右肩に激しい痛み。ズブッという鈍い音が体内から聞こえた。
爪、太くて大きい鋭い爪が肩に刺さっている。いや間違いなく貫かれている。
「……くそぉっ!!」
拓海は咄嗟にナイフを振りかざした。
だが同時に手に痛み。バシッと音がしてナイフを叩き落された。
ナイフは数メートル先に飛んでいる。
「……し、椎名っ!ナイフだ。ナイフをとってくれっ!!」
普段寝ぼけたような声しか出さない拓海が、こんな必死に叫んだのは生まれて初めてだろう。
しかし、頼みの綱の誠はしりもちをついたままガタガタ青ざめて正気を失う寸前だ。
それでも、今この場所には誠しかいない、拓海は必死になってさらに叫んだ。
「何してるっ!おまえも殺されるんだぞっ!!」
誠がギョッとした。しかし、それは拓海の言葉に反応したからではない。
拓海に覆いかぶさるように馬乗りになっている化け物がクルッと誠の方に振り向いたからだ。
「……ひぃっ!!」
誠は反射的に目の前にあるナイフに手を伸ばした。
次の瞬間、化け物は誠に向って飛んでいた。
……こいつっ!武器に反応しているっ!!
Solitary Island―50―
「 の事を知ってる?」
それは海斗にとっては衝撃的なことだった。
だってそうだろう?秀明とは滅多に話をしたこともない関係だから。
確かに島に来て以来、どうもと秀明(それに志郎)の関係がいつもと違うと思っていた。
しかし、だからって親友の自分よりもよく知っているなんて。
「あいつには晶たちがついている。何の心配もいらない」
「心配要らないって……おい、ちょっと待てよ!!」
海斗は秀明の前方に回りこんだ。
「おまえがあいつのことを知ってるかどうかなんてどうでもいい。
けどな、もし何か起きたとき周藤たちがあいつを命懸けで守ってくれるっていう保証があるのかよ!!」
「無い」
これには海斗は呆気に取られた。
『無い』だって?よくも簡単に言ってくれるな。冗談でも「ああ大丈夫だ」くらい言うべきだろ?
「保証はないが、余程のことが無い限り、あいつらはを見捨てない。多分な」
多分?多分だって?冗談じゃない!!
海斗の焦りは頂点に達しようとしていた。
「やっぱりオレはを探しに行くぞ」
「ねえねえ」
と、そこに緊張感ゼロな洸の愛らしい、そしてふざけたような声が乱入してきた。
「ねえ、あれ」
洸が指差した方向。海斗も真一も見た。
それは滝だ。滝と言っても高さ数うメートルの、どこにでもあるような滝だ。
「あれがどうかしたのか相馬っ!!」
「やだなぁ寺沢。少しは頭冷やして、よく見てよ」
一応見てみたがやっぱり単なる滝じゃないか。
「おい相馬、いい加減に……」
海斗がぶち切れ寸前に低い声を出しかけた。
「……気付いていたのか」
「……堀川?」
しかし海斗は切れずに今度はキョトンとなった。
「うん、そう。ねえ?入るの、入らないの?」
入る?入らない?何のことだ?
海斗も真一も秀明と洸を交互に見詰めた。
あの滝がどうしたというんだ?
「……あ」
何かに気付いたのか、今度は真一の目が滝に釘付けになった。
「やっと気付いたのかな?」
「どういうことだ?」
一人だけ、今だに気付いていない海斗が三人に問うた。
「近づいてよーく見ればわかるよ。ねえ」
洸は相変わらず意地悪く笑っている。
「……近づけばだって?何のことだ!?」
海斗は、滝に向って走り寄っていた。
やっぱり、ただの滝じゃないか……と、思ったが近づいて違和感を感じた。
「……なんだ?」
そして海斗は、もっとよく……それこそ顔が濡れそうなくらいの位置まで顔を近づけた。
「……この滝」
そしてスッと手を伸ばした。ザザァ……一気に手から腕、そして肩の付け根まで濡れる。
水の水圧を腕全体に感じる。さらに腕を伸ばすと……腕の先、つまり手から水圧の感触が消えた。
「……この滝、向こう側が空洞になってる」
よく映画で見かけたワンシーンだ。海斗は思い切って滝をくぐった。
「……なんだよ、これ」
滝の向こうは数メートル続く洞窟……いや、そんなことはどうでもいい。
問題は、その洞窟の行き止まりにドアがついていることだ。そう、ドアだ。まるで秘密基地ではないか。
「……ここは」
「わぉ、まるで怪しい研究所の入り口ってところだね♪」
「相馬っ!!」
いつの間にか背後にいた洸が楽しそうに、そう言った。
洸だけではない。秀明も真一もいる。
「相馬。おまえ、なぜ気付いた?」
「えー?だって一目瞭然じゃん。堀川はオレより早く気付いてたんだろ?
オレって、子供の頃から超リアルな隠れんぼしてたから、こういう秘密の入り口発見するの得意なんだ♪」
そう言うと洸はドアに近づき、ガチャガチャとドアノブをまわした。
が、動かない。どうやら鍵がかかっているようだ。
「なんだ残念。でも無駄だよ♪」
そして洸はポケットから、何かクリップのようなピンのような、とにかく小さな針金のようなものを出した。
それを鍵穴に突っ込みカチャカチャと動かすと、カチャっと小さな音がした。
「簡単簡単♪」
洸はドアノブを持つとゆっくりと開けた。
「誰かいますか〜?って、返事ないね。ねえ、どうする?入るの入らないの?さっさと決めてよね」
「オレは行く。おまえたちはどうする?」
秀明はまるで当然だと言わんばかりに名乗りを上げた。
「オレも行くよ。もうピクニックにも飽きたしね」
洸は相変わらず緊張感ゼロだ。
真一と海斗は、やや躊躇ったようだが、二人とも最後には「オレもいくよ」と呟いた。
「決定だね。じゃあ行こうか」
「オレが先に行こう」
「うん、そうだね。オレ危険な役目がごめんだから」
洸はドアを大きく開くと「どうぞ」と言って秀明を促した。秀明はスタスタと中に入っていった。
「おい堀川!一人になるな、危険だぞ!!」
慌てて真一が後を追う。続いて海斗が中に入った。
「相馬」
「んー?何、三村?」
「おまえ、簡単に鍵外してたな」
「ああアレ?オレ子供のときからああいうことやってたから。まあ知恵の輪みたいなものだよ」
「どうして、あんなマネできるんだ?」
「ママに教えてもらったんだ」
「ひぃぃー!!」
誠の理性はぷっつり切れた。ただ恐怖の本能だけは増大され、生存本能が加速。
メチャクチャなフォームだが、身体測定の100メートルテストの時よりもはるかに早いスピードで誠は走っていた。
だが、それは誠個人の記録更新でしかない。
その化け物にとっては取るに足らないスピードだった。
誠が十数メートル走った地点。何かが前方に立ちはだかった。
あの化け物だ!!誠が自分の能力のはるか上の力を出し切って走ったのに、化け物はたった数歩走り、そしてジャンプ。
そのまま誠の前方に降り立ったのだ。
「……あ、あぁ……」
ヘナヘナと誠がその場に座り込んだ。
化け物がスッと腕を上げた。爪がキラリと怪しい光を放ち、一気に誠向って伸びてきた。
「ぎゃぁぁぁー!!」
バキバキ……。誠の背後で、そんな嫌な音がした。
「……ひ、ひぃ」
誠の後ろにあった木が、ゆっくりと倒れ、そして地面に枝が突き刺さる。
「……あ、あひぃ……た、助け……」
この時、誠に脳裏にはあれほど愛しいと思った恋人菜摘の姿は無かった。
恐怖一色になった誠は幼い子供も同然。
「……た、助け……父さん……か……あさん」
無意識に自分を一番愛し、そして守ってくれるであろう両親に助けを求めていたのだ。
「椎名っ!ナイフを捨てろっ!!」
「……へ?」
「そいつは武器を持った奴を襲う!狩りを楽しんでいやがるんだっ!!」
誠は何が何だかわからなかった。
ただ「ひっ」っと声を漏らすと無意識に握り締めていたナイフを放り出した。
化け物が「ギギ……」と微かにうめき、誠を見ている。
「……こ、殺さないでくれ。オ、オレは……オレは……戦うつもりは……」
誠は錯乱状態だったが、放り出したナイフを蹴り飛ばした。
ナイフ回転しながら化け物の足にぶつかって動きを止めた。
「……た、助け……」
化け物は誠を積極的に襲うでもないが、かといって逃げすでもない。
ジッと見ていた。もっともそれだけで誠は精神の糸が切れる寸前だ。
「こっちだ化け物っ!!」
ヒュルヒュルッと何かが空気を切った音がし、同時にドンっと鈍い音がして石が化け物の頭に命中していた。
全く表情のなかった化け物の顔が歪みだした。怒っているのだ。
「……ギギ」
「……化け物でも感情あるんだ」
「ギィィー!!」
「クソッ!」
拓海はクルリと向きを変えると全速力で走った。
肩の傷は痛いし出血もあるが、そんなことに構っていられない。はっきり言って自分達が勝てる相手じゃない。
甘かった。こんなことなら純平の言ったとおり逃げ出した方が良かったかもしれない。
だが、そんなこと今さら言っても全く無駄だ。遅すぎる。
今出来ることと言えば、逃げる、それだけだ。
「それで吉田たちがいる地点には何分くらいかかるんだい?」
「……そうだな。このまま慎重に歩いていけば15分はかかる」
「15分か……隼人、間に合うと思っているのかな?」
薫はニヤニヤしながら質問した。こいつが、こういう顔をするときは何を考えているのか想像がつく。
つまり相手の答えがわかっているときに、薫はこういう表情をするのだ。
「時間的に無理だ」
隼人は淡々と答えた。
「おそらく今頃は襲われているだろう」
「ふーん、急がなくていいのかい?」
「……仕方ないだろう」
「おやおや、お優しい氷室くんのお言葉とは思えないね」
「奴を仕留めるのが最優先だ。逃がせば、さらに犠牲者がでる。吉田たちには悪いが、オレたちが辿り着くまでもたないだろう」
「しょうがないね。奇跡が起こるのを祈ってあげようよ。彼等の為に」
「……クッ」
拓海は右肩を押さえながら走った。しかし背後の足音は一気に迫ってくる。
背中に何かおぞましいものを感じた拓海が振り向くと、化け物が何かを飛ばした。
「……ッ!」
拓海の身体のバランスが崩れ、その場に倒れこまなければ、それは確実に拓海の背中に刺さっていただろう。
誠が放り投げたナイフだった。
その化け物は実に醜い姿をしていたが、身体つきそのものは人間に似ていて二足歩行。
道具もきっちり使えるというわけだ。
「……チンパンジーよりは上ってことか。ふーん」
拓海は緊張感の無い台詞をはいたが、その表情には全く余裕はない。
ジリジリと、倒れたままの格好で拓海は背後に下がった。化け物がゆっくりと近づいてくる。
「……そうだ。来い」
拓海は祈るように言った。後少しだ、あと少し化け物が歩けば……。
拓海はチラッと目線を上に上げた。化け物の頭上数メートル。
そこに蔓で縛り枝につるされている石(バスケットボールより少し大きめなサイズだ)が枝に仕掛けている。
そして化け物が後数歩歩けば、仕掛けておいたトラップに足が引っかかり連動している石が真っ逆さまに落ちてくる。
いくら化け物でも即死は間違いない、間違いないはずだ。
「……はやく来い、化け物!!」
化け物が足を止め、チラッと足元をみた。
そしてゆっくりと頭上も見上げている。拓海の額からツツーと汗が流れた。
化け物は、拓海が仕掛けたトラップをまたいだ。
「……!!」
そして再び拓海に向って歩き出した――。
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