「落ち着け桐山!!」
これは悪い夢だ。それも恐ろしいほどの悪夢だ。
だがモニターの中の美恵は間違いなくナイフに胸を貫かれ倒れている。
血を流しピクリともしない。
瞼は閉じられただ静かに横たわっているだけだった。
「こんな……こんな…!!」
「桐山!!」
桐山の体勢がガクッと大きく崩れた。
その時スピーカーのスイッチに手が触れオンになったが今の桐山に気付く余裕はなった。
キツネ狩り―128―
「ひっ……!」
坂持は慌てて後退りしようとしたが何かに躓きその場にシリモチをついた。
「な、なななな……鳴海ぃ!!は、話し合おう!!」
鳴海は冷たい目でジッと坂持を見ていたがスッと飛び降りた。
「鳴海!!おまえは何か勘違いをしているんじゃないのか!?
先生はおまえに恨まれるようなことは何一つしてないぞ!!」
「…………」
「は、話し合おう!な?鳴海!!」
「…………」
鳴海はチラッと視線をそらした。何かを見ている。
(な、何を見ているんだ?)
坂持は鳴海の視線の先を見た。
掃除道具入れ用のロッカーの横に消化器が置いてある。
(ま、まさか……!!)
坂持は全身の血の気が引くのを感じた。
(まさかアレで私をボコボコに撲殺する気なのかぁ!?)
坂持の脳裏には消化器で殴られまくる自分自身の姿が浮かんだ。
その想像を立証するかのように鳴海が消化器に向かって歩きだした。
(やっぱり!!やっぱりそれで先生を惨殺する気なんだな鳴海ぃー!!)
だが予想に反して鳴海は消化器の前を通り過ぎた。
(殺さないのか?もしかしてこのまま見逃してくれるのか?)
必死の訴えがきいたのか?
誤解だと気付きこのまま出ていってくれるかもしれない。
実に都合のいい考えだが坂持は一瞬そう思った。一瞬に過ぎなかったが。
ほんの一瞬安堵した坂持だったが次の瞬間これ以上ないくらいに眼を見開いた。
それこそ、まるで目玉が飛び出るのではないかというくらいに。
鳴海が掃除道具入れ用のロッカーに手をかけたかと思うとそれを一気に真上に持ち上げたのだ。
しかも片手で。坂持は今度こそ心の底から悲鳴を上げた。
「ギャァァァー!!」
「今頃はあの映像を見て慌てふためいている頃だろうな」
周藤は学校の方角を見ながらほくそ笑んだ。
(こちらの用意も準備万端だ。
オレはいったん舞台から降りて観客席からじっくりとショーを見せてもらうぜ)
周藤は木の上から飛び降りると左肩に武器をつめたディバッグをかけた。
そして右肩には横たわってピクリとも動かない美恵を抱え森の奥へと消えて行った。
「ひいぃぃー!!」
大絶叫の坂持。だが恐怖におののいている余裕などない。
ロッカーが坂持の頭部目掛けて振り落とされたのだから。
必死になって紙一重でなんとか除ける。
グシャっという鈍い音がしてロッカーの先端が床に食い込んでいた。
「……ちっ」
鳴海は冷めた目で舌打ちした。そして再びロッカーを持ち上げる。
ロッカーは先端が曲がっていた。
中からほうきやモップなどがバラバラと落ち床に接触する度にガシャンガシャンと騒々しい音を発する。
もちろん坂持にはそんな音を優雅に聞いている暇はない。
坂持の全神経は視覚に集中していたのだから。
ロッカーが今度は真横から一気に坂持の左顔面目掛けて振り抜かれる。
(ひいっ!バットじゃないんだぞ!!)
坂持はまたもや絶叫しながら必死になって亀のように首をひっこめた。
その真上をロッカーが通過する。
もちろん当たったら頭の一部は下手したら陥没するであろう。
ガンッと鈍い音が響いた。坂持の身代わりとなってロッカーに激突された壁。
あきらかにロッカーの先端が食い込んでいる。
「……ひ…ひぃ!」
鳴海がロッカーを引っ張るとボコッと嫌な音がした。
そして壁の一部がガラガラと崩れ落ちたのだ。
(こ、殺されるぅ!!)
もはやどんなに言い訳しようとも鳴海は聞く耳持たずだろう。
(に、逃げるしかない!!逃げなけれな殺されるっ!!)
坂持は四つん這いに近い体勢で全力で逃げだした。
そして目の前にあった技術室に飛び込んだ。
そんな坂持の目に止まったのは技術の授業の教材として使われている木材や工具だった。
坂持は入口の扉を閉めると木材でつっかい棒をした。
だが、この程度で安心など出来ない。
相手は何と言ってもあの鳴海雅信なのだ。
坂持は板を手にとると物凄いスピードで扉に打ち付け始めた。
あっと言う間に扉に板が釘でしっかりと固定されてゆく。
大型台風が上陸したときでさえこれほど手際よくなかったというのに。
(た、高尾と周藤が来るまでの辛抱だ!!
それまで持ちこたえることができれば助かる!!)
坂持の作戦はいたって簡単。
いや、作戦なんて上等なものじゃない。
今の坂持はただ恐怖で頭がいっぱいで作戦なんて考える余裕はないのだから。
わかっているのは呼び出しておいた高尾と周藤がいずれ来てくれるだろうということだけ。
(周藤の裏切りについては坂持は全く気づいてなかった)
篭城だ。それまで篭城してなんとか持ちこたえるのだ。
そうすれば高尾と周藤が駆けつけて、この狂った反逆者を仕留めてくれる。
坂持はそれだけに一縷の希望をかけていた。
まさにくもの糸そのものだったのだ。
そんな坂持の希望を打ち砕くかのように絶対零度の声がした。
「……そんなことで助かったつもりか?」
「……え?」
坂持の額から汗が流れた。
鳴海の声がした。近くにいるのだから当然なのだが、問題はその声が『背後』から聞こえたことだ。
体内からうるさいくらいに心臓の鼓動が響く。
坂持はゆっくりと頭だけを後ろに回した。
「あきらめろ……おまえは殺す」
扉の向こう側にいるはずの鳴海が立っていた。
「ギャァァー!!鳴海ぃぃー!!」
坂持は反射的に後ずさりした。
すぐに扉にぶつかったが、それすら気付いていない。
「な、何故!!何故おまえがここにいるぅー!!」
「……向こうの扉から入ったんだ」
通常、学校の教室というものは前と後ろに一つずつ扉がある場合が多い。
この技術室もそうだった。坂持は恐怖のあまりそのことを忘れていたのだ。
いくら扉を頑丈に封印しようと、もう一つの扉はまったくの無防備というわけなのだ。
「……ひぃ!!」
坂持はすぐに扉を開けて逃げようとした。
取っ手をつかむなり思いっきり引いたが開かない。
それもそうだろう。この扉が開かないようにしっかり日時大工をしたのは他ならぬ坂持自身なのだから。
「無駄だ……あきらめて潔くオレの拷問を受けろ」
「!!」
もはや悲鳴すら凍り付いていた。
そんな坂持に鳴海がスッと右手をのばしてきた。
「つ……っ」
坂持の中で何かがプッツン切れた。
理性を無くした坂持は死に物狂いで扉に体当たりした。
「つかまってたまるかぁー!!」
扉が軋み真っ二つに砕けた。
坂持の死力を尽くしたタックル岩をも……もとい扉をも砕いたのだ。
もちろん坂持も無傷ではない。額から血がだらだらと流れている。
「……ぅ」
身体中が痛い。全身が悲鳴を上げている。
だが、廊下で寝そべっている暇なんてないのだ。
鳴海が一歩前に出た。坂持はよろけながらも走り出す、全力疾走だ。
「……どこに逃げようと無駄だ」
必死に逃げる坂持を鳴海はゆっくりと追いかけた。
「さて……いつになったら主演俳優は登場するかな?」
周藤はオーディオルームでいくつものモニターを眺めていた。
モニターの中の景色には人間は映っていない。
(オレに逆らった罰としてせいぜいオレの役にたってもらうぞ雅信)
このクラスがプログラムの対象に選ばれたときから手こずるであろう生徒のデータは詳細にとっておいた。
だが、一人だけデータを満足にとれない奴がいた。
それが桐山和雄だ。
雑魚をぶつけるのは失礼だと思い、弟や部下達に襲わせたが桐山は全ての実力を出し切ってない。
だったら、もっと強い相手をぶつけて本気を出してもらうしかない。
(奴の実力は思った以上だ……直人や徹でさえ奴には勝てなかった。
認めたくはないが奴の潜在能力はおそらく晃司と互角。
ならばオレより上だということになる。
だが桐山、どんなに持って生まれた才能がずば抜けていてもオレには適わないものがある。
それは経験値だ。いくら特殊教育を施されたといっても所詮は民間人。
戦場で実戦を積んできたオレと比較になるはずがない。
正確なデータさえとれれば……おまえも恐れるに足らん相手だということだ)
その為に鳴海には捨て駒になってもらう。
「……!」
連絡が来た。全く、思った以上にオレのご機嫌をとりたいらしいな。
周藤は携帯を手に取った。
「なんだ?」
『は、はい。一応、ご連絡しておこうと思いまして。
織田と大木……この二人は簡単に丸め込めることに成功しました』
織田と大木か……まあ生き残っている奴の中では一番篭絡しやすい連中だな。
何しろ、自己愛が一番強い人間のようだから。
「そうか。すぐに仲間と合流しろ。だがもう仲間を増やす必要は無い。
そいつらと違って今生き残っているほかの連中は容易くない。
簡単におまえの二枚舌に引っ掛かるのはせいぜい山本和彦くらいだ。
だが山本を誘っても、びびって桐山たちに口を滑らす可能性大だ。
だから黙っていろ。いいな、合流したらまた連絡しろ」
「し、死んで!死んでたまるかぁぁ!!」
坂持はコケそうになりながら走った。
そして目の前にあった階段をそのまま駆け上がった。
「……バカめ。自分から逃げ場所の選択肢を縮めた」
外に逃げればまだ逃げ切れる可能性はあったのに……。
「……くくっ」
鳴海は小さく笑みを浮かべた。
「……ん?」
技術室を出ようとした鳴海の目にあるものが止まった。
それを鳴海は持ち上げた。電源をオンにしてみる。
ウィィーンと怖い音がした。
鳴海はチラッとそばにあった教壇にそれをあてがった。
物凄いスピードで教壇はあっと言う間に二つに分断されてしまった。
電気ノコギリ、つまりチェーンソーだ。
鳴海はニヤッと口の端を持ち上げると、それを片手で持ってゆっくりと階段を上がり始めた。
「……はぁ!……はぁ……!!」
呼吸は荒い。心臓もバクバクいっている。
坂持が今いる場所は二階の化学室だった。
慌てて逃げ込んだのはいいが、逃げ込んだ後で逃げ道がないことに気づいたのだ。
なぜなら、化学室は校舎の一番隅に位置していたからだ。
だったら、鳴海に見つからないように隠れてやり過ごすしかない。
解剖用のナイフを手に坂持は教壇の下にもぐりこみガタガタと震えていた。
鳴海の恐ろしさは坂持もよく知っている。
猟奇的な殺しをすることで有名な奴なのだ。
同じ特撰兵士ですら、鳴海の殺しには目を背けるくらいの。
(た、頼むから……頼むから反対方向に行ってくれ!!)
そうすれば隙を見て飛び出し再び階段を降りて外に逃げることも可能だ。
そんな坂持の希望を打ち砕くかのようにガタガタと音がした。
(ひぃぃ!!)
思わず叫びそうになった坂持は自らの口を両手で押さえた。
心臓が今にも口から飛び出しそうだ。
この化学室に飛び込んださい、そばにあったほうきでドアにはつっかい棒をしておいた。
もちろん、そんなものせいぜい持って数秒だろう。
派手な音がしてドアが蹴破られ坂持の心臓はさらに大きく脈打った。
心臓の音が鳴海に聞えるのではないかというくらいだ。
「……いないな。どこに行った?」
聞きたくもない鳴海の声。
(た、頼む鳴海……向こうへ行ってくれぇぇ!!)
坂持はナイフを握り締めて必死に心の中で願った。
いざとなったらこんな解剖用のナイフなど何の役にもたたない。
何しろ相手は蛙ではなく殺しのプロ。鳴海の足音が聞えてきた。
(ひぃ……!!)
「……どこだ……どこにいる?」
鳴海の声と足音だけがいやに大きく聞えた。
「どこだ坂持……さっさと出て来い」
どうやら鳴海は机の下を一つ一つ確認しているようだ。
そして坂持がいないと頭にきて蹴り飛ばしている。
「どこにいる……どこだ、ん?」
鳴海の動きが止まった。
「……あれは」
鳴海が何かに興味を持ったようだ。
(……こちらにこないのか?)
鳴海が教壇の反対方向に歩いていく音がしたので不審に思った坂持は勇気を振り絞って少しだけ身を乗り出した。
まるで柱の影から顔を出すように、教壇の下からほんの少しだけ頭を出し鳴海を見た。
(……あれは)
鳴海は部屋の隅においてある薬品棚に興味を持ったようだ。
それに近づきガラス戸を開けようとした。
だが、危険な薬品もあるためガラス戸には鍵がかかっている。
「…………」
鳴海はスッと拳を上げるとガラス戸目掛けてパンチ。
派手な音がしてガラス戸は割れた。鳴海はいくつかの瓶を取り出した。
そしてニヤッと笑った。本当に嬉しそうに。
(……な、何をしているんだ?)
そして蓋を取り、窓にかかっていたカーテンを引きちぎると床にほうった。
ほんの少しだけ薬品をこぼした。
ジュッと音がしてカーテンに小さな穴が空いた。
それを坂持はしっかり見たのだ。
(りゅ!……りゅりゅりゅりゅ……硫酸!?)
坂持は気が遠くなりそうになった。
あれをどうするつもりなのか?いや、考えなくてもわかる!!
(あ、ああああああいつ!!あの硫酸でまさか、まさかぁぁー!!)
その時、鳴海がクルッとこちらに顔を向けた。
(!!!!!)
叫びそうになるのを堪え坂持は頭を教壇の中に引っ込めた。
(ま、まさか気づかれたか!!?)
どうしよう、どうしよう!!
考えた、考えたが名案が浮ばない。
しかも考えている最中にも鳴海はこちらに向かって歩いてくる。
そして、突然、坂持の真上から大きな音がした。鳴海が教壇の上に飛び乗ったのだ。
(ひぃぃー!!)
坂持は口を押さえている両手に力を込めた。
しかし限界だ。もし、今度何かあったらいやでも叫び声をあげてしまうだろう。
(ばれている!!きっとばれている!!)
だが、ばれているならなぜすぐに攻撃しない?
もしかしてまだばれていないのか?
だったら、このまま隠れていようか?
いやしかし……しかし、もし、もしもばれているのならすぐに逃げないと!
でも、不用意に飛び出したら、すぐに攻撃されてあっと言う間に死体になるかもしれない。
そんなことを考えている時だった。
ウィィィーンッ!と、何かが高速で回る音がしたのは。
(え?)
ノコギリの刃が高速回転し教壇を削り取りながら坂持の真上に現れた。
「ぎゃぁぁぁー!!」
【B組:残り18人】
【敵:残り3人】
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