茂みの中で震えていたのは村瀬菜摘だった。
あの騒ぎで動転して、蜘蛛の子を散らすようにそれぞれ逃げ去っていった同級生同様、菜摘も逃げたのだ。
そして森の中に走りこんでいた。
どのくらい時間が過ぎただろうか?
菜摘は岩の隙間に、やっと人一人入れるほどの隙間を見つけ、その中で一夜を過ごした。
朝が訪れても動く気にもなれなかったが、ここでジッとしていてもどうなるのかわからない。
そこで(いざというとき役に立つとは思えないが)棒切れを拾い上げ、震えながら木の影を移動していたのだ。
そんなときだった。物凄い音がしたのは。
最初は小林静香を襲った謎の襲撃者かと思った。
しかし、耳に聞こえてきたのは覚えのある声。もしやと思い近づくと、それはクラスメイト達だった。
いつも恋人の誠と二人一緒にいて、クラスメイトとはあまり関わらなかったので、とても親しいなんて間柄ではない。
しかし、この心細い瞬間に四人ものクラスメイト(それも、四人とも頼りない人間ではない)と出会えたのだ。
すぐに飛び出そうとした菜摘だったが、4人は何と戦闘を繰り広げだした。
(……どういうこと?どうして?どうして戦ってるの?
それに、いつもは物静かな佐伯くんや立花くんまで、どうして?)
Solitary Island―44―
「何てことだ……西村まで。畜生……どうなってるんだ?」
真一は額を押さえ、喉から搾り出すように言葉をつむいだ。
智也の無残な死骸を見つけた4人は、智也と共に森に入っていった伊織を探したのだ。
伊織の死体は無かった。その代わりに小夜子の死体を見つけたのだ。
それも胸の中央に穴が空いたような無残な死体を。
「……美恵」
真一は振り向いた。海斗は小夜子の死体に少なからずショックを受けていた。
クラスメイトの死体を発見したのだ、ショックを受けていてもおかしくないが、海斗の場合は少々違った。
半分は(ろくに会話もしたこともないにしろ)小夜子の死に衝撃を受けたからだが、
もう半分はこの無残な死体になる可能性が美恵にもあるということだ。
海斗にとって美恵は特別な存在だった。
恋人ではない(何しろ、自分は特殊な人間だから)、
肉親でもない(もっとも家庭を省みない父や、もうずっと会っていない母などに愛情など無いも同然だが)、
どんな存在かと言われたら何と言って答えたらいいのかわからない。
友達には間違いないが、今そばにいる真一や、内海幸雄も仲のいい友人に違いない。
だが、そんなものとは次元が違う。
唯一、はっきりいえることは海斗にとって、この世で最も大事な人間だということだ。
「……美恵。オレは美恵を守りたい、悪いがオレは別行動をとらせてもらうぞ」
「おい寺沢。おまえ何言ってるんだ?」
「クラスメイトを探しにきて今さらこんなこというのはルール違反かもしれない。
でも、オレにとって美恵は40人のクラスメイトより大事な存在なんだ。オレは美恵を探しに行く」
海斗は、それだけいうと駆け出した。
真一が手を掴まなければ、あっという間に三人の視界から消えていたことだろう。
「止めるな三村!!」
「誰が止めると言った?オレも行くぞ」
「何だって?」
「オレは正直言って小林や星野をやった奴を見くびっていた。
男の石黒まで無抵抗同然でやられているんだ。こんな短時間で四人の人間を殺すなんて正気の沙汰じゃない」
「もっと死人いるかも知れないしね」
洸が無神経とも言える発言をしたが、真一はそんなものに構っている暇はなかった。
「この殺人劇の犯人は恐ろしい奴だ。オレも行く。オレも天瀬を守りたい」
海斗の目が僅かに大きくなっていた。
「三村……おまえ」
(あれあれぇ?もしかして寺沢、君知らなかったの?ゲイって、男女の色恋沙汰には鈍感なのかな?
でもさぁ、これって面白くなってきたよね。ゲイと男と女の三つ巴って奴?こんなものドラマでもあんまり見れないよ)
洸が、不謹慎な笑いを浮かべていたが(そばには小夜子の死体)真一と海斗は真剣な表情だった。
「おまえたちが行く必要は無い」
と、ここで今まで黙っていた秀明が口を開いた。
洸が(あれあれ?堀川も、もしかして興味あるの?昼メロ劇場『愛のトライアングル』に)と、少々目を輝かせている。
くどいようだが、そばには西村小夜子の死体があるのだが、もはや眼中に無いらしい。
「あれには晶たちがついている。だから心配はない」
「堀川……そういうことじゃないんだ。たとえ誰がそばにいてもオレは美恵を守りたい」
海斗はやや俯くと「…あいつには誰かが必要なんだ。あいつは普通の女と違う」と小声で呟いた。
「寺沢?」
何言ったんだ?天瀬のことを言ったみたいだが。
海斗は思い出していた。初めて美恵と出会った、あの日のことを。
そして、まるで暗闇の中からもがくように自分に救いを求めてきたあの電話。
「……何がわかる」
美恵の何がわかる?誰もあいつのことはわかっていないんだ!!
「おまえに何がわかるッ!!あいつの何がわかるというんだ、あいつの……」
「……おまえよりは知っている」
まるで予想もしていなかった秀明の言葉に海斗と真一は瞳を拡大させて言葉を失った。
洸だけは面白くてたまらないといった表情で瞳を輝かせている。
「オレはおまえたちよりあいつを知っている。
おまえたちが知らないことも知っている。あいつのことは全てな」
「貴子どうした?」
今日まで暮らしてきた家。それを見詰める貴子。
「……別に。ただ、もう二度と帰ることは無い、そう思っただけよ」
自分達は行ってはならない場所に行く。島から生きて帰ってきても、また逃亡の生活が始まる。
だから、この家には帰ってこれない。
「……貴子、やっぱりおまえは家に残れ」
「そう言われて、あたしが『ええ、わかったわ』なんていうとでも?」
「……いや。おまえは絶対に一度決めたことは変えない女だよ」
「わかっているんなら行くわよ」
「ああ」
「……弘樹」
ふいに貴子が立ち止まった。振り向かなかったが、後ろから俯いているのがわかる。
「あのプログラムのこと覚えてる?」
「……忘れられるわけないだろ」
そう、忘れられるわけが無い。
『殺し合いをしてもらいまーす』
そういった、あの厭らしい脂ぎった男の声が今でも耳にこびりついている。
ゲームに乗ったクラスメイトもいた。
何人ものクラスメイトの死体を見つけた。いや、目の前で死んでいった仲間も大勢いる。
狂気、絶望、もしも地獄というものが存在しているのならば、自分達はその地獄を生きている間に経験したのだ。
「……あの時、思ったわ。これ以上の地獄はない…って」
そう思うのも無理は無い。本当に地獄でしかない。
こんな地獄をこの世に作ってしまった政府は悪魔、いや……恐怖の神か?
しかし、貴子は苦笑しながら言った。
「……でも違った。あの時は本気で思ったけど違ったわ。これ以上の地獄はない、そう思ったけど……」
杉村にはわかった。貴子の肩がほんの微かに震えているのが。
他の人間にはわからない、杉村だからこそわかる、ほんの僅かなものだ。
「……あの時とは比較にならないのよ。こんな思いは!!」
身を切り裂かれるなような思いなんて、小説の中の例えに過ぎないと思っていた。
しかし、今実際にその思いを感じている。確かに実感している。
「……あのクソゲームに投げ込まれたときの方がずっとマシだったわ!!」
「貴子!!」
杉村が後ろから抱きしめていた。
小学生の時はあたしの方が背……高かったのよね。
いつ頃だったかしら?あんたがあたしを追い越して……いつの間にかずっと高くなったのは。
もう今では、こうして包み込まれるくらいになるくらいに……。
「……大丈夫だ。貴子……おまえが想像しているようなことは何も心配ない。
絶対に大丈夫だ。きっと全て上手くいく、だから……」
「………弘樹」
「全てを終わらせるんだ。何もかも全部」
「……わかってるわ」
わかってるわ弘樹。決着をつけるのよ。あのクソゲームの清算、あたしとあんたのケリ……。
――貴子の頬に涙が伝わっていた。
泣くのはこれで最後よ。全て終わりにする為に。
何より……あたしたちの……あたしたちの……。
弘樹……あんたも、あたしも、本当にろくな人生送ってこなかったわね。
でも――あんたっていう最高のパートナーがいた。それだけで、あたしの人生は最高だったわ。
「……よし、ドアを開けろ」
口を押さえられたまま、瞳は男の指示に従って歩いていた。
そして、ある場所まできた。なんとドアがある。洞窟の中にドア、変な話だ。
まるで少年漫画に登場するような秘密基地ではないか。
が、今の瞳にはそんな悠長なことを考えている暇などなかった。
心の中で、助けてクラマ……カヲルくん!!そう叫ぶだけで精一杯。
まあ、もう少し普通の少女なら、そんな心の叫びさえも出来ないだろうが。
ドアを開けると、男は壁のスイッチを押した。途端に蛍光灯が明るく室内を照らす。
わぉ、文明の利器、やっぱり人間は電気とは離れて暮らしていけないのね、などと、考えている余裕など無い。
男は室内に入るとすぐにドアを閉めた。
瞳の手首に何かを巻きつけると(どうやらロープのようだ)「そこにいろよ」と念を押して、廊下の突き当たりの部屋をあけた。
「伊藤、オレだ」
その時、瞳は初めて相手の男の顔をみた。
自分のような無害で平凡な普通の女の子を脅して拉致するような男だ、きっととんでもない凶悪な男に決まっている。
例えば恐怖のトリートメント男爵とか、オカマ宇宙人プリーザとか、きっとそんな感じの冷酷な男だろう、そう思っていた。
しかし意外にも、まともな顔をしていた。
それに見るからに温厚そうで、好意すら感じるような優しそうな人相をしている。
何となく幸雄に雰囲気が似ているな、そう思った。
「……伊藤、大丈夫だ。だから」
どうやら、もう一人いるようだ。その男は優しく話しかけている。
ところが「来ないで!!」と拒絶の声が聞こえた。
「女?」
そう声からして女だ。
姿は見ていないが、声代わりしてないオカマでない限り、口調といい言葉使いといい女に間違いない。
「わかった。何もしないよ」
男は酷くがっかりしたような声でドアを閉めた。そして今度は瞳をみた。
瞳はゴクッと唾を飲んだ。何が目的か知らないが、拉致されたのだ素敵な目的であるはずがない。
「……あ、あたしに何の用?」
強がって見せているものの声が震えている。
まるで感電しながら喋っているようだ。
「おまえに聞きたいことがあるだけだ。正直に言えば何もしない」
これは瞳にとってはありがたい申し出に違いなかった。
少なくても命の危険はなさそうだ。しかし、聞きたいこととは何だろう?
第一、どうしてこの島に人間が(それも見た感じ、自分達と同年齢の)いるのだろうか?
考えれば考えるほど疑問が溢れてくる。
「おまえたちは何者だ?」
「え?何者?」
何者?何者って?
そういう質問は本当の素性を隠している相手に対するものだろう。
例えばスパイとか。身分を隠している王子様とか。それは瞳が大好きな少年漫画ではよくあることだった。
しかし、これは少年漫画ではない。現実だ。
「おまえたちはどこの部署の人間だ?」
「ぶ、部署って?」
部活のこと?あたしはマンガ同好会だけど。
「この島に来たんだ。おまえは軍の人間だろう?」
「へ?」
軍?郡?群?何のこと?
「オレたちが全滅したのか確かめに来たのか?言えよっ!おまえたちの目的はなんだよっ!?」
「ちょ、ちょっと待ってよ。あたし、何のことだか!!」
「嘘をつけ!普通の人間がこの島にくるわけがないだろう!!
さあ言え!おまえは、どこに所属している人間なんだ!?」
「…ひっ」
男が声を荒げながら襟を掴んできた。
これは怖い。何と言っても、自分は拉致されてなすがままの状態なのだ。
「言えっ!おまえが所属しているのどこなんだ!?」
「……ほ、補完計画サークルよ!」
「補完計画サークル?活動内容は?!」
「24禁のやおい推奨の同人活動をしているのよ!!」
「ニジュウヨンキン?ヤオイ?何のことだ、暗号か?!クソっ、もっとわかりやすく言えっ!!」
「……ゆ、幽遊を中心にワンピ、SD、テニプリあらゆるジャンルをあつかっているよろず同人サークルよ!!
あ、あたしは、そこの会員№14番。ペンネームはぴっきーよっ!!
こう見えてもコミケで1000部売り出したこともある将来有望な同人作家なんだからっ!!」
「そろそろ終わりにしてあげるよ!!横恋慕集団といつまでも遊んでいるほどオレは暇じゃないんでね!!」
佐伯が、持っていた棒を振り上げた。
「あ、あのっ!!」
その声の方向に4人は揃って振り向いた。
菜摘が勇気を振り絞って声を掛けたのだ。
「……あ、あの……あたし……」
まるで礼拝堂にいるかのように両手を胸の前で組んで、肩を下げ、恐る恐るやっと声を出している。
恋人の椎名誠が「菜摘はかわいい女の子だよ」と常々言っているように、菜摘はどこにでもいる、ごくごく普通の女の子だった。
誠でなくても、そのいじらしい様子をみれば、正義感の強い男なら(例えば幸雄)守ってやろうという気になるだろう。
「あの、あたし……みんなの声が聞こえたら…その」
しかし、世の中には幸雄のようにか弱い女の子は守ってやらなければいけないと考える男だけではない。
菜摘のような平凡な女は、物足りない、取るに足らないと思い、
眼中に無いどころか存在そのものも認識しているのか怪しいといった種類の男がいる。
この4人はどちらのタイプだろうか?
「……あの……」
菜摘は言葉に詰まった。自分を見る4人の視線がやけに冷たかったからだ。
(だれかと思えば、どうでもいい甲斐性なしとつるんでいる女じゃないか。
オレの邪魔をするなんて、どういうつもりだ?こんな女に声かけられる覚えは無い)
ただでさえ女嫌い(美恵は例外)の徹は、まるで氷を見るような冷たい目で一瞥した。
(……道端に転がる石ころ。邪魔するなら殺す)
雅信など、もしも菜摘が読心術があれば顔面蒼白になって逃げ出しそうな不吉なことを考えている。
(顔も能力もいたって平凡。何より資産的価値ゼロ。おまけに、つまらない男のステディ。
そんな女、僕には何の関係もないね。むしろかかわってほしくないよ)
薫は、まるで虫けらをみるような蔑んだ視線さえ送っている。
(なんでこの女がいきなり登場してくるんだ?今は、この女と会話している暇はないんだ。
少しは空気を読め。これだから母さんと天瀬以外の女は嫌なんだ)
貴弘はすでに本来の目的すら忘れていた。
そう、行方不明になったクラスメイトたちを探しにきたという大義を。
(あたし、もしかして良く思われてないの?)
もしかしなくても、その通りだった。
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