ファイルにデータ、それに遺伝子サンプル。
高尾は科学省にとって命より大切な重要な研究の成果の結晶を持ち出していた。
後は爆発が起きる前に、この場所から離れるだけだ。
全速力で走った。特撰兵士の中でも一番足が速い。
あっと言う間にかなりの距離を走った。
とにかく、一刻も早くこの場所から離れるのだ。

この場所から一刻も早く離れるだけ――。


ドォォーン!!




キツネ狩り―過去との決別15―




「いつからこんなもの飲んでいるんだ!!」

いつもは物静かな氷室が大声で怒鳴っていた。
「まだ飲んでいない。症状が出たら飲むようにともたされているだけだ」
高尾は淡々と答えた。
「……何があった」
氷室は今度はやっと聞こえるくらいの小声を搾り出すように言った。
「何があったんだ!?」
「あの時……」
高尾は相変わらず淡々と話し出した。

「オレは走っていた。爆発するのは時間の問題だ。
だから、その前に脱出する必要があった。 その時だった……爆発が起きたのは」














「うわぁー!!」
その瞬間、逃げ遅れた科学省の人間の大半が死んだ。
高尾は爆心地の近くにいたが爆発が起きると同時に爆風を避けるために廊下の角に飛び込んでいた。
爆風による直撃は避けたのだ。
しかし高尾の目の前で数人の職員が爆風によって飛んでいた。
高尾の周囲も熱風が吹き荒れる。だが高尾は生きている。
この時点で爆心地付近にいた人間で生きていたのは晃司ただ一人。
いや微かに息をしているものはいただろうが時間の問題だった。
爆発の原因は実験中の事故だった。
自分達の研究のせいで爆死という非常に嫌な死に方。

だが本当の恐怖はその後だった――。


高尾は見た。爆心地から黄色い粉が爆風にのって一気に広範囲に飛び散るのを。
「……あれは」
高尾の判断は早かった。すぐに上着を脱ぐとそれを頭から被った。
黄色い粉は……数秒で消えた。
実験段階の新種の細菌だったので空気に触れると長くは持たないのだ。




「ぐあぁー!!」
だが、その菌を含んだ灰をまともに被った者たちは一瞬のうちに死んだ。
猛毒だったのだ。高尾は咄嗟の判断で上着を傘代わりにして死の灰の直撃を受けずにすんだ。
細菌は本当に数秒で死滅した。まだ未完成だったので空気中では長くもたない。
もたないが……その菌は確実に高尾の周りに一瞬とはいえ存在したのだ。
爆心地にいて唯一生還をはたした高尾を科学省は徹底的に精密検査をした。

死の灰によって地獄と化した場所にいた高尾を――。


そして数時間後には科学省の上の人間はY計画を急ぐ事にした。
高尾のクローンを量産する計画を。
その予算の為に高尾をプログラムに送り込む事も決定した。














「……症状がでたらといったな?」
「ああ、潜伏期間が長いやつだったらしい」

氷室は視線を落とした。それ以上は追求する気にはならなかった。

「……志郎は知っているのか?」
「志郎は何も知らない。これからも知る必要はない」
「……秀明は?」
「知っている。上から科学省の兵士筆頭になれといわれた時に聞いたらしい」
「……おまえは」
氷室は一旦言葉を区切って、そして意を決したように続けた。

「おまえは……何も感じないのか?」

氷室が持っていた薬瓶。中身はモルヒネの一種だった。
病気を治す為の薬ではない。あくまでも痛みを和らげるだけのもの。
つまり……それしか方法がないということだ。生かすためではなく苦痛をなくす方法しか。




「……あと何年だ?」




「三年だ」
高尾は静かに言った。
「……三年だと?」
「実験段階の細菌兵器だったから、はっきりしたことはいえないらしい。
長くて……三年のようだ。だから、もしかしたら明日にも発病するかもしれない。
オレは今は健康体だが、いずれ時がきたら全ての細胞が活動を始めた細菌によって死滅する。
誰にも止められない。オレも生身の人間だ。確実に死ぬそうだ。
だから、オレの体内で潜伏している細菌がオレの体を蝕む前にY計画を始めたいらしい。
細菌が活動を始めたら、オレはクローンのオリジナルにもなれないただの肉塊になるからな」


氷室はただただ黙って聞いていた。そして思った。
世の中に何人の人間がこれほど冷静に自分の死を見詰められるのだろう?
たった14歳。何もいいことなど無かった人生だ。
それなのに死を宣告され、そして今また死地に向かわせられようとしている。


「……科学省は」

氷室は今度は搾り出すような声をだした。




「科学省はおまえを何だと思っているんだ!?
あれほど、おまえを芸術品だと褒めちぎっていながら死ぬとわかったら、この態度なのか!?
その上、おまえが死ぬ前に使いきるつもりでいるなんて!!おまえは何も感じないのか!?」




「オレはそういう人間に作られた。自分の存在意義に疑問を持った事はない」
それは14歳の子供のセリフではなかった。
「長く生きたところでオレの存在意義が変わるわけでもない。
オレの人生はこんなものだ。ただそれが予定より短くなった。それだけの話だ。それに……」

その一瞬だけ、高尾の表情がいつもと違ったような気がした。
怒りもない悲しみもない、そんな表情だが、いつもの無とは何か違う。
もっとも、それは氷室がそう錯覚しただけなのかもしれないが。


「それに……おそらく三年も時間はかからない」
「なぜだ?」
「何となくだが……そう感じるんだ。
おそらく、今度のプログラムがオレの最後の戦いになる」
「……晃司」


「最後にふさわしく、せいぜい手柄を立ててやるさ」


高尾はそれだけ言うと、「もう時間だ。帰る」と一言だけ言って去っていった。
氷室は何も考えられず、しばらくその場に立っていた――。














「我が国が誇る第一級特別選抜兵士の諸君」
上段から元帥が見下ろしながら言葉をつづった。
「君達は軍が誇る精鋭中の精鋭だ。万が一にも敗北などないだろうが、決して油断するな」
そのお決まりの送辞に見送られ、高尾以下4人の兵士は沖木島に送られることになった。




「いいか直人。必ず高尾晃司に勝て。おまえは誰にも負けることは許されないんだ。
その為におまえを育てた、わかっているだろう?」
「ああ、承知している」
その様子を少し離れた場所から瀬名俊彦が何か負の感情が篭った目で見ていた。


「……あの野郎。直人を道具扱いしやがって」
「おい俊彦、面倒は起こすなよ」
「ああわかってるさ。だがムカつく」
瀬名のそばで蛯名が諌めていた。
「いいか私は恥をかく為におまえを育てたつもりはない。必ず勝て……いいか、必ずだ」


情報局局長・菊地春臣。
彼は手塩にかけて育てた『息子』が高尾晃司以外の人間に敗れるとは思っていなかった。
そんなバカなことは起こりうるはずがない。そう確信していた。




「お父さん」
「ば、ばか!こんな公式の場所で……わかるだろう!?」
慌てて周囲に目を配る九条中将に佐伯は面白そうに笑った。
「何を今さら。オレのことは公然の秘密でしょう?
公になったとしても、今さらお父さんが恥だの体面などといえる立場ですか?
お父さんに対する世間の評判は、あの女にのぼせあがった時にとっくに奈落の底ですよ」
「……なんて性格の悪い奴なんだ。おまえは性格まで母方譲りなのか?
あんな女相手にするんじゃなかった。私の生涯の恥だ」
「でしょうね。オレはお父さんを反面教師にして女なんかには絶対に足元をすくわれない人生を歩みますよ」
「そのお父さんはやめたまえ!!」


佐伯徹は、この時プログラムで、ターゲットとなるべき相手の中に人生を変える女性と出会うとは思ってなかった。
そんな日は一生来ない。そう信じていた。




「……もうすぐだ。もうすぐ会える」
鳴海雅信はジッと一枚の写真を見詰めていた。女の写真を。
今まで多くの女を抱いてきた自分が初めて自分から欲しいと思った女。
初めて心を動かされた女。その女はターゲットの中にいた。
「……もうすぐだ。もうすぐ、おまえはオレの腕の中で……楽しみだ」
この女を手に入れるためなら何でもする……。
この女を抱けるならどんなことも厭わない……。
そして、それを邪魔する者がいたら、相手が誰だろうと息の根を止めてやる。


鳴海は写真を大切そうにしまうと嬉しそうにニッと笑った。
この時は考えもしなかった。
この女を最後の最後まで手に入れることは適わぬ夢だということに。




「いいか晶。絶対に優勝だぞ、わかってんだろうなぁ?」
「兄貴頑張れよ。負けるなよ、科学省の人間兵器なんかに!」
「当然だ。誰に向かって口をきいている?
オレは優勝するつもりがなかったらはなっから参加してない」
周藤は上官の鬼龍院と弟・輪也の激励を受けながらチラッと高尾を見た。


(……晃司)


何度、あいつの下だということを思い知らされてきたか。
だが、それも今日で終わる。
明日からは二度とおまえより下だなんて思わない。
オレが最強だ。それを証明する為だけに、こんなつまらないプログラムに参加してやったんだからな。
ターゲットなんて問題じゃない。オレの敵はたった一人。


高尾晃司……おまえ一人だ。


周藤は知らなかった。
このプログラムで高尾晃司以外にもう一人倒さなければいけない敵がいることに。




「晃司、いつ戻ってくる?」
「多分、三日後くらいだと思う」
「何点とれる?」
「さあ、それはやってみないとわからない」
速水志郎は高尾を質問攻めにしていた。
「そのくらいにしておけ志郎。聞かなくても数日後には全てわかる。
晃司が最強だ。晃司の優勝は動かない。おまえはただ帰ってくるのを待っていればいい」
堀川秀明が諭し、やっと速水は「わかった」と口を閉じた。
その様子を少し離れた場所から氷室は見ていた。

(……志郎は本当に何も知らないんだな)

氷室の視線を感じ取ったのか堀川がこちらをみた。そして近づいてくる。


「どうした?」
「……なんでもない」
「不安そうな目というんだろうな、それは。
おまえは晃司が敗北するとでも思っているのか?」
「……それはない。そんな事ありえないからな」
「ならばどうしてそんな顔をする?」
「……秀明、おまえは知っているんだろう?晃司の体のことを」
堀川の目元が僅かに動いた。


「……おまえも知っているのか?」
「ああ晃司が新種の痛み止めを持っていたから問い詰めた」
「そうか」
「……もって三年らしいな」
「ああ、そうだ」
「志郎は何も知らないと」
「ああ、あいつは晃司を頼りきっているからな。
晃司の死にはまだ耐えられないだろう。
だから、あいつには言ってないし、言うつもりもない」
「……そうか」


――高尾晃司の最後の戦い……か。


「相手の生徒たちは気の毒だな。晃司は絶対に負けない。
そして絶対に手を抜かない。あいつは容赦をしらない。
例え相手が微力な存在でも決して手加減はしない」
「それが晃司だ」
「……ああ、そうだな」
それから氷室は周藤を見た。複雑そうな表情で、ただジッと見ていた。














「今日から皆さんの新しい担任になった坂持金発でーす」

坂持と名乗った男のあとに続き5人の少年が入室してきた。
見た感じ、城岩中学三年B組生徒達と同世代。
その上が意見だけなら桐山ほどではないが美男子だ。
だが、その瞳は何か異常な冷たさ放っていた。
何か――そう、何か恐ろしい事が起こる。
そんな予感を感じさせるような冷たい瞳……。

「転校生を紹介します」

クラス中が怪訝そうな視線を、 その5人に送った。




「左から順に紹介します。佐伯徹くん」
「よろしく」
桐山や七原と同じくらいの中背だが、 やや華奢な感じでアイドル風のかわいらしい美少年が愛想よく答えた。
「菊地直人くん」
今度は挨拶もない。こちらも中背だが、がっちりした体つきだ。 そして何より敵意に満ちた、鋭い目つきをしている。
「鳴海雅信くん」
「………」
先に紹介された二人より、やや背が高い。整った顔立ちだが、 服装は乱れ、だるい感じだ。
ガムでも噛んでいるらしく、興味無さそうに一瞥しただけで床に視線を落としている。
「周藤晶くん」
ちょっとクセッ毛で、背は高い。180cmはあるだろう。
多少哀れみを込めた、そして、まるきり見下すような感じでクラスを見渡している。
「最後に高尾晃司くん」
腰までありそうな長髪を首の後ろで束ねている。
壁に背を持たれ、こちらを見ようともしない。顔は――かなりの美形だ。
だが、反比例して表情がまるでなく、その瞳は冷たい光を放っている。
その目は、なんとなく――桐山に似ていた。




「はい、では本題にうつります」
そこでクラス中は再度、坂持に視線を集中させた。
「皆さんは幸運にも本年度のプログラム対象クラスに選ばれました」
『プログラム』!!!!!
その言葉にクラス中の顔が引き攣った。中には顔面蒼白な者もいる。
「おめでとうございまーす」
呆然とする生徒たちを余所に坂持はニヤッと笑い続けいた。
その中でただ一人、桐山和雄だけが恐怖も何もない表情で5人を見ていた。














晶……おまえには言ったほうがよかったのかな?


氷室は自室の窓からジッと空を見ていた。


もしも、晃司のことを知ったら、おまえは参加していたか?
後、三年で晃司が死ぬとわかっていたら、おまえは参加していたか?
三年で晃司が消えるならそんな必要もないと思って参加しなかったかもしれない。
それとも、あと三年で永遠に勝てる日が来なくなる前に……。
今のうちに晃司に勝つために参加したかもしれない。
今となっては……わからない。だがな晶……晃司は決して負けない。
あいつは強い。あいつの強さは普通の人間には決してもてない。
どうして……あれほど自分の体を酷使できるのか。
あんな覚悟はオレやおまえでも出来ないだろう。
断言してもいい。例え、どんなことがあってもおまえは晃司には勝てない。
オレも同じだ。晃司に勝てる奴なんて存在しない。
もし、そんな奴がいたとしたら、それは――。


ほぼ同時刻、はるか遠い空の下――プログラムが開始された。




~完~




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