床が揺れ出した。床だけではない、天井も壁もだ。
全体が大きく変化しようとしている。

(何だ?)

桐山は全神経を集中させた。
天井から巨大なブロックが下がってくる。壁からもだ。
それは、どこかで見たような奇妙な形だった。
最後に床が開き人間が姿を現した。紫緒だ。


「動かないでよ」

紫緒は完全武装している。
逃げるのはやめて、ついに対決しようというのだろうか?

「気に入った?僕の遊び場だよ、迷路になるんだ。僕は目をつむってもクリアできるけど君はどうなの?」

なるほど、この奇妙な形は迷路だったのだ。
だが桐山には、もう一つ気になることがあった。


「それだけではないだろう。何か音がする」
「あらら気づいてたの?ふふ、そうなんだ。フローラルな香りがするから気をつけなくっちゃ。
僕は慣れてるけど、そうじゃない人間はやられるよ」
「……有毒ガスなのか?」
「話が早くて助かっちゃう。そういうこと」

紫緒が笑みを浮かべた。それは殺害予告ともいえる死に神の笑顔だった。


「さあ遊ぼう。君の死体は綺麗だろうね」




Solitary Island―162―




(直人!)

直人はさらに美恵を突き飛ばすように押し逃げるように促した。
Fが近づいてくる。泳ぎも得意のようだ。距離がぐんぐん縮まってゆく。
ここは直人の指示にしたがった方がいい。
直人は百戦錬磨、自分は特訓こそ受けたとはいえ特選兵士と比較すれば戦闘の素人だ。
足手まといにこそなれ、直人の助けになるとは限らない。
美恵は直人の無事を祈りながら必死に泳いだ。
先に進むと頭上に光が見えた。水面だ、出口にきたのだ。


浮上すると新鮮な空気に包まれた。息苦しさから解放され美恵は大きく呼吸した。
壁には鉄梯子が設置されている。
見上げると、二十メートルほど上にハッチが見えた。
美恵は即座に梯子を上りだした。数メートルほどいった時だ、下から水音がした。


「直人?!」

期待を込めて、その名を呼んだ。
だが水面から飛び出してきたのは、おぞましい怪物F4だった。


「そんな、それじゃあ直人は?!」


F4は梯子に飛びつき腕を伸ばしてきた。

「きゃあ!」

足首をつかまれた。自分とF4の戦闘能力の差を考え、美恵は心底恐怖を感じた。
必死にふりほどこうと足を動かしたが、F4は足から手を離さない。
それどころか引っ張りだした。
「!!」
パワーの差は歴然だ。とても耐えられそうにない。
凄まじ力で強く引かれ、美恵は思わず、ぎゅっと目をつむった。
だが、もう駄目だと思った瞬間、水面が再び盛り上がるのが見えた。




「直人!」

直人だ。よかった、生きていたのだ。直人の死すら覚悟していた美恵は胸が熱くなった。
しかし感慨にふけっている余裕はない。
Fは美恵の足から手を離し直人に飛びかかった。
本能で先に潰さなければならない相手を理解しているのだ。
「危ない、直人!」
一呼吸する暇もなく直人は再び水中に没した。
そして水面が何度も盛り上がり、直人とFの体が交互に姿を現した。
やがて静かになり水面から波紋が消えた。


「……直人?」

どちらが勝ったのだろう?直人か、それとも忌まわしき怪物か?
それとも、水底で、まだ勝負が繰り広げられているのだろうか?


(直人にもしもの事があったら……)


美恵は意を決して水中の様子を探ろうと梯子を降りだした。
その時だ、激しい爆音が轟き、梯子が激しく揺れた。




(何!?)

見上げると壁の一部に穴が空いている。
あの壁の向こう側で爆発があったらしい。おそらくは冷却装置が破壊されたのだろう。

(あらゆるシステムが暴走しているせいなの?)

梯子がかなりぐらついている。急がなければ、第二の爆発が起きるかもしれない。
水面から手が伸びてきた。それは化け物ではなく、人間の手だった。

「直人、よかった!」

美恵は腕を伸ばし、直人の手をしっかりと握りしめ、力一杯引き上げた。


「直人、大丈夫なの?」
「話は後だ。もう一匹いる、急げ。弾を使いきったから銃を頼りにはできないぞ」

先ほどの爆発といい、F4の襲撃といい、ぐずぐずしている余裕は一秒もなさそうだ。
美恵は頷くと「梯子がもろくなっているから気をつけて」と忠告し、慎重に上り始めた。
梯子がギシギシと嫌な音をだしている。

「ちっ……来るぞ」

直人が忌々しそうに呟くと同時にF4が水中から出現し梯子に飛びついた。
Fの重みで梯子がさらにぐらついた。
「直人、早く。爆発が原因で梯子が壁からはずれそうなのよ。そいつの相手をしている暇はないわ」
梯子が壁と分断されれば、引き返すしかない。
しかし銃もなしに黒己と戦闘は、さすがの直人でもきついだろう。
「わかっている」
美恵、直人、そしてF4は梯子をのぼる速度をあげた。














「ここもいない。どこだ、どこにいる?」

徹は苛立ちながらマウスを動かした。
コンピューター画面に表示されているのはパニックルームに取り付けられた隠しカメラの映像だ。
そのどれにも美恵の姿がない。録画されているものを再生させると、ようやく美恵を発見できた。
しかし、それは徹を安堵させるものではなかった。


『はなして、この獣!』
『せいぜい叫びな』

黒己に襲われている美恵を鑑賞する羽目になり徹の全身の血液は一気に沸騰した。


「あの変態野郎……!!」


しかし幸いにも直人が駆けつけ美恵の窮地を救った。徹は、ほっと息を吐いた。
しばらく黒己と戦闘を繰り広げた直人だが、隙を見て美恵と逃亡することに成功。
その映像を最後に美恵は再びモニターから姿を消した。

美恵が逃げた方角は……このパニックルームの青写真から考えると――)

行き止まりを考慮すると美恵の現在位置として最も可能性が高い場所が浮かび上がった。
幸いにも、ここから近い。
徹の行動は早かった。翠琴を気絶させ、壁に掛かっていたネクタイ等をロープ代わりにして拘束した。
「見張ってろ」
して素人の瞳に自動小銃を一丁渡すと無謀な要求をして、さっさと通風口に戻ってしまったのだ。
後に残された瞳は一言だけを呟くようにいった。

「まるで漫画のストーリーみたい」














(後少し、後少しだわ!)

美恵は後わずかという位置まできた。本当に、後数段という距離だった。
その時だ、梯子に不気味な振動が走った。
反射的に梯子にしがみつくと、ぐらっと体が倒れるような感覚があった。
その奇妙な意識の中、視線の先に見えたのは梯子と壁を繋ぐボルトが落ちてゆく光景だった。

美恵!」

直人の声が頭上から聞こえる。美恵は梯子の一部と共に落下していたのだ。


「きゃぁぁ!!」

がんという衝撃が体に走った。

(……水に落ちてない)

梯子の両端が壁にひっかかえる形になり、かろうじて落下を免れていた。
梯子は真横の形となり、まるでうんていのように、美恵はぶらさがっている状態だ。
そんな美恵を、Fがじっと見つめている。いやな予感がする。
当たらないで欲しいと願ったが、その期待を裏切りFは飛びかかってきた。
Fは美恵と1メートルと離れていない位置のパイプの上に着地。
Fの重みで梯子は、さらに数メートル下がった。水が近くなっている。
おまけに水面にぶくぶくと泡があがっているではないか。何かが浮上してきている証拠だ。
その何かとは二者択一。
F4か、さもなくば恐怖の男・黒己。
どちらに転んでも絶体絶命の命の危機の扉を開かれてしまう。




(どうしよう。どうしたらいいの?)

考える事すら許さないと主張するように、水を突き破るようにF4が姿を現した。

「来ないで!」

威嚇などFには通じない。それどころか挑発行為になってしまう。
真下にいるFが手を伸ばしてきた。美恵は鉄棒の坂上がりの要領で梯子の上にあがろうと試みた。
だが、その途端、梯子が、ずずずと下がる。

(駄目だわ。梯子に刺激を与えたら、今度こそ落下してしまう。
でも、このままでは、こいつに足をつかまれるのも時間の問題だわ)

おまけに梯子の上にいるFまで、手を伸ばせば届いてしまう距離まで迫ってきた。




美恵、梯子から手を離すなよ!」
「直人、でも……!」
「死にたくはないだろう!」
「生きたいわ。死んでたまるものですか!」
「だったら、俺の指示に従え!」

そう言うと同時に直人が壁を蹴っていた。その勢いで落下速度に拍車がかかっている。
直人は、その勢いのまま梯子の上にいるFに飛び蹴りをお見舞いした。
Fは落下し、そのまま水面から手を伸ばしていた奴とF同士の正面衝突だ。
しかし直人の着地で、ついに梯子が壁から外れた。
だが梯子は落下しない。直人がピアノ線をくくりつけていたからだ。


「すぐに上がれ」
直人は美恵の手を取ると力強く引き上げた。
「つかまってろ」
直人は美恵を抱きかかえると梯子を再び速やかにのぼった。もちろんFも追ってくる。
「直人、梯子は途中までしかないのよ」
直人は停止すると壁に掌をぴたっと当てた。
「直人、あいつらがくるわ!」
怒りに燃えたF達が再び迫ってきていた。


「直人、どうしたの?」
直人は壁に耳をあて、何か考え込んでいる。
「直人?」
「……頃合いだな」
直人は再び梯子を上りだした。しかし梯子は分断し、途中までしかない。
「しっかりつかまってろ」
直人は美恵に梯子につかまるように指示した。
「ええ」
直人が何を考えているかはわからないが信じることはできる。
美恵は素直に従った。




その数秒後だ。爆発が再び起こったのは。
恐ろしい悲鳴をあげながら、炎に包まれたFが落下してゆくのが見えた。
もしタイミングが違っていたら、自分達がああなっていただろう。

「直人、あなた、爆発のタイミングを知っていたのね」
「経験から50%の確率で見当はつく。もう半分は賭けだ」

F達は水面に叩きつけられた後も、おぞましい悲鳴をあげながらもがいていた。


「何て生命力なの……まだ生きているなんて」
「だが、もう俺達と鬼ごっこをしようなんて気にはならないだろう」

その言葉の通り、F達は激痛に悶えているだけだ。
直人はピアノ線を取り出した。その先端には重りがついている。
そして直人の視線の先には天井を塞いでいる鉄格子があった。
直人は勢いよく重りを投げた。重りは格子に絡まり二転三転とぐるぐる回った。
回転が止まると、直人は強くひっぱり、しっかり絡みついていることを確認すると美恵を抱きしめ飛んだ。
振り子の法則で二人は、エアーダストのハッチの前まで一瞬で移動。


「ありがとう直人」
美恵は、やっと安心したのか極上の笑顔を見せた。
「……安心するのは、まだ早い」
「どういうこと?」
「ハッチの向こう側に誰かいる」

まさか、黒己?

美恵は反射的に直人の袖をぎゅっと握りしめた。
そしてハッチが、ゆっくりと左右に開きだした。
直人は美恵の肩に腕をまわすと、「俺が戦っている隙に逃げろ」と言った。
だが――。














「うーん、やっぱり、念には念をいれるべきよね」
瞳はガムテープをデスクの引き出しから発見すると翠琴の手にぐるぐる巻きに張り付けた。
「縛ったって関節外されたら紐なんてあってなくが如しだもん。少年マンガの鉄則よ」
モニターには相変わらず美恵の姿はない。探しに行った徹もだ。
「佐伯君、天瀬さんに会えたかな?モニターに映らないってことは、もしかして、あの化け物に襲われて――」


美恵の居場所がわかったのか?」

「佐伯君はだいたいわかってるみたい。でも会えたかどうかは……え?」

瞳は凍り付いた。背後から、いるはずのない男の声。
少年マンガでは、やばい展開への序章だと相場が決まっているではないか。
瞳はおそるおそる振り向いた。


「そうか。徹はわかっているのか」
「ほ、堀川君!」














「……どういうつもりだ直人」

扉の向こうに立っていたのは徹だった。

「……徹?」

徹の様子がおかしい、不穏な空気すら感じる。


「勘違いするな徹」
直人の言葉に美恵はようやく徹の不機嫌な理由に気づいた。
「……俺がいないことをいいことに美恵を抱きしめるなんて。喧嘩売ってるのかい?」
「違うわ、誤解よ徹。これは――」
爆音が轟き、床から激しい揺れが伝わってきた。
「徹、今は言い争っている場合じゃないぞ」
「そのようだね。でも忘れるなよ、直人。俺は絶対に覚えているからな」
徹は念を押すような事を言った。


「さあ美恵、直人から離れて」
徹は美恵の手を取ると、直人から引きはなした。
「行こう美恵、ここは危険だ」
言われるまでもない。今は小規模な爆発が連続しているだけだが、いずれは大爆発が起きるだろう。
一刻の猶予もならない。三人はハッチをくぐった。
徹が開閉ボタンを押すと同時に三人は走り出した。

振り向きもせず――その為、ハッチが閉じる寸前に、浅黒い手に閉鎖を阻まれた事に気づかなかった。




【残り21人】
【敵残り6人】




BACK   TOP   NEXT