「どうしたの?」
帰宅するなりソファにすわり黙り込んでいる夫に幸枝は心配そうに問い掛けた。
「またプログラムが始まる。今夜のニュースで発表されるだろけど」
「え?」
幸枝は、まさに驚愕といった表情で夫を見詰めた。

なぜ、そんなことを知っているのか?

ということもあるが、プログラムという単語自体に幸枝は強烈な恐怖と怒りを持っているのだ。
あの凄惨さは経験したものでないとわからないだろう。


「会社の同僚なんだけどさ」
夫がまるで毒を吐き出すかのように語りだした。
「お子さんが修学旅行に行くって楽しそうに話していたんだ。
今日は会社に来なかったよ。その子供のクラスがプログラム対象クラスに選ばれたらしい」
幸枝は何も言えず、ただ「お気の毒に」と沈んだ表情を見せた。
「子供たちは?」
「寝てるわ。幸雄は、あなたは残業で遅くなるから早く寝なさいって言っても『父さんが帰るまで起きてる』って頑張ってたんだけど」
「……そうか」




子供部屋。ベッドでスヤスヤと眠る子供たち。
幸枝の夫―七原秋也―は幼い頃両親に死なれ兄弟も頼れる親戚もいない天涯孤独の身。
だからだろうか。人一倍子煩悩な父親だった。
子供たちも、そんな父親によく懐いており、特に息子の幸雄は大変なお父さん子で、いつも七原にくっついていた。
その可愛い子供たちの寝顔を見ながら七原がポツリと言った。


「実は……半年前ある人に会ったんだ」
七原は幸枝の顔を見れなかったのか振り向かずに話を続けた。
「オレの父親が反政府活動してたことは話しただろ?」
七原の父親は法律関係の仕事をしており、反政府活動をして政府ににらまれていた。
もっとも署名運動などいたって平和的な活動だったが。
「その父の知り合いに偶然会った。もっとも、そのひとは父と違って少し過激な活動してるひとなんだ」
過激な活動……それが、どういう意味なのか何となくわかる。
「おまえと結婚する前だったら多分そのひとのグループに入って戦っていた。
でも、オレにはおまえたちがいて今の幸せな生活があるから、そんな活動に加わるなんて思いもしなかった」


「秋也、まさか……っ」
「オレは幸せだから、そんなこと考えもしなかった。でも、今日思い知ったんだ。
この幸せは、ある日突然壊れる可能性がある夢みたいなものだって。
この国が変わらない限り、いつか幸雄や千秋がプログラムに投げ込まれる日が来るかもしれない。
そんな当たり前な現実に、今日初めて気付いたんだ」
その後、七原は黙り込んだ。数十秒かもしれないし、数分だったかもしれない。
しかし幸枝にははてしなく長い長い時間だった。
やがて七原は静かに言った。


「オレと別れてくれ幸枝」


「オレは政府と戦う……もう決めたんだ。
幸雄と千秋をプログラムなんかに殺されてたまるか。その前に、オレが政府を潰してやる。
だから……オレはもうここにはいられない。すまない……幸枝」




Solitary Island―56―




「さて……と。これでオレたち死ぬかもしれないなぁ」
川田はタバコをくわえると平然とそういった。
「降りるなら今のうちだぞ」
「バカなこと言わないでよ。誰が降りるものですか」
貴子だった。
「あんたたちが降りたいのなら今すぐ降りてくれて結構。あたしと弘樹だけで例の島に行くわ」
「貴子の言うとおりだ。オレと貴子は泳いででも行くからな」
「……本当に後悔しないんだな?」


「後悔?バカな事いわないで、するわけないでしょ。
大事な一人息子が殺されるって時に家でお茶でも飲んでろっていうの?冗談じゃないわ」
「……相変わらず気が強い女だな」
川田は苦笑しながらタバコに火をつけた。そして思い出していた貴子と杉村の息子のことを。
川田は二度ほど二人の息子に会ったことがある。
ああ、そういえばあの時もこの二人の親バカぶりには呆れ返ったものだ。

(……あのガキ、どう考えても母親似だな。
とてもじゃないが押しの弱い杉村には似ても似つかない。
女だったら可愛げのない性格だが、男ならあのくらい気の強い方がいいかもしれんな。
特にこんな時だ。あの気の強さが無ければとっくに死んでいるだろう)




あのプログラムから脱出して21年の歳月が流れていた……。
その間に色々あったが、杉村と貴子の関係は変わっていない。
変わったといえば、幼馴染が夫婦になった、ただそれだけ。
子供も一人いる。男の子だ。
春見中学校三年B組男子11番杉村貴弘。杉村と貴子の一人息子だ。
杉村と貴子はお互いに温かい家庭で育った。
だからこそ、生まれてきた子供にも両親が自分達にしてくれたように背一杯の愛情を与えて育てた。
たった一人の子供ということもあってだろうか、二人は貴弘を溺愛していた。
特に杉村の親馬鹿ぶりは見事としかいいようがないくらいだった。
同僚と飲みに言っては息子の写真を見せびらかし「凄いハンサムだろう?」と聞くのが常だった。
ちなみに貴弘は外見から性格にいたるまで貴子に似ていて杉村に似たところは一つもない。


「杉村と千草は決心が固いようだなぁ……相馬、おまえはどうだ?
あのプログラムから脱出できたのはラッキーに過ぎなかった。今度こそ生きて帰れないかもしれないぞ」
「何今さら言ってるの、あいつはあたしの宝なのよ。大事な金ヅル死なせるわけにはいかないでしょ」
「……おいおい、おなか痛めて生んだ息子を金ヅル呼ばわりはないだろ?」
「あら、息子なんて母親にとって最後の恋人であり、将来の面倒を見てくれる奴隷でもあるのよ。
うちの息子はそんなことちゃんと理解しているわ。
二言目には『将来玉の輿に乗ってママに楽させてあげるから♪』があいつの口癖だもの」
「……相変わらず壮絶な母親だな。おまえに育てられて、なんであんなイイコに育ったのか理解に苦しむ」
どうでもいいことだが川田は光子の息子と会った事がある。
そして、随分イイコだと思い込んでしまったのだ。光子の息子……洸の本性を知らぬまま。


「七原……おまえは言うまでもないな」
「当然じゃないか」
「おまえは昔からそういう奴だったよ。かなり久しぶりだろ?再会したら思いっきり抱きしめてやれ」
「……ああ、そうする」
それから川田は最後に三村に言った。


「……三村、おまえはどうするんだ?
おまえは他の奴とは立場が違う。もし少しでも戸惑いがあるなら残ったほうがいい」
三村は苦笑しながらこう答えた。
「……立場が違うのはおまえのほうだろう?他の連中は可愛い我が子の為にあの島に行くんだ。
それこそ、死んだって構わない。本気でそう思っている。
けど川田。おまえは違うだろ?おまえは我が子をとられたわけじゃないんだ。
おまえこそ少しでも残りたいのなら残ったほうがいい」
川田はタバコに火をつけるとふぅ……と煙を吐いた。
「……真一はな」
川田は少し途惑ったが言葉を続けた。


「……真一はオレによく懐いてくれていた。
今となっては……本当の息子みたいに思っている。どんなことをしてでも助けてやりたい」


「……そうか」
三村は複雑そうに呟いた。
「もう一度聞くぞ三村。おまえは行くのか?」
「当然だ。あの島には政府を潰すネタがある。
オレは……いや、叔父さんとオレは政府を潰す為に生きてきた。
オレと叔父さんの人生の全てがあの島にあるんだ。それをつかむ為なら命なんて惜しくない。
何だってしてやる。それがオレの生きてきた証でもあるんだ」

政府を潰す。それがどんなに生半可な思いでできることではないか、川田はよくわかっていた。
その政府を潰せるネタがあるとなると三村が命をかけてもいいと思う気持ちはよくわかる。

「……そうか。迷いは無いようだな」

川田はタバコを捨てると靴で火を踏み消した。


「……よし行くぞ。生きて帰ってこれると思うな」














「……な、何なんだ、あいつらは……」

岩陰から美恵たちを見ていた男は驚愕していた。
なぜなら、化け物(十数匹もいたというのに)たちを、片付け五体満足でいるのだから。

「……一体何者だ?」

学生服を着ていることから、例の同人女望月瞳のクラスメイトということだけはわかるが、中学生というには程遠い。




「……おまえ、自分が何を言っているのかわかっているのか?」
桐山は正直に自分の気持ちを口にしたにほかならない。
だが、その正直さは返って晶の反感を買った。
「やめろ晶」
しかし、ふいに直人が二人の間に割って入った。
「……気付いたか晶?」
「……ああ、随分と前からオレたちを見ている。
気配も消してない。完全に素人だ。多分、例の生徒の生き残りだろう」
そう、自分達がF2を倒している間もずっと見ていた。
「桐山とのケンカなら後でも出来るだろ。とりあえずは奴だ」
「……そうだな」
晶はチラッと、その方角に顔を向けた。


「おい、いつまで見ている。出てきて何か言ったらどうだ?」


「!!」
ばれている!その者(ちなみに男だが)は咄嗟に逃げ出した。その後姿を見た途端、美恵は叫んだ。
「……あ、あの人!私が掴まえようとした人だわ!!」
「おまえに危害を加えた奴か?」
晶は咄嗟に言ってしまった。事情を知らない直人と攻介の前で。
「何だと!?」
それを聞いた攻介の行動は早かった。

「待ちやがれ!逃げられると思っているのか!!」

猛ダッシュッ。男もスピードをあげたが勿論逃げられるわけが無い。
数十メートル先で攻介に掴まり、地面に叩きつけられるように押さえ込まれた。




「どういうことだッおまえ美恵に何をした!?」
「待って攻介。彼は何もしてないわ」
「何もしてない?晶が危害加えたって言ったじゃないか!?」
「乱暴は止めて。彼には聞きたいことがあるのよ」
美恵は攻介を制すると、驚かさないようになるべく静かな声で問いかけた。


「私達はあなたの敵じゃないわ。お願だから話を聞いて」
「…………」
「あなたたち深作中学の生徒なんでしょう?私達もあなたたちのように、この島に連れてこられたのよ。
彼女は?あの女の子は一緒じゃないの?」
「……オレたちと一緒だと?ふざけるなよ」
「…………」
「おまえたち軍の人間なんだろう!?オレたちを無理やり、ここに連れてきた軍の!!
その軍の人間がオレたちと一緒のわけが無い!!」
「なんだと、この野郎!!」
男を押さえ込んでいる攻介の力がさらに強くなった。


「ああ、確かにオレたちは軍の人間だ!だがな、美恵に危害を加えて何だその言い草は!!
あんまり調子いいこと言いやがると承知しないぞ!!」
「……畜生ッ」
「やめて攻介!乱暴しないで!!」
「……美恵」
「あなたが私達を信用できなくて当然だわ。でも私は軍の人間だけど、好きで軍にいるわけじゃない。
むしろ……軍が嫌でたまらない人間なのよ。
ここに来たのは軍の命令だからじゃない。あなたたちと同じように、この島に送り込まれたの。
信じてくれって言っても無理かもしれないけど……」
男は黙って聞いていたが、やがて静かに言った。

「……信じるよ。あんたと他の奴のやり取り聞いていればわかる。
あんたの方が軍の犠牲者だって……オレたちなんかよりずっと……」

……良かった。美恵はホッとした。




「……ねえ。彼女はどうしたの?」
「理香は……ああ、あんたを殴ろうとした女だけどさ……。
昨日から帰ってこない。……多分、何かあって今頃は……」
その先は男は言わなかったし、美恵も聞く気は無かった。
ところが晶は非情にも「多分ダメだろうな」と言い放った。


「晶!」
「本当のことだ」
それは冷たい仕打ちかもしれないが同時に現実でもあった。
「……そいつの言うとおりだよ。オレも覚悟を決めている。
もう何人も仲間が死ぬのを見てきたんだ。だから……あきらめるのは馴れた」
「…………」
「おまえたちは……その……」
「あ……私は天瀬美恵。この冷たい男は周藤晶」
「冷たいか、酷い言い方だな」
直人が横で「当然だろ」と言い、晶は「それもそうだな」と苦笑した。
「彼は蛯名攻介、そっちの彼は菊地直人……それに、このひとは桐山和雄くん」
「……周藤……菊地……それに桐山か」
「……ええ。私たちクラスメイトを探してここに来たの」


美恵は一番気になっていることを話した。
「実は何人もクラスメイトが死んでいるわ。それに行方不明者も。
私たちは行方不明になったクラスメイト達を探しにきたの。お願い協力して。この洞窟に誰か来なかった?」
「一人知ってるよ」
美恵の表情が一瞬明るくなった。


「ほ、本当に?」
「ああ、望月瞳っていう、すごく明るい子だ」
「望月さんが?今どこにいるの?」
「オレが隠れ家に使っている所だ。そこにオレの仲間も一人いる」
「望月さん元気なの?」
「ああ、それは保証する……元気すぎるくらいだ」
良かった。ともかく一人の生徒の生存が確認されたのだ。
「腹が減ったみたいだから適当に食事させて休ませてやった。満腹になって気をよくしたのかぐっすり寝てるよ」
「そう、良かった……あなたの名前は?」
「柿沼……柿沼昌宏って言うんだ」














「望月、起きろ望月」
誰かが自分を揺さぶっている。
「……んー……もう食べれないよ」
「何言ってるんだよ。早く起きろ、おまえの仲間が来たぞ」
「……え?……あれ柿沼くん……あたし……」
瞳は眠たそうに目をこすりながらゆっくりと体を起こした。昌宏の背後に数人人影。
ぼやーとしか視界に映らない。まだまだ寝ぼけているようだ。


「望月さん、良かった無事で」
その声に瞳はやっと覚醒した。
「……天瀬さん?」
「探したのよ」
それから瞳は他の人間達を見詰めた。

桐山和雄、周藤晶、菊地直人、蛯名攻介……。
ああ、私のオリジナル小説『薔薇と少年』の愛しいモデルたち。
なーんて言っている場合じゃない。

瞳は飛び起きた。




「み、みんな!無事だったのね、よかった!!
あ、あたし……怖かったんだから……急に変な奴が襲ってきて」
「話は彼に聞いたわ。怖い思いをしたのね、でも、もう大丈夫よ安心して。皆が守ってくれるから」

「おい、オレは守ってやるつもりは毛頭ないぜ」
「オレも天瀬以外の女を守るつもりは無いんだがな」
攻介が小さな声で「晶、桐山。よせよ、おまえたち」と非難していた。
もっとも、攻介が非難したところで当の二人は全く堪えない勿論反省もない。


「よかった。本当によかった……これで一件落着ね。あれ?」
と、ここにきて瞳は自分を見つめる晶たち(特に直人の)視線がやけに冷たいことに気付いた。
桐山は相変わらず無表情だったが、攻介はムスッとしているし、直人はあからさまに不快感を表している。
一体何があったというのだろうか?
ふいに晶が瞳が寝そべっていたベッド、瞳の横に座るとニッコリ微笑んだ。
晶は基本的には瞳のタイプではなかったが(何しろ瞳のタイプは特殊なので)とにかくハンサム。
そんな相手に微笑まれたら瞳も悪い気はしない。
その証拠にカァ……と耳まで赤くなった。

(……や、やだ……周藤くんって冷たそうに見えたけど、すごく素敵……)


「望月」
「な、なに?」
「おまえも大した女だな」
「え?そ、そんなことないよ~」
「何照れているんだ?オレは褒めているわけじゃない」

と、ここで美恵が「晶、よしなさいよ」と止めに入った。
その美恵の様子が少しおかしかったので瞳はあれ?とクビをかしげる。
そして気付いた。確かに晶は笑顔だが、その笑顔がやけに冷たい笑顔だということを。
しかも昌宏が困ったような顔でこっちを見ているではないか。
そんな瞳の疑問を打ち砕くように晶が飛んでもない一言を放った。

「オレが隼人と恋人関係でありながら、晃司に恋焦がれているだと?
どういう想像力を駆使すれば、そういうことになるのか是非教えてもらいたいな」


な、なんで?!何で、知ってるの、あたしのネタを!!


「しゃ、喋ったのね柿沼くん!!」
瞳が非難じみた目で昌宏を睨みつけた。
「すまない望月!つい口を滑らせたんだ!!」
「バカバカッ!あやまって済めば警察はいらないわよっ!!」


「おい、さっさと答えてくれ」
「……す、周藤くん……こ、これにはふかーいわけが……」
「だから……」

晶はまた笑っていた。笑ってないのは目だけ……。


「そのわけというのをオレが納得のゆくまでじっくり説明してくれと言っているんだ」


望月瞳。人生最大の危機が訪れた瞬間だった――。




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