「……!」
周藤は足を止めた。いるべきはずのターゲットがいない。
湿気に満ちたトンネル内。あるのは冷えた空気だけ。
もちろん隠れる場所なんてない。人の気配が全くないのだ。
「トラップを解除して、トンネルから出た……のか?」
いや、違う。トラップは何も手を加えられていなかった。
つまり、三村たちは、忽然とこのトンネル内から姿を消した事になる。
静かに水が滴る音だけがトンネル内に反響している。いや、滴る音だけではない。
水が流れる音……そして、吸い込まれていく音も微かだが聞える。
「……なるほど、そういうことか」
周藤は、ニッと不敵な笑みを浮かべた。
キツネ狩り―154―
「桐山くん、どこに行くの?」
桐山は、ゆっくりとではあるが、しっかりした足取りで歩いていた。
どうやら、見晴らしのいい丘を目指しているようだ。
「周藤晶を捕捉する。解毒剤を手に入れることが最優先だ」
それは美恵のみならず、月岡や光子にとっても同じだった。
「でも、あいつがどこにいるのかわからないんでしょ?桐山くんは、どこに向かっているの?」
闇雲に動くのはまずい。毒というものは動けば、それだけ体内でのめぐりが早くなるのだ。
「あいつは、自分から来るはずだ」
「え?」
「下からは見えないと思うが、背を低くして注意しろ」
四人は丘に出た。桐山以外の三人はあっと小さく声を出した。
「……ここ」
「わかるだろう。ここで待機する」
「待機って……」
「奴は必ず来る」
桐山は大木に背を預け、その場に座り込んだ。
「新井田は間違いなく奴と内通していた。だが、内通しているのは、もう一人いる」
「どうしてわかるの?」
「新井田一人にスパイをさせるつもりなら、あんな行動は取らせない。
新井田が拘束されれば、こちらの動きはわからなくなる。奴にプラスは無い。
だが奴は新井田に行動させた。それは新井田がいなくても、他に駒がいるからだ」
「み、三村……少し、ゆっくり歩いてくれよ」
「ダメだ。さっさと歩くんだ飯島。それとも転校生に殺されたいのか?」
「で、でも……オレ、もう限界だよ」
飯島は、その場に倒れかけた。バシャと、水がはねる。
「三村、少し飯島を休ませてやろう。転校生はここまで追いかけてこないだろう」
三人が歩いている場所は酷いものだった。真っ暗で壁がぬめぬめしていて空気の臭いも歓迎できたものではない。
おまけに、三人のアキレス腱の部分まで水があり足元は水没している。
三人が逃げ込んだ場所は下水道だった。三村はトンネル内で、雨水が流れ込む音から下水道の存在を知った。
後は、考えている余裕はなかった。マンホールを探し、蓋を開け、飯島と七原を押し込めるように入れた。
そして、今は、この地図さえない、地下の排水用水路を歩いている。
懐中電灯が唯一の灯りだが、この暗闇の中では、ほんの数メートル先すら、よく見えない有様だ。
とにかく出口だ。どこでもいい出口を探すんだ。
「うわぁ!」
「な、なんだよ飯島!」
「ね、ねずみが!」
「ね、ねずみかよ……脅かすなよ」
カツーン……。三村の両目がカッと大きく開いた。
「だ、だって、でかくて……さ。オ、オレ……昔、ホラー映画で人間襲うねずみの大群見て」
「映画だろ?馬鹿だなぁ、あんなの映画の中だけだ」
「……二人とも静かにしろ」
三村の声は低く小さかったが、その口調はきつく、そして焦ってもいた。
「どうしたんだよ三村」
「……急ぐぞ。いいか、なるべく音をたてるな」
たてるなと言われても、この地下道は、一歩歩いただけで音が反響する。
「なんだよ三村。もう安全なんだから、そんなにうるさいこと言う事ないじゃないか」
忠告したにもかかわらず、大きな声で返答した飯島。
三村は、何もかも忘れて、怒鳴りつけてやりたい心境になった。
だが、ダメだ。代わりに飯島の口を手で塞ぎ、凄い目つきで、こう言った。
「いいか飯島。今度、オレの忠告を無視したら、オレがおまえを殺すぞ」
三村のあまりに迫力に飯島はわけもわからず、ただコクコクと頭を動かした。
三村の様子に、それまで逃げ切れたと安堵しきっていた七原にも緊張が走る。
「ど、どういうことだよ……三村」
七原の問いに答える前に、三村は「こっちだ」と進路を変更した。
そして、小石を三つばかり拾い上げると、何やら壁に重ね置いている。
「……いくぞ」
三村は、「いいか声は上げるな」と忠告してから、懐中電灯のスイッチをOFFにした。
「な、なんだよ三村。これじゃあ、何も見えねえよ」
即座に文句を言う飯島。今度は音量は小さかったが、それでも三村に睨まれた。
もっとも、暗闇の中では、その恐ろしい目は見ずに済んだが。
「目はその内に慣れる。足元には注意しろ」
二人は言われた通り、三村の後について行った。しばらくすると、背後でカラン……と、音がした。
三村が先ほど置いた小石だ。バランスが崩れて転がったのだろう。
その小石が置いてあった通路の曲がり角から、微かに音がした。
カツーン……今度は三村だけではない。七原と飯島にも聞えた。
「……み、みむ……三村」
「喋るな七原……いいか、ゆっくりだ。絶対に音をたてるな」
三人は、まるで対極拳のように、スローモーションな動きで移動した。
しかし、全力疾走する以上に、神経は張りつめ、発汗の量が尋常ではない。
三村は額から流れる汗もふかずに、ただ一歩一歩をゆっくりと歩いた。
(大丈夫……大丈夫だ。そうだよな、叔父さん?)
あの音……もしかしたら、この地下道にひそむ小動物のものかもしれない。
しかし、そんな甘い考えに縋るには、三村はこの数日間であまりにも多くの死体を見すぎてきた。
転校生だ!間違いない。大丈夫だと思ったが、この下水道に逃げ込まれた事に気づかれたのだ。
そして、追ってくる。あの小石は、この通路とは反対側に置いた。
あれに引っ掛かって、向こうの通路に進んでくれる事を祈るだけだ。
ポチャーン……水滴が一つ。飯島の後ろ首に落ちた。
「……ひ」
三村は咄嗟に飯島の口を塞いだ。
声を出すなと、人差し指を自分の口の手前に持ってきて、ジェスチャーで伝えた。
飯島は、何度も頷いた。再び、三人はゆっくりと歩き出した。
遠くで、カツーン……と、再び、足音が聞えたような気がした。遠くで……距離が広がっているのだ。
良かった。あの小石に騙されて、あいつは見当違いの進路を取ったのだ。
反対方向にだ。後は、こちらは出口を探して地上に出るだけ。
やがて、足音どころか、完全に何も聞えなくなった。聞えるのは、この水路に流れる水の音だけだ。
シーン……と、静まり返った、その空間のはてに、小さな光が見えた。
「三村!」
七原が弾んだ声で叫んだ。
「ああ、出口だ」
三村の声もまた弾んでいた。良かった。これで、ひとまず危険は完全に回避された。
三村はすでに脳内で、この地下水路から出た後のプランを駆け巡らせていた。
不幸にも袂をわかってしまった桐山や、単独行動を取っている川田を探す。
まずは、それだ。何よりも優先しなければならない。川田の言うとおり、バラバラになってはダメだ。
今、生き残っている生徒は、たったの八名。
(杉村と貴子の死は、七原から聞かされた。ショックではあったが悲しむ暇はなかった)
残りの転校生は二名。とにかく団結するしかないだろう。
出口を示す光がどんどん大きく、そして眩しくなって、三村の視界に広がってゆく。
あと少し、百メートル11秒前半で走れる三村にとっては、大した距離ではなかった。
精神と肉体の疲れ、それに足元にまとわりつく水が邪魔ではあったが。
それでも三村の心は翼が生えたように、足が軽やかだった。
思い出す、体育祭でのリレー。アンカーを務めたのは三村だった。
七原からバトンを受け取った時点で、B組は3位だった。
最後の一周、前方を走る二名を抜き去り、テープを切った、あの瞬間。
あの時の興奮に似ていたかもしれない。
もうすぐだ――もうすぐ、オレ達は――。
まぶしい光。静かな、その視界の中に、バシャ……と、水の音がした。
「…………っ」
三村は反射的に足を止めた。先導していた三村が急停止した為、後ろの二名が三村の背中にぶつかった。
「どうしたんだよ三村」
きょとんする七原。三村は何も応えずに、ただ前方を見ていた。
七原は三村の肩越しに、前を覗き込むように見詰めた。
何もない……ただ、暗闇の中に、光が一つ。ただ、それだけ……。
「……馬鹿な」
「どうしたんだよ三村……何もないじゃないか」
もう一度前方を見た。眩しい光。ちょっと目が痛いくらいだ。
「……そんな、そんな馬鹿な」
三村は、ただじっと前を見ていた。その表情はわからない。
しかし、その声は途切れ途切れで、恐怖の色が強く現れている。
「そんな……馬鹿な!」
「ど、どうしたんだよ三村……何もないじゃないか、出口が……見えるだけ……」
暗闇に慣れていたせいか、七原には前方の光が眩しすぎて、よく見えなかった。
「……何も」
その時、七原は、違和感を感じた。光……出口の光の中央に、微かに影が。
七原は目をこすった。幻覚かと思ったのだろう。
だが、さらに目を凝らしてみると、微かだった影が今度は、はっきりと見えた。
光の中央に影がある……何かがいる。
「……馬鹿な、馬鹿な!!なぜだ!!」
三村は叫んだ。まるで、今まで築き上げたものが一瞬にして崩壊するような、そんな失望、いや絶望感。
「……あ、あれは」
その絶望感の正体を、今度は七原の目がしっかり捉えた。
「どうして……どうしてだよ。どうしてなんだ!!」
今度は七原が叫んでいた。
光の中央に見えた影。それは人影――出口に立っている人間がいた。
「……そういうことね。桐山くん、あなた、いい性格してるわよ。
でも、そんな、あなたがアタシ大好き」
月岡はふふっと笑った。光子も笑っていた。ただ美恵だけが笑えなかった。
「……静かにしろ。誰か近づいてくる」
三人は桐山の指示に従って岩陰に隠れた。やがて男が一人現れた。敵ではない、川田だ。
「川田章吾……何しにきた?」
岩陰から桐山が姿を現すと、川田はホッとした反面、困惑した表情で言った。
「……桐山、頼むから、少しはオレ達と仲良くしてくれ」
「何のことだ?」
「……十年前にタイムスリップして、おまえを再教育してやりたいよ」
「馬鹿な!なんで、あいつが、あそこにいるんだ!!」
七原は見た。立っていた人間の顔を。憎むべき敵・周藤晶の、その姿を。
「クソ!逃げるぞ!!」
こうなったら、全力逃走しかない。三村に先導されて、線速力で走った。
周藤は、敵は……どういうつもりなのだ?余裕があるのか、ゆっくり追いかけてくる。
「こっちだ!」
三村は小さな通路に入るように促した。狭いがハッチがついていたからだ。
三人が入ると三村と七原は、すぐにハッチを閉めた。
これで一安心だ。なぜ、あいつが出口で待機していたのかはわからない。
反対側にまわったはずのあいつが、なぜ?きっと偶然だろう。そして偶然なんて、二度も続かない。
三人は狭い通路をひたすら走った。光が見えた。やった出口だ!今度こそ脱出成功だ!
しかし、その希望は再び絶望と供に奈落の底に。出口の光の中に、またしても人影。周藤が立っていた。
「畜生!!こっちだ、早くしろ!!」
三村はすぐに方向転換。全力で走った。
(なぜだ?!なぜ、オレ達の先回りを一度ならず二度までも!!
なぜだ、いくらなんでも、二度目は偶然じゃない!なぜ……)
その時、三村の脳裏に桐山の言葉が浮んだ。
『三村、今すぐ、全員の身体検査と荷物検査をやれ』
三村は足を止めた。
「三村?」
今は一刻を争うのに、立ち止まっている暇なんてないのに。
「三村、どうしたんだよ!早く、あいつから距離を取らないと!」
三村は、ゆっくりと振り向いた。そして七原と飯島を交互に見詰めた。
「……三村?」
(……身体検査……裏切っていた新井田……合流した時、飯島はどうだった?)
飯島は怯えていた。何かに異常に怯えていた。
『今すぐ、全員の身体検査と荷物検査をやれ』
再び、桐山の、あの言葉が三村の頭を駆け抜けた。三村は、反射的に飯島を壁に押し付けていた。
「飯島ぁ!!」
「み、三村?」
七原は何が何だかわからないといった表情で三村を見た。三村は、飯島の上着に手をつっこんだ。
「お、おい三村!やめろ、やめろよ、おまえ何してるんだよ、こんな時に!!」
七原の制止もきかない。そして、三村は何かを取り出した。
真っ青になった飯島が、「か、返せよ!」と両手を伸ばす。
しかし、三村は、それを高く上げて、飯島に返還する意思がないことを示した。
「……け、携帯?おい三村、おまえ、何してるんだ。携帯がどうしたっていうんだよ?」
「……通話中だ」
「……え?」
「ずっと通話中になってやがる!!」
七原は、ますますわけがわからなくなった。
反対に、飯島は青いのを通り越して、顔色が真っ白になっている。
「……やってくれたな飯島。また、やってくれたんだな」
三村の口の端がかすかに上がっていた。もしかしたら笑っていたかもしれない。
「新井田だけじゃなかった……おまえも連中と通じていたんだな」
「な、何のことだよ……三村」
飯島は否定はしているが、その口調はあきらかに弱弱しかった。
「この携帯だ。これが、おまえの位置を……つまり、オレ達の位置をあいつに教えていた」
三村は、もう遅いと思いながらも携帯の電源を切った。
しかし、それではおさまらず壁に叩きつけた。携帯電話は部品を撒き散らしながら下に落ちた。
「これは居場所がわかるタイプの携帯なんだろ?
しかも常に通話中にすることによって、オレ達の会話は筒抜けだったんだ。
オレ達が仲間割れしたことも!桐山がいなくなったことも奴にはわかっていたんだ!
だから、手薄になった時、奴は襲ってきたんだ!そうだろ飯島!!」
「……し、知らない……オ、オレ……知らない……よ」
飯島の脳裏に、あの時の恐怖が浮かんできた。ゲーム開始早々に周藤晶と出会った、あの恐怖の瞬間が。
周藤晶は森の中で、赤外線を仕掛けていた。
桐山は、赤外線に添って虫が飛んでいることで、赤外線の存在に気づいた。
桐山だから気づいた。飯島は見事に周藤の仕掛けた蜘蛛の巣に引っ掛かった。
殺される!そう思った。しかし、周藤は意外な申し出をしてきた。
『助かりたいか?だったら、オレの命令を聞くことだな。
おまえは、仲間と合流して、奴等の動きを逐一連絡しろ。
ただし、目立った行動は絶対にとるな。
まあ、貴様のように小心者なら、言われなくても、そうするだろうな』
「……飯島、おまえなんてことをしてくれたんだ」
「だ、だって……」
飯島は涙目になりながら言った。
「だって、しょうがないだろ!承知しなけりゃ、オレ殺されてたんだ!
誰だって同じ事するさ。三村、おまえだって、自分の命がかかったら同じことするだろ!
オレ死にたくない!生きて帰りたいんだ!!
そ、その為には……あの人に従うしかなかった!だから……しょうがないんだ!」
「おまえと一緒にするんじゃねえよ」
三村は、悔しそうに唇を噛んだ。
「なんでわからないんだ……本当に、おまえの命を助けてくれると思っているのか?」
「……え?」
「よく聞けよ。おまえはもう用なしなんだ。あいつらが、どんな……」
三村はハッとした。確かに背後に気配を感じた!
「逃げろ七原!!」
何かが飛んでくる。三村と七原の動体視力はそれを捕らえていた。
そして、反射神経の優れた二人は、咄嗟に、その場から猛ダッシュで逃げていた。
だが、飯島には、そんなことは出来ない。ガチャン!それはガラス瓶が落ちた音。
そして間髪いれずに爆音。そのガラス瓶は、周藤が病院で見つけたニトログリセリンだったのだ。
「うわぁぁー!!」
爆発の後、そこにはのたうちまわる飯島の姿があった。
顔を両手で覆って悶絶している。ガラスの破片が目に刺さったのだ。
「しくじったな飯島。まあいい、そろそろばれる頃だと思っていた」
「そ、その声は……す、周藤さん!!」
飯島は、足音がする方向ににじり寄った。
「た、助けて……助けてください!!い、痛い、痛いよぉー!!
く、苦しい……お願い助けてぇー!お願いだから、楽にしてください。痛えよー!!」
「…………」
周藤は冷たい目で飯島を見ていた。
「あ、あいつら!三村と七原……あ、あいつらの……あいつらの命が目的なんでしょ!!?
あいつらの命と引換えに助けて……助けてくれるって!
い、痛いぃぃー!は、早くぅぅー!!た、助け……。な、なんで黙ってるんですか!!
オレのおかげでここまでやれたのにぃー!!さっさと、なんとかして下さいよ!!」
「……そんなに、楽にして欲しいのか?」
飯島は両目を押さえながら、激しく頭を上下にふった。
「……そうか来い」
周藤は飯島の襟を掴んで強引に立たせた。
そして引っ張った。どこに行く気だ?光を失った飯島には何も見えない。
周藤は地下の出口に立っていた。
ただし、その出口は、滝のようになっており、下は十メートルほどの距離。もちろん、飯島にはわからない。
「おまえ自身が望んだことだ」
周藤は、飯島の背中を押した。途端に飯島の体は空中に。
「――え?」
目が見えなくてもわかった。自分の体が引力の渦に急激に引きずり込まれるのが。
「ぎゃぁぁぁー!!」
グシャ……そんな音がして、周藤の視界に映る水流が赤く染まった。
「楽になりたい。そう、おまえは望んだ。望みは叶えてやったぞ、感謝しろ」
【B組:残り7人】
【敵:残り2人】
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