「クソ、閉まってる!!」
開かない!!どうして開かないんだよ!!
七原は、必死になって扉を叩いたが、乾いた音が耳に響くだけ。
扉の向こうは揺らめく炎が真っ赤な絨毯となって床を覆っている。
だが完全に燃え広がってはいない。所々、何とか炎に覆われていない箇所もある。
そこを走り抜ければ、この灼熱地獄も耐え切れないことはない。
炎よりも、延々と立ち込めているドス黒い煙のほうが目立っていた。
「クソ!……なんとか、このガラス扉をぶっ壊して……」
七原はハッとした。
「す、杉村!!」
杉村!杉村が、あの転校生と落ちる!!
七原は、強化ガラス製の自動扉にへばりついた。
二人の落下地点は、よりいっそう炎が激しい箇所だ。
あんな所に落ちたらひとたまりも無い!!
「……え?」
七原は見た。転校生が空中でクルッと回転して杉村を蹴った。
その勢いで方向転換し、フロアーの隅にあった銅像に向かって落ちだした。
二メートル以上ある、その銅像の先端だけは、かろうじて炎の海から僅かに出ていたのだ。
その先端に転校生が着地。だが、銅像はグラッと傾いた。
すぐに倒れるだろう。あの転校生は炎の海に真っ逆さまだ。
どんなにもがいても、後は溺れるのみ。七原は小さくガッツポーズをとった。
だが――転校生は銅像が倒れる前に、銅像を蹴ってジャンプしていた。
ジャンプなんかしたって届くものか!どんな化け物だろうと人間である以上、限界がある!
そんな七原の常識を脅かすほど、高尾は大きく飛んでいた。
だが、だがまだ届かない。あの化け物もここまでだ――と、七原が思うと同時に高尾は何かを投げた。
七原の視力を持ってしても見えなかったが、それはナイフだった。
どういう投げ方をしたのか、まるでブーメランのように弧を描いて回転しながら飛んでいる。
吹き上げの一番真上、天井から吊り下げられているいくつもの飾り玉。
それを吊り下げている紐がたった一本のナイフによって次々に切断。
直径50センチほどの飾り玉が次々に落ちてくる。
高尾は、その飾り玉を足場にして、足りない高さを補い、二階の踊り場に飛び上がっていた。
そして――再びナイフを投げた。今度は一直線に。
キツネ狩り―151―
美恵たちは、小さな小屋の中にいた。
本当なら、もっと衛生的な場所で桐山を休ませてやりたかったが、こんな時だ仕方ない。
「あ、私、水汲んでくるね」
「あら、一人じゃ危険よ。アタシも行くわ」
バケツを抱えた美恵と月岡は、周囲に注意を払いながら小屋の外に出た。
幸いにも、すぐそばに小川がある。水を汲み用意しておいて固形燃料で沸騰させる。
桐山の体は今はとにかく衛生にして黴菌が入らないようにしなければいけないのだ。
桐山に苦労をさせてきた美恵は看護くらいはきっちりしてやりたかった。
「あ……っ!」
「どうしたの美恵ちゃん?」
「……靴紐が」
「あら大変、ちょっと待ってて」
「……貴子」
「どうしたの?」
「……ううん、なんでもない」
貴子……嫌な予感がする。
貴子、杉村くん……お願いだから無事でいて……。
杉村は一歩も動かなかった。いや、動けなかった。
すでに体力は使い果たし、命綱ともいう気力さえも残ってない。
あるのは絶望と、自分の死というリアルな未来のビジョンのみ。
それらが杉村の全身を硬直させたのだ。杉村は動くことなく、ただ凝視していた。
自分を射抜き命を奪う為に、一直線に向かってくるそれを。
杉村の視界の中で、スローモーションのように、ゆっくりとそれは飛んできた。
「弘樹っ!」
ドンッ!と衝撃が杉村の体を伝わった。
「……え?」
確かにアレが命中した。はっきりと、それはわかる。
それなのに、不思議な事に、杉村に痛みは無い。
だからこそ不思議なのだ。痛みが無い=怪我などしてない。
なのに……ポトッと床に赤い斑点が落ちるのが見えた。
杉村は一瞬頭が混乱して何が起きたのかわからなかった。
まるで思考が完全に停止したかのように、本当にわからないのだ。
その間にも、ポトポトと、赤い斑点は増えてゆく。
(赤い斑点……違う、これは……これは血だ)
血が落ちている。でも、自分に痛みは無い。
(オレの血じゃない……オレの血じゃない!!)
自分のものではないと悟った瞬間、杉村の思考が一気に蘇った。
「……あ」
その思考は杉村が最も避けたかった、最も嫌なことに結びつこうとしている。
貴子が、自分の前に出た。
自分をかばって、自分の前に出た。そして、その貴子がグラッと自分に倒れてきている。
「……貴子?」
杉村は震える手で貴子の両肩を掴んだ。
貴子は力なく、そのまま崩れようとしている。杉村の目は大きく見開き赤くなった。
「……貴子っ」
必死に貴子を抱きしめた。
貴子の腰の辺りを後ろから抱きしめたのだが、手を前にまわした瞬間、ぬるっとした感触を感じた。
「……な」
手が震える。杉村は、その手をゆっくりと、自分の目の前に持ってきた。
手にはべったりと鮮血がついている。勿論、自分の血ではない。
杉村は認めたく事実を知った。狙われたのは自分。けれど血を流しているのは貴子。
貴子は――自分を守って、その身代わりとなって撃たれた。
「……嘘だ」
嘘だ、嘘だ、嘘だ、嘘だ!!
こんな……、こんなことあっていいはずが無い!!
混乱する意識の中、貴子の体が大きく崩れ落ちた。杉村は咄嗟に貴子の腕を掴んだ。
いつもの貴子なら、力強く、それに応え、杉村の腕を握り返してきただろう。
しかし、掴んだ腕にはまるで生命力がない。
ただ、温もりが、やけに失われていることだが、腕を通して杉村に伝わった。
――貴子
物心ついた時から一緒にいた貴子。
季節が何度巡っても、変わらなかったその関係。
春も夏も秋も冬も、隣にいなかった日は無かった。
泣いたり笑ったり怒ったり、貴子の表情で杉村が知らない顔なんて一つもない。
――貴子
『また苛められたの?』
いつも、その手を引いてくれたのは他の誰でもない。
『ほら、うちに来る?子犬生まれたんだ』
『うん』
その手の温もりを今も覚えている。温かだった。
これは違う、断じて違う!!
こんな冷たい体温ではなかった――。
――貴子
貴子の体がさらに大きく崩れた――。
貴子――!
違う、違う!これは夢だ!!
杉村は心の中で叫んだ――。
貴子――!
貴子――!
貴子――!
貴子――!
貴子――!
――ただ、叫んだ。
――でも言葉はでない。
貴子――オレの――。
「ねえ、弘樹。あんた、今、好きな子いる?」
「なんだよ、いきなり」
杉村は突然の色恋話にちょっと困ったように頭をかいた。
美恵のことを言っているのだろうか?
「オレは……」
気になる子はいる。でも、彼女には好きな男がいる。
とにかく、あらゆる意味で完璧な男。
とてもじゃないが、自分と同年齢とは思えないような人間。
相手の男が彼女をどう思っているかわからないけどオレの出る幕じゃない。
それくらい、オレだってわきまえているさ。
「あんたって、こういうこと本当にダメね」
溜息をつきながら、貴子は続けた。
「もし、あんたの面倒みてもいいって殊勝な女が現れなかったら、あたしがもらってあげるわよ」
「え?」
「もしもの場合よ。たく、少しは自信持ちなさいよ」
貴子は杉村の背中をバンと叩いた。
「あんた、自分が思っているより、いい男よ」
「おまえに言われるなんて光栄だな。おまえみたいな世界一カッコイイ女にさ」
「あら、嬉しい事言ってくれるじゃない」
――たった一ヶ月前の出来事。
――オレのたった一人の幼馴染。
「……た」
その崩れ落ちる体を――杉村は全身で抱きかかえた。
「貴子ぉぉぉー!!」
「杉村!!」
クソ!オレが、オレがなんとかしないと!!
駐車場の隅にあったカートが七原の視界に飛び込んだ。
七原は、それを掴むと力任せに振り上げ、自動扉に思いっきりぶつけた。
ガラス扉にひびが入った。あと一息だ!もう一度!
ガラスが派手な音を出して砕け散った。だが――。
七原の動体視力がそれを見逃さなかった。
店内に立ち込めていた黒い煙が一瞬で烈火に変化。
七原の直感が危険を訴えた。七原は、そばにあった花壇の陰に飛び込んだ。
同時に、大爆発――バックドラフト現象(密閉した空間に酸素を取り込むと起きる爆発現象)――が起きた。
これにより、炎は何倍にも膨れ上がり、瞬く間に小さなスーパーを呑み込んだ。
「貴子、貴子!!畜生!!」
爆発は爆発を誘発する。炎がさらに踊り狂う。
杉村は貴子を抱き上げると走った。床に、べったりと血の跡が点々と続いている。
奴は、転校生は!?後ろを振り返った。
再び爆発。天井が崩れだした。幸運か、それとも破滅の序章なのか?
だが、少なくても、自分達と転校生の間に炎の障害が出来た。
天井はまだ崩れ続けている。いずれ床も崩れるだろう。
これでは転校生も追って来れまい。しかし、杉村も炎と煙の為、逃げ道を見失っていた。
自分が今立っている現在位置すら掴めない。
「……弘……樹」
苦しそうな息の下から自分の名を呼ぶ声が聞えた。
「貴子、しっかしりしろ。必ず助けてやるからな!」
杉村は完全に遮られている視界の中、必死にただ走った。
どっちだ?出口は?……クソ!迷っている暇なんて無いのに!!
左か!?左に向かって走ろうとした。だが、天井が崩れ行く手を阻む。
クソ!仕方ない右だ!!杉村は右に曲がって走った。
杉村は気づいてなかった。
もう追ってこないだろうと思っていた転校生が自分のほんの二メートル背後に居た事を。
気配を完全に消していたので、この視界の中では気づかなかったのだ。
そして高尾は杉村が右に曲がったことを見届けると敢えて追うことはしなかった。
高尾は判断したのだ。右に曲がれば逃げ道はなくなる――だから追う必要は無いと。
高尾は、クルッと左に向くと、天井が崩れ続ける炎の中をゆっくりと歩いていった――。
「……な、何だと?」
これじゃあ踏み込むなんて不可能だ。
燃え上がる炎の柱を見上げて、七原は絶望に打ちひしがれた。
この中に杉村と貴子がいるのに、二人はまだ生きているのに!!
しかし、もう、すでにその最後の命の炎は消えているかもしれない。
「畜生!」
七原は、アスファルトに覆われた地面を殴りつけた。
「どうすればいい!どうすればいいんだよ!!」
七原は絶望に打ちひしがれながら、たれていた頭を上げた。
「……」
大型のコンテナが目に飛び込んだ。
そのコンテナが横付けされている壁の上の部分には窓。七原はゆっくりと立ち上がった。
「……あそこからなら」
コンテナの上から窓を突き破れば、二階から中に侵入できるかも!
「な、なんだと?」
杉村は立ち尽くしていた。眼前に広がるのは完全に崩れている床、そして炎の海。
これ以上先は進めない。杉村は引き返そうとした。だが、背後もすでに炎に包まれている。
煙が……このままでは焼き殺されるのを待たずに中毒死する!
杉村は、近くにあったドアを開け中に飛び込んだ。
今は、そこしか避難場所が無かった。
ドアを閉めたが、間もなくここも炎と煙に包まれるだろう。
「弘樹……」
貴子の声はますます小さくなっていった。だが出血は止まることなく続いている。
「大丈夫だ貴子、オレが何とかする。おまえだけは何とか助ける、心配するな」
「……見て、夜明けよ」
杉村は、最初、貴子が何を言っているのかわからなかった。
「……ほら、朝日が水平線を……」
杉村の目にも映った。朝日が海を明るく染めている。
「……綺麗ね」
本当に綺麗だった。朝日を見ることが出来るなんて思わなかった……。
ドアの向こうは灼熱地獄。でも、この空間だけは、穏やかな空気に包まれていた。
「10歳の時……あんたが大事にしていたアクションスターのサイン色紙……池に落したわ」
杉村は、貴子の髪の毛を撫でながら、微笑み、そして言った。
「おまえのお気に入りの南米産のアクセサリー踏みつけて壊したよ」
お互いの懺悔を済ませた二人は、お互いの顔を見て笑っていた――。
「覚えてる?……子供のころ、よく海に遊びに……行ったわよね」
「よく覚えてる」
「キャンプして……あんたと朝日を拝んだわよね。素敵な日々だったわ……」
「本当に……」
杉村の声には、微かだが嗚咽が混ざりだしていた。
「本当に……素晴らしい日々だったな」
「あの日に……」
貴子は一端閉じた。瞼から涙が溢れた。
「あの日に戻りたかった」
「戻れるさ……!」
貴子の頬に、貴子のものではない涙が伝わっていた。
貴子は意識が遠くなっていくのを感じていた。それを裏付けるように床は放射状に赤く染まっている。
貴子の腕が力なく挙がった。杉村は、その手を握り締めた。
「あんた……本当に泣き虫だったわよね……」
いじめられるのはいつもあんた。
守ってやるのはいつもあたし。
「あんた……強くなったわよ……」
「おまえが……いてくれたからだ」
杉村はそれだけ言うのがやっとだった。
「あんた、いい男になったわよ」
「おまえこそ世界一カッコイイ女だ」
「……あたし、死ぬのね」
「一人じゃない!」
杉村は、もう一度強く貴子を抱きしめた。
「一人じゃない、オレも一緒だ」
貴子は冷たいはずの自分の体がやけに温かいことに気づいた。
ああ……弘樹の体温なんだ。少なくても、あたしは最後の瞬間まで弘樹と一緒だった。
それだけは間違いなく幸せだった。
「……弘樹」
貴子がニコッと笑った。今までで一番最高の笑顔だった。
「ありがとう」
「やった、成功だ!」
七原はガッツポーズをした。後は、杉村と貴子を探すだけだ。
廊下を疾走する七原。ハッとした。そして青ざめた。
「す……杉村!?」
七原が今いる棟と向かい合っている反対側の棟。
その一室に杉村がいるのが見えた。
こちらの棟と違い、今にも崩れそうなほど炎に巻かれている、その部屋に。
「杉村ー!!」
七原は窓を開けて必死に叫んだ。
「何してる!!逃げろ、早く、そこから逃げるんだ!!」
生きているのか、死んでいるのか、杉村は何かを抱きかかえ屈んでいる。
逃げるどころか、動こうとはしない。
「どうしたって言うんだ杉村」
七原はハッとした。杉村の体にいくつも酷い怪我があることに気づいたのだ。
もしかして動けないのか?
「杉村!!待ってろ、オレが助けに行ってやる!!」
その時、杉村が初めて振り向いた。
「……杉村?」
杉村は何の感情も無い表情をしていた。
それは覚悟を決めた表情だっただろうが、七原にはそこまで理解出来なかった。
ただ、杉村が抱きかかえているのが、貴子だということだけはわかった。
杉村は七原をじっと見た。そして、また背中を向けた。もう何度呼んでも振り向かなかった。
「……杉村」
杉村が貴子というスピリットを失った事も、逃げ道がもう無い事も七原はわからない。
その七原の前で――遂に、全てが崩れた。
「……す」
炎が全てを一瞬にして呑み込んだ瞬間。
七原は、ただ一人の目撃者となっていた。
「杉村ぁぁぁー!!」
七原の最後の叫びも杉村には届かなかった。
ただ、美しく海を照らす朝日だけが、その場に泣き崩れる七原を優しく包んでいた――。
――『あんた、いい男になったわよ』
――『おまえこそ、世界一カッコイイ女だ』
【B組:残り9人】
【敵:残り2人】
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