鳴海の気配が遠のくのを感じた桐山は慎重に動き出した。
ゆっくりと、なるべくゆっくりと、この場を離れるのだ。
「……違う」
桐山ではなくイタチが茂みの中から飛び出して来たのを見た鳴海は低く呟くと再度辺りを見渡した。
幸い桐山の姿は茂みや木の枝により完全に遮られ鳴海には見えない。
(……橋か?)
地面が途切れている。そして橋らしきものがある。
水が流れる音も聞こえる。川だ、それも流れの早い。
桐山は橋を渡ることにした。今は少しでも鳴海との距離をひろげなければ。
桐山が一歩踏み出した時、風向きが変わった。
(……血の臭い!!)
鳴海の目の色が変わった瞬間だった。
キツネ狩り―138―
「杉村、異常はないか?」
銃を手に、じっと外の様子を伺っている杉村に七原が声を掛けた。
「ああ、今のところは大丈夫だ」
「そうか見張り代わるよ。おまえ、あんまり寝てないんだろう?
いざというときのためにも少しは休めよ」
「ありがとう七原。でもオレは大丈夫だから気にするな。おまえこそ休め」
すると七原は気まずそうに鼻の頭をちょっとかいた。
「実を言うとさ……おまえだけに負担かけるとオレが大変なんだよ」
「どういうことだ?」
「『あんた弘樹一人に全部押し付けるつもり?!』って怒る奴がいるから」
それは誰だ?なんてバカな質問などしない。
「ああ、そうか」
杉村は「悪いな」と呟いたが、その表情はとても嬉しそうだった。
「だから遠慮なんかせずに替われよ」
「じゃあ、お言葉に甘えることにするよ」
杉村が七原に銃を手渡そうとしたときだ。
階段をまるで転げ落ちそうなくらいで駆け下りる足音が聞えてきた。
「な、七原くーん!!」
滝口が血相を変えて走ってくる。
「どうしたんだよ?」
「た、大変だ、国信くんが倒れたんだよ!!」
「何だって!?」
七原は全身から血の気が引くのを感じた。
「熱があるみたいなんだ。そばにいてあげなよ」
「杉村悪いが……」
七原は申し訳そうに杉村を見た。見張りを交替してやると言ったばかりなのに。
「気にするな。早く行ってやれ」
「悪いな。本当にごめん」
七原は走った。走るのはクラスで一番だった(桐山が体力測定で手を抜いていなければ)
「慶時、大丈夫か?!」
「ちょっと静かにしなさいよ」
大声上げながら部屋に飛び込んだ途端に貴子に注意を受けた。
「ごめん」
とにかく国信を見た。ベッドに横たわっている。
「熱出たんだって?」
「ええ。体温計がないから正確な体温はわからないけどかなりの高熱よ」
七原は心配そうに国信に顔をのぞきこんだ。
確かに顔は赤いし、発汗の量もすごい。何より呼吸が乱れている。
「……秋也、こんなときに迷惑かけて悪いな」
国信は申し訳なさそうに言った。
ただでさえ何の役にも立てない上に、これでは完全にお荷物だ。
そんな国信の気持ちを七原は即座に理解した。
「何言ってるんだ。それより早く元気になれよ」
国信は黙って頷いた。
「千草、看病はオレがやるから杉村に手をかしてやってほしい。
あいつも随分疲れているのに見張り替わってやれなくて……」
「わかったわ」
貴子が出ていくと七原は国信の額に置かれたタオルを水に浸した。
(こんな時に転校生が襲って来たら大変だ。早く熱が冷めてくれればいいけど)
七原は国信の額に手をおいた。熱い――。
「慶時……早く元気になれよ」
「……いない」
確かに血の臭いがしたと思ったのに気のせいだったのか?
鳴海は辺りを見渡したがやはり影も形も見えない。
10メートル程の長さの橋。これを渡って向こうに逃げたのか?
(オレに気付かれずに移動したとは思えないが……だが他に道はない)
少し考えと鳴海は橋を渡ることにした。
鳴海が一歩足を進めるごとに橋が微かな振動を生み出している。
その振動を全身で感じている者がいた。
それは橋の真下に忍者のようにへばり付いている桐山だった。
ギシギシという小さな音がやけに大きく聞こえる。
鳴海はどうやら桐山に気付いてないようだ、桐山の真上を通り過ぎた。
桐山は一瞬安堵したが次の瞬間、銃声が銃弾と共に橋を突き抜けてきた。
気付かれた!!
さらに連続して銃声が鳴り響く。桐山が川に落ちた。
視力を失っている桐山には何も見えない。
ただ川の流れかに引きずり込まれる感覚だけをはっきりと感じた。
暗闇……はてしない暗闇だ。流れに揉まれ体が木の葉のように翻弄される。
きりもみ状態ゆえに水面の位置さえわからない。そんな中、桐山は水底深く吸い込まれた。
ガンッと鈍い音がして何かに衝突した。その衝撃と息苦しさに桐山は意識を失いかけた。
だが天は桐山を見捨ててはいなかったらしい。
滝だ。桐山の体はいったん川の流れから空中にほうり出され数メートル下の滝壺に落下。
深い水溜まりとなったそこは桐山の体を無傷で受け止めてくれた。
しかも流れが緩やかになっている。
桐山はいつの間にか岸にたどり着いていた。幸い水もあまり飲んでいない。
桐山はうっすらと目を開けた。ぼやっ…と、歪んだ景色が視覚に写った。
(視力が戻ってきている……のか?)
まだ不完全だが見える。
(ここは島のどの辺りだ?随分流されてしまったようだが)
桐山は立ち上がろうと上半身を起こした。
その時、大きな水音が聞えた。何かが滝から飛び込んだのだ。
その何かが今の桐山には驚異だった。
桐山は岸辺に横倒しになっていた木の影に素早く隠れた。
水面が盛り上がり水中から金髪の悪魔が姿を現した。
「……どこだ。どこに行った?」
桐山は目の前に両手をかざした。まだぼんやりとしか見えない。
(まだ勝てない。もう少し時間を稼がなければいけないようだな)
気配を完全な止め、呼吸すら極力止めた。
鳴海は鋭過ぎる。ほんのちょっとしたことが命取りになるだろう。
鳴海はキョロキョロと辺りを見渡したが桐山の姿は見えない。気配もまるで感じない。
「…どこに行った?」
鳴海がこちらを見た。何かがいると感じたのだ。近付いてくる。
桐山が隠れている木のそばまできた。
鳴海が銃を取出し、直後、銃声が桐山のすぐそばで聞こえた。
「キイッ!」
イタチが慌てて飛び出し逃げて行く。
鳴海は苦虫を潰したような表情をして、その場を立ち去った。
(危なかった…今見付かれば勝ち目はない。視力が完全に戻るまでここでじっとしていようか?)
だが美恵のことが気になった。今は生きている。少なくても可能性は高い。
しかし、今はまだ絶対に殺されないという保証もないのだ。
一刻も早く捜さなければ。幸い少しずつだが視力も良くなっている。
鳴海の気配もすでに遠のいている。今なら大丈夫だ。
桐山は決心して一歩踏み出した。二歩、三歩……音をたてないように、ゆっくりと慎重に。
(天瀬、待っててくれ。すぐに助ける。だから……)
足に何かがひっかかり、その何かが張り詰めた感覚が足元から伝わった。
(何だ?)
視界がぼやけて見える桐山には見えなかった。
だが感覚でそれが何かわかった。糸だ。
透明で極細で、そしてこれはマナーの悪い釣人が捨てていった釣り糸ではない。
桐山はすぐにしまったと思ったがもう遅かった。
(……獲物がかかった。岸辺にいたのか)
鳴海は桐山が近くにいると考えピアノ線を張り巡らしながら歩いていた。
そのピアノ線が何かに引っ掛かり張り詰めた。
つまり……桐山が、その張り詰めたピアノ線の先にいる!
桐山はナイフを取出し自分の行手を阻むピアノ線を切断した。
急いで、この場を離れなければ奴がくる。桐山はぼやけた視界の中、全速力で走った。
だが何か細長いものが飛んできた。
そして首に圧迫感を感じた瞬間、桐山の体が一気に地上から離れ宙吊り状態になった。
「くく……やっと捕まえたぞ、桐山和雄」
桐山がピアノ線に気を取られた僅かな隙に、鳴海が先が輪になった蔓を投げてきたのだ。
木の枝を支点に鳴海は一気に蔓を引っ張った。
桐山がどんな天才だろうと首吊り状態にされて苦しくないわけがない。
そして暴れても蔓が切れるわけでもない。
桐山は意識が朦朧とする前に冷静にナイフで蔓を切った。
地面に落ちた衝撃よりも、再び喉に空気が流れた安心感のほうがはるかに大きい。
だが、安心感などに浸っている暇はない。
一瞬の気の緩みが即、死に直結する。桐山はすぐに木の影に飛び込んだ。
「……!」
だが、鳴海が仕掛けた呪縛は終わってなかった。
ピアノ線が足に絡み付いている。
「さあ出てこい」
鳴海がピアノ線を引っ張った。桐山の体はバランスを崩し転倒。
そのまま凄い力で引き寄せられ桐山の体はそのままだったら鳴海の元まで直行だっただろう。
だが、どういうわけかピアノ線が動かなくなった。
「……止まった」
ピアノ線が固定されたように、たぐりよせできなくなった。
「……オレに逆らうのか」
鳴海は力任せに引っ張ったが、尚も動かない。
「……オレと力比べする気か?」
鳴海はパワーだけなら特選兵士の中でも1、2を争う程の腕力の持ち主。
桐山は外見からして、やや華奢でどう見ても腕力があるようには見えない。
鳴海はパワーでは桐山に負ける気などしなかった。
「……引きずり出してやる」
鳴海は両腕に渾身の力を込めた。
拮抗を保っていたピアノ線が鳴海に向かって飛んだ。
「!」
だが、飛んできたものを視界に捕らえた途端、鳴海は瞳を拡大させた。
ピアノ線の先に付いているのは桐山ではない。
木だ。岸辺には何本も横倒しになっていた木があった。おそらく、それだろう。
その木は桐山と同じくらいの大きさだったが、重さは桐山の体重を大きく上回っていた。
いつの間にか桐山と入れ替わっていたそれが鳴海目掛け飛んできたのだ。
鳴海の視界が一瞬だが真っ暗になった。
同時に衝撃を感じ、次に顔面から膝にかけてじわじわと激しい痛みが浮かび上がる。
「あ、あああ……」
鳴海は顔を両手で押さえ悶絶した。
「……痛い」
鳴海は顔から手をはなした。その顔は赤く染まっている。
「……今のは痛かった」
その声は、あまりにも低い口調だった。
「今のは……痛かったぞっ!!」
鳴海は走った、そして飛んだ。
空中で懐からメリケンサックを取出し利き腕の左に装着。
桐山は右に飛んだ。桐山の背後にあった木に鳴海の左拳が食い込んむ。
鳴海が拳を引き抜くと痛々しい穴がついていた。
その穴から幹全体に向かって亀裂が入る。
そして木はまるで台風に薙ぎ倒されたように幹から折れ地面に倒れた。
「……よけたな」
鳴海がクルッとこちらに振り向いた。さらに間を置かず横飛び。
空中で体を反転させて、その勢いを利して桐山に強烈な回し蹴りを炸裂させる。
桐山は全身が痺れるような衝撃を受け飛ばされた。
もちろん、そのまま鳴海の攻撃を大人しく受けるつもりはない。
空中で回転し、バランスを保ち何とか着地。
だが桐山には見えなかった。鳴海がニヤリと不気味な笑顔を浮かべたのも。
そして、鳴海が先端に石を縛り付けた蔓を投げてきたのも。
桐山の足首にグルグルと蔓が何回も回転して絡み付いた。
鳴海は間髪入れずに蔓を持ったまま木の枝を飛び越えた。
桐山の体が足元から一気に引き上げられる。
次の瞬間には逆さまになって吊されている桐山の姿があった。
それを見て鳴海は薄笑いを浮かべた。
「……安心しろ。すぐには殺さない」
その表情を今の桐山が見ることが出来なかったのは不幸中の幸いだったかもしれない。
「……ゆっくりと時間をかけて殺してやる」
その表情は殺しに喜びを感じている狂気の笑顔だった――。
「そうか、わかった。礼をいうオヤジ」
坂持が捕獲され本部への定期連絡が途絶える以上、上が間違いなく動く。
高尾とのゲームに執念を燃やす周藤は邪魔されないように鬼龍院に手をまわした。
『ふん、おまえの口からそんな殊勝な台詞を聞けるとはな。
それより、そろそろ大物を片付けたらどうだ。おまえが殺したのはどいつもこいつも雑魚ばかりだろう』
「確かにな。さっき片付けた山本と小川も最低ランクの生徒だ。
山本は銃を手にしていたから武器ポイントだけは入ったが」
(その銃は周藤が持たせたものだが)
「このままだと、どうあがいても晃司には勝てそうにない」
『その割には楽しそうだな』
「こっちには天瀬美恵という切り札がある。さっきも二人生徒を捕まえた。使い方次第で逆転も可能だ」
『何を考えている?』
「さあな」
周藤は携帯を切ると部屋の隅にいる三人に視線を送った。
縛られ目隠しにヘッドホンまでされている三人は身動き一つせずにじっとしていた。
「どうやって殺されたい?銃で蜂の巣にされたいか?それとも全身が腫れ上がるまで殴られたいか?」
「……」
「それとも……」
鳴海は懐からナイフを取出した。
「……生きたまま生皮を剥いでやるか?」
「どれも御免だ」
「おまえは我が儘だ。そんなことが……」
鳴海は今度は銃を取出した。
「通ると思っているのか?」
銃声が二発、森の中に轟いた。バタバタと鳥たちが一斉に飛び立つ。
「……除けたな」
鳴海は明らかにご機嫌を害したようだ。
鳴海が銃を向けた時、桐山は瞬時に体を曲げ弾をかわした。
もし、かわさなければ桐山の両耳は無くなっていただろう。
「次は外さない」
鳴海は再び銃口を桐山にセットする。
「今度は足だ」
「…………」
「……貴様の息の根が止まるまで……いや止まっても打ち続けてやる」
鳴海は引き金を絞った。
――銃声が二度、森の中にこだました。
【B組:残り16人】
【敵:残り3人】
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