幸雄は必死になって体をよじらせた。誰だかわからないが、随分きつく縛ったようだ。
とにかく何とかしないと……。
幸雄は必死になって動いた。コツンと何かにあたった。
どうやら岩のようだ。幸雄は何とか上体を起こすと、その岩に縛られた後ろ手をこすりつけた。
この手首を縛っているもの、多分ロープ(実際には蔓だったが)を岩にこすりつけ切ろうと思ったのだ。
カツンッ……遠くでかすかな音がした。
(……あの音は)
まさか……幸雄は血の気が引くのを感じた。
幸雄の嫌な予感を裏付けるかのように、ギィギィ、とおぞましい鳴き声が聞こえる。
(あ、あの化け物だ!!)
幸雄は必死になって蔓を岩にこすりつけた。
Solitary Island―75―
「美恵……しっかりしてくれ美恵」
徹は美恵の手を握り、必死に話しかけていた。
「あの時も君は死の淵から帰ってきたじゃないか……。今度も……帰ってきてくれ。オレの元に」
君が助かるならオレはなんでもする。君が喜ぶ事、望む事はなんでもするよ。
だから目を覚ましてくれ……頼む美恵。
徹は本当に心配そうに美恵の顔を覗き込んでいた。
その様子を見ていた川田は少々複雑だった。
(……あの様子からみて恋人同士というのも嘘とは思えんな。
まいったな……真一の奴、あの子に彼氏がいるなんて一言も言わなかったのに)
とにかく、今は彼女の回復を願ってやる。それだけだ。
それから川田は瞬にも声を掛けた。
「坊主。随分と献血してもらったんだ身体がだるいだろう?今のうちに休んでおけ。横になって寝たほうがいい」
「……オレはいい」
「おい、医者の言う事はきけ。でないと後で……」
「いいと言ってるだろう。オレは医者は大嫌いだ」
川田は目を丸くした。医者が嫌いだって?
歯医者ならわかるが、この年で医者嫌いなんて。
「医者も……科学者も大嫌いだ。オレにかまわないでくれ」
瞬はそれだけ言うと部屋の隅に移動し、その場に座り込んだ。
(……オレは何をやってるんだ)
チラッと美恵を見た。まだ顔色は悪い。助かるか助からないかは微妙だ。
(オレはどうしてこんな余計なマネをしたんだ?)
考えた。でも答えが出ない。それからⅩシリーズのことを考えた。
この女が死んだら、あの連中でも悲しむだろうか?
そう思ったとき答えがでた。
(ああ、そうか。オレはきっと、あの女はあいつらの前で殺さなければ意味が無いと思ったんだろう。
だから、今死なれては困る。それだけだ。それなら話はわかる)
それから、もう一度だけ美恵を見た。
(命拾いしたな。今度はそうはいかない。もっとも、おまえが今助かればの話だが)
「殺すっ!!」
最初の犠牲者は勇二だった。たまたま雅信の一番近くにいた。
単純な理由だが、雅信にとってはとにかく誰かに当たらなければ気がすまなかったんだろう。
もっとも殴られたほうはたまったものじゃない。
特に勇二は殴られたら黙っているような性格ではない。あっと言う間に感情が沸騰した。
「ふざけやがって、殺せるものなら殺してみろっ!!」
すぐに反撃に出た。こうなったらどっちかが死ぬまでとまらないだろう。
もちろん、止める人間がいなければの話だが。
「おいよせよ二人とも!!」
「そうだ、こんな時にケンカなんてしてる場合じゃないだろ!!」
攻介と俊彦が慌てて間にはいる。
もっとも、そのくらいでとまるような人間ではないが。
「……全く、少しは大人になれないのか、あいつらは」
晶は完全にあきれている。
「止めるぞ晶」
隼人が「オレは雅信を止める。おまえは勇二を止めれくれ」と言ってきた。
「全く、無駄な労力だ」
晶は文句を言ったが、それでも隼人の意見に賛成だったのだろう。
とにかく、隼人と晶が二人を抑えにかかったので、やっと二人は動きを止めた。
もっとも、二人に床に押さえつけられてぎゃあぎゃあと文句を言っているが。
「氷室隼人、はなせ!!」
「よく聞け雅信。今はそんなこと言っている暇はないんだ」
「うるさい!うるさい、うるさい!!おまえたちはいつもそうだ。いつもオレをのけ者にする。
あの時もそうだった!!美恵が連中に攫われたときもオレに知らせてくれなかった!!」
隼人が僅かに眉を寄せた。
俊彦と攻介は目を拡大させている。
「美恵があいつらに攫われて、あいつらに暴……」
「それ以上言うなっ!!」
隼人が怒鳴っていた。普段は物静かで温厚な隼人が。
「……それ以上言うな。でないと力づくで黙らせるぞ」
「…………」
雅信は隼人の怒り方から言ってはいけないことを言ってしまったということは理解できたらしい。
美恵のことは口にするべきじゃなかった。それだけは反省したようだ。
「……おい氷室」
真一だった。
「おい、何だよ……さっきの話」
「何でもない、こいつのたわ言だ」
反応したのは真一だけではなかった。
「たわ言って……どういうことだ、美恵が何だって言うんだ?」
海斗だった。美恵の名前が出た以上、たわ言では済まされない。
「おい、どういうことだよ氷室!!はっきり言えよ!!」
「そうだ、美恵がさらわれったってどういうことだ!!」
「……どうしよう」
千秋は途方にくれていた。必ず幸雄を助けて見せると決意したはずなのに、一人では何も出来ない。
今さらながら自分が無力な人間に過ぎないと思い知らされていた。
幸雄を助けるどころか、自分を守る自信すらない。とりあえず待ち合わせ場所まで来た。
「……これから、どうしよう」
もし、今あの化け物が出てきたら自分などひとたまりも無いだろう。
「桐山くんは、ゆっくん見つけてくれたかな?」
そうだ。徹には聞く暇もなかったけど、桐山がもしかしたら幸雄を見つけてくれたかもしれない。
桐山は強い。とにかく頼りになる。だから、きっと幸雄も大丈夫だ。
もちろん桐山に発見されればという大前提でだが。
ポン……何かが肩に触れた。
「……ひ」
千秋は思わず叫びそうになった。
その相手が口を抑え「叫ぶな。余計な敵をよぶだろう」と言わなければ。
「き、桐山くん……」
千秋はホッとした。
「良かった無事だったのね」
「天瀬はどうした?」
「あ、あの……途中で別れたの」
「別れた。どこでだ?」
「化け物に襲われて……この先に三つ又に分かれた道があって、そこで。
佐伯くんが追いかけたから大丈夫だと思うけど。ねえ桐山くん、ゆっくんのことだけど……」
千秋が話し終わらないうちに桐山は走っていた。
「き、桐山くん待って!!」
だが、桐山が止まるわけがない。あっと言う間に千秋の視界から遠ざかっていった。
千秋はぽつんと一人残された。
「……そ、そんな……桐山くん」
がさっ……背後の茂みから物音。振り向いた。何もいない。
ただの風だ。風で、葉っぱが落ちただけ。それでも千秋は怖くてたまらなかった。
今は建物の中に入って篭城しよう。中に入れば武器になるようなものが見つかるかもしれない。
何とか武器を見つけて……それから一人で幸雄を探すしかない。
千秋はそう決意した。
「……くそ、また行き止まりだ」
七原はすぐそばにあった木の幹を殴った。
「ちょっと、考えも無しに森の中に入ったの七原くんでしょ。
とにかく、冷静になって頂戴」
「これが冷静でいられるか!オレの息子が殺されるかもしれないんだぞ!!」
「そうね。七原くんの息子よ。あたしの息子じゃないわ」
光子は簡単に言ってのけた。
「はっきり言って七原くんの息子さんが殺されたってあたしは冷静さを失うほど衝撃受けたりしないわよ」
それは今の七原にとっては惨いくらいの言葉だった。
「だからこそ冷静になれるし、今の七原くんじゃあ息子さんを助けてやれないってこともわかるのよ。
少しは冷静になりなさいよ。助けてやれるものも助けてやれなくなるわ」
七原は悔しそうに唇を噛んだ。悔しいが本当に光子の言うとおりだった。
「まったく、しっかりしてよね。それでもプロだったの?」
「……一応」
「中学生の頃から全然成長して無いじゃない」
「…………」
「言い返せないでしょ?あたしのほうが正しいものね。
断っておくけど大事な人間死なせたくなかったら絶対に後悔しないくらい全力尽くしなさいよ。
でないと、あたしみたいに一生後悔することになるわよ」
「……相馬?」
あたしみたいに……だって?
それ、どういう意味だ?
「とにかく、回り道になるけど迂回するわよ」
七原は大人しく光子についていく事にした。
「……相馬」
「何?」
「……おまえ、オレたちと別れた後どういう生活してたんだ?」
「はなして聞かせるようなことなんて何もないわよ」
あの銃声は間違いなく母の銃だった。貴弘は海岸に向って走っていた。
途中で崖はあるし、大木が倒れて邪魔になってるし、と何度も迂回する羽目になってはいたが。
海岸にいけば母がいるはずだ。早くいって守ってやらなければ。
その時だった。傾斜を滑り降り一気に岩を飛び越えた貴弘の視界に大トカゲのような怪物が三匹ほど入ったのは。
ちくしょう。こんな時になんだって、よりによってこんな奴等に。
貴弘は占いなんて全く信じてないにもかかわらず、今日の運勢は大凶だと思った。
もちろん、連中が貴弘を見逃すはずがないだろう。
見ろよ、獲物を見つけて嬉しそうな顔している。
まったく、見れば見るほど醜い化け物たちだ。
とにかく、この化け物トカゲたちを倒さなければ先に進めない、ということか。
「……望むところだ」
たかがトカゲが大きくなっただけだ。オレの全力をもって倒してやる。それだけだ。
こんな下等生物相手に敗北しようものなら、オレは母さんに合わせる顔がない。
貴弘は学ランを脱いだ。
「さっさとかかって来い、醜いトカゲ野郎」
その言葉の意味がわかったのか、一匹が飛び掛ってきた。
「……こんなもので……勝てるかしら?」
千秋は建物の中に入り必死になって武器になりそうなものを集めた。
それこそカッターナイフのようなちゃちなものから、ほうきまで。とにかくあらゆるものだ。
その中から、とりあえず実用的なナイフを選び、ほうきの柄の先を削って鋭くした。
こんなもので何とかなるとは思えないけど無いよりマシ。
「……ゆっくん」
とにかく探しにいこう。きっとどこかで生きている。
生きているはずだ。千秋はそう信じていた。
正直言って怖いけど、幸雄を失う事のほうが怖い。
すぐに出掛けないと手遅れになるかもしれない。
だったら後悔しないように早目に行動を起こさないと。
千秋は一分ほど精神統一した。まだ手足がかすかに震えているけど大丈夫だ。
「待っててね、ゆっくん。今助けに……」
だが、千秋はギョッとなった。そして青ざめていった。
ドアノブ……ドアノブがゆっくりとだが確実に回っている。
自分は触れていない。つまり、外から誰かが回しているのだ。
千秋は反射的に後ずさりした。そしてドアが……開いた。
「……っ!!」
千秋はナイフを構えるも、思わずギュッと目を瞑った。
「……千秋?」
(……え?)
この声……聞き覚えのある声だった。
懐かしい声。ずっと以前毎日のように聞いた声。
でも、ある日突然聞けなくなった声。でも一度だって忘れた事はなかった。
「千秋……おまえ、千秋なのか?」
千秋は目を開けた。目の前、ほんの数メートル先に男がたっていた。
背後に綺麗な女の人がたっていたが、そんなことはどうでもいい。
千秋の目には、その男しか映っていなかった。
「……お、お父さん?」
――ある日、突然家族を捨てて蒸発した父が立っていた。
【残り34人】
BACK TOP NEXT