チチチ……。
小鳥のさえずり。こんな時でなければ微笑ましいものだろう。
もっとも、この男、桐山和雄には、こんな時も、あんな時も関係はないだろう。
関係あるとすれば、今はこの地下の排水溝への入り口だけ。
じっと耳を澄まし、その時を待った。

「――来たな」

他の人間にはわからない微かな足音。
絶対音感を持つ桐山だからこそ、その小さな音を聞き逃さず立ち上がった。

(足音は二種類……一人は転校生。もう一人は三村か七原か)

音は瞬く間に大きくなってゆく、この入り口から二人が飛び出すのも時間の問題だろう。
桐山は銃を取り出し、すぐに訪れるであろう、その時を待った。
「……?」

なんだ?桐山は妙な違和感を感じた――。

「…………」

――小鳥の鳴き声が、止んだ。




キツネ狩り―156―




「飯島くんの死体があったということは、ここから出てくる可能性はないわね」
月岡は、そう結論付け、手頃な岩に腰掛けた。
三村か、七原か、いや両方かもしれないが、今彼らは逃げている。
そして転校生は追いかけている。ここには、もう戻ってこないだろう。
逆走でもしない限りは。そんなことはまずない。
あるとすれば、何かアクシデントがあった時くらいだ。


「……頼むわよ桐山くん、アタシ達の命がかかってるんだから」
今は全く苦痛は感じないし、体力的にも問題ない。
国信という前例を考えても、この毒は半日は全く症状が現れないのだろう。
しかし、言い換えれば半日しか持たないということになる。
半日立てば、三人とも動けなくなる。そうなれば、島の中を移動する事すらできない。
そして、さらに時間がたてば、花の命は蕾のまま終わるのだ。
月岡は人を見る目があると自負している。
その月岡から見て、あの転校生・周藤晶は妙に自信家ではあるが、同時に用心深い男だった。
今、取り押さえなければ、おそらく次はない。
もし逃げられたら、今度は捕獲どころか、位置を確認する事すら難しくなる。


今しかないのだ。今しか。
月岡は桐山を信じていた。信じていたが一抹の不安もあった。
常に華麗なる勝利をおさめてきた不良のカリスマ・桐山和雄。
その相手は、県下では名の通った不良からヤクザまでいた。
だが、どれほど名の通った連中でも、所詮はチンピラ。
今度は違う。正真正銘の戦闘のプロなのだ。
桐山は、そのプロを三人倒した。倒したが――まだ二名生きている。













三村は全力疾走していた。足には自信があった。
(体力測定では、桐山と七原に僅かに及ばなかったにしろ、クラスの中では群を抜いていた)
だが、その自信が大きく揺らぎ始めていた。何度も「畜生!」と叫びたかった。
ただ叫んでも何にもならないこと、第一今やれば呼吸が乱れるのがわかりきっている。
だから、行動には移さなかったが、心の中では叫んでいた。

(……こいつ、速い!)

自分をぴったり追いかけ、その距離は広がるどころか、徐々に縮まってきている。
足元に絡みつく水が三村の体力を奪っているのに、こいつからは息切れが全く聞えない。
特殊部隊で訓練を受けてきた周藤にとっては足場の悪さなど問題ではないのだ。
反対に、綺麗に整備された運動場で走ってきた三村には大問題だった。
こんな場所で、いつもの華麗な走りを披露できるわけがない。
まして、視力が頼りにならない、この地下世界では尚更に。
せめて、せめてここから出ることが出来れば、少しはマシになる。
そしたら、道連れにしてでも、コケにされた代金は支払ってやるぜ。
オレは天才ガードといわれたサードマン。
民間人だと思って舐めるなよ!おまえが相手してきた他の生徒とは一味も二味も違うんだよ!


(……もうすぐだ!)
出口を指し示す光が徐々に大きくなってゆく。
散々なことされたんだ!ここから出たらすぐに反撃してやる!
せいぜい覚悟しておくんだな!三村はすでに、この戦いに命を捨てる覚悟だった。
光はあっと言う間に大きくなり、外界が三村の目に飛び込んできた。
その中に三村は飛び出した。もちろん、周藤もだ。
さあ反撃開始だ!三村が決意を行動に移そうとした瞬間、それは起きた。
ピン……足元に何かが張ったような感覚。
三村が、「何だ?」と疑問を浮かべ、その答がでないうちに、視界に飛び込んでいたのは爆弾だった。




「……な、何だと!」

おそらくは、三村のみならず、周藤も心の中で、そう叫んだことだろう。
その叫びを声に出す前に、ドォォーン!と耳をつんざく音が。
威力はそれほど大きくない。大きくないが仮にも爆弾だ。
普通の人間なら、まともに衝撃を受け、ふっ飛ばされていた事だろう。
そして、しばらくは身動きできない程度の怪我を負っていたことだろう。
しかし、そこは身体能力が普通じゃないことが幸いした。
爆弾を視界に捕らえた瞬間に、二人は盗塁するかのようにダッシュしながら全身を伏せた。
その頭上を爆風が駆け抜けてゆく。


「危なかった……」
バラバラと頭の上に落ちてくる小石の感触。感じるのはそれだけだ。体のどこにも痛みなどない。
周藤の反応は素早かった。すぐに体を起こすとざっと見渡した。
視界の隅に映ったのは銃を構えた桐山の姿。
周藤は横に飛んでいた。同時にパンパンと乾いた音がした。
「こ、今度は何だ!?」
三村は反射的に振り向いた。銃を持った桐山の冷たい瞳が自分を射抜いている。
その桐山が、さっと身を翻して木の陰に隠れた。と、同時に今度は反対側からバン!と火を吹く音。
撃ったのは、もちろん周藤だ。三村を挟んで、銃撃戦が開始、弾が交差しながら飛んでゆく。
「な、何なんだ!!」
三村は身を低くして、その場に伏せた。これでは立ち上がれないでは無いか!!




(桐山!あいつ、三村たちとは袂をわかったのではなかったのか?
いずれ決着つけるつもりだったが、今、ここでやる予定じゃなかった。
オレが、出てくるのを待っていた。あいつ……三村達を泳がせてオレを釣ろうとしたのか!?)

周藤にとっては、これは屈辱だった。狩るべき獲物が、反対に自分を狩ろうとしたのだ。
マガジンを取り替えながら、しかし冷静に周藤は考えた。

(いるのは奴一人か、他に気配は無い。当然だな、大体の位置は分かっても正確な位置なんてわかるわけがない。
オレはたまたま奴が待ち伏せしていた場所に来ただけだ。ふいをつかれはしたが、オレが不利になったわけではない。
少々予定は狂ったが、三村ともども奴も血祭りにあげてやる)

桐山が撃った弾が大きくそれ、周藤のはるか頭上の枝にヒットした。


(バカめ、どこを狙って……)
ハッとした。バサッという嫌な音がしたからだ。
確かめようと真上を見るのが普通の人間、しかし周藤は普通では無い。
その音で、何が落ちてきたのか見当がつく。
周藤は特殊部隊のエリート。トラップの類も勿論知り尽くしていた。
網、網が落ちてくる音。周藤は、その場からパッと背後に飛びながら懐からナイフを取り出した。
網は思っていたより大きく、位置を少し変えただけではダメだった。
周藤はふり落ちてくるそれに向かって、一気にナイフを振り切った。
網は大きく破れ、周藤を捕獲する能力を失う。だが、こんなものはおそらくは囮だろう。

周藤は、桐山に眼を向けた。案の定だ、奴の姿がない!気配も絶っている。どこだ、どこにいる?

……葉っぱがひらひらと落ちてきた。

「――上か!!」

周藤は、銃口を真上に向け引き金を引いた。














「……あの音は」
川田は立ち上がった。どうやら始まったようだ。
「……あの若様のことだ。一切の躊躇も容赦もないだろう」
特に、あのお嬢さんの命がかかっているから尚更だ。
「七原と三村ごと転校生を攻撃しかねないな……あいつの性格だと」
川田は、おそらく美恵を除けば、この世で最も桐山という人間をわかっているだろう。
「二人をむざむざ殺させるわけにはいかないな」
少々頭痛がするのもかまわずに川田は走り出した。














「光子、あの音……!」
「あんたも聞えた?」
それほど大きくないが、確かに、このゲーム始まって以来何度も聞いた音だ。
音量からして、ここからは離れた場所だろう。
「よかったわ。あたしたちが巻き添え食う心配ないわよ」
「でも光子……」
「大丈夫、大丈夫よ。桐山くんも川田くんも強いんでしょ?
あたし達みたいなか弱い女の子はね、飛び切りの笑顔で男の帰りを待ってればそれでいいの」


光子がか弱いかどうかは置いておいて、美恵には一つだけ気になる事があった。
それは、今だに離ればなれになっている貴子と杉村のこと。
美恵は二人を待つ事は無駄だということは知らずに、二人の無事を今も祈っている)
二人がもし転校生に襲われたとしたら、それは周藤晶ではなく高尾晃司のほうだ。
佐伯や周藤に監禁されてわかったことがある。
それは高尾が決して手を緩めない完璧な殺人兵器だということだ。
その高尾が、こんな派手なパーティーを見逃すだろうか?














周藤の目に飛び込んできたのは、ただの木の枝だった。

違う!これは囮だ、奴はどこだ!?

周藤は瞬間的に、自分が立っている位置と周囲の状況を脳内でグラフィック化した。
木々に囲まれている。その自分の立ち位置からして、もっとも確実な弾道は――。


「左斜め後ろ!」
周藤は、振り向いた。桐山がすでに銃口を向けていた。
火が吹いたのが見えた。その瞬間左肩に痛みが走った。
「……っ」
肩の肉をえぐられた。やばかった、気づくのが遅かったら完全に貫通していた。
咄嗟の判断で体勢を崩したから、この程度で済んだ。
済んだが、全てにおいて完璧を求めてきた周藤の美学と信念に大きな傷がついた。
自分は歴代の特撰兵士の中でも特別な存在なはずだ。それを、この男は出し抜こうとした。
例え、この男の正体が何であれ、周藤には到底許せることではない。
高尾晃司に匹敵する天才だということに敬意を示して、もっと別の場所で誰にも邪魔されずに一対一の戦いを望んでいた。
しかし、こうなったら、もう、そんなことは言っていられない。


「残念だ。楽しみたかった」
今、ここで全ての弾を使い切ってでも、貴様を殺す!
周藤は、さらにもう一丁、銃を取り出した。
携帯している銃の数と質は、明らかに周藤が有利。
だが、ここで周藤にとって計算外のことが起きた。
もしかしたら、その計算外は桐山にとっても同じだったかもしれない。
周藤の地面に映る影、その影が全く違う影に飲み込まれた。
「何だと!!?」
何かが自分の頭上を飛んでいる。その何かが向かっている先にいるのは――。




「危ない、逃げろ桐山っ!!」

叫んだのは三村だった。二人の戦いを少し離れた場所から見ていた形になっていた三村にはわかったのだ。
周藤よりも、さらに恐ろしい敵。そいつが周藤の真上の木々を軽やかに飛び越えていたのが。
そいつの狙いは決まっている。超高得点生徒・桐山和雄。

「晃司っ!!」

しまった、そんな平凡で情け無い台詞が、周藤の胸を過ぎった。
戦いを起こせば、高尾が駆けつけるであろうことは予測できる。
だが、速すぎる!まるで、ここで戦いを起こすことが分かっていたとしか思えない。
そのくらいにタイミングが良すぎる。
たまたま近くにいたという偶然もあるだろうが、生憎と周藤は偶然なんてものを鵜呑みにする性格ではなかった。
ぱららら。マシンガンが火を噴いた。咄嗟に木の陰に隠れた桐山だったが、さらに弾丸のシャワーはふってくる。
そして、高尾は確実に距離を縮めてくる。
拳銃とマシンガンでは話にならない。しかも高尾は平然と片手でそれを使いこなしているだから。


(晃司が桐山を殺したら――)

オレの優勝の可能性はゼロだ。それだけは避けなくてはいけない。

「晃司!それはオレの獲物だ!!」


まるで観客のように(そんな結構なものではないが)三人を見ていた三村は一瞬呆気に取られた。
転校生達は仲間じゃなかったのか?
その仲間に対して、なんと今しがた自分を追い続けてきた男が攻撃を仕掛けたのだ。
殺すつもりでは無いだろう。ただ背後から蹴りを繰り出しただけだ。
殺すつもりなら、背中に銃弾をプレゼントすれば、それで終わる。




高尾はスッと、その蹴りを避けた。避けたが銃を撃つのは止めてない。
「何のつもりだ晶?」
「それはこっちの台詞だ。とんびに油揚げとられるようなマネをオレを許すと思うのか?」
「オレはおまえから横取りしたわけではない。最初からわかっていた」
高尾は懐から手榴弾を取り出した。
「何だと?」
「全ては、おまえが手はずを整えてくれた。オレは待っていただけだ。
おまえが仕掛けた網に連中がかかり、そして、それに桐山和雄が巻き込まれるのを」
手榴弾が宙を舞った。さらに高尾はボール大の大きさの何かを一緒に投げている。
高尾の性格を知っている周藤には、それが何なのか察しがついた。行動も早かった。


(こいつは後先考えないくらいにやることがメチャクチャだからな!)
手榴弾は、生徒の学校襲撃を想定している為、威力は正規のものより劣る。
だったら、その威力を補ってやればいい。
爆弾でなくても火をつければ爆発するものなんて世の中たくさんある。
こんな島でも簡単に手に入る。高尾は、それを手頃な容器に入れ、数個持っていたのだ。
それはガソリンスタンドで失敬したガソリンだった。


銃声など比較にならない耳をつんざくような音がして、あっと言う間に、辺り一面が火の海と化した。
「な、何なんだ、あの野郎は!!自分も爆発に巻き込まれるかもしれないんだぞ!!」
三村は自分の見ている光景が信じられなかった。
いや、信じたくもなかった。あのクレイジー野郎、また何か取り出している。
桐山一人を確実に殺す為に、ここまでするのか!?


爆発が再び火の海で起きた。瞬く間に炎が何倍にもでかくなる。
このままでは火に囲まれ、逃げ道すらなくなるではないか。
(桐山!桐山は無事なのか!?)

炎の向こう側にチラッと桐山を見た。よかった、なんとか無事なようだ。
……って、全然良くないぞ!!時間の問題じゃないか!!


(どうする?どうすればいい!?)

よくわからないが転校生達は仲間割れしているようだ、逃げるなら今しかない。
今しかないが、すでに三村自身、炎に囲まれ手も足も出ない。
このまま焼け死ぬのを待つのか、その前に、あいつに撃たれて死ぬのか?
絶望感が三村を襲った。だがパンドラの箱には希望が残っていた。




「桐山、三村ー!!」
三村はハッとして顔を上げた。何かが来る、エンジン音が聞える!
川田、川田だ!!車で、この炎の海につっこんできた。
「か、川田!」
「乗れ、さっさとしろ!!」
まただ。また爆発、そして熱を含んだ爆風。
転校生の位置すらわからない。それどころじゃない!
「あいつ何なんだ!!正気じゃない、下手したら自分も死ぬかもしれないんだぞ!!」
「そんなことオレが一番わかってる!!さっさと乗れ!!」
三村が後部座席に乗り込むと同時に川田はアクセルを踏み込んだ。
「次は桐山だ!!」
炎と煙、そして爆風で視界に映る景色は最悪だった。
それでも川田は桐山を見つけ、ギアをトップに入れた。


「晃司、貴様、まさか」
「今は、おまえの相手をしている暇は無い。オレはオレの仕事を優先する。
それがオレの存在理由だからな。文句は後でいくらでも聞いてやる」
「オレがそんな曖昧な答で納得すると思っているのか?」
「……そうか、だったら納得しなくていい。その代わりに受け取れ」
高尾は、さらにガソリン入り容器を取り出した。それを周藤に向かって投げる。
周藤は舌打ちすると、当然のごとく猛ダッシュしていた。
背後から、すでに耳に馴染んだ爆発音。
このままでは桐山を殺す前に、こっちが焼け死んでしまう。その桐山はどこだ?


周藤はとんでもないものを見た。車が炎の中を走っている。
そして、「乗れ桐山!」という声に反応して、桐山が走行中の車の上に飛び乗ったではないか。
そのまま車は猛スピードで駆け抜けようとしている。
このままでは、せっかくの千点ボーイに逃げられてしまう。
「逃がすか」
だが、すでに周藤の前方は火柱が猛り狂っており、とてもじゃないが、これを突破できそうもない。
それどころか、このままでは自分まで煙と炎に巻かれて死んでしまう。
周藤は屈辱的な行為を取らざるを得なかった。
クルリと向きを変えると、今しがた自分が飛び出してきた、あの排水溝に向かって走ったのだ。
悔しいが、あそこしか逃げ場所がない。周藤は再び暗闇の中に身を投じた。




「……晃司め」
普通なら、死ぬしかないような業火。だが、あいつはそんなたまじゃない。
高尾のせいで周藤の計画は完全に破綻した。桐山どころか三村さえ取り逃がしてしまったのだ。
だが、それ以上に周藤には許せないことがあった。高尾が言った、あの言葉。

『おまえが手はずを整えてくれた。オレは待っていただけだ』

周藤は拳を握り締めた。爪が掌に食い込むくらいに。
そのくらいの屈辱。こんな屈辱はかつて味わった事がなかった。
なぜ高尾があんなことを言ったのか、周藤にはすでにわかっていた。
周藤は苦々しそうに学ランを脱いだ。後ろ襟首に触ると微かに違和感を感じる。
サイズは極小。そして本当に目立たない位置にそれは付いていた。


(……超小型盗聴器)

あの時か……学校で再会した時、いつの間にか付けられていた。

「……クソ」
周藤は、それを握りつぶした。小型とはいえ軍が作り上げた強化製。
しかし、周藤の怒りの握力には耐え切れず、次に周藤が手を広げたときには、バラバラと金属が手から零れ落ちた。
他人を利用することはしても、利用されるのは許せない。
それが周藤の生き方だったし、利用なんてされるわけがないと思っていた。
それを高尾は呆気なくやってくれた。全てを破壊しても足りないくらいの感情が周藤の内側を駆け巡る。
その感情を周藤は必死に抑えた。

「……自惚れるなよ晃司。これはオレ自身のミスだ。貴様の手柄じゃない。
こんなことでオレに勝ったなんて思うなよ」


「どんな手段を使ってでも最後に勝利するのはオレだ。晃司、貴様じゃない」




【B組:残り7人】
【敵:残り2人】




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