つらいぞ

オレたちみたいな使い捨ての道具が

この世界で上を目指すのは――





キツネ狩り―過去との決別11―




「なあ西園寺」
「なんだ?」
「今度はいつ頃帰ってやれるんだ?もう二ヶ月も帰宅して無いだろ」
「……おまえにまで不満をぶつけたのか紗江子は?」
「いや、そんなんじゃないんだ。オレ個人の質問なんだよ」
「周藤、オレは自分でもわかっている。家庭を省みずに危険なテロ行為に走っている最低の夫だ。
だから紗江子が望んでいるような夫には到底なれない。そういう夫で無ければ我慢できないのなら。
もし紗江子がそういう男を見つけるようなことになったら、オレはいつ別れてもいいと思っている。
オレには責める資格はないからな」
「おい、そんなこと言わないでくれ。わかっているだろ、あいつがどれだけおまえに夢中なのか。
勝手なことばかり言う女で悪いが、あいつは本気でおまえのことを……」
「ああ、わかってる……言ってみただけだ。この戦いが終われば、あいつの言うとおりにしてやるつもりでいる。
オレの目的は政府を潰すことだけだ。新政府の樹立や、新政府内でのポストなんかには興味はない。
この戦いが終わりさえすれば、あいつの望みどおり大人しくそばにいてやるよ」
「……ああ、悪いな」
啓一は済まなさそうに溜息をついた。














「男か。ちょっと顔見せてみろよ、どうやら父親似だな」
「そうね。目元が紀康さんに似ているもの」

母親の腕の中でスヤスヤと眠っている嬰児。
昨夜、誕生したばかりの小さな命。それこそ、本当に小さくか弱い……無垢な存在。


「どうだ紗江子。母親になった気分は?」
周藤啓一は、そう言って感想を求めた。
彼女の名前は周藤紗江子(すどう・さえこ)、啓一の妹だ。
「最高にしあわせよ」
「そうか」
あれほど惚れぬいた男の子供だ。それは女としては当たり前の言葉だろう。
啓一は、そう考えたが妹が次に放った言葉は、それとは違った。


「この子さえいれば紀康さんは絶対に私を捨てたりしないわ」


「紗江子……!」
「この子は紀康さんを繋ぎとめてくれる。これで彼は絶対に私を見捨てたりしない、出来るものですか」

そう言って幸せそうに微笑む妹を啓一は複雑そうに見詰めた。
ずっと思っていた、この妹は西園寺に釣り合う女じゃない。
愛情の真剣さという点では間違いなく紗江子は純粋で一途な女だ。
まして、あれほどの男が相手なら命懸けで惚れぬいても仕方ない。
だが、その一途過ぎる愛情は自己愛でもある。
西園寺は女の為なんかに生きれる男じゃない。自分の信念の為にしか生きれない男だ。
そんな西園寺と、自分が愛されることしか望んでいない女が上手くいく道理がない。




西園寺紀康と周藤啓一が出会ったのは戦場だった。
同じテロ組織のメンバー、たまたま同じ任務で組んだに過ぎない。
しかし啓一は西園寺にすっかり惚れこんでしまい、彼についていくことにした。
啓一の妹である紗江子も組織の一員だったが、連絡を取ったりといったごくごく安全な仕事をしていた。
兄である啓一が西園寺の片腕にならなければ二人は出会うこともなかっただろう。
紗江子はあっという間に西園寺に夢中になった。
しかし西園寺にとっては戦友の妹という程度の認識しかなかった。
まあ必死に自分に尽くしてくれる女に悪い感情を持つことも無かった。
だが少なくても人生のパートナーにしてもいいとまでは思ってなかったはずだ。
なぜなら西園寺の胸中にあるのは家族の復讐。その為に政府を潰すことだけなのだから。


紗江子が「……私、あなたのこと好きです」と必死に想いを告げたときも西園寺は突き放した。
「他の奴にしておけ。オレみたいな男、おまえの望みどおりの相手にはなれない」
それでも紗江子は西園寺を慕っていた。
西園寺が科学省の化け物と戦い重傷を負って、何日も死線を彷徨った時も寝ずに看病したものだ。




「……紗江子。西園寺は変わらないぞ」
「兄さん?」
「おまえは西園寺が、この戦いから身を引いて自分だけのものになってくれると思っているのか?
あいつがそういう男じゃないことはおまえも知っているだろう?
いい加減にあいつを縛るようなマネは……」
「……兄さんに何がわかるのよ」
「……紗江子」
「紀康さんはいつも私を置いて危険なことばかり。そばにいて欲しいと思って何が悪いのよ」
「……あいつは、この戦いに命と人生を賭けているんだ」
「それが何だって言うのよ!!」


「私はそんなことどうでもいい……彼さえそばにいてくれれば。
この子がいれば、きっと紀康さんも考え直してくれるわ。
危険な戦いは止めて、ずっと私のそばにいてくれる。今度こそ私だけのものになってくれるのよ」




二人がなぜ一緒になったのか、啓一には見当がついていた。
西園寺も完璧な人間ではない。ある時、自分の采配ミスで部下を大勢死なせたことがあった。
あの時の西園寺は見ていられないくらいの状態だった。
西園寺がアルコールを口にしたのを見たのも、あの時が最初で最後。
そんな西園寺を必死になぐさめたのが紗江子だった。
一晩中そばにいたらしいが、その時二人の間に何かあったのだろう。
次の日、西園寺が珍しく切羽詰った表情で啓一に言ったのだ。

「……おまえの妹と一緒になってもいいか?」――と。


それで啓一は全てを悟った。そして頭が痛くなった。
これは完全に紗江子が悪い、昨夜の西園寺の精神状態は普通じゃなかった。
紗江子は単純に西園寺を慰めたい、辛いことを忘れさせてやりたい、そう思っただけだろう。
しかし結果的には西園寺の心の隙に付け込んだことになる。
西園寺はもとを正せばいいとこの若君様だ。
いい加減なことはしたくないと責任をとる気になったのだろう。
紗江子はというと、西園寺の申し出に大喜びで、本当に世界一幸せな女だと言わんばかりの笑みをこぼしていた。
その笑みが崩れるのに時間はかからなかったが――。














一緒になるといっても西園寺は戸籍上死んだ人間だから二人の関係は内縁の夫婦だった。
やがて長男の晶が生まれ、次の年には次男の輪也が生まれた。
啓一が当初から心配していた通り、西園寺と紗江子の間には溝が出来ていた。
紗江子は西園寺に釣り合う女じゃない。
だが惚れぬいただけあって西園寺のことはよくわかっている。


「この子たちがいれば紀康さんは絶対に私のところに帰ってきてくれるわ」


何度もそう言っていた。それが西園寺にとって、たった一つの泣き所だったのだ。
西園寺は一族を皆殺しにされた。その西園寺にとって我が子は唯一の肉親だ。
だから、どんなに我侭を言おうと、子供たちの為に結局は自分のところに帰ってきてくれる。
そう思っていたのだろう。
紗江子は随分と無理なことを言っていた。




『あなた、いい加減にこんなことから身を引いて』
『何を言ってるんだ。オレは奴等に一族を皆殺しにされたんだぞ』
『今は私達がいるじゃない。ここにもあなたの家族はいるわ、死んだ家族のことは忘れて』
『オレに従い戦って死んだ奴もいる。その数は一人や二人じゃない。オレだけ抜けられるわけがないだろう』
『私とどっちが大事なの!』
『死んでいった奴等にも妻や恋人はいたんだ。少なくてもオレは生きている。
でも、死んだ奴等の妻や恋人はもう会うことも出来ないんだぞ』
『月に数回……いえ、酷いときには何ヶ月も帰ってこないじゃない!
そんなのいないのと同然だわ!!どうして私と一緒にいてくれないの、私はあなたの何なの!?
たった一人で苦労して生活するのはもうたくさんだわ』
『毎月生活費は送金しているだろう。30万じゃ不足なのか?だったら、もう少し多く……』
『お金の問題じゃないわ!ねえ、家族四人で暮らしましょう、お願だから』
『オレと一緒に戦ってる連中を見捨てろというのか?おまえの兄もいるんだぞ。
第一、オレは政府のブラックリストに載っている人間なんだ。
そのオレが今さら普通の暮らしが出来るわけがない。
政府を潰すか、オレが殺されるか二つに一つだ』
『だったら外国に亡命すればいいじゃない!もう耐えられない……どうして私を優先してくれないのよ!!』





これで上手くいくわけがない。
それでも紗江子は自信があった。西園寺は絶対に自分から離れたりしない――と。
西園寺は肉親を皆殺しにされた。殺された肉親の為に戦っている。
その西園寺に我が子を捨てられるはずが無い。
どんなに困らせてもいい。
めげずに要求すれば、いつかきっと自分のいうことを聞いてくれると思っていた。


そんな妹の思惑に気付いていた啓一は思った。
浅はかな考えだが、西園寺をよくわかっている。
西園寺は冷酷非情だが、唯一の弱点が肉親である子供たちだ。
復讐の為に、全ての情愛を捨てたはずの西園寺のたった一つ残された人間性。

これが後々災いにならなければいいが……。

啓一はそう思った。いや、祈った。
そして、それは杞憂で終わらなかったのだ――。















「……晶」
「なんだしけたツラだな。久しぶりなんだから、もっと嬉しそうな顔をしたらどうだ?」


周藤は一歩前に出た。その顔は笑っていたが、目は笑っていなかった。
なぜなら一度下げたはずの銃を西園寺がスッと上げたからだ。


「……周藤を殺したのはおまえか?」


「ああ」
「なぜだ?」
「決まってるだろう。あんたたちは政府と戦っている。だがオレは政府側の人間なんだ」
「……特選兵士か」
「ああ、そうだ」
「……輪也もそっち側の人間なのか?」
「ああ、そうだ」
「……紗江子は死んだのか?」
「あんたが死んだと思って後追い自殺だ。まったく無駄な死に方だったということだな」




『おねがいだから私のそばにいて。あなたがいないと生きていけないわ』
『晶と輪也がいるだろう。母親なら少しは強くなったらどうなんだ』
『母親?私は母親である前に、あなたの妻なのよ!
ただの女なのよ。どうして、そばにいて守ってくれないの!!』





「……そうか。死んだのか」
西園寺は何となく予想していた。
大規模なテロ作戦を決行した後、政府から身を隠す為に消息を完全に絶ったことがある。
一応、仲間の一人に自分は無事だと家族に伝えるように伝言を頼んでおいた。
もっとも、その仲間が無事に紗江子たちの元に辿り着けたのかもわからない。
何しろ、あの後仲間は散り散り。死んだ者も大勢いた。
いや、死んだことがわかっているだけでもいい。半分以上は今だに生死不明なのだ。
二年後、会いに行った時、家には誰もいなかった。
その場所は政府が施設を作るとかで住民たちは立ち退きさせられており事情を知っている者を探すことも出来なかった。
精神的に強い女とは言えなかったから、死んだとは思っていた。


ただ……子供たちがどうなったのか、それだけが気がかりだった。
おそらく、二度と会えないかもしれないとも思っていた。
それが、こんな場所で、こんな形で再会とは。
全く持って運命の神というのは皮肉なめぐり合わせが趣味のようだ……。




「……この世界にいると自然とあんたの噂は耳に入ってきた」
「…………」
「皮肉なものだな。おふくろや輪也と、あんたの帰りを待ってた時よりずっと多かった」
「……晶、オレを恨んでいるのか?」
「いや全然……親父、あんたが政府との戦いに命を賭けているように、オレも命を賭けてることがある。
その為に何度も死に掛けた。もっとも、あんな所にいたんだ、嫌でもそういう思いはするが」


そう言うと周藤は自分の襟をグイッと引っ張った。
首元が露になる。そして、あるものが西園寺の目に映る。
同時に西園寺の目が大きく開かれた。それは鎖骨の辺りについた深い傷跡だった。


「この傷を負ったときはさすがに死に掛けた。だが今となってはオレの誇りだ」
「……何人殺した?」
「あんたは覚えているのか?」

周藤が再び前にでた。一歩二歩……銃口は相変わらず周藤を見詰めていたが、周藤は平然と歩いた。
そして、西園寺のすぐ前まで来た。




「やっと会えたのに抱きしめてもくれないのか?」
「……晶」

カンッ……と甲高い音が響いて床に銃が落ちていた。


「……晶……済まなかった」


それは周藤が感じた最後の父親の体温だっただろう。
自分を抱きしめた瞬間、冷酷なテロリストはしてはならないミスを犯した。
一瞬とは言え自分の信念を忘れたのだ。
それは人間性を失い無限の修羅地獄で戦ってきた西園寺が『父親』に戻った最後の瞬間でもあった。




――甘いな父さん。輪也はともかく、オレはあんたのことは嫌いじゃなかった。
――だがな……オレは。




「……親父。オレにはどうしてもかなえたいことがある。だから、その為に」


最後の言葉。それを聞いた瞬間、『父親』が『テロリスト』に戻った。
周藤を突き放すと同時に背中に手をまわした。
予備の銃がベルトの後ろに挟んであったのだ。














「……この上に親父と兄貴が」

輪也は階段を駆け上がっていた。
ずっと憎んでいた。いつか殺してやろうと思っていた。

だが……オレは本当に殺せるのか?
親父を……実の父親を、オレは……。


ズギューン!!














「……オレの為に死んでくれ親父」
「……あ……きら……」


西園寺の目が大きく開いていた。

信じられない。そんな悲しい目で――。

そして、ゆっくりと倒れていった。




つらいぞ――。




周藤の持っていた銃口からは硝煙がゆっくりと立ち上っていた。

周藤はジッと見詰めていた。

まるでスローモーションのように倒れていく、その姿を。




オレたちみたいな使い捨ての道具が――。




そして……ドサッと乾いた音がして床に倒れこんだ。

赤い液体が円状にゆっくりとひろがって――。

やがて周藤の足元も真っ赤に染めていった。




この世界で上を目指すのは――。




生憎だったな隼人――。

どうやらオレはおまえが思っていた以上に

いや……自分が思っていた以上に最悪な人間らしい。

こうして自分で殺した父親を見ても――

全く心が動じないんだ。

自分でも驚くくらいに、オレは冷酷な人間だったんだな――。




「……兄貴」
「…………」

周藤はゆっくりと振り向いた。
そこには自分と、そして父の遺体を見詰めただ呆然としている輪也が立っていた――。




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