美恵さん、足元に気をつけて。あ、相馬もな」
「何よ、あたしはついでってわけ?」
「いや、そんなんじゃ……」
美恵と光子、それに七原は3人で月岡の跡を追った。
桐山たちも、こちらに向かってきてはいるが、すぐに合流できるなんて期待しないほうがいい。
今は男は自分ひとり。自分がしっかりしなければと七原は必要以上に周囲を警戒した。
「ほら、月岡くんの目印よ」
月岡は数十メートルごとにアクセサリーを落している。
それを探しながら、三人は追跡しているのだ。


「月岡くん大丈夫かしら……」
「大丈夫でしょ。彼、殺しても死にそうもない人格だもの」
「光子ったら」
確かに普段の月岡は殺しても死にそうにない雰囲気があった。
こんなクソゲームの中でも、月岡は頼りがいのある存在ではあった。
頼りになる男であると同時に、包容力のある女の面も持っている。
だが、ここにきて美恵は不安で押しつぶされそうになっていた。
嫌な予感がする。こんな胸騒ぎ杞憂であってほしいけれど――。




キツネ狩り―158―




「ア、アタシを……殺すつもりね」
「つもりじゃないな。殺すんだ」

月岡は思った。ああ、アタシの人生ここで終わりなの?
花の命は短いっていうけれど短すぎるわよ。アタシまだ、たったの14歳なのよ。
こんなに若くて賢くて、おまけに美しいこのアタシが。
でもね。月岡はギュッと拳を握った。


「でも、ただ大人しく殺されるだけと思ったら間違いよ!」


月岡は握り締めた拳を周藤の顔目掛けてはなった。
桐山ファミリーといえば喧嘩の強いことでは有名だった。当然、月岡も例外ではない。
むしろ、その(乙女らしくない)ごつい体格のおかげで腕力だけなら桐山に次いで凄かった。
その必殺パンチを食らえば、軍のエリートとてただでは済まないはず。
が、それはまともに当たればの話だろう。
月岡の拳は、周藤の顔面を紙一重で避ける形で、突き抜けていた。


「あら?」
「残念だったな。おまえが相手にしてきたチンピラならいざ知らず、オレにこのスピードは通用しない」
周藤は、月岡の右手を握っていた手を離した。
そして、今しがた、自分の顔面にぶつけられる予定だった左拳を掴んだ。
「きゃぁ!」

痛い!なんて、なんて馬鹿力なのよ!!
その、端整なお顔に、そんなパワー似合わなくてよ!
昔から、腕力があるのはマッチョマンだって相場決まってるじゃない。
ああ、あなた、桐山くんくらい非常識な男よ!!
でもね……銃を持ったほうの手を離すなんて、あなたミスったわね。
それとも、素人相手だって油断したのかしら?
どっちにしても……「これで終わりよ!」

月岡は、再び、引き金にかかっている指に力を入れた。




「終わり?」
周藤の乾いた口調がやけに印象的に月岡の耳に残った。
ほぼ同時に、周藤に握りしめられている左拳に、力が加えられる。
その瞬間、月岡の体はバランスを崩して、月岡の体はまるでダンスでも踊るかのようにクルッと半回転。
周藤に背中を向ける姿勢となった瞬間、地面に押さえつけられた。
「きゃあ何するのよ!泥にまみれるなんて、アタシらしくないわ!
たとえ、殺されるにしても、アタシは最後まで美しくあるべきよ!」
月岡の美学に、周藤は半ばあきれ、半ば意味不明だった。


(こいつ、自分が殺されるという自覚はあるのか?)

ただの馬鹿か、それとも度胸があるのか?
後者だとしたら大したものだ。もっとも、オレはナルシストは大嫌いだが。

「そんなに殺されるのは嫌か?」
「い、嫌よ嫌よ!!好きなわけないじゃない!!」
「たとえば、桐山を殺す手助けをすれば、今は殺されないと言えば、おまえはどうする?」
「なんですって?」
取引を持ちかけられるのは二度目だ。最初の時はさっさと契約を反故にした。
これが新井田や飯島なら、とびついたことだろう。
しかし月岡は馬鹿でもなければ世間知らずでもない。
もしかしたら、クラスで一番世の中というものをわかっている人間かもしれない。
周藤が本気で取引する気などないことはわかっている。


月岡の考えは当たっていた。
周藤は、仲間なんてほざいている連中の本性を見ておこうという軽い興味を持ったにすぎない。 
周藤は桐山に出し抜かれた。高尾にも遅れをとった。
だから、もうつまらない小細工はやめたのだ。
「……本当なの?」
「…………」
「桐山くんを売ればアタシのこと殺さないって」
周藤は、ああ、こいつもかと思っただけだった。
だから、「ああ」と簡潔に答えた。もちろん、それで興味は失せた。
後は殺すだけだった。しかし――。




「でも返事はNOよ」
「何だと?」

てっきり、喜んで、この嘘取引に飛びつくかとおもった。
周藤は予測していたものと反対の結果に、少しだけ驚いた。
もっとも、それを表情に出すようなことはなかったが。


「アタシのもっとも好きなものの一つを教えてあげましょうか?」


「…………」
「それはね……」
月岡は、懐に手を伸ばしながら叫んだ。


「この世の中自分の思い通りにならないことはないって思い込んでいる人間にNOって言ってやる事よ!!」


月岡は必死になって周藤に腕を伸ばした。
その先には懐に忍ばせてあった痴漢撃退スプレーが握られていた。


「もっと好きなことは、全面勝利を確信した人間に大逆転してやることよ。覚えておきなさい!」

プシューと、スプレーからガスが噴射。ガツっと音がして、月岡は手に痺れを感じた。
あら残念。スプレー缶蹴り飛ばされちゃった。
だが、収穫はゼロではなかった。周藤が咄嗟に身を引いた為に、月岡は一瞬だが拘束を解かれた。
その隙に、月岡は立ち上がると同時に周藤に体当たり。
もちろん、オカマのタックルごときに周藤は全く動じない。だが、僅かに表情が歪んだ。


「貴様」
周藤の懐が微かに軽くなっていた。
月岡は、素早くナイフを取り出し、下から突き上げる。
それで左胸を突き刺す事が出来れば最高だった。
だが、それはさすがにダメだった。周藤が手刀でナイフの刃を折ってしまったのだ。
「きゃぁ!ますます桐山くん並に非常識ね!こんなことアクション映画でも滅多にやらないわよ!」
悪態をつきながら月岡は猛ダッシュ。逃げながら発炎筒を投げつけるという芸の細かさだ。




「……あのオカマ野郎」
周藤は、忌々しそうに眉を歪ませた。
(解毒剤をすりやがった)
月岡は窃盗の類が大の得意。スリに関しては桐山より上かもしれなかった。
(桐山は、月岡と違ってコソコソした行為に興味がないだけだったかもしれないが)
「フン、逃げられると思っているのか?」
周藤は100メートルを10秒後半で走れる。
まして、こんなアウトドアにおいては、尚更月岡より有利だった。


「や、やったわ!」
月岡は小さなガラス瓶を胸に抱きながら必死に走った。
そのごつい体に似合わず黒猫のようにしなやかな動きだった。
「これさえあれば死ななくて済むわ。アタシも美恵ちゃんも光子ちゃんも」
だが現実は非情だった。すぐ背後に周藤が迫っている。
(逃げ切るのは……どうやら無理なようね)
月岡は覚悟を決めたのか、前方が崖に囲まれた開かれた場所に出るとクルリと振り向いた。
「観念したようだな」
「……そうね。悔しいけど」
月岡は懐からピストルを取り出した。周藤は全く慌ててない。
なぜなら戦闘のプロの周藤には、それが偽物だということは一目瞭然だったからだ。


(どういうつもりだ?距離があれば、本物だと見誤ってしり込みするとでも思っているのか?)
月岡は、偽物の銃で時間稼ぎでもするのかと思った周藤だが、それは違った。
月岡は銃口を上に向け、引き金を引いた。パンパンと威勢よく赤い光が宙に放たれる。
その赤い光は空中で数十秒点滅しながら、やがて消えていった。
緊急信号などに使われる合図用の銃だった。
月岡は仲間に自分の正確な位置を知らせるために、それを使った。
だが、仲間が駆けつけるまでには、時間は無い――。














「あった、こっちよ。月岡くんは、この道を通ってるわ」
アクセサリーは確実に月岡との距離を縮めてくれる。
だが、それでも美恵の不安は消えない。それどころか、ますます大きくなってくる。
ふいに月岡が自分に言った言葉が脳裏に過ぎった。
それは、桐山や光子たちと4人で行動とっていたときのことだった。
月岡が、内緒話のように小声で「ちょっといいかしら?」と囁いてきたのだ。




「ねえ美恵ちゃん、アタシのお願いきいてくれる?」
「いいわよ。私にできることなら」
「勿論よ。と、いうか、あなたにしか頼めないことなの。もしもの時は、アタシの遺言だと思って」
「月岡くん、何てこというの!?」
美恵は思わず大声を出しそうになった。
「ごめんなさい。でも、こんな時だもの。勿論、アタシは最後まで生きるつもりだけど。
でもね。でも、もしもアタシが死んだら……」
月岡は、美恵の手を握って強い口調で言った。


「桐山くんのことお願いね」
「月岡くん……!」


「彼……強いけど。だけど、強いだけだから。その分、危なっかしくて、ほっとけないのよ。
でも、残念だけど桐山くんは、アタシの手助けなんか必要としてないし、実際必要じゃないわ。
もしも、彼が誰かを必要とすることがあるとしたら、それは美恵ちゃん、あなただけなのよ」
「そんなことないわ。月岡くんは私と違って強いし頭もいいじゃない。
どう考えたって、私なんかより月岡くんのほうが桐山くんの役に立てるもの。
比べて私は桐山くんに迷惑ばかり……私なんかがそばにいたって桐山くんの役には立てない。
いえ、それどころか、私のせいで桐山くん死んでしまうかもしれないわ」
「そうかもしれないわね」
月岡はさらっと言ってのけた。


「でもね」
だが、月岡は、さらに強い調子で言い切った。
「でも、強くても頭がよくても桐山くんの支えにはならないわ。
アタシがいくらそうでもね。あなたしか出来ない事なのよ。
本当なら、二年も一緒にいたアタシ達桐山ファミリーがそうならなくてはいけなかった。
でもアタシ達には無理だった。だからお願い桐山くんを支えてあげて。彼をずっと愛してあげてね」





あの時、月岡は笑っていた。笑っていたが、瞳の奥には覚悟も見えた。
生きて帰れないかもしれない悲愴な覚悟が。
だからこそ、それを予感して、あんなお願いしてきたのだろうか?
美恵はギュッと目を瞑った。もう、これ以上、誰も失いたくない。
まして月岡は、貴子や光子同様に固い友情で結ばれた親友なのだから。


「急ぎましょう」
美恵は走った。光子も併走する。
「二人とも危ないぞ!男のオレが先頭を走るよ!」
七原が慌てて前に出た。その時だった。
「あ、あれなんだよ!」
七原が上空を指差した。美恵と光子の視線がそれに続く。赤い光がいくつも空で輝いていた。
「月岡くんだわ!」
光子が叫んでいた。その直後、三人は速度をアップさせていた。














月岡は、自分の手前の地面に足で線をひいた。
「……ここから先に踏み込んだら、ただじゃあおかないわよ」
月岡は少しづつ下がる。一歩一歩ゆっくりと。
背後は岩壁。逃げ場は無い。だが、周藤は別のことを考えていた。
(このオカマ、馬鹿じゃない)
どうせ逃げられないのだから逃げ場など必要ない。
反対に岩壁のおかげで、精神を前方だけに集中できる。月岡はギュッと薬瓶を握った。


(早く、早く来て。アタシが生きているうちに早く。
いえ、虫の息でもいいわ。この解毒剤を奪われる前に早く)
周藤が一歩前に出た。月岡の緊張がそれだけで最高点に達する。
「来ないでって言ったでしょう!」
勿論、そんな言葉で周藤が止まるわけがない。
それどころか、速度が増している。すぐに月岡が引いた線を越えた。
「ただじゃあおかないと言ったはずよ!!」
月岡は、ブランデーの酒瓶を取り出した。さらにライターも。
酒瓶の中身はアルコールなんてちゃちなものじゃない。
ただ持ち運ぶのに便利だから、この容器を選んだだけよ!
月岡は点火すると、酒瓶を投げた。カッと、炎が。そして、辺りの枯れ草や、落ちている枝に燃え広がる。

「おまえ、こんなものでオレの動きを封じたなんて」
「もちろん、思ってないわよ!」

月岡はメリケンサックを装着すると殴りかかってきた。




「オカマの腕力舐めるんじゃないわよ!!」
月岡のメガトンパンチ。が、周藤はそれを片手を広げ、掌でやすやすと受け止めてしまった。
「え?」
「おまえこそ、特殊部隊のエリートを舐めないほうがいいぜ」
今度は周藤がパンチを繰り出した。頭に鈍い音がして、月岡は視界が歪むのを感じた。
同時に、足元がふらついてガクッと膝が折れる。

周藤が斜めに見える。いえ、アタシのほうが傾いているのかしら?

漠然と、そんな意識だけはあった。

このまま、地面に倒れるの?ああ……泥にまみれるのはらしくないのに。

だが、倒れなかった。代わりに頭髪に小さな痛みを感じた。
目の前には周藤。どうやら、周藤が髪の毛を鷲掴みしているようだ。


「返してもらったぞ」
「……え?」
殴られた痛みで頭がぼんやりしていた月岡だったが、周藤の一言でハッとした。
(ま、まさか!)
慌てて懐に手を入れる。ない!あるべきはずの解毒剤が!!
瞬間、血の気が引いた。そして歪んでいた視界も、そのショックで元に戻った。
周藤がガラスの小瓶を持っているではないか。

あの一瞬で、このアタシからするなんて!!
しかも、勝ち誇ったように、小瓶を使って片手お手玉なんかしてるぅー!!
ちょっと、落して割ったりでもしたら、どう責任とってくれるのよ!!




「か、返して!返してよぉー!」
「元々、これはオレのものだ。返すのは筋違いだな」
「冗談じゃないわ!それが必要なのよ!!」

それがなければ光子ちゃんも美恵ちゃんも死んじゃう!!
そして美恵ちゃんが死んだら、桐山くんも死んじゃうわ。
桐山くんの心が死んでしまう。やっと、やっと人間の心を取り戻しかけていた桐山くんが!


「素人にしては頑張ったがここまでだ。オレにはまだ倒さなくてはならない相手がいる。
おまえと遊んでいる暇なんてない。これで終わりだ」
月岡が薬瓶に手を伸ばした時、それは起きた。
周藤は薬瓶を高く上げた。そして、空いた手を握り締めた。
鈍い音がした。周藤の拳が月岡の腹に食い込んでいる。
「……あ」
食い込んだだけではない。月岡は確かにきいた。
周藤の拳がヒットした瞬間に、体内からボキッと嫌な音がしたのを。


(……肋骨が)

嘘でしょ?なんて馬鹿力なのよ……。

高く上げられた薬瓶が落ちてきた。周藤は月岡の腹から拳を引き抜き、その手でキャッチ。
引き抜いた瞬間、月岡はグホッと鮮血を吐き、ふらっと体を大きく傾け地面に倒れた。
「肋骨が肺にささったはずだ」
周藤はクルリと背を向けた。
「おまえは間もなく死ぬ。動けば死を早める。大人しく死を待つ事だな」
周藤は歩き出した。




「何?」
周藤は予期してなかった。月岡が足を掴んでいた。
「どういうつもりだ?」
「……なさいよ」
動けば死を早めると忠告したのに、月岡は最後の力を振り絞って立ち上がろうとしている。
「解毒剤返しなさいよ!!」
月岡は、周藤に飛び掛った。無論、半死半生の月岡の攻撃など周藤にはきかない。
月岡もわかっていた。狙ったのは、ただ一つ。周藤に奪われた解毒剤だった。
月岡は、それを掴むと必死になって地面を這いながら後退した。
先ほど、自分がぶちまいた油のせいで火の海となっている場所に。


「どういうつもりだ。今さら、それを取り戻したところで、貴様には必要ないだろう」
「……そうね」
月岡は笑っていた。敵に苦痛の表情見せないのはアタシの最後の意地って奴よ。
「でも……ね。美恵ちゃんと光子ちゃんには必要だもの」
「…………」
月岡は、懐から、もう一つブランデーの瓶を取り出すと、蓋を開け、中身をぶち巻いた。
火はますます高く燃え上がった。
「あ、あんたにはわからないかもしれないけど……」
月岡は炎の向こうにいる周藤をキッと射抜くように睨んだ。


「アタシ……みたいな人間はね。常日頃から……侮蔑の対象だったわ……。
別にいいわよ……世間の人間にどう……思われようと……。
でも……でもね……世間の人間なんかどうでも……いいけど……」

月岡は震える手でハンカチを取り出すと、それに解毒剤を包み、さらにナイフにくくり付けた。

「アタシ自身が、アタシに失望するのだけはゴメンなのよ!」

月岡は、ナイフを投げた。そのナイフは、崖の上にある木の幹に突き刺さった。




「ア、アタシは……美しく……最後まで美しくありたいから……。
だから……せめて何かしないと……かっこ悪いじゃない……。
犬死なんて……アタシ、一番嫌いなのよ。カッコ悪い……」

まして……大切なお友達の役に立てて死ねるのなら……。

「……悪い死に方じゃないわ」
グラっと月岡はその場に崩れこんだ。もう何も見えなかった。
暗闇のずっと向こうから懐かしい声が聞えてくる。


(……沼井くん……笹川くん……ああ、黒長くんまで……)

アタシ……結局、あなた達との腐れ縁……切れなかったのね。

(……美恵ちゃん)
月岡に最後の映像が見えた。暗闇ではない。現実の景色でもなかった。
(……桐山くん)
それは光溢れる世界で、美恵と幸せそうに並んでいる桐山の姿だった。


(……よかったわね桐山くん)


――月岡の意識はそこで完全に消えた。


「最後の抵抗か」
周藤はチラッと崖の上を見て走った。炎を飛び越え、さらに崖をまるでカモシカのように駆け上がった。
月岡の遺産である解毒剤――。
「…………」
周藤は、いったん手を伸ばしたが、何を思ったのか、それを引いた。
「貴様の死に様に免じて、これだけは見逃してやる」
周藤は歩き出した。


「おまえ、いい男だったぜ」




【B組:残り6人】
【敵:残り2人】




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