「秀明、おまえは別館に行け。オレは本館に行く」
「ああ了解した」
「じゃあ後でな」
「……晃司」
「……?。何だ?」
「……いや……なんでもない」
「そうか」

なぜだろうか。その時ふと予感が走った。
何度も見ていた晃司の背中。
それがなぜか遠くに行ってしまいそうな、そんな予感――。


その15分後に爆発は起きた。
堀川秀明がいた場所は小さな被害ですんだ。
だが高尾晃司は爆心地にいた。
その後、高尾と堀川は科学省の爆発事故から生還した。
高尾に対する科学省の態度が急変したのは、その後病院で精密検査を受けてからだった。
後日、科学省長官が堀川を呼び出していった。


「今日から、おまえが科学省出身兵士の№1だ。その自覚を持つように」――と。




キツネ狩り―過去との決別14―




「……随分広いところだな」

輪也はキョロキョロト辺りを見渡しながら何度も見取り図を見た。
「……兄貴がいる施設はどこだろう」
あれから周藤とは会っていない。色々と考え結論が出た。
確かに父を殺した兄に対して恐怖も感じたし、今までとは何かが違うのも間違いない。
だが、それでも輪也にとってはたった一人の肉親だ。
尊敬している兄には変わりない。


とにかく兄に会いたい。
会って何を話せばいいのかもわからないが、とにかく会いたかった。
そして鬼龍院に頼んで面会許可を貰い来てみたのだ。
ところが、あまりにも広大な敷地でどこに行けばいいのかわからなく立ち往生してしまった。

「……君、誰だい?」

その時、背後から澄んだ綺麗な声が聞こえてきた。
振り向くと女では無いか?と思えるほどの優雅で繊細な顔立ちをした男がたっていた。
まるでヨーロッパの貴族の貴公子のような上品な巻き毛が上品で知的な容姿と見事にマッチしている。
その色男は輪也の顔を見るなりムッとした。


「……気に入らないツラだな。絞め殺しても飽き足らない誰かさんによく似てる」
「……はぁ?」

何か凄いことを言われたような気がした。




「君、どうしてこんなところにいるんだい?ここは関係者以外は立ち入り禁止だよ」
物静かで上品な口調だった。先ほど聞いた嫌なセリフは聞き間違いだったのだろうか?
「……面会に来たんだ。でも場所がわからなくて」
「面会?誰に?」
「……周藤。周藤晶だ。オレの兄貴なんだよ」
「……君、晶の弟さんなのか?」
「ああ」
「そうか。道理によく似てると思ったよ。僕はお兄さんのルームメイトなんだ」
「兄貴の?良かった、兄貴は元気なのか?」
「ああ、元気すぎるくらいさ。僕はね、お兄さんとは親友なんだ」
「……え?兄貴と?」


……どうも信じられないな。兄貴は信じられるのは自分ひとりという信条から特定の人間は作らない。
まして、この男……こんなこと思ったら失礼だが、どうも兄貴の嫌いなタイプのような気がする……。


「よかったら僕が案内してあげるよ」
「本当か?」
「ああ、よろしく」
色男がスッと手を差し出してきた。どうやら握手を求めているようだ。
輪也がそれに応えようとズボンのポケットから手を出した時だった。




「何、ひとの弟に手を出しているんだ?」




懐かしい声がして、突然その色男の腕が締め上げられた。
締め上げていたのは他ならぬ輪也が探していた兄その人だった。

「あ、兄貴!」

色男が「……ク」と口惜しそうに顔をゆがめている。
そして周藤の色男の手首を握り締める力もさらに強くなり、ギリギリと色男の手首を赤く染め上げていた。


「兄貴……どういうことだ?」
「よく見ろ輪也……画鋲だ」


輪也は呆気にとられていた。その色男の手に平には画鋲。
つまり、差し出された握手に輪也が応えていようものなら、画鋲の洗礼という手痛い仕打ちを受けていた。
今時、こんな古臭くて陰険な手段を使うこの男の神経にも驚いたが、一番気になるのは理由だ。
今日、出会ったばかりの自分が、どうしてこんな仕打ちを?
考えた。答えはすぐに出た。
自分と、この男に共通する人間なんて兄しかいない。
その輪也の推測を実証するように周藤は蔑んだ声でこう言った。


「相変わらず感心するくらい幼稚で汚いやり口だな薫。
オレに文句があるなら、直接オレに来ればいいんだ。
オレに対するうっぷんをこいつで晴らそうなんて、おまえほど自分に自信のない男も珍しいな。
まあ、おまえみたいな矮小な男には相応しいやり方だ。
オレなら、こんなふざけた方法はとらない。感心するくらいだぜ」
「周藤晶!!」
色男は物凄い形相で握られている手を振り払った。

「相変わらず嫌な奴だな!!」

そう言うと立花はクルリと向きを変えさっさと行ってしまった。
「フン、逆ギレか。幼稚な奴だ」
「……あ、兄貴」
「何だ?」
「……いつも、こんな目に合ってるのか?」
「ああ、こんなことは日常茶飯事だ。何しろ、周囲の連中は全員敵。
自分が出世したければ蹴落として当然。ここにいる連中は、そんな奴の集まりだ。
特にあいつはえげつない性格しているから、油断をすればいつ寝首をかかれるか」




輪也は言葉も無かった。反対に周藤は、もう慣れているのだろう。
別段なんとも思っていないらしい。
周囲の連中が全員油断のならない敵。
しかも周藤は平然と「あの馬鹿には何度毒殺されそうになったか」と笑い事では済まされないことを言ってのける。
その上、その時の報復として「バリカンで奴の自慢の髪の毛を切ってやった」と面白そうに笑ってみせたのだ。
輪也にとっては想像するだけで神経磨り減りそうな世界だ。
だが、兄はその中にいて、平気な顔をしている。
はっきり言って並の神経ではない。
そういう奴でないと、この施設にはいられないのかもしれない。


「とにかく輪也」
「何だよ」
「おまえは、もう少し他人を見極める目を持つ必要があるな」
「……お小言かよ」
「今回は軽傷で済むようなことだったが、もしあの画鋲の先に毒が塗ってあったらどうする?」
輪也は思わず「あっ」と叫んだ。
「わかったか。おまえは、まだまだ世間知らずだ。もう少し、自分に厳しくなるんだな」














「……あれは」
「どうした隼人?」
窓から外を眺めている氷室。声をかけて来たのは蛯名攻介だった。
「晶と……誰だ、あいつは?」
「周藤輪也。晶の弟だ」
「……なんだ、あいつ弟がいたのか?」
「ああ」
「年齢は?」
「おまえや直人と同じ歳だ」
「……へえ、そうかよ。兄貴は特選兵士の中でもかなり上で弟は選外か。
そういうのって結構キツイよな。そんなに出来の悪い弟なのか?」
「出来が悪いんじゃない。兄貴が良すぎたんだ」
「……そうか。だったら仕方ないよな」




氷室には姉が一人いた。自らの手で殺してしまった姉が。
姉が死んだ時点で氷室には肉親はいなくなった。
かつて名門といわれた軍閥氷室家も自分の代で終わるかもしれない。
母は夫亡き後、自分を氷室家時期当主に相応しい男に育てることに残りの人生費やす決心をしていた。
記憶の片隅ほどにしか思い出がないほど、幼い頃に生き別れた母だった。

『お父様に恥ずかしくない立派な人間になるのですよ』

その言葉はよく覚えている。
その母が死んだのは氷室がやっと幼稚園に通いだした頃だった。
母が死ぬと同時に、母の想いは姉に受け継がれた。

『氷室家再興』
『氷室家とあなた自身の為にいくらでも私を踏み台にしなさい』

その二つが姉の口癖だった。
今思えば姉は家の為に尽くすというよりも、弟を守ることで自分の必要性を見出そうとしていたのだろう。
人間は誰かに必要とされなければ価値の存在だから。


(……晃司)


あの事件が起きるまでは例え道具だろうが実験動物だろうが高尾は科学省に必要とされていた。
科学省は高尾を他の誰よりも尊重していた。
至宝だとまで言っていた。
だが手の平を返したように変わった。
あの事件が起きるまでは間違いなく至宝だった。

もっとも未来を約束され。
もっとも未来を期待され。
もっとも未来を輝かしいものと出来るそんな存在。

これまでも高尾は科学省の過酷な任務に忠実に従ってきた。
14年間、ずっとしたがっていた。
それなのに……たった一瞬で、全て終わった。
いや……まだ、終わっていない。
科学省は高尾の利用価値を全て放棄したわけではない。
その為に、今さらプログラムに送り込もうとしている。


全てはXYZ計画の為に――。














――一ヶ月前――

高尾が施設に帰ってきた。爆発事故以来だ。
高尾は廊下の壁に背をもたれ、その場に座り込んでいた。
「晃司、久しぶりだな」
「……隼人か」
「どうした?事故では何もなかったと聞いていたが」
「……ああ、外傷はない」
高尾は特に何も話さず、手に包帯を巻いていた。訓練中に、誤って怪我をした。ただそれだけだ。
それだけなら氷室は何も気にならなかっただろう。
「手当てなら、手伝ってやろう」
そう言って、高尾のそばに置いてあったスポーツバッグを開けた。
その瞬間、氷室の目の色が変わった。














「……で、どうだ?」
「やはり予算の問題ですね。本来なら10年かけてやるはずの計画でした。
それを2、3年でやるとなると……最低でも今の三倍の予算が必要かと」
「……そうか。まあいい、その為には晃司にはたっぷり働いてもらおう」
科学省長官・宇佐美はタバコを灰皿に押し付けた。


「……神への道……XYZ計画」


薄暗い会議室。タバコの煙がやけに目立っていた。
「……優秀な遺伝子を持った人間を数代にわたって交配。
特殊な教育や訓練を施し完璧なリーサル・ウエポンに仕立てる。
本来なら、15年前に成功したはずだった。ファーストが、あんな事件を起こすまでは……」
ファースト、そう呼ばれた科学省ご自慢のリーサルウエポンは科学省の計画をメチャクチャにした。
軍を裏切り女と駆け落ちした裏切り者。
科学省は面子にかけても許すわけにはいかなかった。
その為、ご自慢のリーサルウエポンを全員投入してファーストを処分しようとした。
結果は……ファーストどころか、全員死亡だ。
おまえにファーストの駆け落ち相手の女は大財閥の令嬢だった為、色々ともめることになった。
結果、科学省は当時の長官はじめ数人の幹部が懲戒処分。
数十人の博士が左遷もしくは降格。さらに予算を半分にまで削られた。
それから15年だ。やっとファーストに匹敵する、いやそれ以上の戦士が出来たのに……。


「……晃司があんなことになるなんて。余程運命の神は我々を忌み嫌っているようだな」


だが……あの時の間違いは二度と繰り返さない。
Ⅹシリーズの誕生、育成。全て完璧だ。
次はY計画に移る。完璧な兵士を生み出したからには次は『量産』だ。


「……晃司が使い物にならなくなる前に計画を実行に移さなければな」
「はい」
「晃司が……Ⅹ5が複数存在すれば、科学省は軍の……いや、この国のトップに立てる」
「もちろんです」
「……晃司が無事なうちにさっさと始めるんだ。Y計画……つまり、クローン計画を」
「はい」
「Y計画が成功したら、次はいよいよZ計画……キメラ計画だ。
人間のみならず、あらゆる生物を掛け合わせ最強の生物兵器を作る。
かつて神は人間をはじめ、この地上のあらゆる生物を作り上げた。
今度は我々が第二の神となって、この地上を支配するのだ」














「……晃司」
「何だ?」
「……これは」
「ああ、それか?」
氷室の手には小さな薬瓶が握られていた。
「……いつからだ?」
氷室の手は震えていた。
「何が?」


「いつから、こんなもの飲んでいるんだ?!」




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