しかし、すぐに怒りでワナワナと震えだした。
そして、その怒りに満ちた視線の矛先は20メートルほど先に完全にロックオン。
桐山の体がドサッと地面に落ちても鳴海の視線は固定されたまま微動だにしない。
「……貴様」
鳴海の憎悪に満ちた二人称の対象は桐山ではない。銃声は二発だった。
一発はもちろん鳴海が発砲したもの。桐山に当たるはずだった弾だ。
だが、ほぼ同時に発射された弾が桐山の自由を奪っていた蔓に当たった。
蔓は切れ桐山は落下、間一髪で鳴海の弾を避けたのだ。
鳴海の視線の先にはライフルを構えた川田が立っていた。
キツネ狩り―139―
「……貴様……よくも、よくも、よくも邪魔をぉー!!」
鳴海は川田目掛けて突進した。
もちろん川田も黙って立っているつもりはない。
すぐに鳴海に銃口をセット。鳴海は一直線にこちらに向かってくる。まるで猪だ。
的としては実に狙い易かった。
だが、あくまでも鳴海は軍が誇る戦闘マシンであって、本能だけで向かってくる猪などではない。
川田は鳴海と猪の違いを身をもって知る羽目になった。
一直線に走っていたはずの鳴海が、川田が引き金にかかっている指を絞りこもうとした時だ。
その瞬間、鳴海は飛んだからだ。それだけではない。
木の枝に飛びのったかと思うと枝を踏み台にさらに大きくジャンプして、あっという間に川田を飛越。
川田が慌てて背後に振り向いた時には鳴海はすでに地面に着地していた。
「クソッたれ!」
川田はライフルの銃口を鳴海に向けた。だが向けたと同時に鳴海の足が急上昇。
ライフルに衝撃が走り、それが痺れとなって川田の手に伝わった。
ライフルは川田の手から簡単に擦り抜けクルクルと空中に。
「……く」
悔しそうな声が川田の口から漏れる。
鳴海が血走った目で睨みながらナイフを振り上げた。
「!」
しかし鳴海はナイフを振り下ろすことなく木の影に飛び込んだ。
桐山が川田のライフルをキャッチして構えたからだ。
(あいつは、まだ目が見えない。隠れてさえいれば絶対に当たらない)
ライフルが火を噴いた。鳴海の頭のはるか上に向かって弾が飛ぶ。
(やはり、まだ目が……何っ!?)
枝が砕ける音。鳴海が真上を見上げると枝が落下する様が角膜全体に写った。
もちろん避けるが、その際僅かに体が木の影から出た。
それを狙っていたかのように、銃声と激痛がほぼ同時に鳴海を襲った。
反射的に木の影に引っ込み左肩を抑える。
押さえた右手があっという間に赤く染まり指の間から血が溢れるように流れてくる。
(あいつ……正確に撃ち抜いてきた)
偶然だ。まだ視力が完全には戻ってないはず。だから偶然に決まっている。
鳴海はすぐに仮説をたて、それしかないと自分の中で肯定した。
だが鳴海の仮説を否定するかのように桐山は鳴海に集中攻撃。
鳴海の盾になっている幹の部分はどんどん削られてゆく。
(どういうことだ?!)
あいつは目が見えないはずなのに。
(ま……まさか)
その時、鳴海は、もう一つの可能性に気付いた。ほぼ同時に桐山が走ってきた。
真後ろでは当たらない。だから位置を変え斜め後ろに移動したのだ。
(あいつ、見えているっ!!)
鳴海が気付いたときには、桐山は発砲していた。
鳴海は飛び込むように前方に飛んだ。
しかし、すでに発砲された弾丸は鳴海が逃げることを決して許さない。
弾は鳴海の右腕を貫いた。鳴海の顔が歪み、口から微かに呻き声のようなものが漏れる。
さらに鮮血が周囲の木の幹に飛び散った。
「クソ!」
鳴海は走った。逃げていた。
もちろん態勢を立て直すために一時退却するだけ。
決して戦いそのものを放棄するのではない。
「逃げるのか。そうはさせない」
だが桐山も、それを黙って見逃してやるほどお人よしではない。
猛スピードで逃げる鳴海に、影のようにぴったりとついて走る。
追う者と追われる者の立場がはっきりと逆転。
それは山道を駆け降り、森を抜け、住宅街に出ても変わらない。
鳴海は近くにあった喫茶店に駆け込んだ。
続いて桐山もドアノブに飛び付く。だがドアノブが回らない。鍵をかけられている。
桐山の反応は素早かった。ライフル発砲。
キー部分は一瞬で粉々。もう鍵など必要ない。
ドアは撃たれた勢いで一気に開いた。即座に入店する桐山。
「いらっしゃいませ」と、いつもならば爽快なお出迎えの挨拶があっただろう。
今はない。代わりにロープが飛んできた。
「……!」
ロープの先端は輪になっており、まるで縁日の出店の輪投げゲームのようにスポッと桐山の頭部をくぐった。
桐山の体が天井に向かって引っ張り上げられる。
喫茶店の天井にはかかせない、ちょっと洒落た感じの扇風機・シーリング・ファン。
それにロープの先が絡み付いている。シーリング・ファンは回っている。
当然、ロープは巻かれ、それと共に桐山の体は天井に向かって引っ張り上げられた。
首に激しい圧迫感が走り、桐山は素早くナイフを取り出しロープを切断した。
桐山の体がボトッと床に落ちる。
いつもの桐山ならば体操の選手のように華麗に着地を決めただろう。
だが、そんな余裕さえない。
厨房の奥から影が飛び出してきた。桐山はすかさずライフルに手を伸ばす。
だが、その手を狙って包丁がキラリと輝く。伸ばした手を直ぐに引いた。
間一髪、ほぼ同時に包丁が振り下ろされていた。
もう少しで手首から先が無くなっていた。もちろん危険が去ったわけではない。
今度はフライパンが頭部に炸裂。桐山は目眩を感じ、ふらついた。
「……潰してやる」
鳴海の目は完全に理性を失っていた。
「破壊してやるっ!!」
その怒声に桐山は反射的に右腕を上げた。
ガンと右腕に衝撃が走り、次に痺れが走った。右腕は力無く床に落ちた。
だが大丈夫だ、骨は折れてない。
何より頭部は守ることができた。それが最優先だ。
もちろん、気を抜く余裕などない。二度目が振り落とされる。
桐山は回転して除けた。物凄い音がして床にフライパンがのめり込む。
しかも何度も何度も。桐山はその度に紙一重で避けたが、ついに逃げ場がなくなった。
桐山は立ち上がる。ほぼ同時に鳴海の手が桐山の左肩に伸びてきた。
乱暴に肩を掴むと、そのまま壁に桐山をたたき付ける。
桐山の背中に強い衝撃が走り、さらに動きが封じられる。
「貴様さえ……」
鳴海は桐山の髪の毛をわしづかみにした。
「貴様さえいなかったらっ!!」
包丁が桐山の顔目掛け鈍い光を放ちながら振り下ろされる。
桐山は咄嗟に頭の位置を僅かに横に逸らした。
包丁の刃が壁にのめり込む。
桐山は鳴海が壁に食い込んだ包丁に一瞬もたついた隙を狙い鳴海の腕を蹴り上げた。
鳴海の腕が跳ね上がる。がら空きになった、鳴海のボディが。
桐山は渾身の力仕事を込めて、がら空きの腹部に蹴りを放った。
鳴海が小さく「うっ」と呻きキッチンまで飛んでゆき流しに落ちた。
まだ洗いかけの食器が一杯になっており、鳴海が落ちてきたため見事なまでに派手に割れた。
鳴海は、全身が軋むような痛みを感じた。
感じたが痛みに気をとられることなどない。
戦場においては、痛みなど常に付き纏うもの。そんなものには、もう慣れている。
気にしなければならないのは敵だけだ。
まして相手は天才。自分が僅かに体勢を崩した隙を決して見逃さない。
ほら、ついさっきまで鳴海が手にしていた包丁を手に、もう飛んでいる。
鳴海は体を横に半回転させ床に落ちた。直後に桐山が飛び掛かっていた。
鳴海は桐山の手首を掴み刃を自分からそらそうと力任せに押し返す。
ぐぐっと包丁が僅かに桐山の顔との距離を縮めた。
だが今度は桐山が押し返す。
一度は離れたはずの鳴海と包丁との距離が再び縮まる。
二人のパワーはほぼ互角かと思われた。
しかし、ここにきて鳴海が僅かに力を上げだした。桐山の眉が僅かに歪む。
包丁が少しずつではあるが桐山に近づいているのだ。
パワーだけなら鳴海の方が僅かに上。それが顕著に表れだしている。
「死ねぇぇ!!」
鳴海がさらにパワーを上げた。
包丁がそれまでギリギリ保たれていた距離を一気に越えた。
桐山は咄嗟に自ら体のバランスを崩す。
包丁は紙一重で桐山を避け、水道に激突。大きな金属音が二人の鼓膜に響いた。
音だけでは終わらない。破壊された水道から水が一気に噴き出した。
桐山も鳴海も、いやキッチンそのものが、あっという間に水浸し。
しかし水は止まることなく、噴き出し続けている。
流しなどは瞬く間に水で満たされのりこぼれている程だ。
「死ねぇ!」
鳴海は尚も包丁で切り付けていた。桐山はまな板の上にあったナイフに手を延ばす。
それを顔の前に上げた。
カキン!と、火花が散りナイフの刃がかけた。
桐山の表情が歪む。こんな果物ナイフでは分が悪すぎる。
桐山は左足を急上昇させた。
鳴海は即座に身をかわすが、微かに顎をかすった。血が滲んでいる。
「削るっ!」
鳴海が怒りのままに再び包丁を高く上げた。
桐山は鳴海の手首を掴むと、その手をテーブルにたたき付けた。何度も何度も。
鳴海は堪らず握っていた手を開いた。包丁が床に滑り落ちる。
鳴海は桐山の首を掴むと流しの中に突っ込んだ。
「もがき苦しんで死ね!」
「……ぐ」
声がでない。代わりに漏れるのは空気の泡だけ。
息が続かない。水中から見える鳴海の顔は恐ろしいほど歪んでいた。
(……息が)
首にさらに圧迫感が走る。このままでは時間の問題だ。
かといって鳴海のパワーは凄まじく、どれだけ押してもびくともしない。
(……押してダメなら)
桐山は鳴海を引いた。それまで体勢を前に傾けていた鳴海は簡単にバランスを崩した。
桐山は、その隙に水中から上半身を上げる。
そして、お返しとばかりに鳴海の髪を鷲掴みにすると、流しの中に突っ込んだ。
慌てて顔を上げようとするも桐山が押さえつけ、それを許さない。
さらに桐山は左手をのばしてフライパンを手にした。
渾身の力を込めて鳴海の後頭部に振り落とした。
鈍い音が響く。一回では終わらない。
二回、三回、連続して嫌な音が部屋中にはなたれた。
流しに溜まっていた水は赤く変色し、鳴海は動かなくなっていた。
(……終わった)
しつこい男だったが、やっとくたばった。
どんな怪物でも頭をやられては、一たまりもなかったのだろう。
「……天瀬」
足元がふらついていたが、倒れている暇などなかった。
早く美恵を捜しださなければ。桐山は踵を翻した。
その瞬間、悪夢が起きた。水しぶきが上がった。
床に伸びていた桐山の影に別の影が重なる。桐山は体を反転させた。
死んだはずの、いや息の根を止めたはずの鳴海が立っていた。
無意識に桐山は調理台に手に伸ばす。ナイフだ、ナイフを取らなければ。
鳴海の足が調理台を蹴っていた。調理台が桐山目掛けて猛スピードで床を滑る。
「……ぐ」
桐山の腹部に激突。桐山の口から苦しそうな声が漏れた。
調理台の勢いは止まらず、桐山ごとガスコンロに激突。
鳴海は頭がら血を流し、その顔色はどんどん白くなっている。
にも係わらず、倒れる気配がまるでない。
それどころか、そばにあった冷蔵庫を手をのばすと、それを高々と持ち上げた。
「!」
いくら桐山でも生身の人間。あんなもので攻撃されたら一たまりもない。
しかし桐山はコンロと調理台にしっかり挟み込まれ、その場から動くことすら出来ない。
「……美恵」
鳴海が美恵の名を呼んだような気がした。
もしかしたら、もう正気ではなかったのかもしれない。
だが、たとえそうであっても、危機的状況であることには、全く変わりないのだ。
何とか、ここから抜け出さなくては。
しかし調理台は、桐山の腰の部分にしっかりと固定され、とても抜け出そうもない。
そして、ついに冷蔵庫が振り落とされた。
物凄い音だった。ガスコンロも調理台も見事に破壊されている。
桐山は……無事だった。
抜け出すことが出来なかったので反対に調理台の下に潜り込んだのだ。
桐山は自由の身になった。だが戦い終わったわけではない。
(……ガスが)
鳴海は僅かにふらついているが、再び冷蔵庫を持ち上げた。
桐山は床を蹴った。天井近くまで飛び、冷蔵庫を踏み台にした。
鳴海のバランスが崩れる。桐山は再度飛んだ。
そして飛びながら背後に向かってナイフを投げた。
狙ったのは鳴海ではない。炊飯器のコードだ。
後ろを振り向いている暇などなかった。桐山はライフルを手にとると一番近くの窓に向かって跳んだ。
窓ガラスを突き破る。ほぼ同時だった。投げたナイフがコードを切断するのと。
切断されたコードは水浸しのキッチンに一瞬にして電気を流した。
「っっ!!」
鳴海の全身に走る電圧!バチバチと大量の火花が炸裂した。
鳴海は炊飯器目掛けて冷蔵庫を投げた。
コードが電源から離れる。電気地獄が止まった。
しかし鳴海の全身からは煙が出ている。
「……美恵」
もはや鳴海には何もなかった。残っているのは本能だけ。
「……美恵、美恵……美恵」
呪文のように美恵の名をただ繰り返している。
「……これで終わりだ」
桐山はライフルを構えた。
桐山の立ち位置からは鳴海は柱の影となっている。
だがガスコンロが破壊されたおかげでガスの元栓はまる見えだった。
桐山は照準を合わせ―撃った。耳をつんざくような爆音が駆け抜けた。
「あ、あれは……!」
川田は見た。火柱が天に向かって昇るのを。
「……桐山」
無事だろうか?
急がなければ。川田は走った。
足は人並み外れて速いわけではないが、少なくても今の川田は速かった。
「桐山!」
燃え盛る家の前に桐山は立っていた。
片手にはライフル。髪の毛は完全に崩れており、いつものオールバックは原型を留めていない。
「……勝ったのか?」
鳴海の姿は何処にもない。
しかし桐山の様子から壮絶な死闘があったことだけは容易に想像できた。
「桐山、大丈夫か?!」
川田は走った。だが後数十メートルというところで立ち止まった。
(……あれは?)
信じられない。そんな目をして。
(……なんだ?)
川田の様子がおかしいことに桐山も気がついた。
川田が見ている。桐山を……いや正確にいえば、その背後を。
川田が見たのは恐ろしいものだった。それが桐山のすぐ後ろに迫っている。
「……逃げろ」
川田は無意識に言葉を吐いた。
「逃げろ桐山ー!!奴はまだ生きているぞっ!!」
桐山は体を回転させた。
燃え盛る喫茶店の中から、炎の塊が窓を突き破り桐山目掛けて襲い掛かってきた。
桐山は、ライフルを持った手を持ち上げた。
だが桐山が銃口をセットするより早く、炎が桐山に飛び掛かかる。
「……おまえ!」
炎の正体は火だるまと化した鳴海だった。
鳴海の手が桐山の首に圧力を加える。
(……息が!)
鳴海の執念。勝利への執念ではない。生への執念でもない。
美恵に対する執念、いや執着が、人知を超えた恐るべき力を生みだしたのだ。
桐山は鳴海の手を振りほどこうとするが、その手はまるで首にセットされたかのようにビクともしない。
激しくもみ合っていた二人の体は、やがて倒れ、転がり始めた。
そして――垣根をぶち破り、その下に落下して行った。
「桐山ぁぁー!!」
川田はすぐに走った。
桐山と鳴海は空中でももみ合い、二転三転している。
桐山の体が下になった。鳴海が笑ったように見えた。
落下地点には鉄製の垣根があり、デザイン上、その先端は尖っていたのだ。
普通なら凶器になどならないが、落下のスピードが加われば、それは槍となる。
(……天瀬)
息が苦しい。鳴海の手は今だに桐山の首にある。
桐山は気が遠くなった。
自分は死ぬのか?この男に負けたのか?
(……美恵)
心の中で、初めて美恵を名前で呼んだ。
瞼が自然に閉じた。
『ダメよ桐山くん、諦めないでっ!!』
美恵っ!!
幻聴か?しかし、聞えた。確かに美恵の声が聞えた。
桐山は最後の力を込めて、鳴海の胸元を掴み、一気に回転した。
笑っていた鳴海の顔が歪んだ。
次の瞬間、ドスっと鈍い音が二人の体に伝わった。
「……っ!!」
鳴海の目が見開かれた。
鳴海の心臓が貫かれていた。
「…………」
桐山は無事だった。紙一重で、桐山の体には届かなかったのだ。
桐山は、ゆっくりと鳴海の上から降りた。
そして鳴海を見た。今度も生き返るかもしれない。
しかし鳴海は今度こそ、完全に動かなかった。
「桐山っ!!」
川田の声と足音が近づいてくる。しかし桐山はすでに意識が無かった。
全ての力を使い果たし、その場に倒れた。
二人の戦いの一部始終は見られていたことすら知らずに。
「ご苦労だったな雅信。おかげで桐山のデータが取れた。
そして残念だったな桐山。もう、おまえはオレには勝てない」
桐山を抱え、その場を後にする川田。
その後姿をモニター越しに見詰めながら、周藤は満足そうに笑っていた。
【B組:残り16人】
【敵:残り2人】
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