「で、でたわぁぁー!!」
普通のか弱い婦女子なら、あまりのショックにその場に座り込んでしまったかもしれない。
しかし、幸いにも二人は普通ではなかった。
一目散に逃げ出したのだ。
鳴海は天井から手を離すと床に着地した。
そして不思議そうに光子の後姿をぼーと眺めていた。
(…………あの女。美恵じゃなかった)
そう、確かに美恵に勝るとも劣らないような美少女だった。
愛らしく、妖艶で、坂持などはタイプだと言っていたが、まあそんなことは鳴海には関係ない。
美恵とは全くの別人だった。それだけが問題だった。
自分は美恵を追いかけていたはずだ。
それなのに、あの女は美恵じゃない。
美恵じゃなかった。と、いうことは――。
騙したなっっ!!
キツネ狩り―116―
「もしもし……す、周藤さん。ちょうどお電話しようと思ってたんですよ」
新井田は周囲に誰もいないことを確認すると声を潜めて喋りだした。
「実は桐山と川田が別行動に出ることになったんです。
ああ、ちょうど今病院の裏門でた所です。
……は、はい……わかりました」
新井田は自分だけは助かると心底信じているのか実に忠実にスパイの役をこなしていた。
もっとも、周藤にとって優秀と言えるかどうかは別にして。
『ひとつ教えておいてやるがな』
「はい」
『高尾晃司が、そっちに向かっている。せいぜい気をつけろ』
「………」
「な、なんだってぇぇー?!」
「桐山くん……貴子、光子……みんな……」
美恵は悲壮極まる表情で窓からE地区を眺めていた。
なんとかして脱出しないと。そして皆に知らせないと……。
でも……あの男から逃げることができるだろうか?
そんな美恵の思考を中断させるかのようにドアがガラッと開いた。
「逃げようなんて考えないことだ。第一、今からでは先回りして晃司を出し抜くなんて無理だ」
「……あなたはどうするの?」
「オレがどうした?」
「あなた彼に勝つために来たんでしょ?
彼がポイント高い生徒を殺すのをむざむざ見てるっていうの?」
「面白い女だな。確かにおまえの言う通りだ、晃司に好き勝手されるのはオレの本意じゃない。
だが、おまえにとっては朗報だ。桐山は別行動をとって、あの病院にはすでにいない」
「……本当に?」
「ああ、しかも桐山に次ぐ高ポイントの川田もだ。だから、迷っているんだ」
「迷ってるって何を?」
「桐山と川田を急襲するか。それとも今は慌てずにもっと確実な相手を選ぶか」
「確実な相手?」
「三村信史だ。奴の居所がわかった」
「殺してやるっ!!」
「き、キャぁー!!追いかけてきたわよ光子ちゃんっ!!」
「つ、月岡くん、行き止まりよ!」
「階段よ、上に逃げましょう!」
2人は階段を駆け上った。
ホラー映画ではモンスターに襲われたヒロインは二階に逃げ結果的に逃げ場がなくなってしまう。
だが、そんなこと考えている暇など無い。
そして当然、振り向く暇もない。
振り向いたらおそらく『待ちやがれ、ぶっ殺してやるっ!』と言わんばかりの表情の奴が走っていることは間違いない。
2人は二階に駆け上がるなり最初に目に飛びこんだドア。
何とまたしても鍵がかかっている。
「どいて光子ちゃん!」
ズギューンツ!!ズギューンッッ!!
月岡は銃でドアのノブを壊すと中に押し入った。
とにかくあいつを部屋の中に入れてはいけない、絶対に!!
光子と月岡は打ち合わせをしていたかのように戸棚の両端をそれぞれ持ち上げた。
そして火事場のクソ力でドアの前に運んだ。
ドンッ!ドンッ!!
げっ!もう、来た。蹴破ろうとしている!!
光子と月岡はどんどん家具を運んだ。
いや、家具だけではない。
その部屋にあった荷物全部だ。
しかし、もちろん、こんなものでなんとかなるなんてありえない。
単に時間稼ぎに過ぎない。
逃げないと!ここから逃げないと!!
凄まじい音と共にバリゲードが瓦解。ついに防衛線を突破された。
金髪の悪魔がゆっくりと部屋の中に入ってきた。
「……どこだ?」
……いない。鳴海は窓に駆け寄る。
カーテンを結び、それをロープ代わりにして2人は逃げたようだ。
「……何度オレを馬鹿にすれば……」
鳴海は唇を噛んだ。
「気が済むんだ!!」
鳴海はカーテンを利用するまでもなく一気に飛び降りた。
もちろん無傷で着地だ。
「どこだ……どこに行った?」
殺してやる……手足を撃ち抜き……耳や鼻をそぎ……。
あらゆる苦しみを与えてのた打ち回らせてやる。
オレを騙したことをあの世まで後悔させてやるからな……。
「み、三村くんを殺すの?」
美恵は心臓がドクン…と脈打つのを感じた。
周藤晶。この男がどれだけの戦闘能力を持つのか美恵は知らない。
だが、仮にも軍が誇るエリート少年兵士であれば弱いはずはない。
「……桐山くんは菊地直人に勝ったわ」
ふいに美恵が口を開いた。
「ああ、そうだな。オレは直人には忠告しておいたんだ。
桐山和雄を甘く見るなと。
……だが、直人はやられた。オレの忠告を無視した奴のミスだ」
「徹とも戦ったわ」
「ああ、そうだ。晃司が邪魔をしなければ桐山が徹に止めを刺していただろうな」
「……あなたのレベルは?」
美恵は静かに本題に入った。
「……あなたは徹や菊地直人と比べて上なの下なの?」
プライドが高く冷酷な周藤にこんな質問をするのは正直言って怖くて仕方なった。
「オレの方が確実に上だ」
美恵の表情が強張った。
「……証拠はあるの?」
怖い……怖くてたまらない。
機嫌を損ねたら、この男は確実に自分の命を奪ってしまう。
「第一等特別名誉勲章というのを知っているか?
軍の中で特に優秀な戦功を立てた者に贈られるものだ。
大抵は元帥や将官クラスが受ける。未成年で受賞した人間は2人しかいない」
「晃司と……オレだけだ」
「だったら三村くんを……」
「ああ戦えば確実にやれる」
「……今すぐに行くつもり」
「さあな。行ってほしいのか?」
「……行くのなら、私を殺すの?」
自分でも不思議なくらい落ち着いた言葉だった……。
「なぜ、そう思う?」
「女を連れたまま戦いには行けないでしょう?
あなたは私を利用する為に連れてきた。
だから私が足手まといになったり、ましてや逃げられわけにはいかない。
……でも殺してしまえば、そんな心配はないわ」
周藤は少しだけ目を大きくして美恵を見ていた。
なかなかどうして、これほど冷静に最悪ともいえる自分の立場を把握できるなんてやはり大した女だ。
「……あの桐山和雄が惚れるだけのことはある」
美恵は顔を上げた。周藤の言葉が引っかかったのだ。
「……あなた……桐山くんのこと、もしかしてプログラムが始まる前から知っていたの」
「ああ知っていた。正確に言えばこのクラスが対象クラスだと知ったときからだ。
オレは戦いに勝つためには敵を知ることは最も大切なことの一つだと思っている。
だから、このクラスで要注意とされている奴を独自に調べておいたんだ。
川田、三村、杉村……そして桐山和雄も」
「……調べたって……?」
「おまえも、その時桐山と一緒にいたはずだ」
「桐山和雄が謎の集団に襲われてたことがあっただろう?」
美恵の瞳が拡大した。忘れもしない、あの男達。
「……ま、まさか……っ」
「ああ、そうだ。あれはオレの差し金だ。
あいつらはオレの弟、それに部下達なんだ」
美恵の体の奥から赤い色つきの思いがこみ上げてきた。
「酷い!あなたの仕業だったのね!!」
「おい、他の連中には街のチンピラを使ったんだ。
だが桐山には敬意を表して、オレの直属の部下達を使った。
オレはそれだけ桐山を高く買ってやった。感謝して欲しいくらいだぜ」
「……この……卑怯者!!」
美恵はそばにあった花瓶を手にすると周藤目掛けて投げた。
もっとも周藤は手刀で簡単にそれを叩き落とす。
派手な音を立てて花瓶が床に直撃。
コナゴナになって当たり一面に細かい破片が飛び散った。
しかし美恵の怒りは収まらない。
「このゲームが始まる前から……私たちを使って楽しんでいたのね!!」
美恵は周藤に殴りかかっていった。
もちろん周藤が女相手にやられるわけがない。
簡単に両手首を掴み、そのままソファに押し倒した。
「オレには逆らうなと言っただろう?」
「……どうせ殺すつもりのくせに……。
今殺されようと、後で殺されようと同じことよ……っ」
「そうだな……殺してもいいが」
周藤は美恵の白くて細い首に手をかけた。美恵の全身がビクッと強張る。
「……その前に、雅信と坂持に鉄槌をくだしてからだ」
周藤はソファに押さえ込まれ、身動きできない美恵の襟元を掴んだ。
そしてテーブルの下からロープとタオル。
それにナイフとガムテープを取り出した。
「…………は、離して!」
「安心しろ今はまだ殺さない。少しだけ手荒なことをさせてもらうだけだ」
「……あいつ、どこかにどこかに行ってくれればいいけど……」
「そうね……あんな危ない奴につかまったらアタシたちなんてものの数秒で殺されちゃうわ。
いえ……その前にアタシたち犯されちゃうかも……。
い、嫌よ……アタシの体は三村くんに捧げるって決めてるんだから」
その頃、三村が「……なんだ……この悪寒は?」と青ざめていたのは言うまでもない。
2人は工場の二階から脱出。
この工場の敷地内にある、小さな物置小屋に逃げ込んでいた。
工場の裏手にあるプレハブで、幸いにも鍵はかかってない。
2人はその中に飛び込み、すぐに鍵をかけた。
そして嵐が通り過ぎるのを待った。
待つことが二人に出来る精一杯の戦いだったのだろう。
あの男……鳴海雅信が自分達がすでにここの敷地から逃げ出したと考えてくれることかけるしかない。
プレハブ小屋の背後はフェンスになっており、その向こう側は河口だ。
ここは工場の敷地の端で、逃げ場がない。
月岡はプレハブ小屋の窓(荷物が一杯置いてあり、窓が塞がっている状態)からチラッと外を見た。
だが鳴海はおろか猫の子一匹見えない。
どうやら鳴海は自分達はすでにこの場所から逃げたと思い、敷地内から出て行ってくれたようだ。
よかった……銃を握っている月岡の手も汗ばんでいたが、とりあえず危機は去った。
緊張が解け、指の力を緩めると銃がカツーンッと音を立てて滑り落ちる。
「あらあらいけない。大事な武器なのに」
月岡はしゃがみ銃を拾って立ち上がった。
そして再度窓をみた。
「ぎゃぁぁー!!」
金髪、金髪!!フラッパーパーマ!!
何より、忘れもしない、その目!!
憤怒!!憎悪!!
何より狂気を宿した、その瞳!!
ほんの、そうほんの二秒前には誰もいなかった外の景色!!
その中にいる!!
今、世界中で一番会いたくなかった男が!!
窓のすぐ向こう側に!!
ガッシャァーンッ!!
窓が突き破られる。鳴海の鉄拳だ。
そして、そのまま窓の中に伸びた腕が一気に月岡の襟を掴んだ。
「……ひっ」
銃!銃よっ!!そうよ、撃つのよ!!
だが……ガン!と、そんな鈍い音をたてながら月岡の頭が窓に激突していた。
鳴海が襟を掴んだまま一気に引き寄せたのだ。
「きゃぁぁー!」
割れたガラスに月岡の体が衝突。
さらにガラスが砕け散る。
その衝撃で月岡は思わす銃を落としてしまった。
銃がクルクルと回りながら床を滑る。
「た、助けて!!」
「月岡くん!!」
光子は銃に飛びつくと窓に向って銃を構えた。
この至近距離、はずすわけがない!!
もしかしたら月岡も只ではすまないが、そんなことを考えている暇などない!!
「この……鬼畜ターミネーター!!」
光子は引き金を……引こうとしたがギョッとなって伏せた。
鳴海の方が早かった。
光子は鳴海が銃を手にした姿をみた瞬間、反射的に銃を放り出した。
その銃に弾丸が命中。
「……じゅ、銃が!!」
なんてこと!大事な武器なのに!!
「……ひ、や、やめて……お願い顔だけは傷つけないで!!」
ガラスが突き刺さり頭から血を流しながらも月岡は必死に懇願した。
どんな最後を遂げようとも醜い最後だけは真っ平ゴメン。
それが女として生きることを決意したオカマの美学なのよ。
だが鳴海にそんな美学が通じるはずも無い。
鳴海は銃口を月岡の口に突っ込んだ。
そして重いくらい静かな声でこういった。
「……よくも騙してくれたな」
「……ひ……ひゃ、ひゃんのことよ……」
銃を突っ込まれている為、上手く呂律が回らない。
だが一つだけわかる。
なぜだかわからないが、この男は腹を立てている。
そして自分を、いや自分と光子を憎んでいる。
「……すぐには殺さない」
鳴海は一旦銃を月岡の口から出した。
「……オレをはめたことを後悔させてやる」
「は、はめたって何のことよっ!?」
「……自分の胸に手をおいてよく考えるんだな」
鳴海は銃を今度は月岡の腕に当てた。
月岡の表情が見る見る青ざめてゆく。
(……ま、まさかこいつ……まさかぁ!!)
「……まずは左腕からだ」
――鳴海は引き金を引いた。
【B組:残り21人】
【敵:残り3人】
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