「父さん」
声でわかった。生まれたときからずっと聞いてきた声だ。
「大丈夫か貴弘?今すぐ引き上げてやるからな」
父の力強い腕が貴弘の身体を上げた。
今度ははっきりと父の顔が見えた。父の背後に立っていた美しい女性も。
貴弘が美しい女性と思っている女は世界中に二人しかいない。一人は天瀬美恵だ。
そして、もう一人は言うまでも無い。その、もう一人の女性がそこにいた。
「父さん……っ」
貴弘は崖の上に引き上げられると即座に動いた。
「貴弘!」
父は思わず両腕を伸ばした。おそらく息子を全身で受け止めようと思ったのだろう。

「母さんっ!!」
「え?」

しかし貴弘は父の真横を走りぬけていた。
そして母に駆け寄った。母はすぐに貴弘を痛いくらいに抱きしめた。




「貴弘、無事でよかった……っ」
「…………来てくれたんだな」
「当たり前じゃない……それより、どこも怪我はない?」
母はいったん貴弘を離すと全身を注意深く見た。背中にも手を回して怪我をしてないか調べている。
「母さん、大丈夫だよ」
貴弘は「それより母さんこそ大丈夫なのか?」と母の心配をした。
「あたしは平気よ。仮に死んだっておまえさえ無事ならそれでいいわ」
貴弘は母の愛をひしひしと感じた。本当に自分は愛されているんだ。
そう思うと、本当に(こんな異常な状況下においてさえ)幸せを感じるのだ。


「おまえがプログラムに選ばれたっていわれて、いてもたってもいられなくて来たのよ」
「……ありがとう母さん。やっぱり、あんたは世界一だよ」
「おまえこそ一人でよく頑張ったわね。顔……よく見せなさい」
母は貴弘の頬に両手を添えて微笑んだ。
小さかったのに、いつの間にか身長も母親である自分より高くなっている。

「いい男になったわね」
「当たり前だろ。あんたの息子なんだ」

本当ならもっと言いたいことはあるが、今はそんな場合じゃない。
「すぐに移動するわよ。安全な場所に移ったほうがいいわ」
「そうだな。いつまた変な生き物が出てくるかもしれない」
二人はさっさと歩き出した。
ちょっとはなれた場所で二人の光景を見ていた伊織は慌ててあとをおった。
少し歩くと貴弘は振り向いて言った。


「何してるんだ父さん。さっさと行くぞ」




Solitary Island―80―




「……どこに行ったんだ」
桐山はじっと川を見詰めていた。足跡を追ってきたが、その後がわからない。
「……まさか、この川に」
桐山は川岸に下りると、川沿いに歩き出した。
とにかく手掛かりだ。それを見つけなければ。桐山は先を急いだ。
「――あれは」
しかし、そこで意外な人物を発見した。


「早乙女」

早乙女瞬だった。こんな所で再会するとは。
しかし桐山はせっかく再会したクラスメイトに声をかけなかった。

(……どういうことだ?)

瞬から気配を全く感じない。完全に気配を消して移動しているのだ。
瞬にしてみれば、うっとおしいFシリーズにみつかっていちいち戦闘を繰り広げたくはないので気配を消していたのだろう。
しかし、それがかえって桐山に疑心を抱かせた。
気配を消すなんて芸当、普通の人間に出来るわけが無い。つまり、普通の人間じゃない。
桐山にそう気付かせてしまったのだ――。














「なるほど……そういうことか、まったくお人好しな美恵らしいな」
晶は心の底からあきれているようだ。
拓海はなんとかクラスメイトたちを先導して晶たちのいる例の場所に辿り着く事ができた。
途中、化け物に出会わなかったのは運がいいとしか言いようが無い。
「フン、で?こいつらどうするんだ晶?
はなっから戦う事を放棄した連中だ。オレは今さら一緒にやるつもりはないぞ」
勇二が悪態をつきだした。


「愚痴はよせ勇二」
隼人が勇二をたしなめ、勇二は面白くなさそうにそっぽを向いた。
なぜ美恵が突然あんな目に合ったのか。行方不明になった伊織たちを探して森の中で何かあったのだろう。
まあ何かとはFシリーズの襲撃以外は運の悪い事故くらいしかないが。
「早乙女も行方がわからないのか?」
ふいに隼人が質問した。
晃司がなぜか瞬の事を気にしているから隼人も気になったのだ。

「知らない。多分、山科たちのように森の中に逃げたんだと思う」














「早乙女瞬?」
志郎はまるで今日はじめて知った名前のように、疑問符付でその名を呼んだ。
「ああ、おまえたちはあいつを見てどう思う?」
今は美恵を探す事が唯一の最優先事項のはずだが、晃司がふいにその名をだした。
「早乙女がどうかしたのか?」
「……ああ、ちょっとな」
晃司は瞬の態度から何かを感じていた。それが何なのかはわからないが。
「あいつは一般人だ。晃司が気にする事はない」
志郎の結論は早かった。いや、何も考えてないといったほうがいいだろう。
「そうか。秀明、おまえはどう思う?」
晃司は秀明に意見を求めた。
「晃司、秀明に聞くまでもない。あいつは普通の民間人だ。
だから気にする必要はない。そうだろ秀明?」
志郎は秀明に同意を求めた。しかし秀明の意見は違った。


「あいつは本当の自分を意識的に押さえ込んでいる」


「秀明?」
志郎は不思議に秀明を見た。
「同じ症状の奴を以前に何回も見たことがある。普段見ている顔は偽者で、本物は通常姿を現さない。
本物が出現する条件は個人によって異なるから、どれが本物なのかわからないときもある」
「……多重人格か?」
「いや、似ているが違う……多重人格症は本人の意思で生まれるものじゃない。
だから自己の意識で他の人格をコントロールする事はおろか、他の人格が出現しているときは本人の意識すらない。
だが奴の場合はそれにはあてはまらないだろうな。以前に一度全く同じ奴を見たことがある」
「誰だ?」
「オレのドナーだ」
秀明は静かに語りだした。


「あいつは自己催眠で自分を押さえ込んでいた。
早乙女は、あいつと全く同じモノを感じるんだ。おそらく同じタイプの人間だろう」

「……そうか」














「隼人、おまえまで早乙女のことが気になるのか?」
「そういうおまえはどうなんだ晶?」

確かに晶も内心気になりだしてはいた。
しかし、晃司が気になったから今さら気になるだけで、転校してきてから一度も瞬の事を気にした事はない。
だから、どんな人間なのかは全然わからない。
いつも一人で、クラスの男子達が集まってわいわいにぎやかに会話している時もジッと窓の外を見ている。
まるで他人には全く興味がない。そんな感じ。
第一、晶も隼人も、このクラスに転校してきてまだ半年程度なのだ。
クラスの中でも目立たない瞬のことなどわかるわけがないだろう。


「おい、おまえたち」
晶は今しがた、この場所に到着したばかりの拓海たちに声を掛けた。
「なんだよ」
拓海が返事をした。
「おまえたちから見て早乙女瞬はどんな人間だ?」
拓海はキョトンとした。
「おまえたちはオレたちよりあいつと付き合いがずっと長いだろう。
だから、あいつのこと少しは知ってるんじゃないのか?」
拓海たちはお互いの顔を見合わせて突然の質問に少々途惑っているように見えた。


「……よくわからないなぁ」
拓海は曖昧な返事をした。
「オレは一年の時から同じクラスだけど……あいつとは挨拶もしたことはない。
そういえば一度もしゃべったこともないなぁ……」
拓海は少し考えて「安田、おまえも一年の時から同じクラスだったよな」と邦夫に言った。
邦夫は一年生の時もクラス委員長だった。
だから当然クラスメイト全員と多かれ少なかれ接触している。
しかし邦夫も「僕もあまり……用事がある時に声を掛けても二言三言返事をされただけで」と、曖昧な返事だ。
どうやらクラスの人間の誰も瞬と親しい人間はいないようだ。
いや親しいどころか瞬と会話したことさえないのではないのか?




「……そういえば」
と、ここで瞳が口を出してきた。
瞳をデンパな女と思っている晶は心の中で「おまえに聞いてないんだよ」と言っていたに違いない。
「早乙女くんって……凄く変わってるのよね」
変わってる?それは単に人付き合いが少ないという意味ではないようだ。
「どういう風に変わった人間なんだ?」
「去年の夏休みの終わった後なんだけど……」
瞳は語りだした。
「夏休みの宿題に、公共事業に関して論文を書く宿題があったの。
あたし、そういうの苦手で三日も徹夜してかいたのよ。だって公共事業なんてちんぷんかんぷんで……」
「おまえのことはいいから早く肝心な事を話せ」
「あ、ごめん。とにかく先生がその宿題を一人一人みんなの前で発表させたの。
早乙女くんもノートを持って論文を読んでたわ」
「それがどうした?」
「早乙女くんの論文って、すごくいい内容だったらしくて先生も感心してたの。
でも……早乙女くんが発表し終わって椅子に座って、そのノートを机の上においたんだけど……」
瞳は今思い出しても驚愕するというような表情でこういったのだ。


「そのノート真っ白だったの。何も書いてなかったのよ」
晶と隼人の目の色が変わった。
「何も書いてなかった?」
「うん。白紙状態よ。あたし、びっくりして授業が終わった後、早乙女くんに言ったの。
『さっきの論文何をみて言っていたの?』って。
そしたら、『あれは適当に思いついたことを言っただけだ』って。
嘘みたいでしょう?あたしが三日も徹夜したっていうのに論文を早乙女くんはその場で考えたんだって。
どうして、そんなことがすらっと考えつくのって聞いたら。『簡単だ。理由なんてない』って……凄いでしょう?
あんなに頭よかったら本気出せばテストの順位だってもっと上のはずよ」




「……そういえば」
今度は純平が口をだしてきた。
「……今思い起こせば、早乙女って何だか変な奴だったな。ほら、あの時だよ、あれ」
「なんだよ根岸あれって?」
「ほら吉田、学校で飼ってるウサギに子供が生まれたとき」

女の子というものは動物好きが多い。特にこのクラスは千秋をはじめそうだった。
ところが、ウサギというものは弱い生き物ですぐに死んでしまう場合が多々あるのだ。
生まれた子ウサギの中に特に貧弱なのが一匹いた。
そこで教室でつきっきりで面倒みていたのだが、それがどんどん弱ってついに死に掛けたことがあったのだ。
男子たちは口にこそださなかったが「もうダメだな」と思ったし、女子にいたってはすでに泣き出した者もいた。
だが幸いにもウサギは回復し元気になったのだ。
千秋たちは大喜びで中にはうれし泣きするものもいた。
それを見ていた男子達も「よかったな」と口々に言っていた。
純平はその時、ふと窓際を見た。窓際の席にいた瞬が不思議そうにこっちを見ている。
まるで理解出来ない、そんな表情で。純平は気になって瞬に声を掛けた。


「どうしたんだよ。何か気になる事があるのか?」
「……根岸」
「何だよ」
「あいつらはなぜ泣いてるんだ?」
「……はぁ?」
「……よく、わからないな」
それっきり瞬は何も言わなかった。




「……と、いうわけなんだよ。心ここにあらずって感じで」
隼人や晶のみならず、その場にいる特選兵士全員が(雅信は除外する)同じ事を考えた。
俊彦は隼人に小声で言った。

「おい隼人。どういことだよ」
「…………」
「それって……まるで晃司たちと同じ反応じゃないか」

そう、晃司たちは感情というものが希薄だ。だから他人の感情は理解できないことが多々ある。
Ⅹシリーズの身内である美恵は女ということもあって世間知らず程度だが、晃司たちは極端なくらい感情がない。
そういう人間は他にはいないと思っていた。
唯一の例外は桐山和雄くらいだろう。
ところが、もう一人いた。しかも、瞬はあえて目立たないようにしている。
頭脳だけでなく、おそらく身体能力もぬきんでいているのだろう。
それを故意に隠しているのだ。


「……一体、奴は何者なんだ?」














「洞窟か……」
七原は必死になって幸雄を探していた。
そして、やっと足跡を発見してそれをたどって洞窟を発見したのだ。
懐中電灯を取り出すと七原は奥に進んだ。思ったより中は広い。それに深い。
こんな所で灯りも無しに、もしも例の化け物に襲われたらひとたまりもないな。
七原はぞっとしながらも先を急いだ。
「幸雄!!」
ゆきぉ……洞窟の中で声が反響する。
「いないのか、幸雄!!」
反応は全く無い。これだけ反響するんだ、いれば気づくはず。

それとも、もっと奥にいるのか?
いや、それとも怪我でもして動けないのか?

七原はとにかく歩いた。




……ギィ……ギィ……。

「!」
この声!!七原は懐中電灯を消して赤外線スコープを取り出した。
おそらく例の化け物だ。七原は音を出さないように歩いた。
そして、ついに見つけた。二匹いる。二匹とも何かをくわえている。

(……なんだ?)

どうやら何かを引き裂いているようだ。

(何を引き裂いて……)




「!!」

瞬間、七原は一気に全身が凍りつくような感覚を覚えた。
そして確かめるために懐中電灯をつけた。
二匹がすぐにクルッと振り向いた。しかし、そんなことどうでもいい。
七原は見たのだ。二匹がくわえているモノ、それは……引き裂かれた学ランだった。
そして、二匹の足元には運動靴が片方落ちている。

何より……血痕が。


「うわぁぁぁー!!」


七原は狂ったように走っていた――。




【残り34人】




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