いつの日だっただろう?
そんな事を言った覚えがある――。
キツネ狩り―126―
『た、た、高尾、周藤!今すぐ本部に戻って来い!!
て、敵が……敵が攻撃を仕掛けてきた!これは命令だ、い、今すぐ戻るんだぁ!!
て、敵を殲滅しろぉ!!これは命令だ、命令だぞぉぉー!!
い、今すぐ戻れ。戻ってくれぇぇー!!』
坂持の悲鳴のような声がはっきり聞こえた、高尾にも杉村にも。
だが七原には聞こえない。何も見えない。
わかるのは幸枝が背中から血を流していること。
何より、その顔から生気が抜け見る見るうちに白くなっていたことだ。
医学には全く素人の七原にもわかる。このままでは幸枝は死ぬ。
そう死ぬんだ。自分を庇って!!
『は、早く戻れ戻ってくれぇー!な、鳴海が乱心した!!
それだけじゃないっ!き、き、桐山と川田が襲撃を仕掛けてきたんだ!!
このままでは、この部屋に来るのも時間の問題だ!!
止められるのはおまえたちしかいない!
頼む!高尾、周藤、は、早く来てくれっ!助けてくれぇー!!
こ、これは命令だ。最優先命令だぞぉぉー!!』
「……フン、今さら助けを求めて『イエッサー』なんていうと思っているのなら、随分とオレを甘く見てくれるじゃないか」
周藤は学校の方角を忌々しそうに見た。
(……だが晃司は任務バカだから命令には従うだろう)
周藤は携帯を取り出した。
「……ああオレだ。今すぐ病院に戻れ。なに?嫌だと?
ふざけるな、だったら契約は取り消しだ。……そうか、最初からそういえばいいんだ。
安心しろ、晃司はすぐに病院を離れる。
ああ、それからおまえ達のすぐそばにお仲間がいるはずだ。
そいつも連れて行け。そうだな……その位置から北50メートル。
それから、さらに西に30メートル地点だ。
全員一緒の方が後々都合がいい。おまえの二枚舌を使って奴を丸め込め。
今、貴様が一緒にいる織田もすぐに寝返るタイプだしな。
奴を発見したらとりあえず合流してオレに連絡をとれ。いいな」
携帯をしまい数歩歩いた。茂みの中に美恵がいる。
「……今度はどこに行くの?」
「引き続き移動する」
「……学校に行かなくていいの?命令違反になるわ」
「オレのことを心配でもしてくれてるのか」
途端に美恵はキッと周藤を睨みつける。
「怒るな、冗談だ」
それから少し真面目な目をして言った。
「安心しろ。後二時間ほどで解放してやる」
「……二時間で解放?」
「ああ、そうだ。信じられないってツラだな。安心しろオレはくだらない嘘はつかない」
「…………」
この男は一体何を考えているのかしら?
いえ……そもそも、どういう男なの?
徹とも違う。鳴海雅信とも違う。
高尾晃司は……桐山くんと同じ何かを感じたけど……。
だけど、この男は一体何なの?ふざけているようで本気だし……。
卑劣な方法を取るかと思えば借りは返すなんて律儀なことを言うし。
「なんだ?オレの顔に何かついているのか?」
「……別にただ……変わった男だと思っただけよ」
「オレが変わっているだと?おまえの男のほうがずっと変わっているだろ」
「桐山くんが?」
「そうだ。あんな変わり者、オレは晃司の他にいるとは思わなかった」
確かに……それは、そうだ。
でも自分はずっと桐山と一緒にいて、桐山のあの独特の性格や雰囲気に馴れてしまっていた。
だからなのか特別だと思わなくなっていた。
「会いたいか?桐山和雄に」
「……当たり前じゃない」
「そうか安心しろ。すぐに会える……ただし、奴が雅信に勝てばの話だが」
美恵の顔色が変わった。
「やめて!!どうして桐山にくんに、そんなマネをするの!?」
「決まっている。奴を倒す為だ。オレは直人のように桐山を舐めてかかるつもりはない。
まして徹のように嫉妬にかられて感情的になるなんて愚の骨頂だ。
オレは直人や徹とは違う。例え、どんなに有利な立場にいようとも全力で倒しにかかるつもりだ」
「…………」
高尾は放送に耳を傾けていた。
『これは最優先命令だぞ!!」
「……最優先……命令か」
戦う為に生まれ、戦う為に育てられ、そして戦う為だけの人生を送ってきた。
任務は、軍事命令は高尾にとっては絶対なのだ。
例え、それがそんなに馬鹿馬鹿しい命令だろうとも。
そして任務内容に疑問を持ったことなど一度も無い。
それが科学省に作られた人間兵器の悲しきサガでもあった。
高尾は走っていた。杉村や貴子とは反対の方向、廊下に向ってだ。
そして飛んだ。腕を目線の高さまで上げ、目をガードすると廊下の窓ガラスを突き破る。
絶体絶命の危機にあった杉村、そして七原だが、ホッと一息などつく暇はなかった。
何故なら、華麗に窓ガラスを突き破って外に飛び出していた高尾が、置き土産を残したからだ。
高尾は窓から飛び出す寸前に、何か缶のようなものを背後に向って投げていた。
それを見た瞬間杉村と七原の目が何倍にも拡大した。
手榴弾だ!!
元々は日下友美子に支給された(この際、二人にはそんなことどうでもいいだろうが)ものだ。
杉村も七原も、もちろん戦闘のプロではない。
でも手榴弾というものがどんなものくらいかは映画やドラマから得た知識で知っている。
それが殺傷能力の高い武器だということも。
そしてピンを抜いてほんの数秒で爆発するとんでもない代物だということも。
時間が無い!!とにかく逃げるんだ!!
どこに!?どになんて考える暇なんてあるか!!
「た、貴子!!」
杉村は咄嗟に貴子を抱きかかえた。
「い、委員長!!」
七原はグッタリしている幸枝を抱きかかえようとした。
瞬間――手榴弾が光を放った。
「……あ、あの音は?」
「何だろう……だ、大丈夫だ、さくら。ずっと遠い場所だし……」
山本和彦、小川さくら。この二人は今だに同じ場所で二人で肩を寄せ合って震えていた。
さくらの脳裏に父親の死に様が浮ぶ。
父を殺された瞬間、さくらの心に刻まれたのは殺人者たちへの怒りでも、父を失った悲しみでもなかった。
ごくごく平凡な少女であるさくらの心に刻まれた感情、それは恐怖だった。
だからこそ転校生達を返り討ちにして何が何でも生き残ってやるなんて前向きな考えは一切起きなかった。
ただただ怖かったのだ。
本来なら、そんなさくらを山本がフォローしてやるべきかもしれない。
だが山本は、さくらを大事にしてくれる恋人ではあるが、あの連中から守ってくれるような勇者ではない。
さくらと行動を共にすることしか出来ない、さくらの意思を尊重してやることしか出来ない。
断じて『オレがさくらを守ってやるから安心しろ』などとは言えない。
いや仮に言ったとしても絶対に実行できない。
ごくごく普通のただの平凡な中学生に過ぎなかったのだ。
二人は一度自ら命を絶つことを考えた。
転校生に殺される恐怖より、二人で最後のときを自らの意思で同時に終わらせたい。
それは生きようとする意志を持つものから見たら、はなはだ消極的な考えかもしれない。
しかし弱者と言われようと臆病者と蔑まれようと、『死んで天国で幸せになろう』という思いを二人は胸に抱いていた。
ある意味、現実の厳しさから逃げたいが為に究極のロマンチストになってしまったのかもしれない。
とにかく二人は一度自殺を考え思いとどまった。
なぜなら桐山和雄というクラス最強の男と出会ったからだ。
その桐山に見捨てられた今、二人は再び手に手をとって、あの世への旅路を考え始めていた。
「……私……何となくわかるの……生きて帰るのは無理だって……。
でも和くんには生きていて欲しい……。和くんのこと好きだから……だから」
「オレだって君の事好きだ。メチャクチャ好きだ。
君がいなけりゃ、オレは生きて帰ったってしょうがないよ……」
「和くん……」
「……さくら、ずっと一緒にいよう」
それが何を意味するのか……二人はお互いの目で悟った。
「……私、和くんと付き合うことが出来て幸せだった」
「……オレだってそうさ。さくらと出会えてから毎日が幸せだった」
「……いいの?本当に……和くん?」
「当たり前じゃないか。さくらが、そう思っているならオレはそれに従うよ……。
さくらの価値観に殉ずる……それがオレにとっては正しいことなんだ、きっと……」
二人はそっと唇を重ねた。数秒の時間だったかもしれない。
けれど、二人にとっては永遠の一瞬だったことだろう。
やがて二人はそっと唇を離すとお互いを抱きしめあいながら立ち上がった。
ちょうどいい具合に近くに岩場がある。
十メートルほどの高さだ。飛び降りたら頭を硬い岩に叩きつけ間違いなく即死だろう。
正直言うと、さくらにはそんな死に方はさせたくなかった。
綺麗な死に方をさせてやりたかった。
でも転校生に出会ったら、きっと死に方なんて選ばせてもらえないだろう。
だったら、どんな死に方だろうと二人でいたほうがいい。
少なくても、二人の愛を邪魔されることはないんだから。
「……いいかい、さくら?」
「……ええ……ねえ和くん」
「なんだい?」
「……あの世で幸せになろうね……」
「もちろんだ」
「あの世で会ったら……また私のこと恋人にしてくれる?」
「当然だよ。さくらと結婚して……ずっと、今度こそずっと一緒だ」
「……ありがとう和くん」
二人は再び唇を重ねた。そして、覚悟を決め一歩足を踏み出した。
「「待ちなさいよ、あんたたち」」
「「え?」」
さくらと山本は同時に振り返った。そこに意外な人物が二人も立っていた。
「……黙って聞いていれば、死んであの世で幸せになろうですって?
冗談じゃないわ。あんたたち、よっぽど甘ったれた人生送ってきたのね。
あたしは、自慢じゃないけど誰よりもろくな人生送ってきてないって自負しているわ。
だからって、死んであの世でやり直そうだなんて思った事は一度も無いわよ。
そんな負け犬根性を一度でも持っていたら、あたしはとっくの昔に死んでいたわ」
「全くよ。山本くん、あなた、それでも男なの?
男だったら好きな女の子一人くらい守ってやろうって気は起きないの?
桐山くんは無愛想だし、冷たいし、メチャクチャで何考えてるのかわからない男よ。
でもね、一緒に死んでやろうなんてバカな考えは絶対に起したりしないわ。
一緒に死んでやろうなんて男として最低の愛し方よ。そんな簡単なこともわからないの?」
「「…………」」
山本とさくらは言葉に詰まった……まさか、この二人に出会うなんて。
しかも、この二人……あまりにも意外な組み合わせで、何て言葉を返したらいいのかわからない。
「ちょっと、聞いてるの?……それとも日本語忘れたのかしら?」
「あーら、返事も出来ないのかしら?全く、しょうがないわねぇ……。
そういう甲斐性なし相手なら、アタシ……男に戻るわよ」
近づいてきたと思うと山本の襟を持ち上げた。
「ふざけんるんじゃねえぞ、この玉無し野郎!てめえ、それでも男か!?
惚れた女一人守れないなら今すぐ男やめちまえ!
そんな根性なし、転校生に殺されるまでもない。今すぐオレがぶっ殺してやる!!」
「……っ!!」
「……な、なん……うわぁー!!」
凄まじい爆発に、滝口も、瀬戸も、国信も一瞬頭の中が真っ白になった。
あの部屋で転校生と杉村が戦っている。
そして七原が杉村を援護する為に、あの部屋に向った。
三人は何も出来ない。ただ信じて見守るしか出来なかった。
その三人が見ている前で事が起きた。
杉村が貴子を抱きかかえたまま何とベランダが飛び出したのだ。
その直後、一瞬、部屋がまるで風船のように膨張したかと思うと爆音。
窓ガラスが一斉に爆風によって粉々に砕ける。
そして熱い炎、黒い煙。
杉村は貴子を抱き抱えながら爆風に飛ばされ、病院の庭にあったクスノキの枝に手を伸ばした。
だが、枝はほんの数秒二人を支えた後、鈍い音を出して裂けた。
杉村の身体が真っ逆さまに引力に吸い込まれる。
全てを覚悟したのか、杉村はただ貴子だけは守ろうとしたのか、無意識に貴子を全力で抱きしめていた。
「あ、危ない杉村っ!!」
国信が走っていた。もちろん、国信に二人を助けることなんて出来るわけではない。
ただ反射的に二人が危ないと思った瞬間、走っていたのだ。
そして、そんな彼の行動は無駄にはならなかった。
「……うわぁ!!」
杉村の下で、そんな声がした。
死を覚悟したのか固く目を閉じていた杉村はハッとして目を開ける。
そして真っ先に貴子を見た。まだ気を失ってはいるが大丈夫。生きている。
かすり傷一つついていない。杉村は心の底からホッとした。
そんな杉村の耳に「す、杉村ぁ……ど、どいてくれ」と声がした。
「く、国信」
「……お、重いどいてくれ」
結果的に国信がクッション代わりになってくれた為に、二人は助かった。
「す、すまない国信。大丈夫か?」
「心配するなら、早くどいてくれよ」
「あ、ああ悪い」
杉村はすぐに貴子を抱き上げると、国信から降りた。
「ヒロキ!!大丈夫?」
瀬戸と滝口も走ってきた。
「ああ、大丈夫だ。オレも貴子も」
「杉村……秋也は?」
その時、貴子が無事だったことにホッとしていた杉村は初めて七原のことを思い出した。
七原だけじゃない、幸枝の事もだ。
「……な、七原は……あいつは」
「どうしたんだよヒロキ。シュウヤは?まさか、まだあそこに!?」
「七原くんだけじゃない、委員長もいるはずだよ。
二人はどうしたの?ま、まさか……まさか杉村くん……」
杉村はギュッと口をつぐんだ。自分と貴子が逃げるだけで精一杯だった。
七原と幸枝がどうなったかなんてわからない。
いや無傷であるはずがない、あの爆発だぞ!!
杉村は貴子をそっと横たわらせると、「貴子を頼む」と言って走り出した。
「ま、待てよ杉村……オレもいく!!」
国信も体が痛いのを堪え(何しろ二人の人間の下敷きになったのだ)ロボットみたいにぎこちない動きで走り出した。
「七原、内海!!」
杉村は階段を駆け上がった。
「……ぅ」
そして見た。爆発の凄まじい爪痕を――。
病院に相応しい真っ白な壁や天井が真っ黒に変色し、ガラスやドア、それに家具類が全て吹き飛んでいる様を。
いや、そんなものどうでもいい。問題は七原と幸枝だ。
「委員長、委員長!!しっかりしろ!!」
七原の声だ!杉村は、声の方向に向って走った。
まだ煙が充満している、その廊下を。
「七原、内海!!大丈夫か、七……」
杉村は立ち止まった。七原が幸枝を抱きかかえ泣き叫んでいたのだ。
「委員長!!……どうして、どうして……オレを庇ったんだ!?」
あの爆発の瞬間を七原は覚えている。
幸枝が自分を押し倒し、その上に覆いかぶさったのを――。
「……どうして……どうしてなんだよ!?」
「……な……はら……くん」
「委員長?」
「……いや」
「……何だい?何が言いたいんだ委員長?」
「……委員長なんて嫌っ……幸枝……って……呼んで」
「……え?」
「幸枝……って、呼んで……あたし……あたし……」
「喋るな傷口が開く」
「いいの……もう……助からないって……わかるから……自分の身体……だもの……」
「……どうして……オレなんかの為に……」
「七原くんだったから……ねえ、この意味わかる?」
その時、七原はふと昔、何気なく国信に言った一言を思い出した。
『オレああいう女好きだ』
ああ、オレは確かそう言っていた。
委員長は……幸枝はオレのタイプだったから。
でも、それはオレが勝手にそういっただけで、幸枝の気持ちなんてまるで知らなかった。
知ろうとも思っていなかったんだ。
「……あたし……小学校の頃から七原くんのこと……」
「もういい、もういいよ。わかったから……」
「……七原くんの笑った顔……好きだった」
「もういい、もういいんだ……」
「……幸枝!!」
「……ありがとう」
幸枝が笑った。そして七原の胸の中で安心しきったように目を閉じた。
「……幸枝?」
七原は幸枝を抱きかかえている腕が震えているのを感じた。
「……幸枝……幸枝……」
幸枝の頬にポタポタと七原の涙が落ちた――。
『七原くんだったから……ねえ、この意味わかる?』
「幸枝ぇぇー!!」
抱きしめた身体からはまだぬくもりが残っていた。
彼女の……幸枝の人柄を現すように――。
【B組:残り18人】
【敵:残り3人】
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