「氷室隼人、海軍出身だ。よろしくな」
差し出された手に高尾は全くの無反応だった。
「どうした?」
「この後どうする?オレは何も教えてもらってない」
「……そうか。秀明も最初に会った時はそうだった」
氷室は幾分柔らかい表情でこういった。


「差し出されたら。同じように手を差し出して握ればいい。
大したことじゃないが、普通の社会では握手もコミュニケーションの一つなんだ。
オレとおまえとは同室だから仲良くしたほうがいい。そう思わないか?」
「そうか。だったら、それもいいだろう」
高尾は言われたとおり、自らも右手を差し出した。


「おまえは、あの高尾晃司の名を受け継ぐほどの天才だと聞いた」
「オレには関係ない。おまえも海軍で名の通った男の息子だろう?」
「そういうことになっている」

これが、高尾と氷室が交わした最初の会話だった。
高尾は同じ科学省出身の堀川と速水以外とは関わりを持たない男。
だが、唯一氷室とだけはつかず離れずの関係になった。




キツネ狩り―過去との決別③―




「隼人、オレはもしかして嫌われているのかな?」

部屋でくつろいでいると、ふいに高尾がそんな質問をしてきた。

「なぜ、そう思う?」
「オレが帰ると、いつも他の連中の目つきが変わる。
特に晶と勇二だ。勇二は殺気丸出しだからわかりやすいが、晶は殺気も敵意も出してない。
ただ、何かを感じる。それが何かがわからない」


「晶はおまえに強烈なライバル意識を持っているんだ」
「……ライバル意識?」


「あいつのことは昔から知っているが、自意識過剰な奴で、自分がナンバー1でないと気が済まない。
だが、おまえが現れた。晶はおまえより上に立ちたくて仕方ないんだ」
「興味がない。オレにはどうでもいいことだ」
「おまえはそうだが晶は違う。晶にとっては重要なことなんだ。
あいつは自分が最強だと信じて生きてきたんだ。それがあいつの誇りでもあった。
だがおまえに出会って全て崩れたんだ。そのショックは計り知れない」
「強いことがそんなにいいことなのか?オレにはそうは思えない。
最初の高尾晃司は当時軍で最強だった。そのために除隊も許されなかった。
だから強引に逃走して殺されたんだ。一緒に育った仲間にな。
銃撃戦に巻き込まれた奴の妻も死んだと聞いている」
「……そうだったな」


「それでも最初の高尾晃司は最強だったから幸せだったのか?」
「オレはゴメンだな。自分だけならいいが、臨月を迎えた妻まで道連れにするような死に方は」



















「……ハァ…ハァ……」
辺りに硝煙の匂いが立ち込めている。
『よーし、晶あがっていいぞ。一時間後にレベルアップするから、それまで身体をほぐしておけ』
マイクを通して鬼龍院の声が室内に響いた。いま周藤は特別な空間にいる。
そこは廃墟をイメージしたつくりで、ところどころにレーザーが仕掛けられている。
それが自動的に攻撃してくる仕組みになっていた。
銃撃戦のシミュレーションというにはあまりにも危険度が高い訓練だ。
なぜなら、普通の兵士ならとっくにあの世にいくレベルなのだから。
訓練ルームから出ると、取り巻きの一人が「お疲れ様です」といいながらタオルを差し出してきた。
周藤は無言でタオルを受け取ると、廊下の長椅子に仰向けになり、タオルを目に掛けた。


「……時間は?」
「兄貴、無理するなよ」
輪也が心配そうに肩を掴んできた。
「時間は?」
「前回の記録を二分も更新したんだ。なあ兄貴、少しは休んで……」
「……晃司は、その記録より上だった。オヤジに言ってくれ。もっとレベルを上げろと」
「兄貴、何言ってるんだよ!こんなことしてたらⅩシリーズに勝つ前に身体が壊れちまうぞ!!」
「それがどうした。負けたらそこで終わりだ。オレは勝つためなら何でもしてやる」
「……兄貴」


「オレは負け犬になるのだけはゴメンなんだ。おふくろのようにな」


輪也は俯いた。輪也は母を慕っていたが、兄はそうではないらしい。

「……兄貴は親父にそっくりだな」
「なぜそう思う?おまえは親父のことはあまり覚えてないはずだ」


周藤たちの父親は滅多に家に帰ってこなかった。
幼い頃はなぜなのかわからなかったが今はわかる。
父は普通の人間ではなかった。
もっとも、それを知ったのは鬼龍院に引き取られてから何年もたってからだ。
幼い頃は仕事が忙しくて家に帰れないのだろう、そう思っていた。
母が自ら命を絶ち、その後国立の孤児院に入った後は音信不通。
まして弟の輪也はほとんど父の記憶がない。顔くらいしか覚えてなかった。
母のことは周藤にとっては惨めで思い出したくない過去だったに違いない。
父を心底愛していた母は、毎日のように父を想って沈んでいた。
涙を流していたのも何度も見た。
子供心に思った。こういう人間にはなりたくないと。














「お母さん、どうしたの?ねえ泣かないで」
「……あなた……あなた」
「お母さん、僕がいるよ。だから……」
「……あなた……帰ってきて、お願いよ」
「お母さん……うわぁーん」

「いい加減にしろよ。輪也が泣いてるだろ」
「……お兄ちゃん。……う…うぅ……」
「もう、たくさんだ。泣くなら一人で泣いてくれ。輪也を巻き込むな」














あの頃、輪也はよく泣いていた……おふくろのせいだ。
おふくろは、いつもそうだった。
親父を待つのがつらければ最初から一緒にならなければよかったんだ。
いや……少なくても別れてしまえば済むことだった。
だが、あの女は親父にベタ惚れだったから、絶対に離別はしなかった。
そんなに親父に惚れているのなら、黙って待っていればよかったんだ。
待つことも、別れることも出来ない。
あんな中途半端な女に付き合わされてた輪也が一番憐れだったな。
挙句の果てに、子供のことなんか露ほども考えずに勝手に死にやがって。
親父、あんたが、どういうつもりだったのかは知らないが、オレならこんな女は絶対に選ばない。
ろくに話もしたことはないが、あんたの性格で一つだけ理解していることがある。

あんたの女の好みは最悪だったよ。














「晶、どうしたもうへばったのか?」
鬼龍院はタオルをとり晶の顔を確認した。
「……全然。このくらい大したことじゃない」
「おまえが弱音を吐くところを一度くらいみたいと思ったんだがなぁ」
鬼龍院は周藤が寝転んでいる長椅子に腰掛けた。


「聞いたか?周藤啓一が九州第三空軍基地を襲ったそうだ」


周藤の目つきが変わった。
「周藤啓一がやったということは後ろで糸を引いているは西園寺紀康だ」
「で、片付けたのか?」
「散々、基地を破壊されて逃げられたらしい」
「……だらしがないな。普段空を飛び回ることしか頭にないから地上での戦いで遅れをとるんだ」
「最近、やつら兵士養成学校を襲いまくって上の連中が困っているんだ。
養成施設を破壊されたんじゃ兵士を育てることが出来ないってな。
そこでだ。養成施設のガキの中に腕の立つ奴を紛れ込ませておいて、隙を見て暗殺させる案が浮上している。
相手が実戦経験のないガキなら油断するだろう。そこを背後からバーンだ」
鬼龍院は人差し指を銃に見立てて撃つマネをした。


「で、オレたち特選兵士に闇討ちしろっていうのか?」
「そうしたいのは山々だがなぁ、相手は第一級のテロリスト。おまえたちの顔なんてとっくにバレてる。
特選兵士は将来の将官候補だからな。奴等も馬鹿じゃないってことだ。
だから特選兵士とまではいかないくても、それなりに腕の立つ奴を各軍部から出すことになった」
鬼龍院の意味ありげな目線をみて、周藤は何かあるなと悟り起き上がった。


「うちからは輪也をだすことにした。輪也を含めて三人だす。文句はないな晶?」
「……輪也たちを?」


「海軍からも数人でる。超クソッタレ陰険野郎柳沢のところのクソガキどもだ。
氷室隼人の部下だから、おまえも顔見知りだろう」
「……輪也を」
「反対か?」
「まさかだろ。軍にいる以上、その程度の危険は避けて通れない。
あいつに言っておいてくれ。オレの弟なら勲章の一つや二つとってこいと」
「ふーん、おまえも物分りが良くなったじゃないか。ガキの時は甘い兄貴だったのによ」














「今日から、おまえは陸軍の兵士になるんだ。
オレが一から仕込んでやる。格闘技にサバイバル技術、それに銃の使い方も」
「オレ一人か?」
「そうだが、何か問題でもあるのか?」
「お兄ちゃん、いやだオレも一緒にいく!」
「なんだぁ?弟がいたのか?」
「うわぁーん!お兄ちゃーん!!」
「うるさいガキだな。オレはこういうガキは面倒だから嫌なんだよ」
「やだやだぁ!離れたくないよぉー!!」
「おい!オレは柳沢とうるさいガキは大嫌いなんだ。黙ってろ」
「弟も一緒でなければオレは行かない」
「なんだって?」
「輪也も一緒だ。こいつはオレがいないとダメなんだ」















「……なーんて言って弟抱きしめてオレに我侭言ったのはどこの誰だったっけ?」
「オレもあの時のガキじゃないってことだ。そんな幼稚な考えはとっくに捨てたんだよ」
「ふーん、おまえも大人になったじゃないか。だが、おまえやたらと虚勢を張ることばかりしているだろう?
それで果たして大人になったといえるのか?」
「何が言いたんだよ?」
「オレが何も知らないとでも思っているのか?このクソガキめ。
青二才の分際でてめぇの思い通りにならない奴は片っ端から血祭りに上げやがって」
「あれは相手が勝手にケンカを売ってきてるんだ。オレに非は無い」


「無視すりゃいいだろ。大したことも出来ないガキの分際で気位ばかり高くなりやがって。
自分がこの世で一番で、自分だけが正しいなんて思っていたら今にしっぺ返し食らうぞ。
少しは謙虚になれ。悔しいが柳沢の所のクソガキ……氷室隼人は其の点はおまえと違って思慮がある。
オレがおまえくらいの年齢のときは常に相手より一歩引いて目上の者に教えを乞う態度をとっていたものだ。
おまえは、はっきり言って図に乗りすぎている。そんなに、自分の器を小さく見せたいのか?」


「……オヤジの言うとおりだ。反省している」
「……おまえ、悪いものでも喰ったのか?素直に反省するなんてかえって不気味だぞ。
念ために言っておいてやるが、いいか目先のくだらないことには絶対にとらわれるな。
本気で上を目指すってことは地べたをはいずり泥水をすするような思いをするものだ。
それが出来ない奴は決してトップには立てない。よく肝に銘じておけ」




確かに今までのオレだったら、聞く耳なんてもたなかったさ。
だが、晃司は……あいつは、今までのオレの価値観を木っ端微塵に壊しやがったんだ。
あいつに勝つためには何だってしてやる。
あいつを追い越す為には、今までのようなガキみたいなマネしているわけにはいかないんだ。
それくらいオレにだってわかっている。

晃司に勝つためなら何だって我慢してやるさ。














――数日後――


「……兄貴」
「……周藤さん」
輪也と二人の部下がそろって少々青ざめた表情でやって来た。
「どうした?」
「……その」
どうしたというのだ、どうも様子がおかしい。
「何があった?はっきり言ったらどうだ?」
「……この前の任務だけどさ」
「ああ、あれか。相手のテロリストは上のことは何も知らない末端の雑魚だったらしいな。
まあ、それでも息の根止めることが出来たんだから一応任務は成功だろう。
何か問題でもあるのか?おまえたちも五体満足で生還できたんだ、何も問題はないはずだ」
「……海軍の奴等なんだけど、一人重傷者がでた。氷室の部下だ」
「隼人の部下が?それは気の毒だな、で。それが何の関係がある?」


「す、周藤さん!」
そこに顔面蒼白になった周藤の部下の一人が飛び込んできた。
「なんだ、騒々しい」
「……た、大変です!周藤さんに会わせろって怒鳴り込んで来た奴が」
「……またか。相手は誰だ?身に覚えがありすぎて見当もつかない」


「氷室隼人です」
「……何だと?」


「何を言ってるんだ?あいつは、こういうことはしない奴だぞ」

だが、それは嘘でも何でも無かった。
表に、やはり顔面蒼白になっている周藤の取り巻きたちを前に、氷室が珍しく険しい目をして立っていた。




「晶!さっさと出て来い、話がある!!」




「どういうことだ?」
氷室とは幼い頃から上官同士の因縁で何かと競わされてきた。
その為、周藤自身氷室に対して敵対心を持ち、不遜な態度を取り続けていた。
しかし、周藤が氷室に対して挑発的な態度を取ることはあっても、その逆は一度も無かったのだ。
その氷室が激怒して殴りこみなんて一体何があったんだ?


「……輪也、おまえたち何をした?」


輪也たちの挙動不審な態度と関係ある、周藤は咄嗟にそう感じた。
「何をしたんだ!」
周藤は輪也の胸元を掴み上げ、やや声を荒げて詰め寄った。
「あいつら……海軍から選ばれた奴等は……先月オレたちとやりあった奴等だったんだ」
上司同士の仲が悪く、周藤と氷室の仲も良好とはいえない。
自然と周藤と氷室、それぞれの部下達にまで影響し、道端ですれ違っただけで喧嘩になることはよくあった。




「あいつらの援護しろなんて命令聞く気になんてなれなかったんだよ!!」
「……まさか、おまえたち命令違反したんじゃないだろうな?」
「ちょっと……ほんのちょっと手抜きしてやっただけなんだよ兄貴。
あんなことになるなんて思わなかったんだ。オレたちのせいじゃない!!」

周藤は思い出した。氷室の部下に重傷者が出たということを。

「なんてことをしてくれたんだ……この大馬鹿野郎が。
よりにもよって眠っていた獅子を起こすようなマネしやがって!!
「助けてくれよ兄貴!!」

輪也は周藤にすがりついた。


「助けてくれ兄貴!いつもかばってくれたじゃないか!!
なあ、なんとかしてくれ。あいつを、氷室隼人を何とかしてくれよ!!」




BACK   TOP   NEXT