七原や三村と出会った時のことはよく覚えている。
今でも、くっきりと脳裏に思い浮かべることが出来る。
球技大会で意気投合して、「よろしくな」そんな言葉で始まった友情。
けれど貴子とは出会いの記憶がない。記憶に残らないほど幼い頃にオレ達は出会った。
気がついたらそばにいた。両親以外に最初から存在していた唯一の人間、それが貴子。
始まりの記憶はないが、その後の思い出は溢れるほどある。
幼稚園、小学校、そして中学、オレ達はいつも一緒だった。
七原や三村とは明らかに違う特別な存在だった。オレにとって貴子は常に一番だった。
「はじめまして」なんて言葉など必要ないくらいに――。
キツネ狩り―150―
非常用シャッターが破れだした。
「弘樹、立つのよ!!」
一刻の猶予もならない。貴子は杉村を強引に立たせると、エレベーターのボタンを押した。
「早く開きなさいよ!!」
何度もボタンを連打する。ドアがゆっくりと開いた。
「弘樹、早く中に!!」
貴子は杉村を押し込めるようにしてエレベーターの中に入った。
そして、先ほどと同じように、ドアを閉めるボタンを連打する。
ドアがゆっくりと閉まってゆく。同時に非常用シャッターがついに破壊された。
大きく空いた穴から高尾が姿を現す、そしてこちらに向かって疾走した。
「撃つわよ!」
貴子は銃を構える。もう弾は無い役立たずの銃だ。
しかし、高尾はそれを知らないはず、だから構えた。
貴子の予想通り、高尾は一瞬動きを止めた。そしてギリギリでドアが閉まる。
貴子は最上階のボタンを押した。最上階は屋上となっている三階だ。
一階はどんどん炎が広がっている。さらにドンドンっ!と爆発音まで。
おそらく、高尾はトラップを他の出入り口にも仕掛けていたのだろう。
その火薬に引火したのだ。あっと言う間に炎は赤い絨毯となって床を彩りだした。
貴子と杉村を乗せたエレベーターは最上階に向けて上がりだした。
屋上にでて、そこから非常用階段で地上におり、それから……。
貴子は考えをめぐらせるのをストップした。
今はそんな先のことではなく、ただ屋上から外にでることだけを考えるのだ。
高尾から逃げる事ができたのだから。ひとまずは。
「弘樹……」
杉村の怪我は軽傷ではない。
不幸中の幸いなのはダメージを負ったのが、胴体ではなく手足だったことくらいだ。
「しっかりするのよ弘樹。あたしが、必ず、あんたを連れて皆のところに戻るから」
それは杉村を安心させる為の言葉でもあり、貴子自身を鼓舞する決意の表れでもあった。
どれほど気が強くても、やはり貴子は女の子。まだまだ幼さが残る中学生に過ぎないのだ。
こんな地獄的状況に放り出されて平気なわけがない。
本当なら泣き叫びたいくらいの恐怖と憤怒でおかしくなりそうなのだ。
そうならないのは、貴子が苦しみに耐えられる精神の持ち主に他ならない。
自分は必ず生きて帰る。杉村と一緒に。
貴子は震える手を握り締め、決意を何度も心の中で繰り返した。
エレベーターの電光表示の『1』がそろそろ『2』に変化しようという時、それは起きた。
ドン!と、大きな音がした。天井からだ。
貴子は天井を見上げた。床に座り込んでいた杉村も。
何かがエレベーターの真上に落ちた。
一体何が?貴子と杉村が考えをめぐらせる前に、今度はエレベーターがガタンと妙な音を出してストップした。
「……な」
貴子は慌てて最上階のボタンを押した。しかしエレベーターは動かない。
「どういうことなのよ!!」
これが平和な日常ならば、内線電話の受話器をとり、文句の一つお言えばいい。
だが、今はもちろん、そうではない。
混乱する貴子に追い討ちをかけるように、今度はブツンと何かが切れる音がした。
「何!何なの!?」
さらに、ほぼ同時にガタンと大きな音がしてエレベーターが大きく揺れた。
パニックになりかけた貴子だったが、何が起きているのか、これでわかった。
「あ、あいつよ!!あいつが、真上に!!」
考えもしなかった。それもそうだろう。
貴子と杉村がエレベーターに乗った直後に、高尾は階段を駆け上がった。
そして二階のエレベーター扉を強引に素手で開け、今まさに上がってこようと言うエレベーターの上に飛び降りたのである。
「あ、あいつ……あいつエレベーターのワイヤーを!!」
貴子は高尾が何をしたのか理解した。
高尾は自分達が乗っているエレベーターのワイヤーを一本切断したのだ。
このエレベーターはもはや使えない。このまま、中に乗り込まれてきてはおしまいだ。
密室の中では、逃げる事さえ出来なくなる。
「クソ!」
杉村がエレベーターのドアを掴んだ。杉村の表情が痛みで歪む。
手首の骨が折れている状態で、ドアをこじ開けようというのだろう。
「……く」
ゆっくりとドアが開きだした。貴子も慌てて杉村と同じ行動を取る。
時間がない。早く……早く開けないと!!
ドアが開いた。しかし、エレベーターのドアは開いたが、建物側の扉がまだだ。
その上、エレベーターが二階の扉の前と通過しようという直前にエレベーターが止まった為、かなりずれている。
扉の上の部分。五十センチにも満たない部分が見えるだけだ。
二人は屈むと、その扉もこじ開けだした。この体勢では力が入らないが、そんなこと言っている暇も無い。
何とか開いた。「貴子、おまえからだ!」杉村が叫んだ。
「何言ってるのよ!あんた怪我人でしょ!」
「いいから、さっさとしろ!!」
ほんの僅かに開いた隙間に杉村は貴子を押し出した。
スレンダーの貴子は案外簡単に通り抜けられた。
「弘樹、あんたも早く!!」
「ああ」
ブツン……嫌な音がした。先ほどと全く同じ音。
「あ、あいつ……他のワイヤーも切断してる!!」
このままでは、エレベーターは落下して杉村は逃げ場がなくなる!
「弘樹、早く!!」
貴子は必死になって杉村の肩口を掴むと引きずり出そうとした。
しかし、貴子と違い、中学生にしては大男の杉村の体はなかなか扉の隙間をすんなりと通らない。
肩幅のサイズが大きいのだろう。扉にひっかかっている。
「どうして、どうしてなのよ!弘樹、弘樹!!」
貴子はパニックになりだした。このままでは杉村は殺されてしまう。
「頑張るのよ弘樹、さあ!」
貴子は渾身の力を込めて、杉村を引っ張った。
貴子のパワーが勝ったのか、杉村の体がエレベーターの入り口から出た瞬間。
あの音が再び聞えた。ブツン……と。エレベーターが落ちるのが見えた。
間一髪。あと少し遅かったら杉村の肉体はドアの出入り口にて切断されていたところだった。
「ひ、弘樹……さあ」
しかし、ホッと一息ついている暇も無い。貴子は杉村の腕を自分の肩に回すと歩き出した。
(あいつはエレベーターと共に一階に落下したはずだわ。
でも、きっとすぐに追いかけてくる。何とかしないと)
貴子はスーパーのアウトドアコーナーで拝借した可燃性の高いオイルを階段にぶちまけ火をつけた。
(こんなものでは時間稼ぎにしかならないけど無いよりはマシだわ)
貴子は階段をあがりだした。とにかく屋上にいかなければ。
その時かすかな音がした。エレベーターの方からだ。
「……え?」
貴子は目を見開き振り返った。
「新井田くん、どこに行くの?」
立ち上がった新井田に美恵は問うた。今は仲間同士はなれるのは避けなければならないのだ。
「いやー、ちょっと用足しに」
すると飯島も「あ、オ、オレも……」と立ち上がった。
月岡は、「もう!三人もレディがいるのに無神経よ!」と頬を膨らませている。
「いやー、悪いな。じゃあ行ってくるから」
「あまり遠くに行かないほうがいいわ。危ないから」
「わかってるって心配するなよ」
おまえは、いずれオレのモノになるんだ。新井田はそんな思いを込めた視線を美恵に送った。
(……何?)
言い知れぬおぞましさを感じた美恵は思わず目線を逸らした。
二人が離れると、すかさず光子が「なんなの、あの色キチガイ」と悪態を突き出した。
美恵が新井田のおぞましさに気づいたのだ。
当然ながら、世間馴れしている光子や月岡が気付かないはずなかった。
「あいつ信用できないわね」
「本当……それに妙だわ。小心者の新井田くんにしては、やけに精神的余裕があると思わない?」
「そういわれてみればそうね」
「どうしたの二人とも?新井田くんに何かあるっていうの?」
「ええ、どうも胸騒ぎがするわ」
「同感よ。ああいうバカな男を大勢みてきたあたしにはわかるわ」
「おい飯島、どこまでついてくるつもりだ?オレは野郎と一緒に用足しする気はないぜ」
「……う、うん」
「オレはこっちだ。おまえは向こうに行けよ」
「あ……ああ」
飯島が少し離れた茂みに入るのを確認した周藤は携帯電話を取り出した。
川に落ちた為、濡れているが大丈夫だ。さすがは軍仕様、耐水性ときている。
「……もしもしオレです」
新井田は、小声で話し出した。
『今、全員いるのか?』
電話の相手はもちろん周藤だ。
「いえ、川田と七原と三村は別行動です。残っているのはオレと桐山、天瀬に相馬に月岡。
ああ飯島っていう周藤さんのポイントの足しにもならない奴もいますけどね」
『そうか、今は手薄だな。桐山はどうだ?』
「寝込んでますよ。まったく、こんな時に呑気なもんです」
呑気か……桐山が今まで、どれだけ死闘を繰り広げてきたか。
それがわからないなんて、やはり、こいつは只の屑だな。
『馬鹿は死んでも治らないようだな』
「え?」
『まあいい。今のおまえにとってはチャンスだろう。桐山をやれ』
「や、やれって……例の毒薬を使って暗殺ですか?
で、でも……川田たちはいませんが、そばには月岡達がつきっきりで……」
『そのくらい自分で考えろ。いいかオレはお願いしているんじゃない。
命令しているんだ。オレと貴様とでは立場が違うという事を忘れるな。
オレの命令に従えないなら、契約を破棄してやってもいいんだぞ』
「め、滅相も無い!!やる!やります!!」
「使えない奴だ」
周藤は携帯を折りたたみながら溜息をついた。
(まあいい。こういう馬鹿を上手に使うかどうかも、オレの器量だ)
携帯を懐にしまうと、今度はズボンのポケットから違う携帯を取り出した。
「オレだ。いいか、これからオレが命令する事をしっかり覚えろ。
オレの最後の命令だ。今後は二度と連絡するな。だが携帯の電源だけは絶対にオフにするな」
周藤は、事細かに指示をだした。そして全ての話が済むと、携帯を再びポケットにしまった。
「これでいい」
さて、あの馬鹿が、どうでるか楽しみだな。
どうなるかは、結果が出なければわからないが一つだけはっきりしていることがある。
「桐山暗殺は必ず失敗する」
「……そんな」
貴子の目がますます拡大していた。
「……そんな!」
貴子の視線の先に、杉村も視線を合わせた。
「……嘘だろ?」
杉村も見た。エレベーターの扉、先ほど自分達が必死にくぐった、その隙間。
そこからスッと高尾がこちらに飛び込んできたのを。
高尾は落下などしていなかった。ワイヤーにつかまり、そして扉の隙間に飛び込んできたのだ。
杉村と違い、中背の高尾の侵入を扉は容易に許した。
杉村は視線を、すぐそばにあったスポーツ用品専門店にうつした。
ゴルフの9番アイアンが杉村の視界に飛び込んできた。
ガラスケースの中に納まっているそれを、杉村はガラスを強引にぶち割って取り出した。
「……逃げろ貴子」
「弘樹?」
「逃げろー!!」
杉村は貴子を突き飛ばすと、高尾目掛けて突進した。
一歩移動するたびに脚からは鮮血が。しかし、そんなことに構っていられない。
杉村は、アイアンを何度も振り下ろした。
棒術が得意な杉村だ。例え、両手持ちでなくても、その切れは素晴らしいものだった。
当たれば、たとえどんな化け物でもひとたまりも無いだろう。そう、当たれば。
なんと言う無情なのか、高尾は、杉村の渾身の力を込めた、そのアイアンを全て紙一重で避けたのだ。
(当たらない……!)
杉村の焦りは頂点に達しようとしていた。
このままでは、自分は殺される。自分の死はそのまま貴子の死に直結する。
そして、この間にも、建物中に燃え広がっている炎は勢いを増していた。
(……貴子)
杉村の脳裏に幼い頃の記憶が浮かび上がった。
苛められっ子だった自分。守ってくれたのは、いつも貴子だった。
貴子がいたから、自分はひねくれた人間にならずに済んだ。
貴子が守ってくれたから、貴子がいてくれたから。だから――今度は、オレがおまえを守る番だ。
「転校生ーっ!!」
杉村は、全身全霊を込めて、高尾に飛び掛った。
策も勝機も全く無い。ただの無謀な行動に過ぎない。
だが、その勢いは凄まじく、勢いで二人の体は空中に飛んでいた。
杉村の視界に映ったのは、一階と二階の吹き上げ部分。
真下では、炎が踊り狂っている、そこに高尾ごと飛び込んだのだ。
危険防止のための柵すら、杉村の全てをつぎ込んだアタックに破壊され、二人の体は吹き抜けに飛び出していた。
「弘樹ー!!」
そんな、そんな!!
貴子は自分の目が信じられなかった。杉村が自分の前で落ちていったのだ。
あの業火の中に落ちたら、まず助からない!
貴子の脳裏に転校生ごと燃え尽きる杉村の姿が浮んだ。
「……嘘よ」
嘘だ、嘘だ!そんなことあるわけがない!!
「いやぁぁぁー!!」
「な、なんだ……!!?何なんだこれは!!」
七原は自分の目を疑った。
「何があったんだよ!?」
建物全体が業火にまかれている。
「す、杉村……!」
杉村は?まさか、あの炎の中に?
「くそ!オレが来るのが遅かったのか!!」
オレが……オレがもっと早く来ていれば。
「杉村も千草も助かったのに!!なんで、オレはいつもこうなんだよ!!
慶時も助けてやれなかった!!なんで、肝心な時に、いつもいないんだよ!!」
七原は地面に膝をついた。もう涙も出なかった。
「……ごめん、杉村……千草」
その時だった。完全にあきらめていた七原の耳に叫びが轟いたのは。
「いやぁぁぁー!!」
七原はハッとして顔を上げた。
「あ、あの声は……千草!!」
生きている!!まだ生存者がいるんだ!!
「待ってろ!!今助けてやるからな!!」
七原は炎の中に飛び込んでいった。
「いやぁぁぁー!弘樹ー!!」
貴子は破壊された柵に向かって走った。そしてガクッと膝をついた。
「……そんな、そんな……嘘よ、弘樹」
ガクガクと膝が震えている。立ち上がれない。
こんなことは嘘だ。悪い夢だ。貴子は必死に自分に言い聞かせた。
悪ふざけが大嫌いな貴子だがふざけた司会者が現れ『どっきりですよ』と言ってくれれば泣いて感謝しただろう。
しかし、これは悪い冗談ではない。まして夢でもない。
現実。認めたくないが、間違いなく現実なのだ。
「……バカ……あんた、最後まで、どうしようもない大バカよ!!」
自分の命と引換えに、あたしを助けて、それであたしが喜ぶとでも思ってるの!?
「弘樹のバカ!あんたなんて……あんたなんて!!」
「……そんなにバカバカ言わないでくれよ」
貴子はパッと顔を上げた。
「……貴子、頼むから引き上げてくれないか。自力じゃあ上がれそうもない」
貴子は慌てて壊れた柵から身を乗り、下を見た。
「ひ……弘樹!」
杉村がそこにいた。学ランの袖が引っ掛かって落下を免れている。
しかし、その学ランが今にも破れそうだ。貴子は慌てて杉村に手を伸ばした。
杉村を引き上げると、二人ともペタンとその場に座り込んだ。
「……勝ったのね」
「……ああ、何とか。オレが助かったのは、ただのラッキーだったけど」
「……弘樹」
貴子は感極まって杉村に抱きついた。そして泣いた。
「バカ!生きてるんなら、さっさとそう言ってよね!!」
「悪かったよ」
「本当にバカよ、あんたは……あんたって、どうしようもない大バ……」
貴子が言葉を中断させた。
「……貴子?」
「……そんな」
貴子が震えだした。何かに怯えている。
「そんな……嘘よ、誰か嘘だと言って!!」
【B組:残り11人】
【敵:残り2人】
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