さくらの脳裏に、あの日のことが蘇った
玄関を蹴破って現れた警官たち
自分を抱きしめながら恐怖に震える母
侵入者たちに抗議する父
そして――その父に向けられた拳銃が放つ鈍い光




キツネ狩り―12―




「いやぁー!!」

フラッシュバックのように過去の残虐なシーンが、さくらの脳裏に鮮やかに蘇った。
今目の前にある死体はまぎれもない本物だ。
決して、ホラーでも、作り物でもない。
自分は、政府の恐怖ゲームに放り込まれたコマに過ぎないのだ。


バサっと不気味な物音が背後から聞こえた。
「キャアー!!」
さくらは銃を向け、反射的に引き金を弾いた。
だが銃はカチッ、カチッと金属の衝突音しか発しない。

(まさか不発?!そんな!!)

緊張があせりとなり、そして恐怖へと変換していった。
その悪循環にさくらの精神の糸は切れる寸前だ。
鳥の羽ばたきすら、彼女の耳には敵の襲来でしかない。
銃も単に安全装置がはずれていないということすら気付いてない。
それでも、何度も引き金に力を込める。
もちろん、さくらに恐怖をあたえた鳥(おそらくは赤松の死臭に招かれたカラスだろう)も、すでに姿はない。
しかし、恐怖は加速するのみだ。
何度も引き金をひく、何度も、何度も……もちろん弾は出ない。


ガサ…ガサァ。またしても物音が聞こえた
「!!」
先ほどとは異質の音、後方から微かに聞こえる。
さくらの神経はこれ以上無いほど張り詰められた。
なぜなら、あれは草を掻き分ける音と間違いなく足音だからだ。


「い…いや、来ないで……来ないでー!」

後を振り返り、同時に銃を構えた。茂みで何も見えない。
それなのに一瞬、空を切るような音が聞こえたかと思うと、瞬間右手に激しい痛みが走った。
「……いたっ……!」
思わず、銃を放し左手で右手を握った。
地に落ちた銃の横に先ほど自分の右手に激痛を与えた卵大の石が転がっている。
茂みがお互いの姿を遮っているはず。
それなのに、相手は正確に、しかも一寸の無駄もない攻撃をしかけてきた。
相手の姿をみるまでもなく発狂寸前の自分に勝ち目など無い。


「いや、来ないで……来ないでー!!」
何かが、さくらの中で切れた。デイパッグを放り捨て、全速力で走った。
ただ走った。ひたすら走った。
もちろん、銃など拾う余裕などない。
さくらとは対照的に余裕を持って歩いてきた菊地は銃を拾い安全装置を解除。
さくらのデイパッグから弾を取り出し、自分のデイパッグに入れる。
そして周囲に他の人間の気配が無いことを確認し走り出した。




誰か、誰か助けて!!
お母さん助けて!!
お父さん助けて!!
和くん助けて!!
誰でもいい!!
助けて、助けて、助けて!!!

実際には、数十メートルだろうが、さくらには何キロも走っているような感覚だった。
林を抜け、山に通じる道をひたすら走った。ただ走った。


「……誰か、たすっ……!!」
足元から、全身が崩れた。小石に躓いたのだ。
しかし、全速力で走ったスピードは勢いを失っていない。
その作用で、さくらの体は大きく山道をそれ、その狭い山道から山の斜面へと放り出された。
二回三回と転がり、やっと転倒は収まった。しかし、恐怖は収まらない。
「……助けっ……!」
言葉が続かなかった。ふいに後から伸びてきた手が口を塞いだのだ。
同時に、その手は茂みの中に、さくらを引きずり込む。
その直後だった。さくらが走ってきた山道に菊地が姿を現したのは。




(……おかしい)

菊地が立ち止まった。辺りをうかがっている。
菊地は秘密工作員として戦い方を教わった。
つまり得意分野は暗殺だ。
特殊部隊に席をおいている周藤晶や、始末屋(政府の殺し屋だ)から戦闘訓練を受けた鳴海雅信ほどの運動量はない。
ハデに動き回ることは苦手だった。
だが、もちろん普通の学生のレベルとは比較にはならない。
か弱い女に100メートル11秒そこそこで走れる自分が追いつけないはずはないこともわかっている。
今、自分が立っている場所くらいで捉えられたはずだ。
菊地は注意深く辺りを見渡した。
木の上には鳥が何羽もいて、このクソゲームには不似合いな、さわやかなメロディーを奏でている。

(いるはずだ。この辺りに……どこだ。どこにいる?)




その菊地から30メートルほど下、山の斜面の茂みにターゲットはいた。
「静かに」
相変わらず、さくらは口を押さえたまま。
耳元でやっと聞こえるくらいの微かな声が聞こえてくる。
その聞き覚えのある声にさくらは、ゆっくりと後ろを見た。
今だに心臓は爆発寸前。
だが、その優しい声(しかも、この危険な状況から自分を救ってくれた)は、さくらの心をいくらか落ち着かせた。
もちろん、状況次第でどうなるかわからないが。


「……七原くん……」
「声を出しちゃダメだ。あいつに気付かれる」
さくらの瞳から、大粒の涙が溢れた。
恐怖で凍結した涙腺が、ほんの一時活動を再開したのだ。
「あいつが去るまで、大人しくしているんだ」
それは、発狂寸前のさくらにも理解できた。
このままやり過ごせば、あの男もそのうちどこかに行くだろう。

少しの辛抱だ。ほんの少しの――




「「!!」」
茂の小さな隙間から、菊地を見ていた七原とさくらの心臓音が一気にボリュームを上げた。
辺りを見渡していた菊地が、こちらをに視線を定め睨んでいる。
そして数秒後、こちらに向かって、ゆっくりと歩き出したのだ。
右手には銃(引き金には、すでに人差し指がセットされている)が鈍い光を放っている。




まさか、気付いたのか!!?
慌てるな!!まだ、気付かれたと決ったわけじゃない!!
下手に動いたら、あいつの思うつぼだ。
それに、オレだけならまだしも、さくらさんまで危険にさらすことになる。
このまま大人しくしていればいい。いい――はずだ


だが、菊地は真直ぐに向かってくる。
25メートル、20メートル……徐々に距離が縮まる中、七原の緊張は頂点に達した。




気付かれている!!




そう、菊地は気付いている。
気付いてないとすれば――茂みに隠れている人間が複数だという点のみだ。


どうする?どうすればいいんだ?!
俺なんか、ただでさえ、あいつにとっては子供も同然なんだ。
まして、あいつは銃を持っている。
そして小川だ。小川を連れて逃げ切るなんて、到底ムリだ。
不可能だ!!


美恵さん……慶時……!


七原はギュッと拳を握った。
「さくらさん声を上げるな……何があっても絶対だ」
「……七原くん?」

その意図をさくらが聞き返そうと思った瞬間。
――七原が立ち上がっていた。




同時にダッシュした。さくらと違い、洗練されたフォームとスピードだった。
(そう、桐山が手を抜いていない事を前提にすれば)クラス一の足の速い七原にふさわしい走りだった。
そのスピードを生かして自分を囮にし、さくらを逃がそうというのだ。
そして、その思惑通り菊地は猛スピードで追いかけてきた。
しかし、デイパッグを投げ捨て身軽になった七原には、なかなか追いつけない。
走りながら、スッと銃口を向ける菊地……だが、撃たない。木々が邪魔だ。


このまま逃げ切れば、助かる。逃げ切るんだ!!


木が壁になって銃弾を遮ってくれるはずだ。
大丈夫だ。
大丈夫――。


七原の背後から銃声が轟いた。




「……えっ?」
七原は目を疑った。
腿部に銃弾がかすった。いやかすったなどという可愛いものではない。
えぐってある。血がぼたぼたと流れ出ている。
七原は菊地を甘く見ていた。撃ってこないだろうと思っていた。
木々が邪魔して当たらないのだから、わざわざ弾を無駄使いすることはないはずだ、と。
そう思っていた。
しかし、菊地は、追いかけながら冷静に狙っていたのだ。
ほんの一瞬、重なり合った木々の隙間、自分と七原との一直線の間、僅かに開くポイントを。
そして、それを見逃さず撃った。


グラッと体勢を崩す七原。そのまま山の岩肌を転がり落ちていった。
菊地は立ち止まった。もはや止めをさす必要はないだろう。
この高さで(底のほうは暗くて見えないが)助かるはずはない。




(七原くん……!!)


茂みの中、自分の両手で自身の口を塞ぎ、じっと声を殺している小川さくら
だが、頬を伝わる涙は止めようがなかった。




【B組:残り36人】
【敵:残り5人】




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