「なんだか蒸し暑いな」
真一は額の汗を手の甲でぬぐった。密閉された空間、嫌なものだ。
この島がどの位置にあるのかなんて見当もつかないが、爽やかな五月の気温じゃないことくらいはわかる。
何より、この島にきて得体の知れないものに襲われ、あまつさえ同級生の無残な遺体を見たことが真一の心を暗くしていた。
だが、真一の心にもっとも暗い影を落としていたのは謎の生物でも同級生の死でもない。
こんな状況だというのに自分が妙に冷めているということだった。
確かに衝撃は受けている。だが、まともな神経持ってる人間なら衝撃だけでは済まないだろう。
真一は思い知っていた。自分がショックに慣れているということに。

(全くオレほど可愛げのないガキはいないぜ。なあ、おじさん)

真一はよく頭に手を置いて「おまえはまだ尻の青いガキなんだから背伸びする必要はないぞ」と笑っていた川田を思い出しそう思った。


川田は真一のことをとても可愛がってくれていた。
だが決して猫かわいがりなどではない。むしろ厳しいものだった。
真一自身詳しい事情は知らないが川田は一度結婚して息子がいたらしい。
もっとも妻は子供を産んでしばらくした後死亡。
残された一人息子を男手一つで育てていたが、その子も幼くして死亡したとか。
川田医院の古株の患者によく「先生の息子さんが生きていたら、ちょうど真一くんくらいの年齢だなぁ」と言われたものだ。
その後は決って言われた。「先生は真一くんのことを本当の息子のように思ってるんだろうね」……と。
それが真一には嬉しかった。
真一はおよそ普通の中学生では持ち得ない知識の持ち主ではあったが、それを授けてくれたのも川田だった。
川田ならこんな異常事態でも的確な指示を出してくれただろう。
しかし川田はいない。自分で考え行動しなければ。


『いいか真一。人間なんて単純なものじゃない。
だが、深く考える余裕が無い時は自分の直感を信じろ。それが一番だ。
後で後悔しないためにな。おまえにはそれを見極める判断力があるはずだ』


ああ、わかってるよ、おじさん。そのオレの直感って奴が言ってるんだ。
あいつはほかっておくと危険だ。今のうちに何とかしろってな――。

ゴトッ……物音がする。真一は持っていたモップの柄を握り締めた。


ご登場かよ、醜い化けもの。大人しくつかまってもらうぜ。
それが嫌っていうんなら少々過激な目にあってもらう。こっちは命懸けでおまえとの対面はたしてやろうって言ってんだ。
だから――甘く見ないほうがいいぜ。




Solitary Island―64―




「……堀川は三村を見つけたかな?」
海斗は心配そうに何度もドアのほうをみた。しかし秀明も真一も一向に姿を現さない。

あれから何分過ぎた?

秀明が真一を探しに行ってから。いや、真一が一人であの化け物を追いかけてから。
三十分……四十分……いや、もっとたっているだろう。

あの化け物はどのくらいの強さだ?

あんな不気味な誕生の仕方をしたんだ。まともな生き物のわけがない。
真一は強い男だった。海斗はクラスの中では真一と仲が良かったので良く知っていた。
よくゲームセンターに遊びに行ったことがあるが、高校生の不良たちを数人まとめて片付けたこともあったくらい強かった。
でも、あの化け物だって高校生の不良レベルじゃないだろう。
いてもたってもいられなくなり、突然海斗は立ち上がった。


「もう我慢できない!オレは二人を探しに行くぞ!!」
「何言ってのさ?ここで待ってなよ」
「相馬!おまえ、二人が心配じゃないのかよ!?」
「何言ってるの?オレはハッキリ言ってこの世で一番大事なのは自分とママの命と財産だよ」

それが中学生のガキのいうセリフかよ?

「いいか、よく聞け相馬。二人が姿を消してから何分たつと思ってるんだ?
こうしている間にも二人に危険が……いや、もしかしたら二人はもう……」
「何?殺されたって事?」
「相馬、おまえっ!!」
海斗はこれ以上ないくらい声を荒げた。
「何?カチーンときた?でも寺沢だって、そう思ってんだろ?
声に出さないだけだろ?それとも何?もっと楽観的なことでも考えてた?」
「……もういい、オレは二人を探しに行く」
「やめときなよ。堀川が行ったんだ大丈夫だよ。もっとも堀川が見つける前にくたばってたら可哀想だけど。
でも殺される前に堀川が見つけてくれればまず大丈夫だよ」
「……なんだよ、それ。おまえ、なんでそんなに堀川のこと買ってるんだ?」
「あー、勘だよ勘」
「勘~?」

海斗は呆気に取られた。こんな時になんだよ、それ。

「オレっていざという時は勘頼りなんだ。これでも結構あたるんだよ。
例えば……堀川って普通じゃない、そう感じるんだ」
「……なんだよ、普通じゃないって」
「……何ていうのかな」
洸は少し考えるとポンと相鎚を打ち、そしてとんでもないことを言った。


「可哀想なのは化け物のほうかなって思えるんだ。堀川の方がずっと化け物だよ。そう感じるんだ」















ゴト……っ。現れたのはネズミだった。
緊張の糸が切れた。真一は大きく深呼吸すると「まったく、驚かせやがって……」と溜息をついた。
それから、疲れたのか、その場に座り込んだ。


……それにしても、何が起きてるんだ、この島で。
考えろ……整理するんだ。はじめから。もしかしたら、何かを見落としているんじゃないのか?
嵐の夜、偶然この船は流され、偶然この島に辿り着き、偶然化け物に襲われたのか?

真一は考えた。そして考えれば考えるほど恐ろしい答えに辿り着く。

……これは仕組まれたことだ。何者かによって。
オレ達は仕組まれてこの島に送り込まれたんだ。何の為に?
あの化け物は……人間の体からうまれた。……オレ達は、あの化け物の繭にされる為に送り込まれたのか?


「……クソ……ふざけやがって」


真一は笑っていた。それこそ大笑いしてやりたい気分だ。
島一つまるごと化け物で溢れさせるなんて誰にも出来ることじゃない。
国家クラスの力がなければ無理だ。


オレ達は国に生贄にされたんだ。あの醜い化け物の生贄に。
おじさん、聞いてくれよ。おじさん言ってたよな、この国は狂ってるって。
オレは何度も聞かされていたのに、聞いていたのに……わかってなかった。
この国がどれだけ狂ってるかなんてわかっていたつもりだったのに、本当は何もわかってなかったんだ。


「……ちくしょう」

あの化け物なのか?石黒たちを殺したのは……。
何匹いるんだ?まさか、とんでもなく大集団なんてオチじゃないだろうな?
だとしたらオレたちは勝てるのか?大人しく連中のエサか繭になるしかないっていうのかよ。


真一は頭を抱えた。それから美恵のことを思い出した。

「……無事……だよな」

大丈夫だ。彼女には(忌々しいことに)騎士が大勢いた。オレがそばにいなくても大丈夫だ。

その事実はホッとすると共に、真一の心に一抹の寂しさを感じさせた。
自分がいなくてもいいんだと、自ら認めてしまったのだから。




誰からも必要とされなかった真一にとっては、それを認めるのは辛い反面馴れてもいた。
幸せしか知らない人間は、不幸と直面するとどん底に落ちる。
だが不幸になれている人間は、さらに不幸に直面してもそれほど動じない。
とにかく、こんな所でつまらないことを考えいる暇はない。

何とか脱出するんだ。薄汚い政府の思い通りになってたまるか。そうだろ、おじさん?

真一は立ち上がった。とにかく、あの化け物を探すんだ。
「……っ!」
真一は一瞬立ちすくみそうになった……いる、すぐ背後だ。
振り向けば奴は振り向ききらない前に飛び掛ってくるだろう。

とりあえず前進するか?いや……一歩でも動いたら、こっちの負けだ。

汗が額から頬にかけてツツー……と伝わった。




「ギシャァァァー!」
相手のほうが短気だった。大抵の人間なら反射的に振り向いただろう。
しかし真一は違った。反射的に身体を沈めたのだ。
頭上を化け物が飛んでいき、前方の壁に張り付いた。
真一はライトを照らし、自分の目を疑った。

(……でかくなっている!!)

コレを最後に見たのはいつだ?そうだ、ほんの一時間ほど前だ。

大きさが違う!バカな、成長期にしても度が過ぎているだろう!!

そんな真一の都合を無視して、そいつはまたしても飛び掛ってきた。
とっさに持っていたモップの柄を奴の脳天目掛けて振り落とした。
しかし、その化け物は柄の先端に食いついた。バリバリと物凄い音をたて、柄が真っ二つに割れた。

噛み付かれたヤバイ!骨まで砕かれる!!
だったら逃げるか?いや、おそらくこの暗闇の中逃げるのは不可能だ!!
だったら、戦うしかないだろ、でもどうやって!?そんなこと知るか、でもやるしかない!!

真一は柄を握り締めると、その砕けた先端で化け物を突き刺した。

「ギエェェー!!」

はっ!化け物でも痛感はあるのかよっ!!




「……な、何だと!?」
しかし、真一はギョッとした。化け物の傷口から何か流れたのだ。
赤くはないが血液だと思った。それが床に落ちた途端、ジュッと音と煙を出したのだ。

(硫酸、まさか!!?)

そんなこと調べてみないとわからなが床に小さいが穴が空いている。

冗談じゃない!あんな酸の血液に触れたらどうなる?!
考えるまでもないさ。この色男が台無しにされるっ!!


真一はクルッと向きを変えると走り出した。
叫び声をあげていた化け物も真一が猛ダッシュを切ると、一気に走り出していた。
前方を見ていた真一の目にとんでもないものが飛び込んできた。廊下の角から黒いものが飛び出してきたのだ。
「クソっ!もう一匹ご登場かよっ!!」

挟みうちとはご大層なことやってくれるじゃないか!!

しかも、その一匹は歯をむき出しにすると真一目掛けて走ってきた。
「ふざけんじゃねえよっ!!」
真一は飛んでいた。反射神経というやつが咄嗟に反応したのだろう。
そして、前方からきた化け物の頭に片足をワンバウンドさせ、化け物の向こう側にさらに飛んでいた。
直後、後方から追いかけてきた奴と化け物同士正面衝突だ。




タン……っ、かすかな音だけで真一は床に着地。
しかし華麗に飛び降りて優雅に後ろを振り返る暇なんてない。
真一はすぐに走っていた。後方では化け物同士が「ギィギィッ!!」と何か叫んでいる。

はんっ!お互い文句でも言い合ってるのかよっ!!
だったら、それでもいいぜ。せいぜい仲間割れしててくれっ!!

だが真一の望みは五秒も持たなかった。
二匹とも真一が逃げる姿を見るなり、正気に戻ったのか、またしても猛然と追いかけてきた。
廊下の角を曲がった真一の目に部屋が飛び込んできた。すぐにその部屋に飛び込む。
間髪いれずに二匹が廊下の角を曲がった。二匹は部屋の奥の真一の姿がを見た。
動物って奴は本能が強い。この化け物たちも例外ではなかった。
真一をエサと思ったのか。それとも単にテリトリーを荒らす無礼な侵入者と思ったのか。
それはわからないが、真一の姿を確認した途端、突進してきたのだ。


だが、二匹が激突した相手は真一ではない。
等身大の鏡。それに映った真一を襲ったのだ。
そしてドアの影にいた真一は即座に外にでるとドアを閉めた。
ほぼ同時にドアが内側から膨れ上がりだした。化け物たちがぶつかっているのだ。
外に出ようとしている。このドアが壊されるのも時間の問題だ。
真一はすぐに走りだした。口惜しいがオレ一人でどうにかなる相手じゃない。

言い訳するつもりも無いが、丸腰で勝てるような可愛い連中じゃない!!














「……堀川が化け物?」
海斗はその言葉にショックを隠せない様子だ。
「なんだ、そんなにショック?」
洸はニヤッと笑うと、お手製爆弾を袋につめながらさらに言った。
「オレもさぁ、はっきりいうと善良な一般市民じゃないんだ」
「……そ、相馬?」
「ごめんねー、今まで騙しててさ。
オレのこと、優しくて親切で裏表のない普通の人間だと思ってるクラスメイトを騙すのは心苦しかったよ」
それから洸は「あ、でも今は一応善良な一般市民だよ」と付け加えた。


「たださぁ、生まれ持って育んだものってなかなか消せないんだよね。
だから、堀川も一目みて思ったんだ。こいつはまともな人間じゃないって」
海斗は何も言えず考えた。が、答えは出ない。色々なことがありすぎて頭の中がこんがらがっている。
混乱している海斗に洸はさらに衝撃的なことを言った。


「寺沢ってさ。二人の心配ばかりしてるけど、そろそろ自分の心配したほうがいいよ」
「……自分の心配?」
「まいったなー、堀川がいるからさぁ、オレは戦う必要ないって思ってたんだけど」
「どういうことだよ?」
「はーあ……オレってめんどくさがりだから自分で動くのは嫌だったんだけどなぁ……」
「おい、どういうことだよ!!」
「あんまり興奮しないでよ」
洸は少し屈むとズボンの裾を上げた。瞬間、海斗の瞳が一気に拡大した。




「……じゅ……銃!?」
アクション映画でヒーローがズボンの中に隠し持っているアレだ。
でも、洸はもちろんアクション映画のヒーローなんかじゃない。
ただの(もっとも、少々他の一般生徒よりはずれているが)中学生のはずだ。

「オレのママがさぁ……」

洸は銃を手にするとチラッとドアのほうをみた。
その目つきは、今までふざけていたものではない。

「ママが口癖にように言ってたんだ。備えあれば憂い無しって。
ほらプログラムなんて最悪なゲームもあるだろ?いつそんなものに巻き込まれるかわからないからって」
海斗は呆然としていた。信じられない、そんな目で。
「……そ……うま?」

そうだろ?何でこいつがそんなもの持っている?

「だから持ってろって渡してくれたんだ」

洸はスッと銃をドアのほうに向けた。同時に銃声が轟く。
海斗の目の前で何かが飛び散った。
おそらく頭を吹っ飛ばされたのだろう。相手は断末魔の声も上げることなく肉塊と化した。


「もしもプログラムに選ばれたらゲームに乗ろうが乗るまいがこれをつかえ。
いざとなったら邪魔な人間皆殺しにしてでも生きて帰ろって。
それがオレのママがオレに教えてくれたことだ。こんな形で使うことになるとは思わなかったけどね」














ちくしょう!もう壊されたのかよっ!!

真一は走った。ただ走った。口惜しいが、それが今出来る精一杯の戦いだ。
その真一の前にまた影が一つ。真一は心の中で叫んだ。

もう一匹いたのか!!

しかし、それは違った。そいつは真一ではなく、背後に迫りつつある二匹の化け物をみていた。
そして走ったかと思うと飛んだ。真一を一気に飛び越えたのだ。
すれ違った瞬間、そいつが誰かはっきりわかった。真一は叫んでいた。

「堀川っ!!」

そう秀明だ。そう思った瞬間、秀明の蹴りが化け物の顔面に食い込んでいた。
化け物は背後に吹っ飛んでいる。
すかさず秀明は、スッと何かを取り出すと、もう一匹の喉元に突きつけた。


「悪く思うなよ」


化け物が銃弾によってばらばらになって飛び散った。
そして、その肉片が床や壁にばら撒かれジュッと嫌な音をだし床や壁を寝食しだした。
仲間の死を目の当たりにしたもう一匹が怒り狂ったように秀明目掛けて突進してきた。
真一は信じられないという目で見ていた。
化け物が秀明にぶつかる寸前に、秀明がその場から瞬間移動のように動き化け物の背後に回っていた。
そして背後から化け物の首に腕を回すと、まるでねじ切るように一気に頭を半回転させた。


「Adios(さよならだ)」

ボキッと嫌な音がして、その化け物は動かなくなった。
180度近く首が回転したまま。

「……ほ、堀川……」
「探したぞ三村」
「……お、おまえ……一体何なんだ?」


「さあな。オレにもわからない」




【残り34人】




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