これでいい。これでオレは動きがとれる。
瞬はほくそ笑みながら時を待つことにした。焦る事はない。
オレはオレのペースで動けばいい。それから美恵を見た。まだ目覚めない。
もうすぐお別れだな――。
それでいい。そもそも、おまえと出会うつもりはなかった。
二年前、おまえが転校してくるまでは。
瞬は思い出していた。二年前初めて出会った日のことを。
あの時、表面は平静を装っていたが脈拍は乱れていた。
それすらも美恵は知らない――。
Solitary Island―77―
「惚れてるから、心配だから……そんな理由がつけば土足で踏み込んでもいいというこか?」
隼人は底冷えするような声で言った。
こんなに感情的になっている隼人をみたのは初めてだ。
俊彦と攻介はそう思っただろう。他の特撰兵士達も内心驚いていた。
ただ一人晶だけが予測していたのか落ち着いていた。
(あのバカが……どうやら隼人の触れたらいけないものに触れたようだな)
隼人の変わりように特撰兵士達は気付いたが他の者は気付いてなかった。
せいぜい、なんだか腹を立ててないか?その程度の感覚だったことだろう。
「ああ、そうだ。惚れた女なら当然だろう!!」
真一は怒鳴りつけた。
「おまえは赤の他人だ。美恵に対して何の権利もない」
「権利だと?あいつに惚れている以外に理由がいるのかよっ!!」
その瞬間、真一は目を見開いた。
隼人の腕が伸びたかと思うと、自分の右肩をつかまれ、そのまま壁に叩きつけられていたのだ。
「……おまえたちに何がわかる?」
『おまえたちに何がわかるっ!?』
その瞬間、隼人の脳裏には二度と思い出したくないものが浮んだ。
『同じように科学省に作られた人間なのにオレと奴等とでは扱いが全く違う!!
あいつらは芸術品。オレはあいつらの為に作られた実験動物でしかない!
生まれたときからモルモットだった。オレには他に方法がなかった……』
「……ひ、氷室?」
「おまえたちに美恵のことに口を出す権利はない」
『オレはどうしても美恵が欲しかった……たとえ、どんな手段を使ってでも』
(……美恵)
美恵……誰もおまえのことを自由にする権利はないはずだ。
もう二度とあんな目には合わせたくない。
オレはもう二度と……あんな、おまえを見たくない。
隼人の脳裏にはボロボロになった姿で秀明に抱きかかえられている美恵の姿が浮んでいた。
あの日、あの時の、あのシーンは一生忘れられない。
「ひ、氷室……?」
真一は隼人のことはあまり知らない。転校してきたときからほとんど口も聞いた事もない。
しかし、真一が知っている限り隼人はいつも沈着冷静で表情を崩したことは一度もない。
いくら昼間同じ教室にいるだけの人間なんてどこまでが真実の姿なのかわからない。
だが少なくても真一の目からみたら隼人は切れたりするような人間ではなかったはずだ。
「……それほど美恵の過去を知りたいのか?」
静かだが冷たい声だった。
「……と、当然だろ」
しかし真一も負けていない。
「だったら来い」
隼人は真一から手を離すと歩き出した。
ドアをあけ廊下を歩き階段をあがって、この施設に入った時と全く逆の経路を歩く。
真一は少し躊躇したがすぐについていった。そして海斗も。
「彼女とは何でもないんだ」
七原は必死に弁解した。もっとも、あまりにも必死になったせいか、いい訳にも見えるが。
「おい相馬、いい加減にしてくれよ」
まったく、相変わらずイジメ甲斐のある男ね。
これだからやめられないのよ。
光子はクスクス笑っていたが、そろそろ解放してあげることにした。
「千秋ちゃん……だったかしら?」
「は、はい」
千秋は心配そうに光子を見詰めている。
「安心してちょうだい。あたしはね、一流のものにしか興味がない女なの」
おい……それ、どういう意味だ?七原は心の中で叫んだ。
「あなたのお父さんに手を出すほど飢えてないし、第一お金も甲斐性もない男には手を出さない主義だから」
七原は納得できなかったに違いない。しかし、千秋はホッとしていた。
「千秋、このひとはおまえのクラスメイトのお母さんなんだよ」
「え?」
千秋は驚いたに違いない。なぜなら、どう見ても二十代半ばか後半くらいに見えないから。
それが自分の同級生の『母親』と来たものだ。
もしかして自分とそう変わらない年齢で出産したのだろうか?と思えるくらいに。
「相馬って……もしかして相馬洸くんのお母さんですか?」
本来なら改まって聞く必要もないだろう。冷静になって見てみると洸と本当によく似ているのだ。
洸のアイドルのように愛くるしい容姿は間違いなく、この女性から受け継がれた財産だろう。
「ええ、そうよ。うちの息子はどこにいるのかしら?」
「……相馬くんは」
そうだ。そういえば一緒だった。
でも、色々あって自分達が逃げ回ることに夢中で気がつけば洸は見ていない。
どこに行ったんだろう?
千秋が返答に困っているのを見て光子は「もしかして、あの子の死体でもみたの?」と、とんでもないことを言い出した。
千秋は慌てて「いえ、そんなことは!」とやや大きな声で言った。
その態度から光子は少なくても洸が生きている可能性はあると思った。
死んだところを見てないなら生きている可能性はある。
ただ、千秋は洸と一緒に行動していたわけではないので、その消息は知らないだけなのだと。
光子の考えは正しかった。
もっとも自分の息子がクラスメイトを裏切って痺れ薬を盛ったとまでは考えていないが。
「ところで千秋。幸雄はどうしたんだ?」
千秋はそこで幸雄のことを思い出した。そうだ、それが一番重要なことだった。
「お父さん、あたしゆっくんの叫び声聞いてきたのよ」
「ああ、オレもそうだ」
しかし幸雄の姿はどこにもない。死体がないということは生きている可能性は十分ある。
だが、どこにいるのか皆目見当がつかない。
そして、今は一刻を争う。今この時生きていたとしても数秒後には死んでいてもおかしくない。
この島はそういう島なのだ。七原はすぐに決断した。
「相馬、娘を頼む」
「お父さん?」
頼む?それがどういう意味なのか瞬時に理解した千秋は取り乱した。
「待って、お父さん一人で探しに行くの?」
「当たり前だ。おまえを連れて行くわけには行かないだろう」
せっかく会えたのに。今別れたら二度と会えないかもしれない。
かといって幸雄を見捨てるわけには行かない。
「お父さん、あたしも一緒に行くわ。連れて行って」
千秋は必死になって七原の袖を掴んで訴えた。
「ダメだ。安心しろ相馬はオレなんかよりずっと強い。大丈夫だ、すぐに幸雄を見つけて戻ってくる。約束するよ」
千秋は唇を噛み締めてポロポロと泣いた。
「……なんだって?」
「嘘だろ……美恵が」
真一と海斗は驚愕していた。特に美恵のことはわかっていたつもりの海斗は。
隼人は二人を連れ出して屋外に出た。
さらに三十メートルほどはなれた場所に連れ出し話したのだ。
美恵が軍の人間で、今の中学には社会勉強の一環として来ているだけ。
そして卒業したら、また社会から隔離された場所に戻らないといけないということを。
自分たちも軍の人間だということを明かした。しかし、あくまでもさわり程度だ。
美恵が科学省によって人工的に生み出され、生まれたときからずっと科学省の施設の中にいたこと。
自分達が軍の中でも特別な存在であることはふせた。それでも真一と海斗には十分衝撃だったらしい。
「わかったか。おまえたちと彼女とでは住む世界が違う。
遅かれ早かれ、美恵とは永遠に会えなくなる人間に過ぎないんだ。だから美恵のことは知ろうとするな」
普通の人間なら「わかったよ」と引き下がったかもしれない。
しかし二人は違った。
「おい待てよ。軍の人間しか関わっちゃいけないっていうのならオレは将来軍人になるんだぞ。
天瀬と全く違う世界の人間じゃないはずだ」
「そうだ。第一、軍の人間じゃなかったら美恵と関わる資格がないなんて、それはおまえの一方的な意見だろう。
美恵はオレのたった一人の親友だ。オレは美恵にどんな過去があったとしても受けいれるつもりだ」
「そうか。よく、わかった」
隼人は静かに言った。いつもの口調に戻っていた。
しかし、その目はまだ張り詰めたものを秘めている。
隼人は懐から拳銃を取り出した。そう拳銃だ。二人は反射的に身構えた。
隼人は無言のまま拳銃のシリンダーから弾を抜く。
いや、一発だけ残して再びセットするとシリンダーを回した。
そして、真一に向かって投げた。真一は咄嗟にそれを受け取った。
「な、なんだよ?」
「おまえは言ったな。美恵とは違う世界の人間じゃないと」
「ああ言った」
「だったら、その証拠を見せてみろ」
「証拠?」
「オレたちの世界は生きるか死にかだ。オレも他の連中も何度も生死の境界線を経験している。
その中でオレ達は生き抜いてきたんだ。単に運がいいだけじゃない。
オレ達が、その世界で生きていく人間だからだ。
おまえに、その覚悟と資格があるなら、オレに見せてみろ」
真一は隼人の意図がわからず困惑した。
「銃口を頭にあてて撃ってみろ。大したことじゃない、死ぬ確率は6分の1だ」
「……っ!!」
真一の表情が一瞬で凍った。
「……な、何を……何を言ってるんだっ!?」
海斗も同様に全身凍り付いている。
「おまえたちも名前くらい聞いた事があるだろう。ただのロシアンルーレットだ」
平然とこたえる隼人に真一も海斗も狼狽した。
「おまえ、何バカなこと言ってるんだ!!」
「そうだ、気がおかしくなったのか!?」
「出来ないのか?」
「あ、当たり前だろうっ!」
「そうか。わかった」
隼人は真一から拳銃を取り上げると何のためらいもなく、それを自分のこめかみにあてた。
「や、やめろっ!!」
そして引き金を引いた。
真一と海斗は一瞬心臓の鼓動が止まるのを感じた。
カチッと小さな音がしただけで隼人は無傷だった。
二人は言葉もなく呆然と隼人を見た。
ひきやがった。何のためらいもなく引き金を――。
「わかったか?」
隼人は「弾は四発目だ。暴発でもしない限り死ぬわけがない」と、再びシリンダーに弾を込め始めた。
「オレ達はいつもこの境界線にいた。運だけではとっくに死んでいる。
例え、最初の一発目は空でも二発目、三発目……必ず弾が飛んでいる。
撃たれたくなかったら、それを回避するだけの能力を身につけなければいけない。
オレの仲間なら、シリンダーの回転数を計算して何発目に弾が来るのかすぐにわかる」
「そんなことオレたちにわかるわけないだろうっ!!」
思わず叫んだ真一だが、叫んだ直後にハッとした。
「そうだ、おまえたちにはわかるわけがない。だからだ」
真一と海斗はまだショックが抜け切らないと言った表情だった。
それでも冷たいくらいに隼人の言葉は続く。
「だから、おまえたちと美恵は違う世界の人間なんだ。二度と、美恵の過去に触れようなんて考えるな」
それだけ言うと隼人は二人をおいてさっさと歩き出した。
言えるわけがない――。
あの事だけは絶対に。絶対にだ――。
隼人が戻ると、晶が「どうした、まるで二人を殺したって顔してるぞ」と声を掛けてきた。
「ああそうだな。一歩間違えたら殺していたかもしれないな」
それから隼人は雅信に視線を移すと「雅信、一度しか言わないからよく聞け」と囁くようにいった。
そして、次の瞬間雅信の頬に隼人の拳が入っていた。
雅信の体が飛んでいく。壁に激突して、そのまま床に落ちた。
「二度と、バカなことは口走るな」
隼人が建物の中に入った後も二人はその場にいた。
海斗は思い出していた。初めて美恵と出会った日のことを。
そして美恵が泣きながら自分に助けを求めてきたあの夜のことを。
(……美恵、おまえに何があったんだ?)
隼人は言った。自分と美恵は住む世界が違うと。
関わってはいけない、いや出来ない人間だと。
確かに自分は隼人とは全く違う。仮に美恵が苦しむわけを知っても何も出来ないかもしれない。
でも、自分は自分なりに全力で守ってきたつもりだった。
その時間を否定したくない。例え、どんなに辛い真実があろうとも。
海斗は走り出していた。
「寺沢、おい、どこに行くんだよ?」
慌てて真一があとを追いかけ、その肩を掴んで動きを止める。
「美恵のところに行く」
「なんだって?」
「あいつに直接聞く。あいつが言いたくないというならオレは忘れる。
でも、他の人間に言われて引き下がりたくはない。あいつはオレのたった一人の家族みたいなものだから」
「……寺沢」
真一はやや途惑ったが、「そうか、だったらオレも行く」といいだした。
「三村、おまえは戻れよ」
「何言ってるんだ。一人でこの島の中を歩くなんて自殺行為だぞ。
安心しろよ。こう見えてもオレはそこそこ頼りになる男だと思うぜ。ガキの時からおじさんに仕込まれているからな」
「そうか、サンキュー」
二人は、そのまま走り出していた。
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