それは悪意も何もないただの質問だっただろう。
そう何の他意もない他愛のない質問のはずだった。
だが、時として何気ない言葉が相手の感情を激しく揺さぶることがある。
この時の瞬がまさにそれだったことに晃司は全く気付いてなかった。
(……会ったかだと?……おまえは、いやおまえ達は何もわかっていない……。
公に存在を消された人間がどういうものなのか……。
科学省に芸術品と褒め称えられた貴様にオレの気持ちがわかってたまるか!!)
オレは必ず貴様らを地獄に送ってやる!!
貴様も、堀川秀明も、速水志郎も……そして天瀬美恵もだ!!
Solitary Island―60―
「大丈夫か二人とも」
瞬は二人のロープを外しながら心配そうに話しかけた。
「ああ、オレはいい。それより内海を、オレより長時間にわたって監禁されていたんだ」
「あたしは大丈夫よ。バレーで鍛えたんだもの。やわじゃないわ」
「そうかよかった」
「それより、近くに鬼頭がいるはずだ。探さないと」
「ああ、そうだな。それから……」
瞬はチラッと部屋の隅に目をやった。
礼二が置き去りにした二人の女生徒がロープで縛られ口惜しそうに座っている。
「ちくしょう!!あたしたちをどうするつもりよ!!」
元々、気が強いとは言え美和は学校では洗練された美少女という肩書きの持ち主だった。
しかし、この屈辱的な状況に、その肩書きも忘れ汚い言葉を連発している。
千鶴子は美和とは対照的に、ただ口惜しそうに唇を噛んでジッとしていた。
「あの男はどこに逃げた?おまえたちなら心当たりがあるだろう?」
晃司が尋ねると美和はさらに音量を拡大させて叫んだ。
「誰が言うか!!礼二はきっと、おまえたちに復讐するわよ!!」
それから「あたしを助ける為にね!!」とも言った。
「それはないな。それなら最初から、おまえを連れて逃げただろう、違うか?」
晃司の言い分はもっともだったが、あの不実な男をそれでも信じている美和にとっては随分残酷な言葉だっただろう。
「とにかく奴を捕獲する」
「高尾、鬼頭は?」
「どうでもいい」
(……フン、全くどいつもこいつも母さんや天瀬に比べると価値すらない)
美恵はどうしているだろうか?こんな時だ、そばにいて守ってやりたかった。
男っていうものは惚れた女はどんなことがあってもそばにいて守ってやるものだ。
それなのに自分は惚れていないどころか、嫌悪感すら感じる女と二人っきりで、危険な森の中を歩いている。
まったくもって、冗談じゃない。
「……!」
その時だった。何か聞こえた。
「とまれ村瀬。前方に何かいる」
「え!!」
菜摘は大袈裟なくらい反応した。
「ど、どうしよう杉村くん!あたし怖い!!」
「静かにしろ相手に気付かれるだろう。それともオレが静にさせてやろうか?」
そのとげのある言い方に、菜摘はすぐに口を閉じた。
(……誰だ、例の殺人鬼か?)
だったら都合がいい。ここでしとめてやれば済むことだ。
幸い銃も持っている。さらに貴弘は母に物心付いた時から射撃場で銃の扱い方を教わったのだ。
もっとも父は『おい貴弘は子供だぞ。そんな物騒なもの教えるなよ』と反対していた。
が、妻の『何言ってるの?こんな国、いつ何が起きるかわからないわ。
その万が一の場合を想定して貴弘には十分な教育をしてやるのが親の務め じゃない』との一言で黙ってしまったのだ。
菜摘はクラスメイトを襲い続ける悪魔に運悪く遭遇しないように神に祈っていたが、貴弘は反対に見つけることを祈っていた。
どうやら神は貴弘の願いを優先させてくれたようだ。
「……あの茂みの向こうか」
菜摘が「ひっ」と小さくうめいた。ギッと貴弘が睨むと慌てて口を両手で塞ぐ。
銃を握り締めると貴弘は一気に走っていた。
中学一年の頃、校内の陸上競技大会で陸上部エースの三年生(県大会三位)を五メートルも引き離してゴールしたことがある。
その時より、ずっと洗練されたスピードのある走りだった。
この身体能力も、もちろん母親からの遺伝だ。
そして、一気に茂みを飛び越え一回転するとスッと銃を向けた。
だが貴弘が銃を向けると同時に「動くな!!」と相手が警告してきた。
しまった、貴弘はそう思ったことだろう。その声が聞き覚えのある声でなかったら。
銃口がいくつも自分に向けられている。が、そのどれもがゆっくりと静に降ろされていった。
「なんだ杉村だったのか」
「いきなり飛び込んでくるから敵かと思ったぜ」
貴弘は立ち上がると「それはこっちのセリフだ」といった。
そして一人一人見渡した。みたことのない人間が二人いる。
もっとも、一人は気絶しているが。
「誰だ、そいつらは?」
「天瀬を森の中で襲った男と、その仲間だ」
途端に貴弘の目の色が変わった。
「そうか、だったらオレの全力をもって片付けてやる」
そう、貴弘が敵と思い始末しようとした相手は桐山たちだったのだ。
咄嗟に美恵が貴弘の前にでる。
「待って杉村くん、彼は……柿沼くんは今は私たちの仲間なのよ」
「仲間だと?」
「ええ、そうよ」
仲間?いまいち信用できないな。オレは他人なんて簡単に信用しないが美恵は信用しているようだ。
「みんなで協力して、この島から脱出しないと」
「……そうだな。それが一番だ」
それから貴弘はスッと手を差し出す。
「天瀬、安心しろ。おまえのことはオレが全力で守ってやる」
「……ありがとう」
と、いうべきなのかしら、この際?
「それは必要ない」
「なんだと?」
桐山が二人の邪魔をするように間に割って入っていた。
「オレが守る。だから、おまえは必要ないんだ。理解してくれるかな?」
「……まだか、まだか」
遅い!クソ、やっぱりオレも一緒に行くべきだった。
海斗は腕時計を見た。時間は思ったよりすぎてはいない。まだ7分を回ったところだ。
だが、もしもあの化け物に襲われたら、あの世に旅立つには十分な時間に思える。
「……やっぱり追いかけよう」
秀明や洸には置手紙をしておけばいい。
その時だった。「遅くなったな」と声がしたのは。
「堀川!よかった無事だったんだな!!」
「当然だ。それより……」
秀明はチラッと辺りを見渡した。当然だが真一の姿がない。
「寺沢、三村はどうした?」
「もしかしてトイレかな?」
洸が面白そうに笑みさえ浮かべてそういった。
それどころじゃあないだろう!
「聞いてくれ!!あ、あの死体が……」
ところが秀明は話を無視してスタスタと例の死体に近づいた。胸に内側から開いた傷のある死体に。
「……この冷凍室にしまっておけといったはずだぞ」
確かに秀明はしまっておけと言った。
でも、まさか、あんなホラー小説みたいなことが起きるなんておもわなかったんだ。
「なんなんだよ、あいつは一体。いきなり死体から飛び出してきたんだぞ」
「おまえが知る必要はない。この冷凍室から出したから冬眠状態だった奴が覚醒したんだ」
「え?」
じゃあ……じゃあ、オレたちのせいだったいうのかよ?
「三村は……奴を追いかけたんだ!!」
「そうか、はっきり言っておく。危ないぞ」
はっきり言われなくてもわかるさ、やばいことくらいは。
秀明は無言のまま、持っていた荷物をテーブルの上においた。
「何だよ、これ?」
「ああ、集めてきたんだ」
「集めたたって……防虫剤にコーンシロップ、アンモニア?こんなもの何に使うんだよ」
海斗の疑問に秀明が答えるより先に明るい声が耳に届いた。
「爆弾作るんだろ?ニトログリセリンベースの」
洸は面白そうにテーブルに頬杖しながら、ニッと笑った。
「作り方知っているのか?」
驚きを隠せないでいる海斗とは反対に秀明は淡々と質問した。
「ああ知ってるよ。子供の頃教えてもらったんだ」
「そうか、だったらおまえは寺沢と作っていてくれ」
「うん、いいよ」
「お、おい。待ってくれよ……ば、爆弾って?」
「いいからいいから♪」
材料を手にすると洸は「ほら一回しか教えないからよく見ててよ」と手馴れた手つきで即席の爆弾を作り出した。
「どう?こんな感じで?」
「いいだろう。後はまかせる、オレは三村を探してくる」
海斗はまだ唖然としていた。
この二人何なんだ?中学生の会話じゃないぞ。
「三村は奴を追いかけたんだろう?どこに行った?」
そこで海斗は我に返った。そうだ、真一を助けてやら無いと。
「あ、ああ……来てくれ。こっちだ」
秀明を案内しながら海斗はますます不安になってきた。
この秀明は一体どういう男なんだ?
美恵と恋人以上の関係だと?こんな……どう考えても普通じゃない男が。
美恵……おまえ、今どこにいるんだ?無事なのか?大丈夫なのか?
……泣いていないか?
おまえが強い女だってことはわかってる。そして、おまえが何かに酷く傷ついたことがあるということも。
もう、おまえを泣かせたくない。
こんな……こんな危険な男がそばにいたら……オレは心配でたまらないんだ。
「……我が科学省が誇るⅩシリーズ……」
科学省長官・宇佐美は書類に目を通しながらふと昔を思い出していた。
「この完璧な人間兵器たちを生み出すに何度試行錯誤を繰り返したことか……」
宇佐美は書類をめくった。
――Ⅹ1誕生……死産。その遺体は遺伝子研究所行き。
――Ⅹ2完全失敗……予定日を過ぎても陣痛が始まらず、検査により体内で死亡確認。
――Ⅹ3誕生……無事に誕生。だが二週間後突然死。原因は不明。
あの頃は本当に科学省にとっては思い出したくもない時期だった。
完璧な態勢のはずだった。何度も人工授精や代理出産の研究を重ね、実験も繰り返し行った。
万全の態勢を整えたはずだった。
それでも出産というものは科学では計り知れない神秘の力が働くのか、待ち望んだ子供達は失敗が続いた。
そんな時だった。堀川秀明が誕生したのは。
――Ⅹ4誕生……完璧な健康児。あらゆる面で欠点はない。全ての検査をクリア。
備考欄には担当した堀川博士の『やった。私が選んだ配合の結晶がやっと実を結んだのだ』との一言が付け加えられていた。
その一ヵ月後、さらに科学省は欣喜雀躍した。
――Ⅹ5誕生……Ⅹ4同様、完璧な健康児。あらゆる検査をクリア。
Ⅹ4と同じ小児棟の特別室に移し、特別態勢のなかで育てることにする。
二人、立て続けに成功した。やがて二人の名前も決まった。
Ⅹ4には担当博士が自らの苗字を取って『堀川秀明』と名づけた。
何事にも秀でた人間になるように――そんな願いが込められているのか?
いや、この場合は秀でた人間兵器になるようにだろう。
そして潜在能力が凄まじかったⅩ5には『高尾晃司』の名がつけられてた。
その名に、当時の科学省の幹部は皆驚愕していた。
かつて、科学省が生み出した軍最強の男の名前、それが『高尾晃司』だったからだ。
それは、Ⅹ5の能力もさることながら、二度と『高尾晃司』の過ちを繰り返さないという科学省の決意の表れでもあった。
とにかく、二人連続して成功したⅩシリーズだが次が最悪だった――。
――Ⅹ6誕生……失敗。即日処分との決定が下る。
書類にはそれだけ記載されていた。
(……あれから、もう14年か)
宇佐美はタバコを灰皿に押し付けると、あの日のことを思い出していた。
――14年前――
「どういうことだ宇佐美!Ⅹ6を処分するだと!?」
当時、宇佐美はまだ科学省の長官ではなく、部長クラスに過ぎなかった。
当時の長官は後数年で定年退職が決まっており、幹部の間では時期長官の椅子をめぐり熾烈な内部抗争がくりひろげっれていたのだ。
宇佐美はもちろん長官の椅子を狙っていた。そしてⅩ4、Ⅹ5の担当博士は宇佐美の息がかかった人間だった。
Ⅹ4とⅩ5の成功は宇佐美の長官への距離を確実に縮めていた。
反対にこの博士(宇佐美とは犬猿の仲で、やはり長官の椅子を狙っていた)が担当していたⅩ6は失敗。
それがどういうことなのか一目瞭然。
「どういうこともないでしょう博士。Ⅹ6は虚弱体質で体格もあまりよくない。
Ⅹシリーズは完璧でなければならないはずです。私が作り上げたⅩ4やⅩ5のように。
このような出来損ないはⅩシリーズの歴史の汚点でしかない。
存在が公になる前に、さっさと処分する。妥当な判断でしょう。第一、虚弱児がまともな兵士に育つとは思えません」
「何をいう!この程度、生まれたての赤ん坊にはよくいるだろう!!
貴様の魂胆はわかっているぞ!Ⅹ6に失敗作の烙印を押し、わしもろとも科学省から追い出すつもりだな!!」
「わかってないようですな博士……」
宇佐美は笑った。とても冷たい笑顔だった。
「Ⅹ6を追い出したりはしません。すぐに安楽死処分にします。
こんな出来損ないを外に出したりしたら科学省の対面にかかわる」
「ふざけるな!わしが気付いていないと思っていたのか!?貴様がⅩ6を亡き者にしたがっていたのはわかっているぞ!!
Ⅹ6の代理母を階段から突き落として流産させようとしたのも貴様だ!!」
「人聞きの悪い……あれは代理母が勝手に階段から転げ落ちただけです」
「それだけじゃない!あやしげなクスリを代理母に注射して二ヶ月も出産を早めおって!!」
「ますます人聞きの悪い……偶然、彼女が産気づくのが予定より早かっただけでしょう。
博士は自分に都合が悪いことが起きると、すぐ私の仕業にしたがるクセがおありのようで」
「とにかくⅩ6はわしが……遺伝子学の第一人者であるわしが配合を決めた児じゃ!!
処分するなど絶対に許さん!!この子は間違いなく最強の兵士になれる!!」
「まだわからないのですか博士?」
宇佐美は今度は疎ましい表情を浮かべた。
「……出来損ないにかける費用は科学省にはないんですよ。
ⅩシリーズはまだⅩ7、Ⅹ8と期待の子供達が控えている。
こんな出来損ないに我々は期待してません。即刻処分させていただきます。
もちろん博士……こんな出来損ないを作ってしまった以上、あなたもこれまでですな」
「宇佐美っ!貴様、殺してやるっ!!」
(……あれから14年か……)
……Ⅹ6……まさか、こんなことになろうとは。
バラっと書類が床に落ちた。宇佐美は慌てて書類を拾う。書類には顔写真が貼り付けられていた。
(……天瀬美恵……か)
思えば自分は利用できるものは全て利用してきた……。
「……思えば科学省最大の失敗はファーストの裏切りだった。
二番目はこいつの誕生だと思っていたが利用価値があってよかったというべきか……いや、それより問題なのは……」
コンコン……ドアをノックする音。
「入れ」
「失礼します長官。Ⅹ6のことですが」
「わかったか?」
「……はい、とんでも無いことがわかりました」
分厚い封筒を手渡され、宇佐美は、その封を空け中の書類に目を通した。
「……何てことだ。やはり、あの時殺しておくべきだった」
【残り34人】
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