拓海の目がこれ以上ないくらい拡大していた。
あれが最後の手段なんだ。こんな化け物に素手で勝てるわけが無い。
それなのに、この化け物はトラップを避けやがった!!
これではトラップは発動しない。そして、奴に殺される!!
拓海は身体を起こすとトラップに向って、まるで野球の盗塁のように滑り込んだ。
(石を縛ってある蔓の先を枝に結び、それを地面スレスレの位置で固定しておいたものだ。
草で隠れており、化け物がその枝に足を引っ掛け、それによって枝がはずれ石が落ちる仕掛けだった)
そして、トラップを蹴り上げた。
「ギイィ!!」
怪物が頭上を見上げる。
石が落ちていた。怪物の真上に。
やった。これで終わりだ化け物めッ!!
Solitary Island―51―
――その数分前。
「ねえ」
「なーに理香ちゃん?」
「あのひとたち遅くない?」
「きっとオレ達に気を使ってくれているんだよ」
「冗談言わないで。真剣に答えてよ」
「オレはいつだって真剣だよ」
「まったく、あなたって変わった人ね。こんな時に……」
「ぎゃぁぁー!!」
「「ッ!!」」
二人は同時に立ち上がった。
「な、何今の声!?」
「椎名の声だ!!」
「じゃ、じゃあ……あのひとたち、あいつに襲われて……」
「い、急ごう理香ちゃん!!」
「ええ、早く助けに……」
純平は理香の手を掴むと声とは反対方向にくるっと向きを変えた。
「逃げるんだよぉぉぉー!!」
「ちょ、ちょっと何言ってるのッ!!?あんたの仲間じゃないの!?」
「オレにはわかるんだ。きっと二人は自分達に構わずオレたちが逃げることを望んでいる。
オレの使命は理香ちゃん、君を守ることなんだ。さあ、椎名たちの死を無駄にしない為に急ぐんだ!!」
「……このバカッ!!」
純平の頬に強烈な痛みが走った。
「痛ぇ!!何すんだよ理香ちゃんッ!!」
「バカッ!!あんたって最低ね、いいわ、あたし一人でいくッ!!」
理香はクルリと向きを変えると走り出した。
「り、理香ちゃんッ!!」
純平も慌てて後をおい走り出した。
「美恵、本当にいいのか?」
「何度も同じこと言わせないでよ」
「天瀬」
「何?桐山くん」
「さっき周藤が言っていた話だが」
「……晶の話?」
科学省に作られた人間、軍の為に優秀な人間を生むための道具……。
正直言って思い出したくも無い話だ。
「おまえの夫だが、オレではダメか?」
「……え?」
「オレにはどうでもいいことのはずだが、それだけはどうでも良く思えなかった。
おまえの夫になるには優秀な男でなければダメなんだろう?オレではダメだろうか?」
「…………」
美恵は何と言っていいのかわからず、ただ桐山の顔を見詰めた。
攻介はさらに唖然としていた。
(……何だ。このバカ、今なんて言いやがった?)
「オレではおまえの夫になれないだろうか?」
「……どうして、そんなこと」
「オレたちは同じなんだ」
「……同じ」
「初めて会った時、おまえは他の女と違うと思った。それが何なのかわからない。
今日やっとわかった。おまえはオレと同じなんだ。
それなのに……おまえはオレとはまるで違う。
おまえはオレと違って、いつも笑っている。誰にでも優しい。
いるだけで心が落ち着く。気が付けば、いつもおまえを見ていた。
周藤が夫候補だと言った時、オレは正直言ってあいつをこの世から消したいと思った。
周藤だけじゃない。周藤が夫候補だといった奴等全員だ」
美恵はますます言葉に詰まり、攻介はさらに唖然とした。
(……おい、本人を目の前にして、この世から消したいなんて良く言えたもんだな)
「オレにはそれがどういうことなのかわからなかった。
ただ、おまえが、あいつらの誰かのモノになると思っただけで胸が痛い。
そんなことになるくらいなら、いっそ全員まとめて殺してもいいくらいだ。
なぜか、わからないが、そう思えるほどイライラする。
だが……もしも、おまえの相手がオレなら……。
そう想像した時、心が落ち着いたんだ。天瀬……おまえの相手はオレではダメか?」
「……それは」
「それとも、オレがおまえの夫候補を全員倒せばオレに資格が出来るのか?」
「……桐山くん、それは」
「おい、いい加減にしろよっ!!」
攻介がたまらず二人の間に割って入った。
「黙って聞いていれば言いたいこと言いやがって!!」
「当然だ。オレは思ったことを言っている」
「おまえなぁ……オレじゃなかったら、どうなってると思うんだ?」
「どうなるのかな?」
「さっき言った台詞を徹や雅信の前で言ってみろよ。
いや……気位の高い晶や勇二の前でもいいぜ。おまえ、殺されるぞ」
「返り討ちにすればいい」
(……なんなんだ、こいつ。まるでⅩシリーズみたいな天然じゃねえのか?)
攻介は頭を押さえた。
「……とにかく、今言ったこと二度と口にするなよ」
「なぜだ?」
「……なぜって……。言っただろ?殺されるんだよ徹や雅信に」
「それは違うな。死ぬのはあいつらのほうだ。オレはそう思っている」
「…………なんなんだよ、おまえ」
「二人とも……少し静にして」
美恵の只ならぬ口調に二人は口を止め振り向いた。
「……感じない?」
「感じるって何を……」
そこまで言いかけて攻介はハッとした。桐山はすでに気付いたようだ。
「……晶と直人だけじゃない。複数の気配よ」
「……あいつら、襲われているのか。畜生!!」
「早く助けに行かないとッ!!」
「…………そんな」
拓海は呆然としていた。石は落ちてきた、そう怪物の頭に向って。
それなのに怪物は生きている。
あのボール大の大きな石をスッと避けたかと思いきや、次の瞬間掌で押し出すように叩き飛ばした。
そして石は拓海の顔スレスレをつき抜け、背後の木に激突。
木がメキメキと音を立てて折り曲がった……。
スピードだけじゃない。パワーも人間とは段違いなのだ。
「……ッッ!!」
化け物が拓海の襟を掴んだと同時に拓海の身体が一気に引き上げられた。
「…………ィィ」
そして、その醜い顔でジッと拓海を見詰める。品定めでもするかのように。
「……オレを殺すのか?醜い怪物野郎」
それは嫌味には違いなかったが、嫌味というよりは拓海の死を覚悟した最後の悔し紛れの雑言に過ぎなかった。
その証拠に拓海の声はかそぼく、手は微かに震えている。
次の瞬間、拓海は背中から地面にたたきつけられていた。
(……つぅっ!)
拓海は青ざめながら振り返った。
(……こいつ、オレを嬲り殺しにするつもりかっ!?)
とんでもないことだ。いくら自分がおっとりした性格とはいえ、こんな展開望んでいない。
そんな拓海の気持ちを踏みにじるように化け物は拓海の後ろ襟首を掴むと、背後に向ってさらに投げた。
「……くっ!」
たっぷり、十メートルほど飛ばされた。また全身に痛みが走る。
猫はネズミを殺すとき、楽しみながら殺すというが、オレはネズミじゃないぞ!!
しかし、拓海は逃げることすら出来なかった。身体が痛いが、それが原因ではない。
恐怖と絶望が身体の神経を麻痺させたかのように動けないのだ。
このまま、オレはジワジワと殺されるのか?
「ギャァァァー!!ば、化け物っ!!」
誠とは違う悲鳴。拓海は、咄嗟に声の方向に顔を上げた。
「……ね、根岸……」
そう純平だ。この世のものとは思えない怪物を目の辺りにしてヘナヘナと、その場に座り込んでいる。
それに対して理香の方が純平よりは逞しかった。
そばに落ちていた太い木の枝を掴み(先端が裂け、その為槍のように鋭い形になっている)身構えたのだ。
瞬間、死を覚悟して半ば震えていた拓海はギョッとして立ち上がった。
「は、離せッ!!……大原、それを捨てろっ!!」
遅かった。怪物が恐ろしい雄叫びを上げると、一気に理香目掛けて走ってきたのだ。
「ギャァァー!!」
純平の悲鳴がさらに加速する。
「……に、逃げろ大原ッ!!」
理香には何が何だがわからない。
しかし拓海の警告。そして何より迫り来る恐怖の殺人鬼。
自分が標的だと理解するのにコンマ一秒もかからない!!
理香は「……ひ」と思わず声を漏らすと、反射的に向きを変え走り出した。
「ひぃぃー!!」
三度純平の悲鳴が轟く。
怪物が自分の走行通路にいる純平を邪魔だと言わんばかりに突き飛ばしたのだ。
不幸中の幸いか、純平は怪物の眼中にない。とりあえず、今の時点では。
だが理香は違う。必死に逃げた、とにかく走った!!
「キャァァー!!」。
そんな悲鳴を上げながら、理香の身体は転がっていた。
逃げた先に傾斜があり、バランスを失って転倒したのだ。
「……大原ッ!!」
拓海はとにかく走った。考えてみれば自分が駆けつけたところでどうこうなるわけではない。
しかし、そんなこと考える暇などなかったのだ。
「……ひ……た、助け……助けて……昌宏……」
理香はシリモチをついた状態で、見上げていた。怪物を。
「……お、大原……さっさと逃げろッ!!」
「……だ、だめ……できないッ!!」
そうだ、男の自分でさえ恐怖で動けなくなったのだ。
ごく普通の女の子である理香に、それを要求するのは無茶なことだろう。
この場合男である自分が助ける……べきなんだ、何だが……。
――身体が動かない。
拓海は右手を胸の辺りまであがて見た。はっきりわかる。震えている。
自分は動けないんじゃない、動かないんだ。
恐怖で、恐怖で動けない。
自分は殺されかけた。だから怖い。
全身に走る恐怖の戦慄!!
それは、怪物のターゲットが自分から理香に変わろうとも収まらない。
手だけではない、足も……動かない。
こんな姿、父や祖父が見たらどんなに情けなく思うか知れないが、自分は恐怖で動けないのだ!!
例え、か弱い女を見殺しにしてしまっても動けないかもしれない。
「……キャァァー!!」
理香が頭を抱え小さくなった。
……悪い、大原。オレは、おまえを見殺しにしてしまうかもしれない。
どうしても動けないんだ!!
「……り、理香ちゃんッ!!」
「……え?」
それは拓海にとっては驚きだったに違いない。
純平が自分の横を走りぬけていた。自分が恐怖で動けないのに。
それなのに純平は走っていたのだ。
そして小さくなって震えている理香と怪物の間に入り込むと両腕を精一杯広げ叫んだ。
「や、止めろぉぉっ!!理香ちゃんに手を出すなぁぁー!!」
顔面蒼白。今にも倒れそうなほどフラフラした状態で純平はさらに叫んだ。
「理香ちゃん殺すならオレを殺せよっ!……で、でも、できれば殺さないでくれぇぇ!!」
それは矛盾に満ちた叫びだったが、純平の偽り無き本心でもあった。
「……ね、根岸」
手が震えている……拓海は、その震える手を握り締めた。
あの純平が自分には出来なかったことをやっている。あの純平がだ。
拓海はプライドの高い人間というわけではないが、どんな人間にも最低限のラインというものがある。
拓海にとって純平はそのラインの下にいる人間のはずだった。
『拓海。おまえは勇敢な人間とはどういう人間だと思う?』
ふいに祖父が幼い頃から聞かせてくれた話が脳裏に浮んだ。
『勇敢な者とは、自分よりはるかに巨大な者に立ち向かうことが出来る奴のことだ。
だがな、ノミは自分よりはるかに大きい動物に攻撃を仕掛けるが、あれを勇敢とは言わん。
勇敢とは、相手に恐怖を感じて、それでも尚立ち向かうことじゃ。
わかるな拓海。おまえは吉田家の跡取りだ。誰よりも勇敢な男になるんじゃぞ』
――震えが止まった。
「……待てよ」
化け物がゆっくりと拓海の方に身体を向けた。
「……おまえの相手……オレだったんだろ?」
拓海の口調が日頃の寝ぼけたようなそれに戻っていた。
つまり平静さを取り戻したということだ。しかし、心の中では今尚恐怖と緊張感が渦巻いている。
「だったら心変わりなんて野暮なことしないで来いよ。さっさとオレを殺してみろ……その二人は後回しだ」
「……ギギギギギ」
怪物の視点が完全に拓海にロックオンされた。
「ギィィー!!」
そして、猛然と拓海目掛けて飛び掛ってきた。
拓海は死を覚悟した。どうせ死ぬなら自分に納得した死に方してやるッ!!
どすっと鈍い音が静寂の中、あたりに響いた。
拓海は目を見開いた。拓海だけではない、純平も、理香も。
ポトポト……血の滴り落ちる音だろうか?
まるで今まで夢見てきたみたいなだ……。
オレは……オレたちはどうなるんだ?
拓海は、ただそう思った。
しかし……変だ。怪物は自分に向ってきた。
だが自分は生きている……怪我も(最初につけられた肩の傷以外)していない。
それなのに血は落ちている……。
蛍光色のような、変わった色の血……血?!
拓海はそこでようやくハッとした。血を流しているのは自分ではない。
怪物の方だということに!!
「……全く、ギャーギャー五月蝿い声が聞こえるから来てみたら……F3かよ。
こんな中堅クラスの化け物に早々とお目にかかれるとは思わなかったぜ」
「……だ、誰……あのひと?」
理香は初めて見る顔だった。しかし、純平と拓海は違う。
「おい化け物、てめえ運が悪かったなぁ……オレは標本を持ち逃げされて最高にご機嫌が悪いんだよ。
こうなったら、代わりにてめえに標本になってもらうぜ」
「……ギギギギギ」
怪物……いや通称F3は肩に突き刺さったサバイバルナイフを顔を歪ませながら取った。
そして憎憎しげに、相手の顔をみると、先ほどその男が自分に向って投げたように、その男目掛けてナイフを投げた。
が、男は簡単に受け止めてしまった。
「……フン。殺す前に言っておいてやるぜ。てめえ、光栄に思えよ。
何しろ、オレが直々に手を下してやるんだからな」
「ギィッ!!」
F3が飛んでいた。男目掛けて。
「ありがたく思えっ!特選兵士最強の和田勇二様が相手をしてやるんだからなっ!!」
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