「周藤晶」
壇上から軍務省の高官が周藤の名前を呼ぶ。同時に周藤は立ち上がった。
誇らしげな鬼龍院、苦虫を潰したような柳沢。
そんな二人を余所に周藤は壇上に上がった。
「周藤晶。長年我が大東亜共和国を蝕んでいた不逞の輩を倒した功績により、ここに第一等特別勲章を授けるものとする」
「謹んでお受け致します」
式場からは拍手喝采。
将官以上の者以外が第一等特別勲章を授与されるのは高尾晃司に続く異例の快挙。
だが、この晴れの式に出席を許された周藤の弟・輪也は複雑そうに兄を見詰めていた――。
キツネ狩り―過去との決別12―
「まさか晶まで第一等特別勲章を貰うとは思わなかったよな」
食事の席。蛯名が切り出した。
「ああ、大東亜共和国始まって以来だぞ。元帥か、さもなくば余程軍功を立てた将軍しか貰ったことがないんだ」
瀬名も箸を止め話し出した。
「面白くないね。晶は運が良かっただけさ」
立花は本当に面白くないと言った表情だ。
「それにしても晶も名誉の為には随分惨いことを平気でやるんだね」
佐伯が言った途端、その場の空気が一瞬止まった。
しばらくした後、今度は和田が無神経なくらい大声で言った。
「フン。あいつに今さら人情だの情愛だの、そんな感情があるわけないだろ。
あいつは自分のためなら、どんなことも平気でする男なんだろうぜ」
「おい勇二、言いすぎだぞ」
「なんだ俊彦。それとも、おまえはあいつにまともな人間性が残っていると思っているのか?
平気で自分の父親を殺すような奴に」
「……勇二!!」
「なんだ攻介。おまえも文句があるのか?」
「そういうわけじゃ……ないけど」
「正直に言えよ。おまえみたいな甘ちゃんは人一倍そう感じているはずだ」
「……まあ、そう思っていないって言えば嘘になるな」
「攻介、おまえ……」
「俊彦、おまえも正直言ってそう思ってんだろ?いくらなんでも勲章の為に父親殺しに名乗り上げるような奴だぜ。
オレは正直言ってゾッとした。あいつはちょっと怖いんだよ」
「……あいつにとって将来の地位と権力が一番存在が大きいんだろう。
それに比べたら、父親の命なんてどうでもよかった、それだけさ」
「おいおい直人。おまえまで言うのかよ」
「だったら俊彦。おまえはどう思うんだ?」
「オレ?……まあ、正直言って……」
「はっきり言ったらどうだい。晶は人間じゃないって」
佐伯は性格も悪いが口も悪い。それゆえ、時々残酷なことを平然と口にしてしまう。
「別に晶が特別だなんて思ってないさ。
晶にとって殺せば利益を生む人間が偶々親だった。それだけの話だろう」
かつて自らの手で母親を殺したことのある佐伯にとって、周藤の行為は許容範囲だったようだ。
「とにかく、おまえたちも見ただろう。涼しい顔して勲章受け取るあいつを。
あいつは冷酷非情なエゴイスト。さもなくば科学省の人形同然、感情がないんだろうぜ。
全くいい気なもんだ。父親殺しで勲章受け取って満足しているんだからな」
「言いすぎだぞ勇二……まあ、オレも正直言ってムカついたけどな。
そこまでして出世コースに乗りたいのかって……」
本音を出すまいとしていた瀬名だったが、ついに本心を語ってしまった。
瀬名が本心を暴露したことで他の連中のボルテージも一気に上がった。
「あいつには近づかないほうがいいかもしれないな。父親でさえ出世の道具にするような奴だ。
オレたちなんか平気で裏切ったり利用するに決まっている」
菊地は養父が殺せとわめき散らしていた西園寺紀康が周藤の実父だと知ったこともあり、かなり複雑そうな表情だった。
「……何ていうのかな。人間とは言えないかもしれない晶は。
金輪際関わり合いにならないようにしないと、こっちがヤバイ目に……」
それまで会話に入らず、聞いているのさえ怪しいと思うくらい静かにしていた氷室が立ち上がっていた。
全員が一切に氷室に振り向く。
「……随分といいたい放題だな、おまえたち」
「……隼人、どうしたんだよ。怒っているのか?」
「攻介。おまえは一度でも晶と同じ立場に立ったことがあるのか?」
「はぁ?」
「晶がいないと思って言いたい放題だが、オレはこういうのは嫌いなんだ。失礼する」
「何だ隼人、お優しいことだな。おまえと晶はガキの頃から仲悪かったんだろ?
オレはてっきり、晶の悪口はおまえが一番喜ぶことだと思ってたぜ」
「勇二、一つだけ言っておくが、おまえの物差しでオレを計るのだけは止めてくれ。はっきり言って不愉快だ」
「何だとぉ!!」
今度は和田が立ち上がっていた。慌てて瀬名が二人の間に入る。
「よせよ二人とも。隼人、おまえもらしくないぜ。ケンカ買うようなマネするなんて」
「肉親殺しをした奴が人間じゃないというのなら……」
「……隼人?」
「オレも同じだ」
「え?」
「晶が人間じゃないならオレも同じだ。あいつは父親を殺したが、オレは姉を殺した」
「……兄貴」
輪也は一人部屋に閉じこもっていた。輪也にとって周藤は自慢の兄だった。
誰よりも強くて頭もいい。何をやっても優雅なくらい完璧にこなしてしまう。
輪也にとってたった一人の家族であり、そして最高の誇りでもあった。
その兄を誰よりも、世界中の誰よりも理解しているのは自分だ、そう思ってきた。
それなのに……。
それなのに……。
自分は兄の事を何を知っていたんだ?
兄のことなど何も知らなかったのではないのか?
そして、そのことに、あの日まで気付かなかったなんて――。
「……嘘だろ隼人?」
瀬名が僅かに口元を引き攣らせた。
「おい隼人悪い冗談はよせよ。おまえにそんなこと出来るわけ無いじゃないか」
蛯名も立ち上がって氷室に同意を求めた。
だが氷室の表情は嘘をついているようでも、ましてや冗談を言っているようなものでもなかった。
「オレの姉は上の命令に背いて逃亡した。
その時、上から抹殺指令を出されたのがオレだ」
「……本当に殺したのか?」
「そうだ。オレも晶と同じだ、冷酷非情で残忍な奴ということになるんだろうな」
あの日――。
兄が父を殺したのを目の当たりにした運命の日。
輪也はただ呆然と見ていた。床に横たわって身動き一つしない父の姿を。
そして兄を――。
どのくらい時間が過ぎただろうか?
周藤が近づいてきた。
「――輪也」
輪也は何も言わなかった。
ただ……微かに震えていたような気がする。
「輪也!!」
その声に初めてハッとした。
「……兄貴」
声が震えている。まるで雪国の吹雪の中に放り出されたように。
「オレが怖いのか?」
輪也の気持ちを察したのか周藤が切り出した。
輪也は再び父を見た。
憎んでいた。いつか殺してやろうと思っていた。
そんな輪也とは対照的に周藤が父に対する恨み言を言ったことはただの一度もない。
だが殺したは自分ではない。殺したのは兄だ。
なぜだ?兄貴も親父を憎んでいたのか?
言葉で語らなかっただけで、本当は恨んでいたのか?
「輪也、おまえは使い捨ての道具で終わりたいのか?」
使い捨ての道具?何のことだ?
輪也にはわからなかった。理解なんて出来るわけが無い。
今自分の頭を占めているのは兄が父を殺した、ただそれだけなのだ。
周藤の言葉の意味など理解できるわけがない。
「おまえは只の兵士で終わるつもりなのか?
上から命令された通り、ただ忠実に戦うだけの兵士で終わりたいのか?
死ねばそれだけ、他にいくらでも代わりがいる。だから、どんな酷い扱いも平気でされる。
道具なんだ。上の連中にとってオレたちは。おまえは、その立場で一生を終えたいのか?」
「……あ、兄貴……?」
「どうなんだ!一生使い捨ての道具でいたいのか!?」
「……い……」
「嫌だぁー!オレは使い捨ての道具じゃない!!」
「だったら!」
周藤が輪也を抱きしめた。痛いくらいに。
「だったら、オレを信じて戦え!!」
「……兄貴?」
「いいか二度と泣き言を言うな。その程度の覚悟しかないのなら、おまえもいつか負け犬になって死ぬだけだ。
そのくらいなら、オレが今すぐ殺してやる。わかったか?」
輪也には何が何だかわからなかった。
やがて周藤は輪也から手を放すと「行くぞ」と一言だけ言って、その場を後にしようとした。
輪也は父の遺体に近づいた。記憶の中にいる父の姿がそこにあった。
ただ動かないだけ。あれほど憎んでいたのに、憎悪など感じなかった。
「……兄貴。一つだけ聞かせてくれ。一度しか聞かないから……だから……」
輪也は父の遺体を只見詰めながら言った。
「何だ?」
「……兄貴は……親父を憎んでいたのか?」
「……いや」
「……おふくろの事は?」
「おふくろが死んだのは弱い人間だったからだ。親父のせいじゃない」
憎んでいなかった?
何の恨みも無い父親を――。
輪也は今だ夢を見ているような気分だった。とびきりの悪夢を。
自分は悪夢を見ているだけなんだ。早く目覚めなければ。
そんな思いだったに違いない。
でも何度目覚めても覚めない悪夢だ。
何度目覚めても。
これから先、何十回、何百回……いや何千回朝を迎えようとも色あせない悪夢。
「……良かったよ」
まだ茫然自失な輪也だったが、一つだけ理解できたことがあった。
兄が自分には手の届かない人間になっていたということに。
自分など及びもつかない人間だったということに。
いつも自分を守ってくれた優しい兄だった。
ずっと一緒にいた、今でもそばにいる。
しかし、自分はその兄との距離に気付いていなかった。
自分と兄との間には縮むことの無い距離が出来ていることに。
こんなに傍にいるのに……遠い存在になっていたことに。
自分は今の今まで気づかずに生きてきたのだ――。
「……兄貴、あんたが敵でなくて良かったよ」
兄貴の真実の姿に今の今まで気付かなかったんだ――!
「勝てるわけが無い!!」
それは父を殺した兄に対する非難の声だったのか。
それともただの悲鳴だったのか。
ただ、この日、輪也は気付いたのだ。
兄が自分とは全く違う世界に生きている人間だと言う事に――。
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