幸雄はもがいた。頭には何か布を袋状にしたものをかぶせられ、さらに両手は後ろ手で縛られ身動きできない。
千秋……千秋のところに戻ってやらないと。
いくらしっかりしているからと言っても、あいつは女の子なんだぞ!オレがそばにいてやらないとダメなんだ!
それにしても一体誰なんだ?オレにこんな酷い仕打ちをしたのは!!
そこまで考えて幸雄はギョッとなった。
その誰かが自分の髪の毛を鷲掴みにして持ち上げたのだ。
そして、喉に何かがスッと当たる感触。
冷や汗が流れた。なんだか嫌な予感がする。それもとてつもない嫌な予感が。
Solitary Island―71―
「だったらすぐに助けに行きましょう」
ルートは三つ。美恵の決断は早かった。
「私は内海さんと、このルートに行くわ。桐山くんたちは、それぞれこのルートに行って」
「何を言ってるんだ!!」
すかさず徹が反対してきた。
「オレは君を守る為に一緒にいるんだ。はっきり言うよ。内海が死のうが助かろうがオレには関係ない。
オレは100億人の内海より、たった一人の君のほうがずっと大事なんだ」
それは千秋を前にして、あまりにも残酷な言葉だった。
千秋は幸雄が殺されるかもしれないという恐怖と焦心で立っているのがやっとの状態なのに。
しかし徹にとって千秋はどうでもいい女なので千秋が傷つくことは、やはりどうでもいいことなのだ。
「そんなに私が大事なら……私のお願いきいてくれてもいいでしょう?」
徹は表情を曇らせた。
「今、内海くんを見捨てたら本当に殺されてしまうかもしれないわ。
それに、内海くんに危害を加えようとしているのはFシリーズじゃないのよ。
誰かはわからないけど、私達全員の敵だわ。そんな奴、ほかっておいていいの?
今、何とかして正体を突き止めないと遅かれ早かれ、私達もいずれ危害を受ける可能性があるのよ」
確かに内海幸雄が殺されることはどうでもいいが、この後自分や美恵に害が及ぶことは徹にとっても本意ではない。
「だが、もしFシリーズが出てきて君を襲ったらどうする?君は銃を吉田に渡してしまったんだろう?」
「大丈夫よ。いざとなったら逃げるから」
「……簡単に言ってくれるな」
徹は少し考え、そして懐から銃を取り出した。
「持ってろ。いいかい?何かあったら、すぐに逃げるんだよ」
「ええ、ありがとう」
徹は美恵の手を両手で握り締めた。
「それから君をこの世で一番愛しているのはオレだということも忘れないでほしい」
「…………」
こういう場合は「ありがとう」といったほうがいいのかしから?
でも、そんなこと言おうものなら徹はとことん図に乗る男だから。
「天瀬」
今度は桐山が口を出してきた。
「とにかく、この施設についたら中で待っていてくれないか?
外でうろうろしていたら、いつ例の化け物が襲ってくるかわらかない」
「わかったわ」
とにかく、4人は分かれることになった。
「……クソ、遅かったか……何てことだ」
川田はうなだれた。三村も呆然と海を見詰めている。
自分達が乗ってきた高速艇が遅速ながらも沖に向って走っている。
そして、はるか水平線の手前まで来たとき、それは起きた。
二人が見ている前で船が爆発。呆気なく海の藻屑と消えたのだ。
この島から脱出する唯一の手段だったのに!!
不幸中の幸いか、光子の指示により七原が武器と食料を運び出していた為、それは無事だった。
「……川田、どうする?」
「どうもクソもないだろう。脱出手段は後で考える。
とにかく、今は子供達をかき集めるんだ。こうしている間にも、襲われているかもしれないんだぞ」
それから川田は砂浜に置かれていた食料と武器を見て思った。
手付かずだ。奪われた形跡が無い。犯人は船だけ始末して早々と立ち去ったようだ。
自分達が来ることを予測してか?
とにかく今は七原の息子を何とか探さないと。
「……いないようね」
美恵は徹から渡された銃を握り千秋をともなって先を急いでいた。
とにかく一刻も早く幸雄を保護しないと何をされるかわからない。
「美恵さん、ごめんなさい」
ふいに千秋が小声で話しかけてきた。
「……こんなことに巻き込んで」
千秋は本当に済まなさそうだ。
自分の弟の為に危険な目にあわせているのだから当然といえば当然かもしれない。
先ほどの徹の冷酷すぎる言葉も千秋を追い詰めていた。
「何言ってるの?内海さんたちのせいじゃないわ」
美恵は複雑な表情で思わず千秋から目を背けた。
「……申し訳ないのは私のほうよ」
この島は科学省の作り上げた悪魔の島。科学省の人間である美恵は罪悪感でいっぱいになった。
すでに何人も死人が出ている。もしも幸雄が死んだら千秋がどれだけ悲しむか。
姉弟を失うことがどれだけ辛いことか。
もし晃司たちに何か会ったらと考えるだけで千秋の気持ちは容易に想像できる。
「とにかく急ぎましょう。内海くんを助けないと……」
その時だった。美恵の全身に鳥肌がたった。
(何、この気配は!!)
何もいない。それなのに気配はある。いや、だからこそ余計に恐怖を感じた。
「どうしたの天瀬さん?」
千秋が不審に思って尋ねてきた。しかし、その声も美恵には届かない。
(……いる。誰かが……いえ、何かが……)
美恵は銃を握っている手に全ての神経を集中させた。
「……内海さん」
静かで重い声。それが千秋の緊張感も高ぶらせる。
「いい?何かあったらすぐに走るのよ。絶対に後ろを振り向かないで」
「……何かって?」
「言わなくても、その時が来ればわかるわ」
その時だった。おぞましい気配が一気に殺気に変わった。
上だ!美恵は上をみた。木の上、何もいない……いや、何かがいる!!
微妙だが違和感を感じるのだ。
それが保護色で周囲に溶け込んでいる何かだと瞬時に気付いた。美恵は反射的に銃を向けた。
「内海さん、逃げてっ!!」
同時に発砲。千秋は「ひっ!」と声を詰まらせた。
今度は千秋にもわかった。その何かが飛び降りてきたから!!
もはや、保護色もクソもない。はっきりとわかる。
まるでカメレオンのように獲物を狙ってジッとしていた何か。その何かがついに狩りを始めたのだ。
飛び降り様に、美恵の手に蹴りを加えてきた。
銃が飛んでいく。そして敵の保護色が解かれ醜い生物が姿を現した。
「F3!!」
何てこと、何で、よりによって、こんな化け物と遭遇するのよ!
「早く、早く逃げるのよ内海さん!!」
普通の女の子なら、その場にうずくまるか、さもなくばさっさと逃げるだろう。
しかし千秋は幸か不幸か美恵が思っている以上に気が強い女だった。
「早く逃げて!!」
「いやぁぁー!!」
千秋は咄嗟に転がってきた銃を手にするとF3に銃口を向けた。
F3は純粋なハンター。攻撃を仕掛けるものを敵を認識する。
F3のターゲットは瞬時に美恵から千秋に変わった。
F3が千秋に向って走ってきた。その恐ろしい風貌に千秋は引き金を引くのも忘れる。
「内海さんっ!」
美恵は反射的に、千秋が手にした銃を蹴り上げた。銃がクルクルと空中を回転する。
武器が千秋からはなれたことでF3は本能的に一瞬だが千秋に対して攻撃を止めた。
「こっちよ、化け物!!」
そして自分を挑発する美恵に目を向けた。
「……早く逃げて」
千秋はガクガクと震えている。
「行くのよ!!」
千秋はハッとして走り出した。F3は逃げた千秋に視線を移す。
「こっちだって言ってるでしょう!!」
美恵はF3に向って小石を投げた。額に石があたったF3はジロッと美恵を睨んだ。
「…………」
ほんの数秒、静寂が辺りを支配した。
そして、その静寂を一気に破壊するかのように、F3が動いた。
美恵は逃げた。だがF3も追ってくる。
逃げなければ。武器も無く、こんな化け物と戦って勝てるわけがない。
逃げた、ひたすら逃げた。しかし、追ってくる。しつこい。
しつこい奴は嫌われるわよ!!
一気に森を抜けた。そして美恵は愕然とした。
崖だ。断崖絶壁。その下には激流が見えている。
これ以上は行けない。クルリと向きを変えた。
しかし、美恵の動きは止まった。F3が数メートル前に立っていたからだ。
F3が一歩歩く。美恵もつられるように後ろ向きで一歩下がった。
F3がまた一歩歩く。美恵も一歩さがった。しかし、これが限界だ。崖ギリギリ、その先に地面はない。
ガラっと音がして、小石が崖から落ちていく。
これ以上下がったら、自分もあの小石と同じ運命だ。
チラッと崖の下をみた。数十メートル先に激流。
飛び降りたら命はないだろう。しかし、このままでも命の保証は全く無い。
美恵は前を向いた。F3がまた一歩前に出て、じっくりと獲物を追い詰める。
猫がネズミを殺すように嬲り殺しにするつもりなのだろうか?
美恵は再び背後をみた。激流が轟々と音をたてて視界に映る。
(……万事休す……か。私も運がないわね。でも……)
でも思った。自分はもっと辛い悲惨なこともくぐり抜けたときがあった。
あの悲惨な事件のときも。
あの事件と比べたら、こんな化け物大したことない。自分の運命を信じてみよう。
辛い運命のもとに生まれたけど、今はそれしかない。
美恵は覚悟を決めた。そしてグッと拳を握り締め再びF3を見た。いや、睨んだ。
「……これで勝ったなんて思わないほうがいいわよ」
――美恵は一気に崖から飛んだ。
「……だ、誰だ、おまえ!!」
幸雄は必死になって叫んだ。相手の姿はみえないが確実に自分に危害を加えようとしている。
嫌なことに、それだけは、はっきりとわかった。
視界を遮られている幸雄にもわからないが、幸雄は洞窟の中にいた。
そして幸雄を拉致し暴行し、さらに今また危害を加えようとしている人物。
それは幸雄を何度も襲った化け物でない。同じクラスメイトの早乙女瞬だった。
瞬は七原を船からはなす為に幸雄を利用し計画通り船を破壊した。
もう幸雄には用はない。
幸雄の頭を持ち上げ、ナイフをすっと喉に当てた。後は一気に引くだけ。
殺しは初めてではない。簡単だ。
瞬はこの島についてからも何度も殺しをした。それは、この島にはびこっている化け物たちだ。
憎かった。科学省が作り上げた化け物が。
だから殺した後も死体を踏みつけ死者に鞭打つマネをした。
あるときなどF2の集団に襲われた。しかし、全員まとめて簡単にのしてやった。
(その戦いぶりを不和礼二に目撃された)
その戦いの最中だった。高尾晃司の気配に気付いたのは。
自分がこの島の化け物と互角以上に戦える人間だということを知られるのはやばい。
瞬はF2に止めをささなかった。当然のようにF2たちは逃げていった。
そして瞬は自分がF2に襲われていたという状況を作り上げる為に、わざと自分の腕を傷つけた。
その直後に晃司が現れた。上手くいったと思った。
だが、晃司はその傷を見せてみろと言った。傷跡を見せれば狂言がばれてしまう。
一発でわかってしまう。化け物の牙や爪ではなくナイフで傷つけたものだということを。
だからばれる前に生き証人である礼二を殺しておく必要があった。
しかし、無様にも礼二は捕虜となった。
特選兵士たちに囲まれている奴をこっそり殺すのは不可能。
だから別行動をとることにした。遅かれ早かれバレたらもう自由に動けない。
おそらく奴等に、特に自分を疑っている晃司によって自分も捕縛されるだろう。
だから、その前に単独行動に切り替えたのだ。
本当なら連中についていって上手く連中の裏をかいて破滅へ導いてやりたかった。
しかし、それはもう無理だ。今頃、不和礼二はおそらく自分のことを告げ口しているだろう。
(礼二は瞬のことはまだ口にしてないが)
ナイフを握り締めた手にグッと力が篭る。後は一気に引くだけ……あの時のように。
瞬が人間を殺すのは、これが二人目だった。
最初に殺したときも簡単だった。本当に呆気ないとしか言いようがない。
大量の血が流れビクッと何度も痙攣を起こしていたがすぐに動かなくなった。
そしてあっという間に冷たく硬くなった。
今度もそうだろう。本当に人間なんてもろいものだ。
瞬はただそう思った。幸雄に対して哀れみはない。罪悪感もなかった。
そういう人間に育てられたのだ。
その育ててくれた人間はこの世にはいない。
死んだ。いや、殺された。殺したのは……他ならぬ自分自身だった――。
「さよなら内海」
(……え?)
幸雄は一瞬、耳を疑った。知っている声。
しかし、たった一言だったせいか誰の声だかわからない。
だが確実に自分は殺されることだけはわかった。
しかし、喉にあてがわれたもの(幸雄には見えないがナイフだ)がはなされた。
そして自分の髪の毛を掴んでいる手も。
幸雄は地面にうつ伏せの姿勢で倒れこんだ。
何だ?何が起きた?
「内海か?」
別の人間の声だ。冷たくて低くないのに凛とした威厳のある声。
聞き覚えはある。しかし、誰だ?思い出せない。
「おまえが内海を攫った奴か。誰だ、おまえは?」
今度は誰かわかった。
「き、桐山?」
桐山和雄だ。
「おまえは誰だ?なぜ内海を攫った?」
洞窟の中だ、桐山にも瞬の顔は見えない。
瞬は黙っていた。声を出したら正体がわかるからだろう。
「聞こえなかったのかな?誰だと聞いているんだ」
しかし瞬は相変わらず黙っている。
「そうか、だったら……力ずくで聞き出すまでだ」
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