『母さん、おはよう』
母は黙っていた。振り向こうともしない。
『母さん?』
違和感を感じた。いつも朝起きると底には父と母の笑顔があった。
でも、今は母がただ座ってじっとしているだけ。
『……母さん、父さんは?』
父のことを聞いた途端、母がわっと両手で顔を押さえて泣き出した。


『母さん?』
幸雄は慌てて母に駆け寄った。
『母さん、どうしたの?オレなにか悪い事言ったのか?』
母はしばらく泣いていた。母が泣いたのをみたのは初めてだった。
やがて母は泣きやむと二人の顔を交互に見詰めた。
『二人ともよく聞きなさい』
何か嫌なことがあったんだ。二人は本能的にそう感じた。

『お父さんとお母さんは離婚したの――』





Solitary Island―91―




「か、川田を知っているのか?」
「ああ、オレにすごくよくしてくれている医者のおじさんだよ。ただの医者じゃない。何でもできる凄いひとだ」

確かに川田は凄いひとだ。
それにしても、この子の反応は……まるで息子みたいな感じだな。

それから七原はもう一つ重大なことを話してやろうとした。
多分、教えてやればもっと喜ぶだろうと思って。
「君のお父さ……」
「寺沢、オレたち助かるぞ!!」
七原が言葉を吐く前に真一が叫んでいた。
「以前、話したことがあるだろう?オレの知り合いのおじさんだよ」
「ああ、あの……すごく頭が切れて頼りがいのあるおじさんのことか?」
「そうだ。川田のおじさんが来てくれたって事は当然脱出プランもある。
もう安心だ。危険を冒して化け物と戦う必要も無い」
「そうか、よかった」
海斗もほっと一安心だ。


「じゃあ、すぐにおじさんと合流しよう。人数が多いほうが内海も探しやすいだろうしな」
「ちょ、ちょっと待ってくれ」
七原が少し声を大きくしていった。
「川田だけじゃない。真一くん、君のお父さんも来てるんだ」
すると真一ははぁ?と目を大きくした。


「親父が?」
「ああ、そうだよ」


「…………」
真一はまだ驚いているようだ。
海斗は詳しくはしらないが、真一と父親があまり上手くいってないことは何となく知っていた。
何しろ海斗自身が父とはあってなくがごとしの親子関係。
似た者同士ということでピンと来るものがあったのだろう。
その真一の父親が来ている?数秒後真一は溜息をついた。


「……おじさん。あんた、オレの親父のこと知ってるのか?」
「ああ、よく知ってる。中学時代親友だったからな。
三村はすごくいい奴だし、頭もいい、川田に負けないくらい頼りになる。
そんなこと、いちいち説明しなくても君なら十分わかっているだろう?」
真一はまたしても溜息をついた。七原は妙な感じをうけた。なんだ、この反応は?
「……おじさん。あんたにとって親父がどういう存在なのかはしらないけど」
真一は、なんだか七原の言葉を信じていないようだった。

「親父がこんなところに来るわけないだろう」

今度は七原が驚いた。
「何を言ってるんだ。自分の子供がこんな目にあってるんだぞ。親なら助けにきて当然じゃないか」
「あんたはな。でも、自分がそうだからって世の中の父親が皆そうとは限らないんだよ。
少なくても、オレと親父は、あんたや内海みたいな親子とは違うんだ。
こんな時に、くだらない冗談は言わないでくれ」
七原は呆気にとられた。なんと真一は七原が冗談を言っていると思っているのだ。




「それより、あんたのもう一人の子供のことだけど」
真一は美恵に気をとられて、もう一人の所在地不明の女生徒を忘れていた。
それを七原と出会ったことで思い出したのだ。
「あ、ああ千秋のことか」
「そうだ。どっちかといえばか弱い娘のほうを先に探すべきなんじゃないか?」
「千秋なら大丈夫だ」
七原は千秋と偶然再会したこと、そして光子がそばについていてくれていることを説明した。
光子がいるので安心だと言ったところ、二人は七原と異なり慌てだした。
「なんだって、あんた女二人を残して来たのか?」
「いくら強いって言っても女性だろ?どうして、そばにいてやらなかったんだよ」
二人がそう思うのも無理はない。光子は外見だけなら愛らしく妖艶なだけの美女なのだから。


「と、とにかく相馬がついているから千秋は大丈夫だ」
「何を言っているんだ。あんたは、この島にきて間もないから連中の怖さをしらないんだ」
「そうだ。断っておくが猛獣なんてものじゃない。見たこともない化け物たちなんだぞ。
あんな生物、オレは映画の中でしかいないと思っていた。
でも現実に存在しているんだ。生身の女の勝てる相手じゃない」
二人の必死の力説に七原は不安になってきた。
なんだかんだいっても光子は女だし。しかもお色気や泣き落としなんて通用しない相手。

「……わかった。一度戻って二人と合流しよう」














「…………」
幸雄は言葉もなく、ただただ唖然としていた。
川田は全てを話して聞かせたのだ。それも最初から最後まで。
自分達がプログラムから脱出した人間だということ。
七原が常に子供たちが自分達と同じ目に合う可能性に怯えていたこと。
その可能性から子供たちを守る為に政府と戦う道を選んだこと。
ゲリラに入り、危険な対政府破壊活動に身を投じていること。
そして、もしものときの為に、幸枝に残した緊急の連絡で幸雄と千秋の窮地を知りこの島にやってきたこと。


幸雄は相変わらず唖然としていた。
あまりにも想像の域を超えた話なので途惑っているだろう。
いや、それ以前になかなか理解できなかったのかもしれない。
幸雄は七原が家を出たのは、昼のメロドラマによく使用されるようなくだらない理由だと思っていた。
つまり、下世話な話だが、外に女ができて、自分達家族を捨て、その女と一緒になったのだろうと。
それ以外、あれほど仲のよかった両親がいきなり離婚する理由が思いつかなかったからだ。
父はとてもハンサムで息子の自分からみても女にモテるひとだった。
だから、妻子持ちでもかまわないという不届きな女に誘惑されるなんてつまらないストーリーは簡単に想像できたのだ。
想像の域をでてなかったそのストーリーを幸雄は真実と思い何年も父を怨んでいた。
いや憎んでいたのだ。その父が家を出たのは自分と千秋の命を守る為だった。
その為に、体を張って命懸けの戦いに身を投じている、というのだ。




「……う、嘘だ。そんな話」
「なぜ嘘だと思うんだ坊主?」
「だ、だって……そんな……そんな荒唐無稽な……」
「荒唐無稽?オレは至極筋の通った話と思うがな」
「……そんな、だったらどうして……」
「どうして?どうして理由を話さずに黙って家を出たかって事か?
そんなこと説明してやらないとわからないのか?
おまえたちを危険に巻き込みたくなかったんだよ。だから、あえて理由を告げずに家を出たんだ。
それに、いつか生きて帰ってこれる保証もない。
七原は、万が一のことを考えて、おまえたちには自分のことは忘れて欲しいと思ったんだろうな。
自分の事なんか忘れて、親子3人で幸せになってほしいと」


「…………」
「そのくらい中学生になったんだから察してやれ」
「……そんな……そんな……だったら……」

だったら……その話が本当だったら……オレは?

幸雄は己自身に疑問を感じた。
その話が本当だったら自分はなんだ?
父の事情も気持ちも何一つ考えずに、ただずっと下種な想像をして憎んでいただけ。
その間にも父は死と紙一重の生き方をしていたというのに。
自分と千秋の命を守る為に家族と離れて、たった一人で、孤独の中戦っていたのだ。




「……ずっと、待っていたんだ」

やがて幸雄は小さな声で語りだした。
口調は弱弱しかったが、先ほどのような途切れ途切れではない。
はっきりとした言葉をつづっていた。

「……父さんが家を出てからずっと待ってた。いつか帰ってくると思ってたんだ」

幸雄の脳裏に幼い日の辛い記憶がふっと蘇った。
毎日、日が沈むまで玄関の前で、塀を相手にキャッチボールをしながら父の帰りを待っていた日々のことを。


「でも帰ってこなかった。電話も手紙も無かった……」
成長するにしたがい、父はどこかで別の家庭を持って自分たちのことなど忘れていると思うようになっていた。
「オレたちのことを捨てたって思ったって当然だろ?父さんを憎んだよ!……でも」
でも違った。父が家を出たのは家族のためだった。
「……でも、父さんはその間ずっと一人で戦っていたんだ。
それなのに……オレは父さんを信じてやれなかった」
最後の言葉は涙声になっていた。

「父さんはオレたちを捨ててなんか無い。それなのに……」

川田はそっと幸雄の肩に手をおいた。
「もういい。後は七原に会ってから言ってやれ」
幸雄は立ち上がった。
「父さんを探しに行く」














『そうか、美恵は助かったのか。よかった』
通信機の向こう側から安心したように声が聞こえた。
徹はといえば、美恵と二人きり(と、いっても美恵は夢の中だが)の時間を邪魔されてかなりムスッとしている。
元はといえば、美恵の無事をきちんと連絡してやらなかった徹に非があるのだが。
徹は一方的に美恵が危険だと連絡して一方的に切ってそれっきり。
業を煮やした隼人のほうから連絡してきたというわけだ。
「助かったといっても安静にする必要はあるよ」
『だろうな。死に掛けた人間だ』
ところでと言って、隼人は二つの質問をした。


『三村たちはまだそっちには行ってないのか?攻介が後を追ったはずなんだが』
「来てないよ」
もっとも来たら即追い払ってやるけどね。
『晃司たちも今だに戻ってこない。美恵を探しにいったんだが、それらしい様子はないか?』
「まったく無いよ」
冗談じゃない。あの三人組こそお呼びじゃないよ。
『とにかく、合流できたらすぐに連絡してほしい』
「ああ、わかったよ。ああ、そうだ。ついでに言っておくことがある」
徹は川田たちのことを話した。こんなところまで駆けつけたやけに行動力のある父兄がいると。
通信機の向こう側にいる隼人たちはそれなりに驚いたようだ。




「どうする?」
『……なにがだ?』
「とぼけるなよ隼人。この島は軍のお偉方でさえ、その存在を知らない場所だ。
そんなところを一般の民間人にしられて黙ってはいそうですかなんていえるわけ無いだろう。
しかもだ。連中は『あの川田章吾』とそのお仲間達だぞ」
『…………』
「まったくオレも最初に名前を聞いたときは正直言って驚いたよ。
もっとも、あの時は美恵が死にかけていたからそれどころじゃなかったけどね。
どうするんだよ。まさか、このまま黙って見逃してやるってわけにもいかないだろ?」


『何が言いたい?』
「例の事件。まだ時効にもなってないんだ。プログラム脱走は政府に対する第三級反逆罪。
その罪人達が今この島に来ている。そのうちに戻ってくるだろうけど、片付けたほうがいいかい?
もっとも、あの時のプログラム運営は陸軍担当。海軍のオレにはそんなことする義務はないし」
『連中のことは後回しだ。今はそれどころじゃないからな。
しばらくは、向こうの正体に気付いてないふりをしてやれ』
「了解。でも、その後はどうするんだい?今行方不明の三村も、それに杉村や内海、相馬のことも。
連中、反逆者の子供だったんだ。ほかっておくわけにはいかないだろう?」
『今はほかっておけ。どうするかは後で決める』
「了解」
『いったん切るぞ。とにかくこまめに連絡しろ』




「……さてと」
徹は眠っている美恵の髪の毛をそっとなでた。
「まいったね。連中と桐山が鉢合わせしたら……」

全く、考えただけでおかしくなるよ。連中、どんなに驚くだろう。
なにしろ、あいつらは桐山の顔なんて二度と見たくないだろうからね。罪悪感ってやつがあるのなら。
第一、あいつらと桐山が接触したら陸軍の手先の晶にとっては厄介だろうな。
あのプログラムは陸軍担当だった。陸軍にとっては思い出したくも無い汚点。
そのうえ、陸軍は軍の中でも特に保守派。
桐山和雄の存在が一番許せないのがあそこだからな。
桐山に変化があったら晶は多分桐山を抹殺するだろう。


「オレにとっては都合がいいことだけどな」

美恵の寝顔をみて徹は心底そう思った。

(あいつは晃司に似すぎている。それが一番気に入らない。
美恵にとって男の基本は晃司だ。その晃司に似ている桐山に惹かれているとしてもおかしくない。
そんなことは絶対に許せない。誰だろうと、オレから彼女を奪うやつは例外なく邪魔者だ)




「!」
徹は立ち上がった。立ち上がりながら隠し持っていた銃を手にする。
(……いる)
外だ。間違いない気配を感じた。
(あの化け物か?それとも誰かが戻ってきたのか?)
複数ではない一人だ。では早乙女瞬が戻ってきたのか?
それとも単体の化け物がきたのか?
とにかく正体を確かめる必要がある。
徹は美恵をおこさないようにそっと立ち上がると部屋を出た。
そして廊下を数メートル歩き、外に通じる扉まできた。


(……いる。間違いない、すぐ外だ。このドアの前にいる)

一人だ。一体何者なんだ?
ドアのノブがガチャ……と回った。
そしてドアが開いた瞬間、徹は素早くドアの前にたち銃をかまえた。
ところが相手も徹同様素早い動きを見せた。
スッと身を屈めるとキラリと光るモノを取り出していた。
二人はお互いに相手の姿を確認した。しばらくにらみ合い、やがて徹が言葉をはいた。




「……そのナイフしまってくれないか?」
すると相手も言った。
「おまえこそ、その銃をさげてくれないか?」
徹は面白くなさそうに銃をさげた。それに反応するように相手もナイフを懐にしまった。
「……生きてたんだ」
「ああ天瀬はここにいるのか?」
「…………」
「いるのかな?」
「いるよ……だから、君には来て欲しくなかったな」
なんて皮肉な話なんだ。今一番会いたくないと思っていた男が来るなんて。
「そうか、いるのか」
「…………」


――桐山和雄だった。




【残り33人】




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