鳴海がゆっくりと立ち上がった。

ポトッ……。

鳴海の足元に赤い点が落ちた。

ポトッ……ポトッ……。

さらに連続して落ちる。


「……血」


蝉のようにかそぼい声がした。
桐山からは見えなかったが、鳴海の額はぱっくりと5センチ程切れている。
左目の上だったので血が左目を染め、瞬く間に鳴海の視界は赤く変化した。


「……血」


鳴海は不思議そうに、そっと血を拭った。
手にべったりと血がついた。ドロッとした感触。
ペロッ……鳴海は指先についた血を舐めた。




「……直人や徹と雅信の違いの一つがこれだ」

周藤は静かな口調でいった。

「普通の奴なら冷静でいるときがベストな状態だ。だが奴は違う」
「…………」


「自らが傷ついて初めてベストな状態になるんだ」




キツネ狩り―133―




(坂持を連れているのは川田章吾に三村信史。
あの様子だと坂持はしばらくは殺されることはないようだな)


高尾は川田に騙されなかった。気付いたのだ、足跡の微妙な違いに。
点々と続いた足跡が小川の近くで踏み込み方が深くなった。
だから気付いたのだ、あれは一度ついた足跡に再び踏み込んだものだと。
川田は足跡の深みまでは、さすがに計算してはいなかったのだ。
足跡がカモフラージュだと気付き、策にのったふりをして下流に向かって歩く。
そして、すぐに川田たちに気付かれないように、その背後にまわっていたのである。
すぐに攻撃を仕掛けないのは坂持の命がかかっているからではない。
川田たちが仲間と合流するだろうとにらみ、一網打尽にするつもりなのだ。
坂持の安全など、この際どうでもよかった。
何故なら自分の任務はプログラムを忠実に実行すること。それが最優先だった。














「……桐山……和雄」

次の瞬間、桐山は我が目を疑った。
鳴海がまるで瞬間移動したかのように自分の間合いに入ったからだ。


「……っ!!」


反射的に銃を構えようとしたが、その前に鳴海が銃口を掴んだと同時に上に向けた。
銃弾は空に向かって発砲、しかし鳴海は銃口を離さない。
そして強引に銃を自分の方に引き寄せる。
銃を握っていた桐山の右腕も当然引っ張られ桐山は大きくバランスを崩した。
鳴海の手にキラリと何かが光る。それが桐山の顔目掛けて横一直線にひかれた。


「……!!」

桐山は目元に痛みを感じ反射的に両目を覆った。
しかし、同時に背後に飛んでいた。
痛みなどにひるんでいる暇はない、とにかく次の攻撃をかわせる位置に退かなければ。
だが、その背後に恐るべきスピードで、鳴海が先回りしていた。
気配でそのことを察した桐山は地面を蹴っていた。
遠くだ、とにかく遠くに飛ばなければ。ところが鳴海も後を追い掛けるように飛んだ。
しかも桐山より後に飛んだはずなのに桐山より速く最高点に達している。
そして両手を組むと、それを桐山の背中目掛けて激しく打ち込む。
桐山の体がまるで隕石落下のように地面にたたき付けられた。




「桐山くん!!」

そんな、そんな!桐山くんがっ!!
どういうことなの?!あの男、急にパワーやスピードがアップした!!


「わかったか?あれが雅信の本来の姿なんだ」

周藤は面白そうに「さあ、これからが本番だぞ」と、笑った。
モニターの中で俯せで地面に倒れていた桐山が立ち上がった。
目を押さえている手の指の間から血が流れている。


(まさか……まさか目を?!)


「両目をえぐられたかもしれないな」
美恵の気持ちを逆なでするような周藤の冷酷な言葉。
しかし今の美恵には周藤に怒りを感じている暇などない。
桐山が目を押さえていた手をとった。左目の下がばっくりと切れている。
美恵は桐山が怪我をしたことに動揺しながらも、桐山が失明を免れたことだけはホッとした。


だが、それもほんのつかの間。
鳴海が先程と同じくらいの、いやそれ以上のスピードで再び桐山の間合いに入ってきた。
もちろん桐山もむざむざと鳴海の攻撃をくらったりなどしない。
体勢を後ろにそらしながら鳴海の頭目掛けて蹴りを繰り出した。
普通の人間ならば除けようとするだろうが鳴海は違った。
除けようとせず、防御もせず、桐山の蹴りをあえて受けた。

「!!」

桐山は僅かに顔を歪めた。
蹴りが鳴海の首に綺麗に入った瞬間、鳴海はニヤリと笑ったのだ。
そして、桐山の足に自分の腕を巻き付けるように押さえこんだ。




桐山はしまったと思ったことだろう。
しかし、しまったと思うより先に自然と体が動いていた。
今の自分の全体重を支えている左足を一気に上昇させた。


「あの体勢から踵落としとはたいした身体能力だ」


周藤は感心したが、同時に無謀だとも思った。
片足を鳴海に取られている以上、下手なことをすれば余計ダメージを受けることになる。
蹴りだけではなく桐山は銃まで構えていた。
しかし鳴海は桐山の足を締めたまま半回転した。
当然、桐山は体勢を大きく崩したが、ほぼ同時に発砲していた。
だがバランスを崩したことで弾道も大きくそれた。
銃は撃ちさえすれば当たるものじゃないということを周藤はよくわかっている。
そんな周藤に桐山の行動はただの焦りだと感じた。
だが、それが大きな間違いだった。鳴海の左腕に向かって背後から弾がとんできたからだ。
弾は鳴海の腕をえぐり、その痛みで鳴海は思わず桐山の足を離した。


「何だとっ!?」

周藤も思わず立ち上がった。もちろん美恵も驚愕している。


「ど、どうして?……どうして、あんな逆方向から……」


美恵はハッとして、「もしかして誰かが……」と、言いかけた。
きっと誰かが助けてくれたのだろうと思ったのだ。
しかし周藤は即座に「違う、やったのは桐山だ」と、言った。




「……え?」
美恵は信じられない表情で周藤を見た。
「あれを見ろ。モニターの隅だ」
「モニターの隅?」
美恵は言われた通りモニターの隅を見たが何もない。
硬そうな岩が露出しているだけ。


「跳弾だ」
「跳弾?」


「あの岩に当たった弾が跳ね返って雅信を襲ったんだ」
「そんなことが可能なの?」
「出来ないことじゃないが簡単なことでもないな」


――まして、あの体勢からならオレたち特撰兵士でも容易ではない。


(桐山は保険をかけて撃ったんだ。雅信がかわしても跳弾によって再度弾が雅信を襲うように。
全く抜目のない奴だ。本当に晃司を見ているようだな)

しかし周藤が驚いたのは一瞬だった。

「だが雅信もこの程度で怖じけづく奴じゃない」

なにしろ奴は異常な男だから。
周藤は笑っていた。それが美恵をたまらなく不安にさせる。




「桐山ー!!」

鳴海が再び桐山の間合いに入った。しかも、さらにスピードが上がっている。
桐山は飛んでいた。鳴海の頭上を飛び越え鳴海の背後にでようとしたのだ。
何故なら桐山の背後は崖っぷち。後ろに下がることなどできない。
だから前に出るしかないのだが鳴海は桐山の動きに即座に反応した。
鳴海も地面を蹴って飛んでいた。
いや、飛んだというより空中にいる桐山目掛けてタックルをお見舞いしたといったほうが適切だろう。
これには桐山も少々驚いた。
背後は断崖絶壁。こんな攻撃を仕掛けたら崖から落ちるのは桐山一人ではない。
鳴海自身も一緒なのだ。二人の姿がモニターから消えた。


「桐山くん!!」


美恵はモニターに飛び付いた。

「桐山くん、桐山くん!!」

何度呼んでも返事などあるわけがない。


「わかったか、これが直人や徹にはない奴のもっとも厄介な性質だ」

周藤が冷静に言い放った。




「オレたちは軍人だ。いつでも死ぬ覚悟は持っている。
いざという時は敵を道連れに死ぬこともいとわない。
だが、あくまでも最後の手段であって、通常は敵を殲滅し自分は生還することを前提に戦っている。
しかし雅信は違う。頭に血がのぼると、あいつは自分の命はおかまいなしになる。
それも任務のためではなく、ただ相手をこの世から消したいという一念でな。
そのために自分の命さえ犠牲にするのかといえば、それも違う。
あいつは無謀な攻撃が自らの首を締めることに気付いてないだけなんだ」


「そんなことはどうでもいいわ!!桐山くんは……彼は……」

美恵の脳裏に海に吸い込まれる桐山の姿が浮かんだ。


「1番左のモニターを見てみろ」
「桐山くん!!」

桐山がそこにいた。崖の断面にしがみついている。
問題は桐山だけでなく、あの鳴海まで張り付いていることだ。
桐山が足場にしているのは小さな露出した岩。
それがガラッと崩れ落ち、桐山の体も一瞬沈む。
両手でしっかりと岩壁にしがみついてなかったら今頃は海の中だ。
もちろん、このままの状態でいれば、それも時間の問題。
さっさとロッククライミングを開始して崖の上に這い上がらなければ風前の灯だ。
だが、「桐山殺す!!」と、鳴海が桐山に殴りかかってきた。


「な、何考えているのよ!?」

片手を岩壁から離せば自分が落ちるかもしれないのに!!


「だから、あいつは、そういう奴なんだ」

周藤はやれやれと溜息をついた。




(……こいつ)
桐山は自分をまるでこの世の全ての憎悪を集中したような目で射抜く鳴海を見た。
(オレとは全く違う人間だ)
自分は他人とは違って何も無い人間だということは薄々気付いていた。
だから今まで何かに執着したことは一度も無い。美恵に出会うまでは。
だが、こいつは一度執着した者には自分の全てをもって奪いに来る。
そのくらいの執念を感じる。それを邪魔する自分を憎んでいる。自分の命を顧みないほどに。
こんな男にかまっている暇はない。
美恵は生きている。他の転校生に捕らわれの身になって。
早く探して守ってやれなければいけない。桐山はすぐに上に上がろうとした。


「殺す!!」
途端に鳴海が蹴りを入れてきた。
「!!」
桐山の体がズッと岩壁を滑った。普通の人間なら、あっと言う間に海まで落下しただろう。
しかし、桐山もやられっぱなしで黙っている男じゃない。滑り落ちながら、咄嗟に鳴海のズボンを掴んだ。
「な……っ!」
今度は鳴海の体が一気に岩壁を滑った。
数メートル滑り落ち、二人はとまった。
天性の身体能力で何とか再び元の体勢に戻ったのだ。
だが、このままでは再度昇ろうとしても同じ事の繰り返しだろう。




(こいつを片付けなければ)

だが、この状態。下手に手を離せば自分が落下する。
そんな桐山の目に崖から突出ている枝が見えた。


「…………」
「……何を見ている。こっちだ桐山!」

鳴海がまたしても殴りかかってきた。
桐山は左手を広げて拳を受け止めると、その手首を握りねじった。
そして岩壁を蹴った。




「そんな……桐山くん!!」


美恵の目に鳴海ごと落下する桐山の姿が映った。

まさか……まさか、あいつを道連れに!!?


「本当に……抜け目の無い奴だ」
「……え?」

周藤の言葉の意味を美恵は即座に知ることになる。
桐山は空中で鳴海を蹴り飛ばし、崖から突出ている枝の上に飛び乗った。
桐山の重みで枝が大きくしなる。まるでプールの飛び込み台のように。
その反動で桐山の体が大きく弾んだ。
真っ逆さまに落ちてゆく鳴海を尻目に桐山は大ジャンプ。
一気に崖の上にでると一回転して着地した。
桐山の耳に、はるか下の方から何かが水に落ちる音がした。














「……で?あんたは美恵を見殺しにしてのこのこ逃げてきたってわけ?」
「……本当に男の風下にさえおけないひとねぇ。
残念だけど、あなた、アタシのタイプには当てはまらないわ山本くん」
「……ぁ、ぁぁ」
仁王立ちする二人に山本は命の危険を感じた。
「た、助けてくれ!!」
「ま、待って!和くんを責めないで、私だって悪いの、だから……!」
さくらが山本の前に出て両腕を広げた。
山本は、さくらにしがみつき、「さ、さくら!オレはさくらに殉じるよ!!」と意味不明な台詞を叫んでいる。


「……とにかく山本くん」

光子がゴソゴソと何かを取り出した。
「ひぃぃー!!」
それを見た瞬間、山本はムンクの叫びのような悲愴な表情になった。
光子の右手でカマがキラリと光っている。


「覚悟できてるわよね?」


「さ、さくら!オレは……オレはさくらの価値観に殉じるよぉぉー!!」
「か、和くん、しっかりして!……そ、相馬さん止めて、お願いだから和くんを許してあげて!!」


「許すも許さないも……」

光子はニコッと笑った。


「あたし……そんな選択肢すらもう持ってないのよ。だって答えはでてるもの。
さくら、さっさとどきなさいよ。でないと、あなたも殺すわよ?」




「待ちなさいよ光子ちゃん」
意外にも止めたのは月岡だった。
「何よ月岡くん。止めないでちょうだい、こんな役立たず生かしておいてもまた裏切るわ。
だったら今すぐ、あたしが殺してあげたほうが親切ってものじゃない?」
「その前に本当に美恵ちゃんが死んだかどうか確かめないと」
「……どういうこと?こいつら美恵がナイフで刺されたところを見ているのよ」
「そうね。でも、おかしくない?その場で殺さずに連れ歩いた後で殺すなんて。
どうも引っ掛かるの。山本くんを殺すのはかまわないけど確かめてからでも遅くないわ」
「それもそうね。じゃあ、現場に案内してもらうわよ。いいわね、さくら、山本くん?」
「……え、ええ」
あの転校生がまだいるかもしれないと思うと正直言って足がすくむ。
だが美恵を見捨てたという罪悪感が今では罪滅ぼしをしたいという気持ちに大きく変わっていた。
自分に出来ることは精一杯したい。七原が命懸けで自分を守ってくれたように。


「わかってる……案内するわ」
「じゃあ急ぎましょう」
「うん……和くん、立って。行きましょう」
「……い、嫌だ!」
途端に山本が顔面蒼白になって、さくらを抱きしめた。
「ば、場所なら教える!でも行かない、オレとさくらは行かないよ!!」
「……なんですって?」
光子の目つきが一気に冷たくなった。
「あ、あんな……あんな奴がいるところになんか行ったら……殺されるよ!!
オレは……オレとさくらはいかない!オレはさくらを守りたいんだ!!」
「……和くん!私だったら大丈夫よ。覚悟決めて行きましょう?」
「……な、何言ってるんだ!バカなこと言うなよ、さくら!!」














「……手掛かりなしか」

桐山は美恵が倒れていた場所を念入りにチェックした。
しかし、これといった手掛かりは全く無い。


(もっと範囲を広げて調べるしかない……か)


辺りには誰もいない。鳴海が持ってきたチェーンソーがぽつんと地面に横たわっているだけ。
桐山はスタスタと歩き出した。
鳴海雅信はすでに死んだから後二人片付ければいい。
崖から海に転落したのだ。今頃は死体はズタズタになって海中を漂っているだろう。
狂気に満ちた危険人物だった。だから行動パターンが読みにくくて戦い憎い相手だった。
だが、その反面呆気ない結末でもあった。


菊地や佐伯のように戦いが長引いたら不利なのは自分のほうだ。
自分は今まで何度も転校生と戦い体力の消耗が激しい。短期決戦で終結してよかった。
最初はまず森の中を調べてみようと桐山が森の中に足を踏み入れようとしたときだった。
ウィィーン、と何かが高速で回転する嫌な音が背後から聞えた。


「!!」


まさか!桐山は振り向いた。そして見た。その怪しい音の正体を。
勝ったと思っていた。死んだとも思った。
だが、桐山が見たものは、それらを完全否定する映像だった。




「桐山和雄……殺すっ!!」




背後に全身びしょ濡れの金髪の悪魔が立っていた。
その姿を確認したとほぼ同時に腹部に蹴り。
桐山は勢い余って背中から地面に倒れた。


その桐山の瞳の中で、チェーンソーが不気味な回転をしながら振り落とされた――。




【B組:残り18人】
【敵:残り3人】




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