「……F2か。銃を使うまでもないな」

その化け物は身の丈は人間ほどあった。
ほんの数十分ほど前に隼人がしとめた小型のモンスターの大型版といったところか。
そいつは、隼人の姿を確認すると突進してきた。
ひらりとかわす隼人。 すると尻尾が伸びてきた。
隼人の腕に絡まりつく、そして力任せに隼人を引いたが、隼人は微動だにしない。
反対にその尻尾を掴むと、強引に引っ張った。化け物が悲鳴のような声を上げ、床に叩きつけられる。
もちろん、そんな程度では怪我どころかダメージも受けない。
地に響くような唸り声を上げながら、そいつは立ち上がった。


「急いでいるんだ。さっさと終らせてもらうからな」




Solitary Island―27―




「とにかく小林さんを運ばないと……こんな所においておけないわ」
美恵はチラッと徹を見上げた。

(……不安なのかい美恵。大丈夫だ、君『だけ』はオレが守るよ)

徹はどうやら美恵が愛しい男である自分に頼っていると思い込んでいたが、それは悲しい勘違いだった。
美恵自身は気付いていないが、美恵は心の底では自分に気がある。徹はそう思っていた)


「佐伯くん、小林さんを運んであげて」
徹は何か言いたそうな表情だ。
おそらく、他に大勢男子生徒がいるのに、なぜ自分を指名したのかと不思議に思っているのだろう。
「……あなたに運んで欲しいの」

ますますわからない。どうしてオレが?

(……まさか)
徹は一つの答えを出していた。

(……そうか、美恵は『あの事件』のせいで心のどこかで男に対して恐怖感を拭えないでいる。
オレ以外の男は信頼できないから無意識にオレを頼っているんだな。……オレのことをそこまで)

「佐伯くん、どうしたの?」

(……仕方ないな。美恵以外の女に労力使うのは惜しいが、それで美恵が喜ぶなら)





「……オレが運ぶ」
そのとき美恵 が想像もしていなかった相手が名乗りを上げた。
ほんの数分前、美恵の肩を鷲掴みにして酷く取り乱していた石黒智也だった。
智也は静香の遺体をそっと抱き上げた。
なぜ不良で通っている智也が自ら進んでと誰もが思ったが、智也には理由があった。
小林静香は西村小夜子と特に親しい友人、いや親友だったからだ。
二人とも控えめで大人しい性格だったので、気があったのだろう。
静香が死んだことを知ったら、きっと小夜子が悲しむだろうな。
智也は単なるクラスメイトに過ぎない静香の死にかなりのショックを受けていた。
それは智也だけではない。美恵も、海斗も、真一も、伊織も同様だった。
俊彦と攻介は同情こそしていたが、今はそんな時ではないことを悟っていた。


異端だったのは相馬洸だろう。仮にもクラスメイトの死に恐怖や戸惑いをあまり感じていない。
なにしろ洸は例の死体が人間だということを知っている。
その為、遅かれ早かれ犠牲者がでることを予測していたのだ。
もっとも、それを差し引いても洸の神経は並の中学生とはかけ離れているが。
「速水くんたちを呼び戻しましょう」
美恵の意見は最もだった。今はなるべく大勢で固まっていたほうがいい。
単独行動は襲ってくれと言っているようなものだ。

「とにかく他のみんなも早く探さないと」














「何?!」
きつく、やや切れ長な貴弘の目が大きく見開いた。
それほど晶の動きが早かったのだ。
普通の人間なら、そのまま腹部に攻撃をくらうまで動くことができないだろう。
しかし貴弘は、咄嗟に腕をクロスさせると、晶の蹴りを受け止めた。
だが、その威力は全く衰えない。むしろ増している。
そのまま貴弘は数メートル背後に吹っ飛んだ。もちろん晶の猛攻は止まらない。
さらに距離をつめ、貴弘が体勢を立て直す前に、その顔面目掛けて回し蹴りを食らわした。
だが、貴弘も格闘技の天才を自負する男。
むざむざとまともに蹴りを受けるようなドジなど絶対に踏まない。
反射的にスッと腕をあげ、その蹴りを防御した。
ところが、晶の蹴りの威力は絶大で、その程度では塞ぎ切れなかった。
貴弘は今度はわずかにしろ横に飛ばされた。


そして晶の拳が貴弘の端正な顔に入っていた。
貴弘が僅かに呆気に取られている。攻撃をくらったのは生まれて初めての経験だ。
しかし、呆気にとられたのはほんの数秒だった。

(……なんだ?)

晶は妙だな、と思った。
普通の人間なら、まともに攻撃を食らえば痛みやショックで戦闘意識が薄れるだろう。
しかし、貴弘から感じるのは正反対のものだった。




貴弘の口の端から僅かだが血が滲み出ている。
「……!」
その血を見て、貴弘の形相が変わった。
普段、つんとすましている表情などではない。あきらかに激怒している。


(……こいつ、殴りやがった!!)

よりにもよって顔を殴った。そう、顔を――だ。


貴弘はナルシストではない。
むしろ男なら傷の一つや二つあってもどうってことはない、格闘家なら尚更だ、常々そう思っていた。
それは貴弘に格闘技を教えてくれた父の美学でもあった。
だが、顔を殴られることだけは論外だ。なぜなら貴弘は実に母親似だったからだ。
男の子は母親に似るというが、貴弘は女優顔負けの美人の母にとてもよく似ていた。
そして母を誇りに思っている貴弘にとっては母のように誇り高い人間になることが人生の目標だった。
その母に、尊敬する母によく似ていると、いやそっくりだと言われ続けた顔を晶が殴った。
晶がしたことは、貴弘にとっては母の顔を殴ったも同然なのだ。
貴弘はゆっくりと立ち上がると血が混ざった唾を吐いた。

「……終わりだな周藤、おまえはもう終わりだよ」














「……醜い化け物だが、哀れな奴等だ」
隼人は、今自分の足で廊下の床に頭を押さえつけらてもがいている化け物を見て、そうつぶやいた。
「生まれて来るべき存在じゃなかった。だが、おまえたちを作った奴等はもっと化け物だな」
その化け物は全身黒光りして爬虫類とも昆虫類とも似通っている皮膚に全身を覆われていた。
正体はわからない。何科の生物に属しているのか、専門家が見てもわからないだろう。
一つだけはっきりしているのは、神が作り出した生物ではないと言うことだけだ。
サメのように鋭い歯、そしてやはり鋭い爪、さらには身の丈と同じくらいあるであろう長く強靭な尾。
それら、この生物の武器だ。しかし、その爪は手首を痛めつけられた為に使うことが出来ない。
尾は、隼人がナイフで壁に突き刺したので、こちらも動かせない。
そして今、床に這いつくばり立ち上がろうともがいているのが、隼人が頭を踏み抑えているので、それも出来ないという状態だ。
「可哀そうだが本能的に人間を襲うように作られている生物兵器を生かしておくわけにはいかない」
隼人は紐状のものを取り出した。ここに来る前に森の中で見つけた蔓だ。














「……覚悟するんだな。おまえが泣くまで殴るのを止める気にはならない」

それは普通の中学生が聞いたら正直言ってゾッとしただろう。
晶や晃司たちのように戦闘訓練を受けていない他のクラスメイトならば、体の向きを変えて全力で逃亡したであろう。
それほど貴弘はクラスメイトから恐れられていた。
キツイ性格のせいで、付き合いにくい人間だと思われていたのは前々からだったが、直接の原因は仁科悟だ。
それは美恵が転校する前の出来事だったので、美恵もそして今戦っている晶も知らないことなのだが、
悟が貴弘を激怒させて半殺しの目にあった事があった。
事の発端は実に馬鹿馬鹿しいことから始まった。




貴弘の母に横恋慕していた悟の父がワインを片手に愚痴をこぼしていた。
「……どうにかして、あの女を手に入れることはできないのか」
まるで相手にされてないのに、いやだからこそ反対に燃えていたのかもしれない。
「あんな男には勿体無い。私のように社会的地位も財産もある一流の人間にこそふさわしい女だ。
それなのに……あんな平凡な人生を送っているような男が……」
「杉村の母親のことかい、父さん」
「……悟、大人のことに口をはさむんじゃない」
「『幸福の条件』って映画あっただろう?」
悟は唐突にそんな話をし出した。


「大金持ちの男が金に困っている男に言うんだ。『君の妻を一万ドルで一晩貸してくれないか?』ってね」
悟の父の顔つきが変わった。
「話聞くと、その男ただのサラリーマンで終わりそうな奴なんだろ?
一億やるって言えば喜んで妻でも何でも差し出すんじゃないのか」
「……悟、おまえは……」
悟の父は驚きを隠せない表情だった。中学生のセリフじゃない。
「何て機転のきく奴なんだ!!そうだな、サラリーマンで終わるような男なら……」
と、言いかけて「……いや駄目だ」とうな垂れた。
「奴は女房に頭の上がらない男なんだ。10億積んでも、そんな話のるとは思えない」
父はそう言って残念そうにワインを飲み干した。それから数日後――。




「いやぁ、相変わらず仁科さんはすごいですねぇ」
都築茂男が反吐のでそうなお世辞を言っている。
先日行われた数学のテスト、悟は92点だったのだ。
「フン、このくらい当然さ」
悟は必要以上にいい気になっていた。
そんな悟に担任渡辺が発した言葉は悪意のない嫌味だった。
「今回のテストはみんな出来が悪かったな。そんな中、一番優秀だったのは……」

(もちろんオレだ)

「杉村だ」

(何だと!?)


「杉村が98点でトップだ。いつものことだが杉村はテストの点は優秀だなぁ。
次は安田、それに内海。90点台は、この三人だけか。
おまえたち、もっと勉強しろよ。特に内海弟、少しは姉さん見習えよ」
「酷いなぁ先生」
「文句があるなら勉強しろ。あ、悪い。仁科も90点台点数だったな。
まあ杉村には負けるが十分優良な点数だ。次回もがんばれよ」
渡辺は気づいてなかった。悟が怒りのあまりシャーペンをへし折っていたことに。


「フン、どうせカンニングでもしたのさ。そうでなければ、オレに勝てるわけがない」
「全くですよ」
悟は腰巾着の茂男と貴弘の陰口を叩いていた。
ちょうど昼休みで男子は運動場でサッカー、女子は図書館と、残っている生徒は僅かだった。
そのため、二人の陰口はかなり熱の入ったものになっていたのだ。
しかし不運にも昼休み終了が近づいてきているというのに二人はそれに気づかなかった。
そして、背後から澄んではいるがキツイ声が聞こえたのだ。


「言いたいことがあるなら、はっきりと言ったらどうだ仁科」


その声に茂男は顔面蒼白になって振り向いた。
貴弘が空手の達人ということは学校内でも有名で、もちろん茂男も知っていたからだ。
しかし傲慢な男・悟は茂男とは反対の態度に出た。


「そうか、だったら言ってやる。どんな汚い手を使ったんだ?そうでなければおまえがオレに勝てるものか。
オレのようなハイソサエティな人間がおまえみたいな平々凡々な男の息子なんかにな」
「なんだと?親父は関係ないだろう」
「フン、オレは遺伝子の問題を言ってるんだよ。
そうだ、おまえの親父みたいな人間でもかせげる方法教えてやろうか?」
次の瞬間、悟は決して言ってはならないことを吐いてしまった。


「妻をオレの父に一晩貨せば年収の数十倍の金が手に入るぞ」


ちょうどクラスに戻ってきていた男子生徒たちも、そして女生徒たちも一斉に貴弘に視線を合わせた。
「どうせ、おまえの親父なんてどんなに頑張っても年収500万程度だろ?
何しろ全く将来性のない悲しき一サラリーマンだからなぁ。
それがどこをどう間違えて過ぎた妻を手に入れたのかなのかわからないけど、
どうせおまえの母親もつまらない男に嫁いだと後悔してるんだろ?
いい話だと思って親父に話してみろよ。大喜びで飛びつくだろうぜ」
クラスメイトたちは恐る恐る貴弘を見つめた。




「……なるほどな。確かに親父は野心とは無縁の男だ。地味な人生送ることに満足している男だよ」
そう言うと、何と笑っている。
「フン、認めるんだな。素直なところもあるじゃないか。アーハッハッハ」
しかしクラスメイトたちは全く笑えなかった……。
悟は全く気づかずに大笑いしているが、貴弘は……目が全く笑っていなかった。
しかも今は笑うどころか、これ以上ないくらいの鋭い目で悟を見つめている。
いや……睨んでいる……。
しかし、それさえも気付かずに悟はまだ笑っている……。


「そんなに面白いか?」


悟の笑い声が、いや動きそのものが止まった――。
一瞬にして凍りつくのでは?と思わせるくらい冷たい声だったからだ。

「ひとの親父をコケにするのは、そんなに面白いのか?……答えろよ」
「………」


「……ふざけやがって……ぶっ殺してやる!!」


悟の身体が、まるでワイヤーアクションのように背後に飛んでいた。
障害物の机を、まるでハリケーン直撃のボロ小屋のようにガタガタァッ!と音を立てて倒しながら。
何が起きたのかわからない悟。
しかし、次の瞬間否がおうにも己の置かれた立場を思い知らされた。
間髪入れずに貴弘に胸倉を掴まれた思いきや、自慢の顔に、まるで杭でも打ち込むかのように鉄拳が振り落とされた。
息つく暇さえ無いくらい連続してだ。


「確かに親父は呆れるくらいお人好しで出世にも縁がない男だ!
だが、おまえなんかにとやかく言われる筋合いがあるか!!
おまえなんかに親父の良さがわかってたまるか!!」


「……うッ…ぐ…ぅ…ッ!」
それは悲鳴というよりは、口から漏れる息の音だった。
そう、間をおかず何度も繰り出される攻撃に悟は悲鳴を上げることすら出来なかったのだ。
貴弘のあまりの激しさに一瞬我を忘れていたB組の面々は、ハッと我に返ると数人がとびだした。
まず一番近くにいた山科が「止めるんだ杉村!」と腕にしがみついたが、貴弘が勢いよく振り払っただけで飛ばされていた。
次に真一が必死になって羽交い絞めをかけるが、そんなことで貴弘は止まらない。
それぞれの腕を幸雄や海斗がつかみあげた。
普段は他人のことには口を突っ込まない拓海まで、前方から貴弘の両肩を掴み必死になって制している。


「やめろ!やめろよ杉村、仁科が死んじまう!!」

幸雄はまるで悲鳴をあげるかのように叫んだ。

「ああ、そうだな。こんなクズ死んだほうがいい!!」


本気だ!本当に殺される!!




そう思った瞬間、悟は普段の取り済ませた態度や表情からは想像もつかないような声で叫んでいた。
恐怖で我を忘れ、頭を抱えておびえだしたのだ。
「離せ!」
貴弘は力任せに、幸雄たちを振り払うと悟の胸倉を掴み立ち上がらせた。
そして、すでにボロボロになり鼻血で汚れている顔面を見据え、再び拳を握り締めスッと上げた。
「ひぃぃー!!」
殺される!悟は目を瞑った。
しかし、痛みは襲ってこなかった。恐る恐る目を開けると、床に叩きつけられうように放り出された。


「……いいか、よく聞け仁科、最初で最後の警告だ。
今度俺の前で親父の悪口を言うときは殺される覚悟で言え!!」


数日後、こんな話がささやかれていた。
「聞いたか?杉村の親呼び出しくらったそうだぞ」
「まあ、無理もないな。あれだけすごい暴力事件おこしたら…」
「それで、杉村の親父が学校に来たんだとよ」
「ふーん、でもさぁ、さすがの杉村も親を呼びだされたら反省するんじゃないのか?」
「絶対にないな」
「なんでだよ」
「聞いたんだけど、杉村の親父さんケンカの理由知聞かされたとたん感動して涙ぐんでたって話だぞ」
「……すごい親子だな」
「ああ半端じゃない。多分、杉村が考え方改めることなんて一生ないんだろうな」














「反撃する前に教えておいてやる」
「……なんだ?」

晶は冷静すぎるくらいに静かに貴弘を見詰めていた。

「おまえの敗因だ」
「敗因だと?」

晶は思わず苦笑した。
しかし貴弘は本気だった。真剣なまなざしで、こう言った。


「おまえはオレを怒らせた」




【残り38人】




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