはいかない。
七原は考えた。こんなに考えたのは生まれて初めてかもしれない。
そして、一つの結論に達した。
「……でも、この方法じゃあ間に合わないかもしれない」
だが……と、七原は、さらに続けた。
「でも、これしかない」
七原はクルリと向きを変えると全速力で走り出した。
(待ってろ三村!すぐに戻るから!)
オレじゃあダメだ。でも、オレ達は一人じゃない。戻るんだ、みんなのところに。川田と桐山がいる。
二人なら、三村を救ってやれる。だから三村――。
「オレが戻るまで絶対に死ぬんじゃないぞ!!」
【B組:残り6人】
【敵:残り2人】
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