いつも教壇の上に控えめだが綺麗な花が生けてあった。
生けた本人の人柄をそまま映したように見えた。
日直でもないのに黒板を消したり、そうじ当番でもないのに、よく教室の床を掃いていた。
目立つ個性の持ち主ではなかったが、とにかく真面目だった。

オレとは大違いだ。
いつも社会のルールに反することしかしない。
気に入らなければ暴力に訴える。
人並み以上といえば家族や周囲の人間に迷惑かけたことくらいだ。
あんな人間だったら良かったのにな……。

いつも、そう思って見ていた。
そのうちに、とりわけ美人というわけでもないのに綺麗だと思うようになっていた。
好きになっていたんだ――




Solitary Island―34―




春見中学三年B組男子2番・石黒智也の人生は決していいものではなかった。
智也は中学三年にして夜遊びなんて当たり前のような暮らしをしていた。
父は軍の少佐で、軍人らしい厳格で融通のきかない男だ。
母はそんな父にまるで召使のように仕えていて一切口答えしない大人しい女だった。


その両親は五年前に死んだ長男の死から今だに立ち直っていなかった。
智也とは10歳も年齢が違ったが二人きりの兄弟ということもあって、弟を可愛がってくれる優しい兄だった。
それ以上に、兄は士官学校では優等生だったので父には自慢の息子だった。
父は優秀な長男である兄に夢中で、全ての愛情と期待を兄に注いでいた。
その兄と比べたら智也はおまけみたいな息子だったに違いない。
智也は父が自分をほめてくれたことは一度もないが、よく兄の肩に手を置いて誇らしげに笑っていたことは覚えている。


その兄が交通事故で呆気なく逝った。
その事故には智也もまきこまれたたのだが、幸い智也はカスリ傷で済んだ。
いつも、きっちり軍服を身に纏っていた父がこの時ばかりは乱れた服装で病院に駆け込んできた。
そして「息子は!昭弘は無事なのか!!」と看護婦に詰め寄った。
看護婦が困ったように「今、手術中です」と告げると、まるでこの世の終わりのような表情をした。
両手で頭を抱え込み手術室の前に置かれていた長椅子に座る。
智也が近づいて「……父さん」と声をかけても反応がない。
もう一度「父さん」と呼ぶと「うるさい!黙ってろ!!」と怒鳴られた。
やがて手術中のランプが消え中から医者が出てきて父に死刑宣告よりつらい告知をした。
智也にとってつらかったのは兄の葬式で、最後に兄の遺骨を墓に納めた時に父が放った一言だった。


「なぜ昭弘なんだ。せめて、おまえだったら良かったのに」


それ以来、元々軍事一筋で家族を顧なかった父は、ますます家庭に寄り付かなくなり、表情も何倍も険しくなった。
そして智也には家庭教師という名の教育係がついた。
兄が死んだ以上、家を継ぐのは智也しかいないので、父は智也を兄のような立派な男に育てようと思ったようだ。
最初の頃は、智也も精一杯頑張っていた。
どんな理由にせよ、父が智也に関わってきたのは初めてだったからだ。
しかし優秀だった兄の存在は父の中では計り知れないほど大きくなっていた。
智也は父から受けるプレッシャーに常に苦しめられるようになった。
どんなに頑張っても何一つ兄に勝てない。


「おまえはこんな成績しかとれないのか!?昭弘はずっと上をいってたぞ!!」

兄の代わりになれる男になれば父も喜んでくれるだろうと思ったのは大きな間違いだった。
頑張れば頑張るほど兄の幻影は智也を苦しめた。
そして兄と比較され続けているうちに智也の心もすさんでいった。
中学に上がってしばらくすると智也は不良と呼ばれるようになっていた。
しかし、その頃には父は智也には完全に興味を失っていたので、特にうるさいことは言わなかった。
ただ世間体が悪くなるようなこと(例えばケンカして補導されたとか)をすると容赦なく殴られた。
そして「おまえは私を失望させることしかしないな。昭弘とは大違いだ」と言われた。

行方不明になった自分のことを父は心配してくれているだろうか?

自信がなかった。これが兄なら血相を変えて探し回るだろう。
母は自分と兄を差別こそしなかったが、父の自分に対する扱いに対して一度もかばってくれなかった。
いつも父の顔色を伺っていた。
今も、きっと心配はしてくれているだろうが、父の手前何も言わずに黙っている姿が容易に想像できる。




そんな智也にとって、学校は悪くない場所だった。
それは小夜子がいたからだ。
遠くから見ているだけだったが心が和んだ。
別に付き合いたいなんて図々しいことは考えてない。
小夜子はクラスの女子の中では千秋に次ぐ優等生だった。到底自分とは釣り合わない。
告白なんてしようものなら、真面目で大人しい小夜子は怖がってしまうだろう。
それが嫌で遠くから、ただ見ているだけだった。それで満足だった――。














「……に…しむ…ら……」

何でだ?西村は大人しくて優しい女だったんだ、それなのに……。
智也はガクッと膝をついた。
ポタポタ……地面にコイン大の点がいくつも落ちていく。
昼間なら、その色ではっきりとわかっただろう。
智也の血だった。まるで切腹したかのような流血だ。


小夜子が呻き声のような音を発し、次の瞬間、今度は智也の首を絞めてきた。
肉体的も精神的にもショックを受けている智也は簡単に小夜子に押さえ込まれギリギリと首を絞められた。
小夜子の力は普通ではなかった。
女とは思えないほどのすごい力だったのだ。
それだけではない。小夜子の目は血走っており、異常なほど興奮したような形相だった。
智也の首を絞めたまま、激しく前後に揺さぶっている。まるで狂ったようだ。

「やめるんだ西村!!」

伊織が必死に小夜子を引き剥がそうとした、小夜子の血走った目が今度は伊織を捕らえた。
そして傍にあった尖った拳大の石(智也の身体を突き刺したやつだ)を握り締めると今度は伊織に襲い掛かってきた。




「…くっ!」
伊織はかろうじてだが咄嗟によけた。
だが、さらに小夜子は狂ったように攻撃を仕掛けてくる。
伊織は反射的に落ちていた枝を拾うと剣道の県大会で個人優勝したときのように小手を炸裂させた。
小夜子の手から石が落ちる。
「悪い西村」
一言そういうと伊織は枝を高く振り上げた。
こうなったら仕方ない。クラスメイトに攻撃を加えるのは忍びないが、そうしないとこっちがやられるのだ。


「やめろ山科!!」
しかし智也が制止した。
「なぜ止める。西村はオレたちを殺そうとしてるんだぞ!!」
クラスメイトを疑いたくないがこれが現実だ。
理由はわからないが、もしかしたら(襲われるまで想像もしていなかったが)静香や美咲を殺したのも小夜子かも知れない。

「西村は…普通じゃ…ねぇ…」

その言葉でやっと伊織も冷静になって今一度小夜子をみた。
狂人のような凶暴さ、だがそれ以上に何かが変だ。
次の瞬間、小夜子は倒れ胸を抱えてのた打ち回りだした。
「西村!どうしたんだ!?」
襲われたことも忘れ伊織が駆け寄る。ものすごい苦しみ方だ。














天瀬どうした?」
「……やっぱり、あの時止めれば良かった」
美恵は激しく後悔していた。力づくでも止めるべきだった。
「もしものことがあったら私のせいだわ」
天瀬は悪くない」
「……桐山くん」
今、 美恵たちは海岸にいた。とにかく森の中は危険だからだ。
そして薪を集めて火をつけた。その周りを全員で囲んでいる(誰が美恵の隣になるかで一悶着あったが)


「直人、何を考えてんだよ?」
「別に…ただ美恵は変わってないと思ったんだ。あの頃と一緒だ」
「まあ、人間1、2年で変わらないだろ」
「……俊彦。美恵に何があったんだ?」
俊彦の表情が僅かに曇った。
「あの時、オレは任務でいなかったから詳しいことは知らなかった。
だが、大したことじゃないというおまえや攻介の言葉を信じていたんだ。
どうしてオレを騙した。美恵に何があったんだ?」
俊彦はバツが悪そうな顔で俯いた。


「……もう終わったことだ。あの事件の加害者ももういない」
「……おまえが殺したのか?」
「…………」
「おまえはオレと違って例え任務でも殺しには手を出さない奴だった。
そのおまえが自分の意思で殺したのか?」


「……ああそうだ。それがどうした、あいつらは殺されて当然のことをしたんだ。
もし生き返ったら何度でも殺してやる」


「……何かくるぞ」
秀明が呟くようにいった。
全員総立ちになって森を睨んだ。美登利などはすでにガタガタ震えている。
「あー疲れた。やっと戻ったぁー。アレ?数が少なくなってる」
明るい声、その声は目指せインディ・ジョーンズを公言してはばからない男、雄太だ。
そして雄太とは反対に暗い声で「……疲れた。もう休みたい……」と重苦しい声が聞こえた。
フラフラと幽霊のような青白い顔をした康一だった。
「服部くん、横山くん、無事だったのね。良かった」
晃司と別れてからひたすら真っ直ぐ森の中を歩いていた2人だったが、幸運にも危険と遭遇せずに無事に帰ってきたのだ。















「…グ…ウゥッ…!!」
「西村、西村!しっかりしろ!!」
「……や、ま…しな…くん?」
一瞬、小夜子の表情が控えめで大人しい、いつもの小夜子に戻った。
「大丈夫か?」
「……山科くん」
まだ苦しいのか、小夜子はポロポロと涙をこぼした。
しかし、伊織が額に手を置いて「大丈夫か?」と何度も聞いてくれるせいか、なんだか心が落ち着いた。
だが、それも一瞬にすぎなかった。再び、小夜子が苦しみだし、表情も先ほどの恐ろしい形相になりつつあった。
自分が苦しみのあまり凶行に走ってしまったのを小夜子は本能で感じ取ったのだろう。
伊織を突き飛ばすと森の奥に走っていった。


「山科……何してる追うんだ…!」
「だが、おまえを置いて」
「うだうだ言ってんじゃねぇよ!!オレは平気だ、こんな傷……いつも負っていた。
早く追え…よ。西村を…連れ戻せ…」
「だが…」
「ふざけんなよ!西村はずっとおまえに惚れてたんだぞ!!」
伊織の目が一瞬丸くなった。

ハッ、何てことだ全然気付いてなかったのかよ。
おまえもオレと同じで、そっち方面は全然うとかったんだな。


「……わかったなら追えよ……さっさとしろッ!!」
「…ああ、わかった。すぐに戻ってくるから死ぬなよ石黒」
「……当たり前だ…変なこというなよ……」
伊織の背中が智也の視界からどんどん小さくなっていった。
それを見詰めながら智也は地面に横たわった。


……兄貴…オレ……あんたみたいになりたかった……。


智也は静かに目を閉じた。
そして、そのまま二度と起き上がることはなかった――。














「西村!待つんだ西村!!」
見失った!!何てことだ、あれほど石黒に頼まれていたのに!!
「すまん石黒……」
とにかく探そう。もしかしたら、まだ近くにいるかもしれない。
その時だった。ものすごい悲鳴が聞こえたのは。
伊織は反射的に声のする方に走って行った。
あの声は小夜子だ。普段の大人しくて静かな声からは想像もつかないが、確かに小夜子だ。
しかも断末魔のような恐ろしい悲鳴。絶対に何かあった、それも恐ろしい何かが!!!
伊織は走った。そして茂みを掻き分けた先に見えた。仰向けになって倒れている小夜子の姿を。


「西村!しっかりしろ!!」
「……山…科…くん……」


抱き起こした。そして見た小夜子の身体を。
胸の下辺りに大きな穴のような傷がある。医者でもない伊織にもわかった。重傷だ。
こんな夜でもなければ骨や内臓も見えていたかもしれない。


「……痛い……怖い…よ。…山科…くん…私、死ぬの…?」
「大丈夫だ。少し怪我しただけだ」
「……山科くん……」
小夜子が伊織の手を握ってきた。
「……怖い…お願い、一人にしないで……お願い、お願い……」
もう、痛みの感覚も小夜子にはなかった。だからこそ自分の死を実感しているのだろう。
その恐怖から逃れるように、痛いくらいに伊織の手を握ってきた。


「……助けて、助けて…山科くん…」
「……西村…」
小夜子が咳き込むように血を吐いた。
「……助けて…お母さん…!」

最後にビクッと一瞬硬直したかとおもうと小夜子は動かなくなった。
そして伊織の腕の中で静かに冷たくなっていった――。




【残り36人】




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