何かがおかしい、桐山は咄嗟にそう思った。
――!
動いている――!!
飛び起きると同時にカーテンを引っ張るように開けた。
視界には荒れ狂う海。
そう沖だ。港などではなかった――。
Solitary Island―5―
(どういう事だ?)
そうだ。この悪天候、ましてや真夜中に船が出港するわけがない。
いや、それよりも桐山は、もう一つの異常の方が気になった。
身体が重い。そして微かだが、空気に何か違和感を感じる。
それは残留した麻酔ガスだった。普通の人間なら、今も夢の中だが、桐山は目覚めたのだ。
少々、足がもつれながらもドアを蹴破るように廊下に出た。
(なんだ、この空気は……頭が重くなる)
外だ。この嵐で甲板は暴雨風だが、とにかく外の空気を吸わなくては。
桐山は、甲板に通じるドアに走ったが――。
(――!)
動かない。完全にロックされている。
(……天瀬……!)
次に桐山の頭に浮んだのは美恵 だった。 理由はわからないが、自分達は閉じ込められている。
逃げなければ、美恵 を連れて。桐山は美恵 の客室に全速力で走った。
「クソ!やっぱり、やりやがったな!!」
だが、こんな嵐の夜にやるとは思わなかった。下手に船出して沈没でもしたら、元も子もないはずだ。
ドアノブを何度回しても開かない。工具を探して鍵をこじ開けないと。
「どいてろ俊彦」
そう言い放つと同時に俊彦の顔面向かって消火器(廊下に設置されていたものだ)が飛んできた。
俊彦は反射的にスッと頭を下げた。 ハデな破壊音と共に、窓ガラスがコナゴナの破片となって散乱した。
「…たくっ。危ないなぁ直人」
「文句は後にしろ。行くぞ」
直人は、窓ガラス不在の窓枠に手をおくと、一気に窓の中を飛び越えた。俊彦も、それに続く。
「俊彦見ろ。救命ボートが1艘も無い」
「……船員はとっくに逃げたってわけかよ」
「望月さん、起きて」
ダメだ。完全に夢の中らしい。
美恵
も、この異常な雰囲気に胸騒ぎを覚え目覚めた。
そして部屋に残っている微かなガスの匂い。
そう気付いたのだ。自分達が麻酔ガスによって眠っていたことに。
美恵
は何とか目覚めたが、同室の望月瞳は今だに夢の中ときている。
「……そんなぁ…カヲルくん……ウフフ……ん…」
しかも最高にいい夢のようだ。ニタニタしている。
ちなみに、どうでもいいことだが、夢の中のお相手はアニメの美形キャラだった。
「美恵
」
その声に美恵 はハッと振り向いた。速水志郎が立っている。
「……行くぞ。すぐにだ」
ツカツカと歩み寄ると、強引に美恵
の手首を掴み立ち上がらせた。
「行くって、どこに?」
「救命ボートで脱出する」
「待ってよ。望月さん……それに他の皆は?」
「関係ない」
「待って……!」
「オレは待つ気は無い。これは晃司の命令だ」
「え?」
「事が起きたらオレはおまえを連れてこの船を出る、それが晃司の命令だ」
「……晃司と秀明は?」
「2人は例の島に行く。それが任務だからな。だが晃司達はおまえは島には行かせないと言っていた。
だから、オレにミッションを放棄して、おまえを連れて船を出ろといったんだ」
「……嫌よ」
「?」
「私だけ助かるなんて!!あなた一人で逃げて、私は……」
「もう遅い」
「「!」」
その声に2人は、ほぼ同時にドアの方に振り向いた。
周藤晶が腕を組んで立っていた。
「この船が自動操縦になって港を出た途端、乗組員たちは全員びびってトンズラした。
もう1艘も救命ボートは残っていない」
「……あなた、それを見てたの?」
「ああ。あいつらの慌てふためきぶりといったら傑作だったな」
「どうして黙ってみてたのよ!!」
「どうして?それがオレの任務だからな……志郎、おまえも、そうだろう?
それにしても、あの任務バカの晃司や秀明が、軍律違反をするとは意外だったな」
その言葉を聞いた途端、志郎が晶の前に歩み寄ってきた。と、思ったら、その顔面目掛けて右ストレートだ。
もちろん晶も、それを大人しく受けるほどバカじゃない。左の掌で、しっかりと防御していた。
「何だ、いきなり」
「晃司と秀明を悪く言うからだ」
「オレは事実を言ったまでだ。上から命令されれば簡単に自分の頭に銃口突きつけるような人間だからな。
晃司も秀明も、そしておまえも……」
パンと乾いた音が晶の頬に響いた。やったのは志郎ではない、美恵
だ。
「……相変わらずね、あなたって」
これには志郎も少々驚いたようで、僅かに目を丸くしている。
もっとも他人が見ても、全然気付かないくらいの変化だが。
「……おまえも変わってないな、その気の強さ。オレは好みだが、他の男にやると嫌われるぞ。
何しろ、世の中には優秀な女は苦手っていう自分に自信のない男が多すぎるからな。
大人しくて言いなりになるだけの女でいたほうがモテるんだぞ」
「大きなお世話よ」
「それもそうだ」
「天瀬!! 」
桐山の声だ。いつもは冷静なのに焦が含まれていた。
「桐山くん!」
「様子がおかしい。すぐに逃げる必要がある」
桐山の出現に晶と志郎は少々驚いた。
(麻酔ガスくらって、オレたち以外にこんなに早く目が覚める奴がいたなんて)
さらに晶はこう思った。
(やはり特別プログラムに選ばれただけあるな。他にも戦力になる奴がいるかもしれない)
「うーん、よく寝た。もう朝か、わぁ……綺麗」
瞳は窓の向こうに広がる水平線に感動した。
本当に何も無い海。真っ青な海。そして青い空に白い雲。 本当に本当に綺麗だった。
しかし瞳は、その景色に感動して全然気付いてなかった。
港にいたはずの客船が、なぜ沖に出ているのか、ということに。
朝のはずなのに太陽が随分高い位置にあることにも。
そして……横のベッドに寝てたはずの美恵
がいないことも。
「すぐに着替えなきゃ。確か朝食は7時半だもんね」
部屋に掛けられている時計を見た途端、瞳はアレ?と首をかしげた。
「……やだ。この時計壊れてるじゃない」
だが楽観的な瞳は、まあいいか、とすぐに着替え食堂に向かった。
「みんな、おはよう」
瞳は食堂につくと、すでに仲のいい委員長グループがドアのあたりにいるのが見えた。
「……あ、瞳」
「本日快晴。昨日の天気が嘘みたいだね」
「……あのね、瞳。なんか、それどころじゃないみたいなの」
普段から大人しい静香だったが様子が変だ。まるで顔面蒼白の一歩手前。
瞳は初めて異変に気付いた。
千秋に負けないくらいの優等生で、いつも落ち着いている小夜子が泣きそうな顔をしている。
美咲に到っては、すでに半べそ状態だ。
「どうしたの?」
「……あたしにもわかんないよぉ……でも先生も船長さんもいないし……。
起きたら、もう昼になってて……それに、それに……みんなの様子が変だし……」
嗚咽交じりの答え。瞳は今は朝ではなく昼だということに気付いた。
自分は朝には強いし、昨夜は早く寝た。その自分が昼間で目が覚めないなんて寝坊というには少しおかしい。
いや、この際、そんな事は些細な問題だ。美咲が泣きながら言った『みんなの様子が変』だと。
その、みんなとは委員長グループではない。もうすでに、この食堂に集まって何か話していたらしい男子生徒たちのことだ。
それは数時間前の出来事だった。相馬洸は胸騒ぎを感じて目が覚めた。時計を見ると、もう朝だ。
隣のベッドにいるはずの瀬名俊彦の姿が無い。どうやら、もう食堂に言ったようだ。
「……起してくれてもいいのに」
ブツブツと文句を言いながら着替え、食堂に入った瞬間、その重い空気に一瞬戸惑った。
まるで、愛人との逢引現場で偶々妻と出くわした間抜けな男、といったような修羅場のような重い空気。
(実際には、そんな低レベルなものではないが、洸にはそれが1番しっくりいく例えだった)
「……どういう事だ。誰か説明できる奴はいないのか?」
不遜な態度で質問する杉村貴弘。だが貴弘が不機嫌になるのは当然だ。
担任教師も、乗組員も誰一人いない。 おまけに船は何も無い大海の中にポツンと置き去りとは。
「そんなことは今さらどうでもいいことだろ。とにかくオレたちは遭難したんだ。
すぐにSOS信号を送ろう。待っていても時間の無駄だ」
三村真一が立ち上がった。無線室に行って救援要請を出す、それが1番適切な行動だ。
「それは出来ない」
「何でだよ氷室」
「無線は使えない。もう試してみたが完全にいかれている」
「何だって?」
「なあ、オレ考えたんだけど」
内海幸雄だった。
「オレたちは遭難した……でも、とっくに誰か気付いているはずだろ?予定では今頃は新沖木島のホテルに到着してるはずなんだ。
それが音沙汰無しなら、きっと警察とか海上保安庁に連絡行くはずだ」
確かに幸雄の意見は正論だ。
しかし美恵
を始め、ここにいる誰もが笑顔を見せることは無かった。
特に高尾達12人はまるで表情に変化が無い。
彼等は知っていたのだ。この客船を救助する船など決してこないことを――。
「なあ杉村、三村。そう落ち込むなよ。そのうち迎えが来るからさ」
「……オレはかまわない。どうせ旅行先の島に着いたってろくな観光できないと思ってたんだ。
遭難ゴッコの方が、まだスリルがあっていいかもしれない。ただ……」
「ただ何だよ?」
「……何でもない」
貴弘はハァと溜息をついた。
おそらく幸雄の言うとおり、今頃海上保安庁辺りが捜索に乗り出しているだろう。
いつ、この船が見つかるかは定かでは無いが、こんな大きな船だ、数ヶ月も波間を漂うなんて自体は起らないだろう。
数日、どんなに長くても一週間もあれば。
ただ、その間の食料はどうする?何しろ42人もいるのだ。
食堂には食料があるだろうが、こうなった以上は節制する必要がある。
育ち盛りにダイエットはきついだろう。
だが、貴弘はそんなことより一人息子の自分を溺愛している両親のことが気になった。
自分が海のど真ん中で遭難したなんて知ったらどうなる?
母は……大丈夫だろう。母は強い女だ。どんな困難にも屈することがないくらいに。
運命ってやつを信じて、自分を待ってくれるだろう。
しかし父は……ダメだ。もしかして、すでに息子が遭難した連絡を受け倒れんばかりのショックを受けているかもしれない。
貴弘とは反対に真一は家族のことは特に考えなかった。
真一は父と二人暮しだが、冷めた親子関係だったからだ。
そんなことより真一には今後の遭難生活の方がはるかに重要だった。他の連中が起きてくる前に具体策を出したい。
そんな事を考えているうちに寺沢海斗や山科伊織がやってきた。
次に石黒智也、そして早乙女瞬、仁科悟……と。
だが具体策など何一つ思い浮かばなかった。そして時間だけが過ぎていったのだ。
「遭難?!!」
瞳は目眩がした。何の冗談よ、と叫びたかった。
しかし、これは現実だ。まぎれもない現実なのだ。おまけに美咲だけでなく、静香まで泣き出している。
少し離れたところで村瀬菜摘が恋人の椎名誠の胸の中で泣いている。
「どうするの?」
その声に、男子生徒たちが一斉に美恵に振り向いた。
「……あなたたちはどうするの?」
「もちろん」
徹が立ち上がった。
「君はオレが守るよ。だから何も心配することはない」
【残り42人】
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