「……あのクズ野郎」
普段はその黒すぎる本性をおくびにも出さず物静かな紳士を演じきっている立花。
だが今度ばかりは、さすがにそうはいかなかった。
もっとも今この場所には自分と周藤しかいないのだ。隠す必要もない。
その上、あまりの怒りに立花は切れる寸前だった。
その証拠に普段は口にしない下品な言葉を何度も吐いている。
「あのクソバカの内臓を引きずり出して蛆虫の餌にしてやりたい!」
「……おい、いい加減に黙れ。うるさいぞ」
「晶、よく、そんなことが言えたものだな!おまえは悔しくないのか!?」
「……悔しい?そんな簡単な言葉で済ませられてたまるか」
ちなみに二人は今電気もない暗い地下室(鉄格子付き)に閉じ込められている。
キツネ狩り―過去との決別8―
「また来月の月命日には来る」
それだけ言うと氷室はその場を後にした。
墓所の入り口に黒服にサングラスの怪しい男達が高級車とともに待っていた。
「お乗り下さい」
「断る。歩くから必要ない」
「お乗り下さい。彰人(あきひと)殿下のご命令です」
「…………」
「お返事は?」
「……了解した」
「思い出しても腹が立つ!見てろ、あいつらギャフンと言わせてやるからな!!」
宗徳は今だに怒りを抑えきれずに周囲に当り散らしていた。
あの後どうなったのかといえば特選兵士の資格を剥奪してやると騒ぎたてる宗徳を副司令官が必死になだた。
周藤と立花は処遇が決めるまで、こともあろうに反乱者をぶち込む為の地下室に入牢させられることになったのだ。
「オレはあいつらを一目見たときから気に食わなかったんだ。
あの生意気なツラ。絶対に腹に一物あるに決まっている」
父親である総統を恐れて誰も口にしたこがなかったが宗徳はお世辞にもハンサムではない。
背丈だけは人並みだが、無駄に贅肉がついた身体(無理もない酒池肉林の毎日では)
厭らしい性格を体現したかのような卑屈で細い目、厚い唇、汚いニキビ、鼻筋も良くない。
だからこそハンサムな周藤や、美少年の立花が無性に気に入らなかったのだ。
二人に散々つらく当たったのは、顔がいい男が大嫌いだったからなのだ。
二人をいびるさい、やたらと顔をなじったのもそれが理由だろう。
「……ムカつく。そうだ、いいこと思いついたぞ」
宗徳はニヤっと不気味なほどの薄笑いを浮かべた。
「あのクソ生意気な周藤は九州の叔母上に売り飛ばしてやろう。
叔母上は未亡人になってから寂しいのか、若い男を好んでいたからなぁ」
叔母上というのは総統の腹違いの妹で、総統の側近と結婚していのだが、その頃から素行が悪かった。
つまり夫のある身で若い男を何人も屋敷に連れ込んでいたのだ。
その夫が戦死した途端、人目をはばからずに乱行を重ね総統も今では見てみぬふりをしている。
「叔母上は四十に届く歳だというのに十代の男を玩具にするのが好きだったからな。
ちょうどいい。あいつを叔母上の男妾にしてやる。
あの立花は……そうだゲイでサドの従兄弟に売り飛ばしてやろう。
あの女好き野郎が、あの変態に毎晩いたぶられながら犯されると思うと想像するだけで楽しくなる。
ひっひっひ。ギャーハハハッ!最高だ!!
早速売り飛ばしてやる。あいつら高く売れるぞ、顔だけは良かったからなぁ」
「……思い出しても腹がたつ。あのクサレ豚が」
この美しい顔を蹴り飛ばした挙句踏みにじりやがって!!
あの佐伯徹より害のある人間だ、あのクズは!!
「……うるさい、静かにしろ」
静かにしろと言ったものの周藤自身我慢の限界に来ていた。
暗殺者から守ってやった自分に対して宗徳は散々文句を言った。
その挙句、「なんだ、その目は?オレに文句あるのか?」と周藤の頭にビールをかけたのだ。
それだけで万死に値する。だが、周藤には、それ以上に気になることがあった。
「おい」
周藤は見張りに声をかけた。
「副司令官閣下に取り次げ。近いうちにゲリラが攻め込んでくると」
「……何言ってんだ?」
見張りは冗談かさもなくば寝言を言っているとでも思っているだろう。真剣に取り合ってくれない。
しかし、周藤は確信していた。
周藤は宗徳や副司令官たちに愛想を尽かし、独自に周辺のゲリラを調査していた。
ここ数日動きが活発になってきている。下手したら数日中に襲ってくるかもしれない。
「伝言だけでもいい。おまえも死にたくはないだろう」
「……伝言だけねえ。まあ一応伝えとくよ」
「殿下。氷室中尉をお連れしました」
「ご苦労。さがっていいぞ」
「はい」
氷室は相手の男をジッと見つめた。
「どうした。挨拶はしないのか?」
氷室は無言のまま、スッと右手を額にもってきて敬礼した。
「堅苦しいことはいい。こっちに来い」
「隼人。美也子のことは忘れろ、あれは不運な事故だと思え」
ふと上司の柳沢の言葉が頭に浮かんだ。
「美也子は本当に誇り高い女性だった。だからこそ屈辱に感じたのだろう。
他の女だったら名誉だと思い喜んでいた。殿下を恨むな、殿下が殺したわけじゃない。
殿下は美也子が病死したと信じてらっしゃるのだ。
側近が勝手に出すぎたマネをしたことを知らないのだ。
わかるだろう?それが雲の上の人間だ。
幸い、殿下はおまえのことを買ってくださっている。過去は忘れ、殿下に気に入られろ。
そうすれば、おまえの人生は間違いなく輝かしいものになる」
わかっている。大佐、オレは殿下を恨んでなどいない。
恨む筋合いはないからな。
まして美也子を殺したのは――。
「……今日は寒いな。美也子が死んだ日も雪が降っていた」
「命日を覚えていたんですか?」
「オレは今でも、あいつ以上の女はいないと思っている。だが美也子は……」
「殿下?」
「美也子は……氷室隼人、おまえの恋人だったのか?」
氷室の表情が僅かに崩れた。どうやら驚いているようだ。
「美也子はどんな男にもなびかなかったが、おまえには自分から近づいていったと聞いている。
おまえにわざわざ会いに兵舎に来たりしたこともあったらしいな。
まして、おまえは今でも美也子の墓参りをしているそうじゃないか」
「殿下は誤解してます。彼女とはそういう関係ではありません」
「……美也子の遺品にはおまえの写真があった。大事にしまってあったそうだ」
彰人は口惜しそうに俯いたが、それは一瞬だった。
「こんな話をする為に、おまえを呼んだんじゃない。氷室、オレのところに来い」
氷室の顔つきが少しだけ変わった。
この彰人は総統の三男だ(そう宗徳の兄だ。もっとも腹違いだからだろうか、顔は全く似ていない)
総統には七人もの息子がいる。しかも母親が違うため仲も悪い。
当然、跡取りの座をめぐって熾烈な争いをしている。
総統の兄弟や、その息子たちを含めるとまさに骨肉の争いの糸は何十にもからんでいるといっていい。
ちなみに宗徳ははっきり言ってバカなので後継者争いには関係ない。
しかし彰人は違う。三男ではあるが軍の中では切れ者と噂されている。
その上、彰人は正妻の子である為、後継者候補ナンバー2だ。
ナンバー1は長兄だ。彰人にとっては同母の兄にあたる。
父の側近達は長男である兄についている。
だから彰人は自分の側近になる人材を自ら探さなければならなかった。
つまり氷室は彰人のおめがねにかなった人間なのだ。
「オレの側近になれば特選兵士よりはるか出世コースを歩めるぞ。
階級も今すぐ少佐にしてやっていい。悪い話じゃないはずだ」
確かに悪い話じゃない。むしろいい話だった。
特選兵士となってから待遇もよくなったが危険な仕事も多くなった。
だが、この男の側近になれば今以上の待遇と将来が保証される。
危険な任務も少なくなるだろう。特選兵士の出世頭、悪くない響きだった。
しかし、同時にあることが頭に浮かんだ。
この男の側近になるということは当然施設から出ることになる。
「どうした。返事は?」
氷室が即答で色よい返事をしないことに彰人は少々苛立っているようだ。
何と言っても他人に仕えさせることを当然と思い育った人間なのだから。
「おまえさえその気なら軍事基地を一つくれてやってもいい。
辺境だがそれでもかまわないだろう?」
「軍事基地を?」
「おまえの同期生達が派遣されている場所だ」
「あそこは宗徳殿下が統治されているはずでは」
「まさかとは思うが、あんなバカに司令官が務まると本気で思っているのか?」
「厳しいお言葉ですね。弟君に対して」
「薄汚い娼婦から生まれたクズなどオレは弟だなんて認めてない。父上が勝手に認知しただけで赤の他人だ。
いくら我が子とはいえ、仮にも要塞の一つをあんなバカに任せるなんて父上も酔狂が過ぎるというものだ。
おまけに、あのクズは司令官の地位を利用して軍費を横領している」
彰人は分厚い資料を取り出すと氷室に差し出した。
「奴の軍律違反の動かぬ証拠だ。これを父上に突き出して引導を渡してやる。
その後は晴れておまえが新司令官だ。これなら文句はないだろう?」
「申し訳ないですが辞退します」
彰人の口元が僅かに引き攣った。
「……何が不満だ」
「今は、あそこを離れるわけにはいきません。では失礼させていただきます」
「……相変わらずだな。おまえは地位や権力では釣れない男だ」
その時、電話がけたたましくなった。
「ああオレだ。何だと……?」
彰人の口調がガラリと変わった。それだけで容易ならざる事態ということがわかる。
「その情報間違いないのか?発信源は?
あのバカが?まさかだろ、あのクズにそんな気の利いたことができるものか。
そんなことより軍務省の方に兵を集結させろ。
もしかしたら偽情報で軍力を分散させた隙に本部を叩くつもりかもしれん。
そうだ、今すぐ陸軍を出来る限り集めて本部の守りにつかせるんだ。わかったな」
「何かあったんですか?」
「低脳ブタの宗徳がゲリラが急襲をかけてくる情報をキャッチしたから至急援軍を出して欲しいと要請してきたんだ。
どうせゲリラの偽情報に決まっている。あのクズに、そんな先見の明があるわけがない」
「殿下。至急援軍を出したほうがいい。それはおそらく事実だ」
「……なんだと?」
「おそらく殿下の仰るとおり、宗徳殿下が発信したものではないでしょう」
「……あのクズの名前を使って出した奴に心当たりがあるのか?」
「はい」
「どんな奴だ?おまえに匹敵するくらいか?」
「周囲にはそう思われてきました」
「……すぐに援軍をだそう」
――約二時間前――
「……気付いたか薫?」
「ああ、随分と上のほうが騒がしいようだね。何かあったのかな」
二人は地下室で一晩過ごした。毛布もない冷たいコンクリートの上では寝る気にもならなかった。
幸いにも二人が特殊な人間ということで凍えることはなかったが。
「……奴等が動き出したようだな」
「奴等って例のゲリラのことかい?」
「ああ、どうする?オレは、こんなところで大人しくしてゲリラの捕虜になるつもりはない」
「僕だってごめんさ」
「どうやら初めて意見が一致したようだな」
「ああ、最初で最後だろうね」
「おい、おまえたちうるさいぞ。さっきから何を話して……」
とドアについている鉄格子から中をのぞいた見張りはギョッとした。
いない、どこにも!!確かに先ほどまで声がしたのに!!
「……ど、どこにいったんだっ?!」
見張りは慌てて腰にぶら下げていた鍵を手に取ると急いでドアを開けた。
「いない……」
部屋の中にはやはり姿がない。
どこに行ったのだ?奴等は透明人間か?
数歩歩いた。地下室の中に入って見渡したがやはりいない。
「……一体どこに」
「上だ」
「え?」
驚愕、そんなものではない。そんな言葉では済まされない。
心臓がまるで鷲掴みにされたかのように大きく鼓動した。
反射的に上を見上げようとした。が、その前にトンと背後に音がした。
まるで何かが飛び降りてきたかのような音が。
これまた反射的に振り向こうとした。
が、瞬間、首の辺りに衝撃を感じたかと思うとフッと意識が真っ白になった。
「まったく、これだから一般兵は役立たずなんだよ」
ドサッと床に倒れこんだ男を見下ろしながら立花はスッと降り立った。
先に降り立ち、見張りの男を気絶させ、その腰から銃をとっている周藤。
「さてとどうする?」
「そんなことは決まっている。あのバカに的確な指令がだせると思うか?」
「まさか。どうせ今頃はわめき散らして脱出している最中じゃないかな」
「まずは通信室だ。行くぞ」
二人は走り出した。
その頃、この基地の幹部達は慌てふためいていた。
なぜならゲリラが数人侵入し、司令室をはじめ、この要塞のあらゆる要所を破壊しまくったのだ。
その数人のゲリラはすでに射殺されたが、突然の出来事に基地内はパニックになっている。
しかもゲリラが防衛線を突破して攻めて来ているのだ。
一般兵士たちは上からの命令がないと統制が取れず動けない。
だが司令官である宗徳は頼りになるどころか錯乱状態に陥っていた。
「ひぃぃ!!は、早く……早く脱出するぞぉー!!」
「で、殿下!この基地はどうするんですか!?」
「知るか!オレの命が一番大事に決まってんじゃないかっ!
それ以外はどうでもいいんだよ!畜生、早くしろ、脱出用のヘリですぐに逃げるんだ!!」
「おい、それが仮にも司令官のやることか?」
「なんだとー!お、おまえたちは……!」
宗徳は真っ青になりながらも、その声の主を見た途端、これ以上ないくらいの音量で叫びだした。
「す、周藤っ!てめえ、この大事な時にどこで何してたんだぁー!!
オレがあのクズみたいな連中に殺されたら、どう責任とるんだクソ野郎!!
お、オレは逃げる、今すぐ逃げるぞ。おまえたちは奴等と戦え!!
オレが逃げるまでの時間を稼ぐんだ、わかったな!!」
宗徳は胃液まで飛ぶのではないかというほど叫ぶと、脱出用ヘリがある屋上に向って駆け出した。
「待てよ」
が、走り出した途端尻から床に倒れこんだ。
周藤が後ろ襟首を掴んだため、体勢が崩れたのだ。
「す、周藤!何しやがる!!このオレになんて酷い暴行をしやがるんだ!!
オレを誰だと思ってやがるっ!恐れ多くも……」
ゴンっ……そんな鈍い音が宗徳の顔面から発生した。
周藤の靴底が見事にのめり込んでいたからだ。
「そのお題目は聞き飽きたんだよ」
「……す、周藤ぉ……きっさまぁ恐れ多くも」
次の瞬間、宗徳の身体は一気に立った、いや立たされた。
周藤が胸元を掴み引き上げたからだ。
「聞き飽きたと言っただろう。このうすらばか」
「な、なんだとぉ!おまえ、自分が何言ってるのかわかっているか!!
オレにこんなことをしてただですむ……うげぇっ!!」
宗徳の奥歯が軋んだ。無理もない。
何しろ特選兵士・周藤晶のパンチをまともに食らったのだから。
「……ひ、ひぃぃー!!」
もはや宗徳に怒りはない。恐怖が一気に怒りを塗りつぶし宗徳の感情を支配したのだ。
「何とかしろ。貴様は司令官だろう」
「……ひぃ……っ」
「オレは何度も忠告した。ゲリラが攻めてくると。それを無視し続けた結果がこれだ。
この基地を守るのが貴様の任務だろう。真っ先に脱出?ふざけるな。
腐っても司令官なら責任をとれ」
「今すぐ、この状況を何とかしろ。それが司令官の責任だ」
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