ふらつき、木々にもたれながら佐伯は移動していた。
こんな所で終わらない。
このまま終わらせない。
一旦、学校に戻り怪我を手当する。
そして、体力が戻ったらリターンマッチだ。
とにかく急がなければ。
こうしている間にも血は流れ、意識がかすんでいく。
急がなければ。最優先に……。
だが……佐伯はふと左手に目をやった。
正確に言えば左手にまかれたハンカチに。
『きつくない?』
……美恵
キツネ狩り―100―
「桐山くん!しっかりして桐山くん!!」
月岡の絶叫が辺りを包んだが、それさえも今の桐山には聞こえなかった。
「まずいな。かなりダメージを受けている」
川田は顔をしかめた。
「こんな体で奴から逃げてきただけでも不思議なくらいだ。
とにかく、どこか民家に行こう。 そこで応急処置をして様子を見るんだ」
「ああ、どうしよう。桐山くんがこんなことになるなんて」
月岡は本当にオロオロしていた。
無理も無い。月岡が知っている桐山は常に常勝無敵。
ただの一度も地に這いつくばるどころか、相手の拳一つ受けなかったのだ。
その桐山が戦闘のプロ相手とはいえ、ここまで傷ついている。
止まらない流血に、聡美やはるか、滝口や瀬戸は目眩すら感じていた。
「とにかく運ぼう。すぐに手当しないとやばいんだろ?」
七原の意見に、全員無言で頷いた。
「に、逃げ切れたのか!?ざまぁみやがれ、やったやったぁー!!
オレはやっぱり運命の女神に愛されてるんだぁー!!」
風を切って走る新井田。
その時だった――!!
スッと、前方の木の影から男が姿を現したのは。
そして、スッと右足を上げた。
「え?」
新井田が疑問符を浮かべたと同時だった。
顔面目掛けて、その男の蹴りが炸裂したのは。
「……グェッ…!」
悲鳴すら出なかった。
新井田は数メートル飛ばされ地面に突っ伏した。
「……ヒィッ…!」
男がゆっくりと近づいてくる。
そして、新井田の襟を掴むと引っ張り上げ強引に立たせたかと思いきや。
バァァッン!!
重みのある拳が新井田の頬に食い込んでいた。
再び、新井田は数メートル飛ばされ、再度地面に突っ込んだ。
「……あ、ああ……」
ガタガタと震える新井田。
その新井田に向かって男が再びゆっくりと近づいて来た。
――周藤晶だった。
「……美恵
」
傷口を押さえながら佐伯は我ながら何てバカな事をしてるんだと思った。
だが、どうしてもこれだけは譲れなかった。
美恵
を連れていく。
24時間ルールは終わった。
他の3人はとっくに、このE地区に侵入しただろう。
他の奴に見つかったら命は無い。
あれほど女を嫌い蔑んでいた自分が、自分の身が危ないという時に女の事を優先させている。
それは、佐伯自身理解し難いことだった。
その疑問を自分自身にぶつけても答えは出ない。
だが、どうしても美恵 を放したくない。まして死なせたくない。
それだけは理解できた。
(……この辺りにいるはずだ)
だがいない。もしかして自分と桐山を追いかけて移動したのか?
佐伯は内心ゾッとした。
もしも美恵 が、あの場所に行き高尾に見つかりでもしていたら、高尾は何の迷いもなく引き金を引いていることだろう。
(……クソ!……どこだ、美恵、どこにいるんだ?!)
いない、気配すらない。
その時、ガサッと背後で音がした。
何の気配も感じていなかった佐伯は驚き振り返った。
「……雅信」
鳴海が立っていた。
ギリシャ彫刻のように整っているが、その反面まるで生気がない。
石膏のような顔……。
(こんな奴に、この無様な姿を見られるなんて)
佐伯のプライドは激しく傷ついた。
美恵と出会う前の佐伯であれば、悔しくて仕方なかったであろう。
だが、佐伯はそれ以上に美恵
の事が気になっていたのだ。
こんな奴に構っている暇はない。
何より、この男は美恵
に執着している。
もし見つかったら何をされるかわかったものじゃない。
美恵
の事は悟られぬようにやり過ごさないと。
鳴海がスッと佐伯の前に回った。
まるで佐伯の行く手を阻むかのように。
「どういうつもりだ?」
「…………」
鳴海は答えなかった。
「……どけ、急いでいるんだ」
佐伯は、鳴海を避けるようにして通り過ぎようとした。
――!!
鳴海が佐伯の肩を掴んだかと思うと、木の幹に向かって突き飛ばした。
そして……!!
ズギューンッ!!
「……な…」
佐伯は銃弾を受け流血する肩を押さえつけながら鳴海をみた。
「……雅信……貴様……」
「……言った筈だ。手を出すな、と」
「……ひ…」
怯える新井田の襟を掴むと周藤は再び強引に引き上げた。
「ひぃぃー!!」
そして、右拳を握り締め、スッとあげたかと思いきや、それを新井田の顔面に向けた。
新井田はというと、既に目をギュッと瞑り、悲鳴をさらに高く上げている。
周藤の鉄拳が炸裂すれば、さらに甲高い悲鳴が炸裂するだろう。
が、それはなかった。
周藤の拳が、顔面に当たるスレスレの位置で止まっていたのだ。
新井田がゆっくりと、だが恐る恐る目を開ける。
と、同時に、投げつけるられるように、ほかられた。
「この役立たずが。さっさと戻れ」
「……そ、そんな!!待って下さいよ、戻ったらオレは殺される。
あいつが出たんですよ!!あいつ、あの長髪野郎が!!」
「それがどうした」
それは実に奇妙な光景だった。
周藤晶がターゲットである生徒を殺さない。
しかも新井田は敬語を使っているにしろ、二人は会話をしているのだ。
殺す側と殺される側にある者が……だ。
「わかっていないようだな。もう一度言うぞ」
周藤は冷たい口調で言い放った。
「おまえの役目は、クラスの連中にくっついて、その行動を逐一オレに連絡することだ。
その報酬として『おまえたちだけを助けてやる』ことを約束してやったんだぞ。
その役目を果たせないのなら、おまえを生かしてやる必要はない。
晃司に殺されるまでもなく、今すぐオレが殺してやる」
「それが嫌なら、さっさと戻れ」
「そ、そんな…!!あ、あんまりですよ!!その契約は他の連中には通用しないって。
特に、あいつは……あの高尾晃司って奴は駆け引きや取引が通用するような相手じゃない!
そう言ったのは周藤さんじゃないですかぁー!!」
「……雅信…!」
佐伯の目が鋭くなった、今まで意識も朦朧と歩いていた人間とは別人のように。
なぜなら、フラフラしている暇などなくなったからだ。
鳴海が自分を撃った。
お友達なんて関係ではさらさらないにしろ、仮にも仲間である自分にだ。
鳴海は自分に対して明確な殺意を持っている。
殺意を向けられている以上、例え自分の身体がどういう状態であろうとも戦わなければならない。
いや、それ以上に佐伯にはふらついていられない理由があった。
鳴海が仮にも仲間である自分に銃を向ける理由なんて一つしかない。
おそらく、いや間違いなく鳴海は自分が天瀬
美恵を監禁していたことに気付いたのだ。
どうして知ったのかはしらない。
それよりも、美恵
がいるはずのこの森の中に、鳴海がいることが最悪だ。
佐伯は鳴海を睨んだまま、顔はうごかさずに視線だけ動かした。
木々の間……岩の後ろ……茂み……。
「……!!」
茂みから僅かに靴の爪先が見えた。
「美恵!!」
佐伯は鳴海を押しのけ駆け寄った。
茂みの向こう側に美恵 がいた。
静かに目を閉じ、地面に横たわっている。
生きている、温かい。それは嬉しいことには違いなかった。
しかも乱暴された形跡もない。
むしろ自分が乱暴しようとした形跡があるくらいだ。
とにかく怪我もなく無事に息をしている。
気を失ってはいるが無事だ。
しかし佐伯には美恵
の無事を素直に喜んでいる暇などなかった。
背後から凄まじい殺気を感じる。
これ以上ないくらいドス黒く、絶対零度のように冷たく、それでいて地獄の業火のように熱くもある。
そんな殺気。
普通の人間なら感じただけで恐怖のあまり動けなくなるだろう。
……こいつ、本気だ
佐伯は美恵
の顔をみた。
気を失って感情こそ出て無いが、相変わらず綺麗な顔だった。
純粋で無垢で穢れを一切知らない。
思えば自分は汚れた女ばかり見てきた。
自分を産んだ最悪な女、言い寄ってきた下らない女たち、黄色い声を上げることしかできないバカな女たち。
美恵
は違った。
汚してやろうとも思った。力づくで自分の色に染めてやろうとした。
でも……出来なかった。
例え、純潔を奪ったところで、この女は自分のものにはならない。
そして決して汚れない。
どんなことになろうとも、この魂が汚れることなどない。
だが、この男は、鳴海雅信はそんな事はどうでもいい。
そう、自分のモノにして無理やり自分の世界に閉じ込めることが出来ればそれでいいのだ。
鳴海が美恵
に執着しているのはただの興味だと思っていた。
鳴海が、女と寝たという噂を聞いたこともある。
そして、その相手には何の未練もないことも。
美恵
に対しても一時の興味に過ぎない。
熱が冷めたら、美恵
も鳴海にとっては、道端の石ころに過ぎない存在になる。
そう思っていた。
だが違う。
鳴海の執着は、いや独占欲は佐伯の予想をはるかに越えていた。
一時の興味などではない、鳴海は生涯、美恵
を鎖に繋ぐつもりでいる。
この男に掴まったら、美恵
は全てを奪われる。
自由も誇りも身体も人生も……そして命ですら、その手の中に握られる。
「……どうするつもりだ?」
佐伯の声が震えていた。……そう怒りで。
「美恵
をどうするつもりだ?」
「言った筈だ、連れて帰る」
「……連れて帰ってどうする?」
「オレだけのモノにする。他の男には渡さない。
近づくのも喋るのも……見る事も絶対に許さない。
閉じ込めてオレだけのモノにする。一生外には出さない……絶対に」
「ふざけるな!!」
【B組:残り22人】
【敵:残り4人】
BACK TOP NEXT